「もうひとつの源氏物語 〜王朝の武者 源頼光・頼信兄弟〜」2024-11-11

2024年11月11日 當山日出夫

英雄たちの選択 シリーズ平安時代 (2)もうひとつの源氏物語 〜王朝の武者 源頼光・頼信兄弟〜

再放送である。最初のときのを見損ねていた。

この番組の良さというか面白さは、おそらく歴史学としてはそこそこのレベル(といっては失礼かもしれないが)であって、同時に、まあ人間とはそういうものだよなあ、という感想をいだくところにあると思っている。これは社会科学(とあえていってみるが)としての歴史学というのとは、ちょっと違った視点であろう。

武士というのが、平安時代にその源流がある、ということは知られていることである。それを、下から、つまり在地の実力のある土豪たち(といっていいのかどうか、歴史学の用語はしらないのだが)から考えるか、上から、つまり番組のなかで出てきたことばでいえば、軍事貴族ということから考えるのか、おそらく二つの方向があるだろうと思う。この両者の利害が一致したところに武士という人たちが歴史のなかに登場するということだと、理解していいかと思っている。

武士といっても人間である。ボスが必要になる。そのボスとして軍事貴族が頭角を現してくる。ボスに対しては、命令に従わなければ殺されるという恐怖から従うことになるのか、それとも、ボスのことを信頼してついていけば自分のことを守ってくれるから従うことになるのか……このようなことは、平安時代からあったにちがいない。この意味では、軍事貴族が地方の武士たちを従えていく過程として、それを守ってやるということで実力をつけてきた、ということになる。これが、この番組での理解である。

それから、磯田道史は、歴史学の専門家としては、江戸時代の武士が主な研究対象であるとしていいだろう。現在、一般に思われている武士の忠義というものが、いつごろどのようにして形成されてきたものなのか、ということも興味がある。

江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃などに描かれた武士の忠義、これは、近代以降になって講談や時代劇映画などで、広く認識されるようになったものだろう。では、それ以前はどうだったのか。『太平記』など読んだ印象としては、ちょっと違う。確かに主君に対しての忠誠心はあるのだが、同時に非常に功利的でもある。『平家物語』における武士の生き方は、読んで共感するところもあるが、しかし、いわゆる武士道というものとは違っている。

平安時代の武士はどうだったのか。自分たちが生きのこるためには、ボスである主人を選ぶ。それも、同時にいくつかの関係をもって、リスクヘッジをしていた。これは、まあなるほどそういうものだったろうと思う。一途な主君と従者という関係ではなかったようである。

武士のボスになるのに必要な要件は、調停者としてすぐれていたということ。これは、そうかなと思う。在地の武士たちの所領争いの調停能力がすぐれていたものが、権力をもつようになる。そうして出来上がったのが鎌倉幕府であると考えると、そうかなあと思う。

この番組を見て思ったことの一つは、受領というのは、いったいどれぐらい儲けていたのだろうか、ということである。『光る君へ』を見ていると、紫式部の父親の為時は、清廉な学者として描いてあるが、実際はどうだったのだろう。がっぽりと儲けていて、その財力があったから、紫式部は『源氏物語』を書くことが出来た、ということであってもいいかなと思う。『源氏物語』を読むと、明石の入道などは、在地の実力者で、相当かせいでいるようである。

『今昔物語集』などに出てくる武士も面白い。テレビの時代劇でイメージする江戸時代の武士とは違って、なまぐさく躍動感がある。

2024年11月5日記

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