『坂の上の雲』「(10)留学生(後編)」2024-11-23

2024年11月23日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(10)留学生(後編)」

録画してあったのをようやく見た。見ながら思ったことを思いつくままに書いてみる。

アリアズナの目がとても美しい。このドラマを見るのは、今回の再放送を含めて、三度目ぐらいになるかと思うのだが、今あらためて見て、ロシアのアリアズナという女性の魅力に気づいた。以前は、ロシアの美人女性ぐらいの感じで見ていたのだが、今回の再放送で見ると、その灰色の瞳がとても魅力的である。

ロシアでの部分。広瀬武夫は、ロシア語で自己紹介するとき、自分の名前を「ヒロセ・タケオ」と言っていた。日本語の語順(姓・名)である。だが、アメリカで秋山真之は、「サネユキ・アキヤマ」と言っていた。(名・姓)である。ロシア語の人名としては、基本は英語式になるはずである。正式には父称が入ることになるが。こういうことがドラマを見ていても気になるというのは、国語学を勉強してきたということがどうしてもあるからなのだが。

この当時のロシアの社会で、上流階級なら、フランス語で話していてもいいように思うのだが、実際はどうだったのだろうか。

秋山真之も、広瀬武夫も、留学生あるいは駐在武官ということであるが、しかし、その実態は、インテリジェンスにあったといっていいのだろう。スパイというと語弊があるかもしれないが、ここは広い意味での軍事関係を軸とした諸般の情報収集ということだったにちがいない。

太平洋戦争にいたるまで、日本軍の最大の弱みは、インテリジェンスとロジスティックスの軽視、ということは言われていることだと思っている。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでも、日露戦争のときの、インテリジェンスやロジスティックスについては、ほとんど書かれていなかったと憶えている。昭和のノモンハン事件のことを、厳しく批判していた司馬遼太郎なのだが、その視野のなかには、これらのことはふくまれていなかったということになるだろうか。この意味では、いわゆる司馬史観については、批判的であらねばならないだろう。

ちなみに、ドラマとしては先のことになるが、日本海海戦はなぜ起こったかというと、日本と満州との間の海上補給路を確保するため(日本側からみれば)であったはずである。日本海の制海権をロシアに取られては、日露戦争は負ける。決して海軍どうしの決戦が目的であったわけではない。このあたりが、今もって一般に誤解されているところかもしれない。

正岡子規の描き方を見ると、これは芸術家として描いていると感じるところがある。文学者を芸術家としてとらえるということは、あまり現代でははやらないことなのだが、このドラマでは、芸術家としている。

小村寿太郎や高橋是清は、アメリカにおけるイロコイ族というインディアン(今ではこのことばは使わないが、ドラマのなかではその当時の言い方として使っている)のことを語っていた。帝国主義の時代である。その時代の価値観を、このドラマでは、必ずしも否定的には見ていない。そのような時代のなかにあって、日本という「まことに小さな国」がどう生きのびてきたか、を描く立場である。このような歴史観があってもいいと思うし、また、これを否定的に見るにせよ、少なくともその時代に生きた人びとが、どのような考え方をしていたかは、必ずしも否定されるべきものとは思わない。(だからといって、現在の国際社会のなかで、かつてのような帝国主義的なあり方が容認されるということはない。だが、これも、昨今の国際情勢をみると、あまり楽観的にもなれないのではあるが。)

『ロシヤにおける広瀬武夫』は買って持っている本なのだが、書庫のどこかにある。探して読んでおきたくなった。

2024年11月23日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/11/23/9733915/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。