「投げ銭にハマった人」2024-11-29

2024年11月29日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 投げ銭にハマった人

去年の放送の再放送である。前後編を録画しておいてまとめて見た。

投げ銭システムが、実際にどれほどの経済規模になっているか、今ではさらに大きくなっているかもしれない。

このようなシステムを運営する企業のこと、ライバー(配信をする人、それで稼ぐ人)、それから、投げ銭をするユーザ、それぞれの視点から考える必要がある。まあ、依存症になってまともに社会生活をおくれなくなったり、借金で生活苦になったりしない範囲内であるならば、今の時代としては、個人の自由の範囲ということで許容できるものかとも思う。(逆に、このようなことがまったく規制されて出来なくなっているような社会体制を考えてみると、それも怖いという気がする。)

端的にいえば、社会における承認欲求をSNSのライブ配信と投げ銭システムが、満たしてくれている、ということになる。もし、これを問題視するなら、現代の社会における人間のあり方についての根本的な見直しがせまられる。

さらにいえば、この投げ銭にはまる人の感覚は、カルトにはまりこんでしまっている人の感覚に近いかとも感じる。(まあ、それが、その人の個人の裁量でなんとかなる範囲で、家族や社会に迷惑とならない程度のことなら、認められてもいいかなと思うところはある。)

推しとしてあがっていたのは、Vライバー、が多かった。さて、これは、本物だろうか、という気もする。以前に放送の「最深日本研究」で、日本においては、バーチャル空間でアバターとして、若い可愛い女の子が好まれる、それを使っているのは大人の男性である、このようなことが、人類学研究の視点から指摘されていた。実際に、そのスマホの画面の向こうにいる人間のリアルは、どうなっているのだろうか、それを知ったとき、推しへの気持ちは冷めてしまうかもしれない。これが分からないからこその推しなのかとも思う。

これからは、さらに、AIを使ったアバターなども登場するだろう。いや、もうすでにあるにちがいない。リアルな人間の世界から逃避して満足感を得られる、SNSのバーチャル空間を支配するのは、AIであるというSF的世界は、現実のものになってきていると考えるべきかとも思う。(この意味では、このごろの政治をめぐってのSNSでの、左派と右派の罵り合いの光景は、これからどうなるにせよ、早晩、古びたものになっていくかとも思う。)

法的な問題として気になるのは、投げ銭システムは、政治家に対してはどうあつかわれることになるのだろうか。今では、政治家(といっておくが)の一部は、ライバーであるといってもいい存在になっている。

投げ銭にはまっていく人の姿は、まさに依存症そのものといっていい。しかし、この番組に出てきていた事例ぐらいなら、そう目くじらたてるほどのことではないかもしれない。実際には、もっと悲惨な事例も多くあるのだろう。場合によっては、どこかで規制をかける必要があるかもしれない。

これは悪用しようと思えば、いくらでも悪いことにつかうことができるだろう。やはり、なにがしかの監視と規制は必要かとも思う。

番組に出てきていたなかで、日本語学として興味深いのは、「尊い」の事例。この「推し」に対して「尊い」と使うことは、今年になってから放送があった『舟を編む』のドラマのなかで出てきた。

どうでもいいことだが、画面の人形たちの背景に、壁に銭形平次の画像がかかっていたのは、面白い。

2024年11月28日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/11/29/9735573/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。