『おむすび』「支えるって何なん?」2024-12-01

2024年12月1日 當山日出夫

『おむすび』「支えるって何なん?」

神戸に舞台が移って、このドラマのいいところと悪いところがはっきりしてきたと感じる。

まず、いいと感じるところから。

人を支えるということの意味を考えている。結は翔也のために毎日の食事を考えているのだが、それは自分の気持ちとしてはそうであても、本当に相手の立場や気持ちを考えてのことではなかった。それを、元アスリートであった沙智のことばから知ることになる。

また、神戸の街においての震災からの復興について、被災した人びとの感情について細かく描いている。特に、靴屋の渡辺の心境について、そのような人もいる、ということを考えることになる。悪い人ということではないのだが、周囲からの援助の気持ちを素直に受けとめることができないでいる。

このあたりは人それぞれということになる。被災者、ということでひとくくりにせずに、個別の人の気持ちの変化ということを描いている。このような部分は、これまでの朝ドラにおいて、ほとんど描かれてきていなかったことかと思う。

どのように神戸の震災、その被害の時から、その後の復興の過程において、人びとの心情がどうであったか、これはかなり重要なことである。ドラマとして描ける範囲は限られた事例になるにちがいないが、このような視点をもっておくことは必要だと思う。

次に、あまりよくないと感じる点。

結は野菜に詳しい、ということなのだが、はたしてこれまでの描写でどうだったろうか。糸島で家の農業を手伝ってはいた。しかし、家の手伝いをしたぐらいで、そんなに農業や野菜に詳しいとはいえないだろう。高校も普通科高校のようである。

これが、高校を卒業してから一年ぐらい、糸島にできた、産地の直売所でアルバイトでもして、野菜をはじめ農産物にたいする興味や知識があったということならいいかもしれない。

また、料理に関心があるということでもないようである。

これで、栄養士を目指すというのは、ちょっと設定に無理があったというべきかもしれない。

また、翔也のために食事のメニューを考えるのだが、まず、翔也がどのような体で、どのような運動をしているのか、このあたりをきちんとふまえなければならないのは、常識的判断である。体格や運動量によって、一日に必要な栄養も変わってくるものだろう。もし、病気などがあれば、それについても配慮しないといけない。

このあたり、どう考えても結のやっていることは、常識的判断から外れていることになる。

以上のようなこと、いいと感じるところ、出来が悪いと感じるところはある。しかし、朝ドラとしては、まあ面白く作ってあると感じる。

ところで、気になっているのは、渡辺の仕事。靴屋なのだが、その店には、ほとんど商品がおいていない。高級なオーダー専門の靴職人ということなのだろうか。そうだとすると、職人としての仕事ぶり、また、だからこそ感じる神戸の街についての思いというようなものがあってもいいように思うのだが、これはどう描かれることになるだろうか。

2024年11月30日記

『カーネーション』「秘密」2024-12-01

2024年12月1日 當山日出夫

『カーネーション』「秘密」

この週は、夫の勝の出征をめぐる展開であった。

これまで朝ドラで、登場人物の出征ということは多く描かれてきている。そのなかでも、『カーネーション』の場合は、かなり丁寧に描いていると感じる。

戦時下に結婚したふたりの純愛の物語、とはなっていない。勝もいろいろあるが、糸子もいろいろとある。しかし、それでも二人で小原の店をやってきたことは確かであるし、そこで育まれた情愛はある。子どもや家族への思いもある。

勝は糸子と歌舞伎を見に行く。これも、普通のドラマなら、夫の優しさの表れであり、また、戦争が始まっているとはいえ、歌舞伎を見に行くぐらいの余裕のあった時代、ということになる。これを、そのようなことで済ませないのが、このドラマのいいところである。

劇場で、糸子は、芸妓の菊乃と出会う。

入営した勝が糸子のもとに送ってきた荷物のなかには、勝と菊乃が並んで映っている写真があった。おそろいの浴衣と丹前姿なので、どこかの温泉旅館にでも一緒に行ったときのものとおぼしい。これは、勝が菊乃と浮気していたということになる。

勝の件をめぐっては、糸子は複雑な思いになる。まわりの男性たちは、男の浮気の一つぐらいどうってことはない、といっている。しかし、糸子はそれを許す気にはなれない。どうやら、父親の善作はこのことを知っていたらしい。出征の前の晩、二人で酒を酌み交わしていた。糸子は、奈津のところに相談にいく。そこで、奈津の檀那も芸妓と逃げてしまったことを知る。

糸子のこころのうちは、いろいろと考える。勝は本当に浮気していたのか。自分(糸子)のことを、どう思っていたのか。また、糸子自身は勝のことをどう思っていたのか。仕事のできる職人が家にいるぐらいに思っていたのか。だが、実際に勝が家からいなくなってしまうと、淋しくなる。その思いは、複雑に錯綜する。

このあたりの勝のことと、糸子の心情と、複雑に絡まり合った気持ちをうまく表していた。単に、夫は妻のことを愛していて、家族をのこして出征する、というありきたりの、(これまでの多くの朝ドラが描いてきたような)単純な形にはしていない。これが、その後の糸子の生き方とも関連してくるようになっている。やはり、このドラマは、よく考えて作ってあると感じるところである。

また、細かなところだが、映像としてもいい。小原の店の棚においてあるものとか、食事の場面とか、非常に丁寧に作ってある。歌舞伎を見にいった劇場の回想の場面はあえてモノクロ映像にしてあったが、糸子が口紅をさしていることがはっきりわかるように、その赤い色が強調される映像になっていた。(昔の白黒写真の時代だと、フィルムの特性として、赤い色に強く反応するということはあるのだが。)

最後にカイロが出てきていた。ベンジンを使うタイプのものである。これは、若いころまで現役で日常的に家庭で使用されていたものである。カイロといばこれだった。ベンジンも、普通に身の周りあったと記憶する。それも、今では、まったく無くなってしまったものである。

国防婦人会が登場していたが、朝ドラのなかでは、どうしても悪役ということになる。しかし、歴史的には、戦時中、家庭のなかに閉じ込められていた女性が、外に出て活動できる機会を作ったものとして、むしろ女性史の観点から考えなおすべきことかもしれないと、私は思っている。

召集令状がとどいたシーン。係の人が小原の家にやってきて、本人を確認したうえで、署名捺印を求めていた。これは、珍しい場面になる。召集令状は、それをもって入営するので実物がほとんど残っていない。私が見たことがあるのは、靖国神社の遊就館に展示してあるのを見たことがあるだけである。

2024年11月30日記

『カムカムエヴリバディ』「1939-1941」2024-12-01

2024年12月1日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1939-1941」

この週で一番印象に残るのは、なんといっても、大坂を訪れた安子が稔と逢って岡山に帰るときのこと。特に、その最後の汽車の中の場面が、このドラマ全体のなかでも最も印象に残る名場面である。それが、たくみに演出されたものであることを、再放送で確認したことになる。

この回では、オープニングが最後の方に持っていってあった。岡山に帰る汽車のなかの安子のシーンで終わり、そこで「アルデバラン」の曲が流れてオープニングになり、それが終わって汽車の中の安子が気がつくと目の前に稔が立っている。実にたくみである。

他にも、この回では、大阪の稔の部屋で、稔の本棚が映っていた。経済学の本などと並んで倫理学の本もあった。きちんと整理されて並んでいる。この本棚のワンカットだけで、稔が大坂で真面目に勉強している学生であることが分かる。

その一方で、稔と安子が食事をする場面。学生向けの食堂なのだろうが、ここでは稔の質実な生活ぶりが感じられる。

それから映画。モモケンの映画だった。これは、このドラマにとって後々までの重要な伏線になるものである。その映画の殺陣のシーンが、実によかった。手を抜かずに本格的に作ってある。こういうシーンがあってこそ、後のるい、ひなたの時代になって、京都の映画村でのストーリーにつながることになる。

岡山に一緒に帰った二人は、たちばなの家に行く。そこで安子の家族と稔が話しをするのだが、その間、安子は一言もしゃべらずに話しを聴いているだけだった。しかし、その表情で、稔の話、父親の気持ちを、理解している様子が分かる。科白ではなく表情だけで、その気持ちの変化が伝わってくる。

ここで流れていたのが渡辺貞夫だった。私の世代だと、渡辺貞夫や北村英治の名前を見るだけで、懐かしい思いこみあげてくる。

この週の終わりで、一九四一年(昭和一六)の太平洋戦争の始まりということになる。これまで多くの朝ドラなどドラマでは、太平洋戦争のはじまりを、日本の人びとはラジオの臨時ニュースで知った、というふうに描かれてきた。今、再放送中の『カーネーション』も同様である。

この時代のラジオの普及率はどれぐらいだったのだろうか。全国津々浦々まで普及していたのだろうか。日本の人びとは、どうやって太平洋戦争の始まりを知ったのだろうか。このあたりのことは、ドラマとは別にメディア史として興味深いことになる。

また、吉兵衛がラジオ体操のときに、ラジオに合わせて全国民が統一して運動をすることの意味を語っていた。このような言説が生まれることは理解できるし、まさに、ラジオの登場が、人びとの間にその放送を聴くものという共同体意識を生み出していったのだろうと思う。ラジオによる共同体意識の成立ということも、考えて見なければならないことである。

このドラマでは、たちばなの家の家族や従業員が、茶の間でラジオの放送を一緒になって聴いている。漫才や娯楽番組などを、一緒になってきいている。これが、その後、テレビの時代になって、家庭のお茶の間のテレビを家族みんなで見るということにつながる。

現代では、それがネットにとってかわり、家族から個のものになってきている。

このようなメディアと国民や家族という観点から考えてみても、このドラマからはいろんなことを考えることができる。

2024年11月30日記

『光る君へ』「刀伊の入寇」2024-12-02

2024年12月2日 當山日出夫

『光る君へ』「刀伊の入寇」

紫式部は『源氏物語』を書き終えたあと、どうしていたのだろうか。

まひろ/藤式部は、「源氏の物語」を書き終わって、都を離れて旅に出る。このあたりの心情は、なんとなく分かるような気がする。一つ大きな仕事をなしとげた後、あらためて自分の生き方を探すことになる。そのために旅に出る。

ただ、旅というものを、このドラマではかなり現代的な感覚でとらえていることはたしかである。いにしえより、漂泊の詩人、歌人という存在はあった。だが、まひろは創作をもとめて旅に出たのではない。このドラマにおけるまひろの旅は、近代以降の旅行、観光、というような雰囲気がする。これはこれとして、ドラマの作り方だろう。

ふり返って先週の回、須磨の海岸を走るまひろの姿は、後宮でのつとめ、「源氏の物語」の執筆から解放された、その感情のほとばしりというべきものであった。このシーンは、歴代の大河ドラマのなかでの名シーンとして残るものになるかもしれない。

まひろはいったい何のために旅に出たのだろうか。道長から距離をとりたかったから、ということでいいのだろうか。都に居場所はないし、ものを書く気もしない。自分はもう終わってしまったと言っていた。書くことがすべてだったとも言っていた。

大宰府で乙丸が紅を買っていた。お土産なのだろう。このとき、銭はつかっていなかった。

紫式部が太宰府に行って、そこで刀伊の入寇の事件に巻きこまれるというのは、当然ながらフィクションであるにちがいないが、ドラマとしては面白い。それは、『源氏物語』ほどの作品を書き終わった後、これぐらいの大きな出来事に遭遇することでもないと、おさまりがつかない。それほど『源氏物語』というのは、偉大な文学作品である、ということになる。

刀伊の入寇については、『光る君へ』の放送が決まってから、NHKのいくつかの番組で取りあげていた。それまで、たしか学校の歴史の教科書に出ていたのを憶えているぐらいであった。これを契機に、平安時代の中期から後期にかけて、武士の時代の到来ということになる。

このとき、隆家は、現地の責任者の判断で行動したということになる。とてもかっこいい。

また、大宰府の隆家は、まいないを取らない、これは清廉な政治ということなのだが、しかし、これは、現代の政治の価値観を持ち込みすぎのような気もする。

しかるべく時代考証してのことだろうが、武士たちの武器は、弓矢と槍が主であった。刀剣を抜いての斬りかかるということにはなっていない。大宰府で、双寿丸がもっていたのは、棒であった。

それにしても刀伊の入寇のことまで描くことになるとは、『光る君へ』が始まったころは思っていなかった。たぶん時代考証で一番難しいのは、敵側の武器とか服装とかだろう。日本側の武士については、ある程度は史料が残っているはずだが、相手がどんなだったか、これは分からないかと思う。刀伊の敵兵は弩をつかっていた。歴史学に詳しいひとは、どう見るだろうか。

京の都では、赤染衛門が『栄華物語』を書いた、ということである。これを「歴史」であると言っていた。たしかに、『源氏物語』『枕草子』と並べると、「歴史」ということになる。そのなかでも、仮名文で書いた「歴史」ということになる。この原稿(?)であるが、まひろの場合と同じように、バラバラの紙に書かれて積み重ねてあった。これでは、運ぶ途中でうっかりしたら、床に落としたりして、とんでもないことになりそうである。

倫子が赤染衛門が話しをしているとき、猫がひもにつながれていた。この猫は、倫子の猫として何代目なのだろうか。

平安時代のこのころに、茶が飲まれていたということは、どうなのかと思うのだが、大宰府でならあり得たかな。始めて茶を飲んだ日本人は、いったいどんな顔をしただろうか。

次週、まひろは再び女房装束を着ることになるらしい

2024/12/01記

ドキュメント20min.「嘘つき誰だ?」2024-12-02

2024年12月2日 當山日出夫

ドキュメント20min. 嘘つき誰だ?

企画の意図は分かるけれど、すこし時代遅れかなという気がしてしまう。SNSなどにおいて、人間が多重人格となりうることは、今さら言うほどのことではない。こんな言説は昔のパソコン通信の時代からあったことである。なぜ、人間は仮想空間のなかでは、別人格となってしまうのかということの意味、あるいは、そうなる人間についての、文化的、地域的、階層的、男女差、年齢差、その他の多様な面からの考察だろう。

もう今では、AIが勝手にメッセージを書いたり、RTしたり、という時代になっているということで考えなければならないと、私は思っている。

この番組では、「嘘つき」ということを悪いことという価値観で扱っている。しかし、ネット、仮想空間において、「本当」と「ウソ」を区別することの意味があるのだろうか。

素朴な意味でのリアルな人間社会における、「本当」と「ウソ」はあるし、それは、維持されなくてはならないものである。しかし、その規範意識をそのままネット空間に投影することは、ほとんど意味がない。一昔前、「ネチズン」あるいは、「WEB2.0」などということばで語られることのあった時代なら、まだかろうじて意味があったかもしれないが、もはやそんな時代ではない。

人間とはそういうものだというふうに、従来の人間観を根本的に考えなおさないといけなくなっているのが、今のネット社会であるというのが、私の認識である。人間を考えるとき、「本当」と「ウソ」というような、真と偽ではかれるような価値観では、考えることができない。虚実皮膜の間にあるというべきだろうか。

なお、番組を見ていて、PCに貼ってあったラベルには気がついた。文字を読むだけの時間的余裕はなかったけれど。

2024年11月30日記

「“百人一首” (4)時空と国境を超えて」2024-12-02

2024年12月1日 當山日出夫

100分de名著 “百人一首” (4)時空と国境を超えて

日本の古典文学の受容の歴史の流れのなかにあって、『百人一首』が今どのようであるか、また、これからどうなっていくだろうか、という観点からは面白いものであった。

学問的には、そもそも古文の現代語訳ということの歴史から、たどる必要のあることである。本居宣長などの国学者の仕事、それから、近代になってからの国文学という学問の成立と、古典文学作品の一般への教育と普及、これらの流れのなかの一つとして、『百人一首』をとらえなければならない。この意味では、超訳といわる大胆な訳についても、日本文学研究の研究テーマである。『百人一首』以外では、近年話題の作品としては、『源氏物語』がある。これは、たくさんの現代語訳があるので、これについて研究することになる。

この『百人一首』のことで重要だと思うことは、歌を声に出して読む、という行為についてである。今、日本の学校の古典教育では、作品の音読ということを、あまり重視しない。(テキストの音読ということは、英語教育でも意味のあることだと思っているが、このごろの会話重視の英語教育ではどうなのだろうかとも思う。)

古めかしい言い方かもしれないが、ことばのリズムや感触といったものは、音読して分かる、という側面がある。一方、文字として表記から感じとる部分もある。総合して、文学教育、言語教育であると、私などは思う。こういうことは、このごろの新しい国語教育では、あまりかえりみられないことになっている。近年、日本語学という研究が、国語教育と距離をおくようになってきたということもある。(そのかわり、日本語を知らない外国人への日本語教育が大きくあつかわれるようになってきている。)

ところで、『百人一首』は、特にその成立論をめぐっては、近年になってから格段に研究のすすんだ作品である。しかし、この「100分de名著」では、成立論については触れることがなかった。強いてここの点について言及しなかったということは、これはこれで一つの見識であったとは思う。

2024年11月30日記

「1000番地 土地と人間に関するリポート」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

ETV特集 1000番地 土地と人間に関するリポート

この土地の居酒屋のくっちゃんの日々については、「ドキュメント72時間」であつかってもいいような事例かもしれない。その場合には、この居酒屋にあつまる、札幌の人びとの生活を描くことになるだろう。

だが、この番組では、居酒屋とそこに集まる人びとだけではなく、その土地の再開発を考える不動産業者、それから、もともと、その1000番地を開拓した屯田兵のこと、さまざまな視点から、考えるものだった。

さかのぼれば幕末の戊辰戦争にまで話しはおよぶ。会津藩の藩士は、下北半島の斗南藩に移される。そこは過酷な土地であった。現在では、核燃料の中間貯蔵施設がある。日本の社会から見捨てられた土地……こういってもいいかもしれない。(幕末の会津藩士というと、私の場合は、何よりも『ある明治人の記録』を思い出す。それから、大河ドラマ『八重の桜』である。)

北海道の屯田兵として会津藩士の渡辺勝太郎がやってくる。原生林を開拓したことになる。屯田兵というのは、昔、学校の歴史の教科書に出てきたので憶えて知っている程度であるが。

その土地の権利は転変して、戦後になって、まわりの土地は都市のビル街になり、その土地は駐車場となったが、居酒屋などのはいる棟だけが残された。なんとも数奇な運命の土地であるが、時代の流れとして、都市再開発のなかでタワーマンションの建設になるのは、いたしかたないだろう。

渡辺勝太郎の玄孫のことまで追いかけているのは、あるいは、これが分かったということは、驚きでもある。台湾にいる。(その台湾においても、昔から住んでいる住人と新しく移ってきた人たちとの間で、いろいろとあるようだ。権利関係が複雑すぎて誰の所有かわからないので取りのこされている、昔ながらの民家というのは、印象的である。)

その再開発をになうことになる東京の企業の担当者が、くっちゃんに足をはこんでいたことは、興味深い。特に演出したということでないようである。このあたりは、この番組が、かなり幅広く取材をすすめ、時間をかけていることのあらわれといっていいだろうか。

不動産業者も、悪徳業者というわけではない。その仕事に意味を見出し、土地を活用することの価値を十分にわかっている。(おそらく、札幌の都市としての発展には、このような不動産業者の存在は不可欠であったはずである。)

そこに住んで仕事をしていれば、そこが故郷になる。これは人間としての普通の感情だろう。しかし、時代の流れのなかで、その故郷が昔のままであり続けることはできない。会津もそうであるし、下北半島もそうだろう。かつて屯田兵のいた札幌の土地においても、人びとの生活は移り変わり世相は変わる。

解体された居酒屋などの建物が、産業廃棄物として最終的にどうなるのか、というところまで見届けているのは、秀逸といっていいだろうか。普通の番組なら、ここまで追いかけることはしない。重機にによる解体の場面で終わるところである。(木材は、細かく砕かれて畜産に使われるらしい。)

時代の流れの果ての姿として、再開発が、建築資材の高騰で頓挫して、計画の見直しをせまられているというのは、なんとも割り切れない気持ちになるが、これも将来はどうなるのだろうか。

居酒屋は、移転して、また新しく営業を始めている。人間が生活していくというのは、こういうことなのであろう。

2024年11月27日記

「食卓のかげの星条旗 米と小麦の戦後史」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

時をかけるテレビ 食卓のかげの星条旗 米と小麦の戦後史

私の小学校のときの学校給食はパンだった。それから脱脂粉乳である。昭和三〇年代のことになる。無論、子どものことだし、そのようなメニューになっていることに、どんな政治的な意味があるかなどは、まったく考えることはなかった。また、その後、大きくなってからも、食糧問題はニュースで見ることはあっても、それがどのような国際情勢、国内事情によるものなのか、ほとんど考えてみることもなかった。

私の世代だと、お米の通帳、というものを記憶している。いつからそれがいらなくなったか、(調べれば分かることなのだが)、特にそのことが印象に残っているということはない。

米の価格、減反政策をめぐっては、大きなニュースになったことは記憶にある。NHKの番組で、米農家の人と、都市部の消費者である人、それぞれが登場して、米の生産と価格をめぐって、議論をするというのがあったのを憶えている。米価、減反政策というのが、毎年のニュースであった時代もある。

今では、食糧安全保障という観点から議論されるようになってきた。番組では言っていなかったが、これも経営を大規模化して、機械化することでなんとかしようということなのだろうが、しかし、それは、農業のための機械を動かす燃料に依存することになり、エネルギー政策ととも考えなければならないことにもなる。もはや日本では、石油が入ってこなければ、米は作れないのである。

若いころ、民俗学に興味があったこともあり、日本人……日本列島に住んできた古来よりの人びとというぐらいの意味で使っておくが……が、何をどのようにして食べてきたのか、そのなかで、米という作物は、どういう意味がある食べ物であり、栽培植物であるのか、ということは、気になっている。

昔、若いころに読んだ本で次のようなことが書いてあったのを憶えている。世界で家畜用に使用されるトウモロコシの一部(一~二割ぐらいだったろうか)を回すだけで、世界の飢えを無くすことができる。ただ、これは、カロリー計算の上のことではあるが。今でも、世界には、貧困や飢えに苦しんでいる人たちがいる。戦争の影響もあるし、気候変動のこともある。日本国内にも、食糧の配給を必要とする生活をおくっている人もいる。

一方で、高級なコシヒカリを中東に輸出もしている。購入するのは、お金持ちの人たちである。(「コンテナ全部開けちゃいました 新潟港編」)。

最近のニュースでは、日本人のエンゲル係数が高くなってきたらしい。(エンゲル係数などということばは、昔、中学校のときに習って以来である。)

たしかに、今の我が身をふりかえってみて、お米の御飯を食べることは減った。朝ご飯は基本的にパンであるし、昼と夜が、ラーメンだったりパスタだったりして、お米の御飯を食べない日があったりする。

地方の農山村で、棚田のある風景は美しいが、それを守ることは、文化的な意味、あるいは、観光資源としての意味、これぐらいしかないのかもしれない。だから、無くしてしまえばいいとは思わないけれど。

この番組をみて、感じることはいろいろあるが、正直言って、なんだかなあ~、ということになる。少なくとも、富裕層が贅沢な食事をすることを特にとがめようとは思わないけれど、戦争や貧困で食べるものに困っている人たちを、もうちょっとどうにかできないものか、というのがどうしても感じることである。

そして、日本の食糧政策は、これから人口減少は必然であるという時代をむかえて、単なる少子化対策にとどまらない、国際情勢、環境対策を視野にいれた、総合的な観点から考えなければならない。月並みな言い方しかできないが、こういうことになるのだろう。

2024年12月1日記

ウチのどうぶつえん「たくさんいるから」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん たくさんいるから

カンガルーがたくさんいる九州の動物園。フグがたくさんいる下関の水族館。それから、ウォンバットに人がたくさんおしよせる大阪の池田の動物園。

カンガルーは、たくさん飼育するからこそ見えてくるものがある、これはたしかなことだろう。この動物園では、時間を決めてであるが、小さな子供たちに、カンガルーに直接触れる機会を作っている。このようなとりくみは、各地の動物園や水族館などで行っていると思うが、カンガルーに触れるというのは、貴重である。

フグのなかでも、アマミホシゾラフグは面白い。なんで、あんな奇妙な形の巣を作るのだろうか。とても労力がかかっている。大きくて立派な巣を作れる雄のところに雌が魅力を感じるということなのかもしれない。これが、水族館での飼育が成功して、水族館で巣を作る様子が見られたら、とても面白いと思う。

ウォンバットという動物のことは知ってはいたが、日本には、二箇所しか飼育しているところがない。その一つが、池田の動物園。そのウォンバットをめがけて、たくさんの人がやってくる。これは、街をあげての大イベントということになる。いわゆる町おこしの企画としては、秀逸といっていいだろうか。ウォンバットは、一度見にいってみたい気がする。

その他、たくさんいるといえば……北海道のクマ牧場もそうかもしれないし、クラゲがたくさんいる水族館もあったかと思う。

2024年12月2日記

「能登半島地震 最新研究 大地震から住まいを守れ!」2024-12-04

2024年12月4日 當山日出夫

サイエンスZERO 能登半島地震 最新研究 大地震から住まいを守れ!

あと一ヶ月ほどで、能登半島の地震から一年になる。おそらく、来年のお正月前後には、特別番組もいくつか放送になると思うが、やはり、科学的なデータの裏付けが何よりも重要だろう。同時に、地震が起こってからの救難活動や支援活動については、いろいろな側面から検討しなければならないにちがいない。

能登半島の地震が、三つの活断層が動き、長時間の揺れが、被害を大きくしたことになる。そして、軟弱地盤のこともある。

人間が住んでいるところが軟弱地盤であるというよりも、そのような地盤のところが、昔から人間の住みやすいところであった、ということになるのかもしれない。関東地方で大きな地震があったら、どういうことになるだろうか。

耐震構造、それから、耐震補強をするだけで、かなりの地震被害を防ぐことができる。これは、全国的にこれからの街作りや住宅政策の基本になるべきことであろう。だが、このことは、あまり表だって話題になることはないようである。(この問題を論じると、古い耐震基準の家の不動産価格に影響することは、避けられそうもない。)

2024年12月2日記