『おむすび』「支えるって何なん?」2024-12-01

2024年12月1日 當山日出夫

『おむすび』「支えるって何なん?」

神戸に舞台が移って、このドラマのいいところと悪いところがはっきりしてきたと感じる。

まず、いいと感じるところから。

人を支えるということの意味を考えている。結は翔也のために毎日の食事を考えているのだが、それは自分の気持ちとしてはそうであても、本当に相手の立場や気持ちを考えてのことではなかった。それを、元アスリートであった沙智のことばから知ることになる。

また、神戸の街においての震災からの復興について、被災した人びとの感情について細かく描いている。特に、靴屋の渡辺の心境について、そのような人もいる、ということを考えることになる。悪い人ということではないのだが、周囲からの援助の気持ちを素直に受けとめることができないでいる。

このあたりは人それぞれということになる。被災者、ということでひとくくりにせずに、個別の人の気持ちの変化ということを描いている。このような部分は、これまでの朝ドラにおいて、ほとんど描かれてきていなかったことかと思う。

どのように神戸の震災、その被害の時から、その後の復興の過程において、人びとの心情がどうであったか、これはかなり重要なことである。ドラマとして描ける範囲は限られた事例になるにちがいないが、このような視点をもっておくことは必要だと思う。

次に、あまりよくないと感じる点。

結は野菜に詳しい、ということなのだが、はたしてこれまでの描写でどうだったろうか。糸島で家の農業を手伝ってはいた。しかし、家の手伝いをしたぐらいで、そんなに農業や野菜に詳しいとはいえないだろう。高校も普通科高校のようである。

これが、高校を卒業してから一年ぐらい、糸島にできた、産地の直売所でアルバイトでもして、野菜をはじめ農産物にたいする興味や知識があったということならいいかもしれない。

また、料理に関心があるということでもないようである。

これで、栄養士を目指すというのは、ちょっと設定に無理があったというべきかもしれない。

また、翔也のために食事のメニューを考えるのだが、まず、翔也がどのような体で、どのような運動をしているのか、このあたりをきちんとふまえなければならないのは、常識的判断である。体格や運動量によって、一日に必要な栄養も変わってくるものだろう。もし、病気などがあれば、それについても配慮しないといけない。

このあたり、どう考えても結のやっていることは、常識的判断から外れていることになる。

以上のようなこと、いいと感じるところ、出来が悪いと感じるところはある。しかし、朝ドラとしては、まあ面白く作ってあると感じる。

ところで、気になっているのは、渡辺の仕事。靴屋なのだが、その店には、ほとんど商品がおいていない。高級なオーダー専門の靴職人ということなのだろうか。そうだとすると、職人としての仕事ぶり、また、だからこそ感じる神戸の街についての思いというようなものがあってもいいように思うのだが、これはどう描かれることになるだろうか。

2024年11月30日記

『カーネーション』「秘密」2024-12-01

2024年12月1日 當山日出夫

『カーネーション』「秘密」

この週は、夫の勝の出征をめぐる展開であった。

これまで朝ドラで、登場人物の出征ということは多く描かれてきている。そのなかでも、『カーネーション』の場合は、かなり丁寧に描いていると感じる。

戦時下に結婚したふたりの純愛の物語、とはなっていない。勝もいろいろあるが、糸子もいろいろとある。しかし、それでも二人で小原の店をやってきたことは確かであるし、そこで育まれた情愛はある。子どもや家族への思いもある。

勝は糸子と歌舞伎を見に行く。これも、普通のドラマなら、夫の優しさの表れであり、また、戦争が始まっているとはいえ、歌舞伎を見に行くぐらいの余裕のあった時代、ということになる。これを、そのようなことで済ませないのが、このドラマのいいところである。

劇場で、糸子は、芸妓の菊乃と出会う。

入営した勝が糸子のもとに送ってきた荷物のなかには、勝と菊乃が並んで映っている写真があった。おそろいの浴衣と丹前姿なので、どこかの温泉旅館にでも一緒に行ったときのものとおぼしい。これは、勝が菊乃と浮気していたということになる。

勝の件をめぐっては、糸子は複雑な思いになる。まわりの男性たちは、男の浮気の一つぐらいどうってことはない、といっている。しかし、糸子はそれを許す気にはなれない。どうやら、父親の善作はこのことを知っていたらしい。出征の前の晩、二人で酒を酌み交わしていた。糸子は、奈津のところに相談にいく。そこで、奈津の檀那も芸妓と逃げてしまったことを知る。

糸子のこころのうちは、いろいろと考える。勝は本当に浮気していたのか。自分(糸子)のことを、どう思っていたのか。また、糸子自身は勝のことをどう思っていたのか。仕事のできる職人が家にいるぐらいに思っていたのか。だが、実際に勝が家からいなくなってしまうと、淋しくなる。その思いは、複雑に錯綜する。

このあたりの勝のことと、糸子の心情と、複雑に絡まり合った気持ちをうまく表していた。単に、夫は妻のことを愛していて、家族をのこして出征する、というありきたりの、(これまでの多くの朝ドラが描いてきたような)単純な形にはしていない。これが、その後の糸子の生き方とも関連してくるようになっている。やはり、このドラマは、よく考えて作ってあると感じるところである。

また、細かなところだが、映像としてもいい。小原の店の棚においてあるものとか、食事の場面とか、非常に丁寧に作ってある。歌舞伎を見にいった劇場の回想の場面はあえてモノクロ映像にしてあったが、糸子が口紅をさしていることがはっきりわかるように、その赤い色が強調される映像になっていた。(昔の白黒写真の時代だと、フィルムの特性として、赤い色に強く反応するということはあるのだが。)

最後にカイロが出てきていた。ベンジンを使うタイプのものである。これは、若いころまで現役で日常的に家庭で使用されていたものである。カイロといばこれだった。ベンジンも、普通に身の周りあったと記憶する。それも、今では、まったく無くなってしまったものである。

国防婦人会が登場していたが、朝ドラのなかでは、どうしても悪役ということになる。しかし、歴史的には、戦時中、家庭のなかに閉じ込められていた女性が、外に出て活動できる機会を作ったものとして、むしろ女性史の観点から考えなおすべきことかもしれないと、私は思っている。

召集令状がとどいたシーン。係の人が小原の家にやってきて、本人を確認したうえで、署名捺印を求めていた。これは、珍しい場面になる。召集令状は、それをもって入営するので実物がほとんど残っていない。私が見たことがあるのは、靖国神社の遊就館に展示してあるのを見たことがあるだけである。

2024年11月30日記

『カムカムエヴリバディ』「1939-1941」2024-12-01

2024年12月1日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1939-1941」

この週で一番印象に残るのは、なんといっても、大坂を訪れた安子が稔と逢って岡山に帰るときのこと。特に、その最後の汽車の中の場面が、このドラマ全体のなかでも最も印象に残る名場面である。それが、たくみに演出されたものであることを、再放送で確認したことになる。

この回では、オープニングが最後の方に持っていってあった。岡山に帰る汽車のなかの安子のシーンで終わり、そこで「アルデバラン」の曲が流れてオープニングになり、それが終わって汽車の中の安子が気がつくと目の前に稔が立っている。実にたくみである。

他にも、この回では、大阪の稔の部屋で、稔の本棚が映っていた。経済学の本などと並んで倫理学の本もあった。きちんと整理されて並んでいる。この本棚のワンカットだけで、稔が大坂で真面目に勉強している学生であることが分かる。

その一方で、稔と安子が食事をする場面。学生向けの食堂なのだろうが、ここでは稔の質実な生活ぶりが感じられる。

それから映画。モモケンの映画だった。これは、このドラマにとって後々までの重要な伏線になるものである。その映画の殺陣のシーンが、実によかった。手を抜かずに本格的に作ってある。こういうシーンがあってこそ、後のるい、ひなたの時代になって、京都の映画村でのストーリーにつながることになる。

岡山に一緒に帰った二人は、たちばなの家に行く。そこで安子の家族と稔が話しをするのだが、その間、安子は一言もしゃべらずに話しを聴いているだけだった。しかし、その表情で、稔の話、父親の気持ちを、理解している様子が分かる。科白ではなく表情だけで、その気持ちの変化が伝わってくる。

ここで流れていたのが渡辺貞夫だった。私の世代だと、渡辺貞夫や北村英治の名前を見るだけで、懐かしい思いこみあげてくる。

この週の終わりで、一九四一年(昭和一六)の太平洋戦争の始まりということになる。これまで多くの朝ドラなどドラマでは、太平洋戦争のはじまりを、日本の人びとはラジオの臨時ニュースで知った、というふうに描かれてきた。今、再放送中の『カーネーション』も同様である。

この時代のラジオの普及率はどれぐらいだったのだろうか。全国津々浦々まで普及していたのだろうか。日本の人びとは、どうやって太平洋戦争の始まりを知ったのだろうか。このあたりのことは、ドラマとは別にメディア史として興味深いことになる。

また、吉兵衛がラジオ体操のときに、ラジオに合わせて全国民が統一して運動をすることの意味を語っていた。このような言説が生まれることは理解できるし、まさに、ラジオの登場が、人びとの間にその放送を聴くものという共同体意識を生み出していったのだろうと思う。ラジオによる共同体意識の成立ということも、考えて見なければならないことである。

このドラマでは、たちばなの家の家族や従業員が、茶の間でラジオの放送を一緒になって聴いている。漫才や娯楽番組などを、一緒になってきいている。これが、その後、テレビの時代になって、家庭のお茶の間のテレビを家族みんなで見るということにつながる。

現代では、それがネットにとってかわり、家族から個のものになってきている。

このようなメディアと国民や家族という観点から考えてみても、このドラマからはいろんなことを考えることができる。

2024年11月30日記