『光る君へ』「哀しくとも」 ― 2024-12-09
2024年12月9日 當山日出夫
『光る君へ』「哀しくとも」
見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。
『源氏物語』は、誰も幸せにならない物語である……なるほどそう言われてみれば、そうである。思いつくかぎりでも、『源氏物語』の登場人物は、幸福な人生をすごしたということは、あまりない。人間の一生とは、いろいろあって、そう簡単に幸せになれるものではない、というメッセージが込められているとも理解できる。
賢子が、まひろのことを、母親としては失格であるが、物語作者としてはすぐれている、ということを言っていた。そのとおりかなと思う。まあ、芸術家というのは、人格円満、女性であれば良妻賢母(かなり古めかしいが)というわけではないだろう。
刀伊の入寇は、藤原隆家の活躍で無事にことをおさめることができた。この事件について、都の貴族たちは冷淡であった、ということである。さて、実際のところはどうだったのだろうか。前例のない事件だけに、どう対応していいか判断しかねたというあたりだったかと思うが、どうだろうか。
その中にあって、藤原実資だけは、ことの重大性を認識し、しかるべき対応を考え、さらには、これからは武者の世の中になることを見通している。この時代、平安時代の後期になれば、後の武士の時代への萌芽というべきことがらが見られる時代になってきた、ということであろう。だからといって、後に鎌倉時代になったからといって、武士だけの世の中になったわけではなく、平安の貴族や寺社などの勢力は依然として力を持っていたことはたしかである。いわゆる権門体制論ということになるのかと思うが。
文書の日付が、非常に大きな問題としてあつかわれていたが、京の都と太宰府との距離を考えると、なんとなくこじつけのように思える。はたして、平安時代の政治や行政において、文書の日付はどれぐらいの意味を持っていたのだろうか。
この回では、天皇が出てこなかった。刀伊の入寇のとき、天皇は何をしていたということなのだろうか。
この回もそうなのだが、藤原実資が活躍する回は面白い。また、以前は安倍晴明の出てくる回は面白かった。
道長は孤独である。ここにきて、行成たちとの信頼感が失せている。孤独な道長にとっては、まひろの無事を願うことだけが、こころのよりどころであったようにも感じる。
紫式部が『源氏物語』を書き終えた後に、九州まで旅をして、そこで刀伊の入寇に遭遇するということは、もちろんドラマとしてのフィクションであるが、これまでのこのドラマの流れからして、そんなに無理のある展開だとも感じない。折に触れて大宰府に関連することがあり、また越前に行っており(これは史実)、若いときには、都から遠くへ行きたいと思ったこともあった。このような描写の積み重ねとしては、まひろの太宰府行きは、ドラマの筋としてはありうる展開である。
でも、よくあんな危ない目にあって、無事に都へ帰ってくることができたなあ、という気はするけれど。
歴史としては、この時代の貴族たちの、政治ということについての意識、対外的に外国を想定して日本というものをどう考えていたのか、というあたりのことが問題になることかと思う。(少なくとも、国民国家である日本の統治者というような意識はなかったはずである。そのような意識が明確になるのは、『坂の上の雲』の時代になってからである。)
都に帰った乙丸は、きぬにお土産の紅を渡していた。実に従順ないい人である。ひょとすると、『光る君へ』のドラマのなかでもっともいい人であるかもしれない。太宰府での「かえりた~い」の声は、乙丸だからのものであろう。
道長と賢子のシーン。父と娘であることは、見る側は分かっている。道長も、賢子が娘であることは知っている。このときの道長の表情がよかった。
最後に、倫子が、まひろと道長との関係について、私が知らないとでも思っていた、とさりげなく言うのだが、これは迫力があった。だが、平安時代の貴族である。召人ということもある(男性は、その家につかえる女房やその侍女などと、性的に関係を持ってもよかった……と理解しているのだが)。倫子の立場として、まひろに嫉妬するようなことはなかったろうと考える。正妻と、ただの女、である。さあ、このあたりの気持ちは、どうだったのだろうか。
まだ、このドラマのなかでは、「紫式部」も「源氏物語」もことばとして登場してきていない。さて、最終回ではどうなるだろうか。
2024年12月8日記
『光る君へ』「哀しくとも」
見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。
『源氏物語』は、誰も幸せにならない物語である……なるほどそう言われてみれば、そうである。思いつくかぎりでも、『源氏物語』の登場人物は、幸福な人生をすごしたということは、あまりない。人間の一生とは、いろいろあって、そう簡単に幸せになれるものではない、というメッセージが込められているとも理解できる。
賢子が、まひろのことを、母親としては失格であるが、物語作者としてはすぐれている、ということを言っていた。そのとおりかなと思う。まあ、芸術家というのは、人格円満、女性であれば良妻賢母(かなり古めかしいが)というわけではないだろう。
刀伊の入寇は、藤原隆家の活躍で無事にことをおさめることができた。この事件について、都の貴族たちは冷淡であった、ということである。さて、実際のところはどうだったのだろうか。前例のない事件だけに、どう対応していいか判断しかねたというあたりだったかと思うが、どうだろうか。
その中にあって、藤原実資だけは、ことの重大性を認識し、しかるべき対応を考え、さらには、これからは武者の世の中になることを見通している。この時代、平安時代の後期になれば、後の武士の時代への萌芽というべきことがらが見られる時代になってきた、ということであろう。だからといって、後に鎌倉時代になったからといって、武士だけの世の中になったわけではなく、平安の貴族や寺社などの勢力は依然として力を持っていたことはたしかである。いわゆる権門体制論ということになるのかと思うが。
文書の日付が、非常に大きな問題としてあつかわれていたが、京の都と太宰府との距離を考えると、なんとなくこじつけのように思える。はたして、平安時代の政治や行政において、文書の日付はどれぐらいの意味を持っていたのだろうか。
この回では、天皇が出てこなかった。刀伊の入寇のとき、天皇は何をしていたということなのだろうか。
この回もそうなのだが、藤原実資が活躍する回は面白い。また、以前は安倍晴明の出てくる回は面白かった。
道長は孤独である。ここにきて、行成たちとの信頼感が失せている。孤独な道長にとっては、まひろの無事を願うことだけが、こころのよりどころであったようにも感じる。
紫式部が『源氏物語』を書き終えた後に、九州まで旅をして、そこで刀伊の入寇に遭遇するということは、もちろんドラマとしてのフィクションであるが、これまでのこのドラマの流れからして、そんなに無理のある展開だとも感じない。折に触れて大宰府に関連することがあり、また越前に行っており(これは史実)、若いときには、都から遠くへ行きたいと思ったこともあった。このような描写の積み重ねとしては、まひろの太宰府行きは、ドラマの筋としてはありうる展開である。
でも、よくあんな危ない目にあって、無事に都へ帰ってくることができたなあ、という気はするけれど。
歴史としては、この時代の貴族たちの、政治ということについての意識、対外的に外国を想定して日本というものをどう考えていたのか、というあたりのことが問題になることかと思う。(少なくとも、国民国家である日本の統治者というような意識はなかったはずである。そのような意識が明確になるのは、『坂の上の雲』の時代になってからである。)
都に帰った乙丸は、きぬにお土産の紅を渡していた。実に従順ないい人である。ひょとすると、『光る君へ』のドラマのなかでもっともいい人であるかもしれない。太宰府での「かえりた~い」の声は、乙丸だからのものであろう。
道長と賢子のシーン。父と娘であることは、見る側は分かっている。道長も、賢子が娘であることは知っている。このときの道長の表情がよかった。
最後に、倫子が、まひろと道長との関係について、私が知らないとでも思っていた、とさりげなく言うのだが、これは迫力があった。だが、平安時代の貴族である。召人ということもある(男性は、その家につかえる女房やその侍女などと、性的に関係を持ってもよかった……と理解しているのだが)。倫子の立場として、まひろに嫉妬するようなことはなかったろうと考える。正妻と、ただの女、である。さあ、このあたりの気持ちは、どうだったのだろうか。
まだ、このドラマのなかでは、「紫式部」も「源氏物語」もことばとして登場してきていない。さて、最終回ではどうなるだろうか。
2024年12月8日記
「新・爆走風塵〜中国・トラックドライバー 生き残りを賭けて〜」 ― 2024-12-09
2024年12月8日 當山日出夫
ザ・ベストテレビ 「新・爆走風塵〜中国・トラックドライバー 生き残りを賭けて〜」
これは見た。そのときに思ったことは書いてあるので、そのまま以下に転記しておく。
=====================================
ラオスからチベットまで六日かけてバナナをトラックで運ぶというのが、近代的な生活であり経済ということなのだろうか。見終わって、ふと思わざるをえない。チベットでは、昔ながらの五体投地で巡礼する人のすがたもある。古代と現代が混在している。
中国の経済、特にその国内をささえるのは、トラック輸送であることは理解できる。どう考えても、鉄道では無理があるだろうし、無論、船は内陸奥地までは行けない。なるほど、これまでの中国の経済発展をささえてきたのは、このようなトラックによる流通があってのことなのかと、いろいろと興味深かった。しかし、それも、近年の中国経済の失速のあおりで、様々な困難があるらしい。
トラック輸送が個人もちのトラックに頼っているというのは、この番組で知った。日本なら、運送業者が引き受けるところである。しかも、その仕事は、今ではスマホで荷主と直接交渉になっている。これでは、デフレになったら、個人事業主ではひとたまりもない。
ラオスでバナナ農園を経営しているのは中国人。それを、中国国内まで運び、さらには、チベットまで運ぶ。その先の一帯一路の経済圏は、内陸のトラック輸送に依存することになる。
バナナ農園を探して行くときのシーン。日本なら、グーグルマップのデータを共有すればいいのかと思うが、それが出来ないらしい。トラックにもナビがついていないようである。これでよく仕事ができるのだろうかと、思ってしまう。(まあ、日本でも自動車にナビが標準でついていて、スマホで地図表示や案内が出来るようになったのは、近年になってからのことではあるが。)
おそらくは、この番組に出てきたような個人トラックが、調整弁となって経済の発展の浮き沈みをささえてきたのだろう。たぶん、これからもこの構造は変わらないかもしれない。今さら、大企業が運送業に手を出そうということはないだろう。
こんな広い中国とその周辺の地域で大量にトラックが走っていて、さて、カーボンニュートラルの議論は、どうなっているのだろう。
それにしても、道路網を整備し、また、それにともなってトラック輸送のためのガソリンスタンドとか、タイヤや自動車部品をあつかう商店や工場があることになる。このような全体的なインフラ整備を、中国はやってきたことになる。これはこれとして、すごいことかもしれないとは思う。
チベットまで行くとなると、当然ながらかなり高い標高になる。ラサで、三〇〇〇メートルを超える。富士山より高い。こんなところを走るトラックのエンジンはどうなっているのだろう。当然、酸素は少ないわけだからターボエンジンでないと難しいのかなと思うが、このあたりの技術的な説明はなかった。
寒くて凍ったエンジンをあためるのに、バーナーで火をあてるというのは、どう考えても乱暴というか、あきらかに危険である。タイヤもボロボロになるまで使っている。よくこんなトラックが走っているものかと感心するところもあった。途中で故障するぐらいならまだいい方で、下手をすると谷底に転落しかねない。実際、トラックの残骸が残っていた。
チベットについて、これが、現在の共産党政権になってから併合された経緯について触れてあったが、これは重要なことだろう。また、そのチベットを支配するために道路工事が必要であり、人民解放軍が多くの人的犠牲をはらって建設した、そう歴史があったことは、知っておくべきである。
登場していた中国人のトラックドライバーの二人。この友情といっていいのだろうか、関係も興味深い。受けた恩義はかならずかえさなければならない。ある意味では中国の人びとの強さ、したたかさの源泉はこのあたりにあるのかもしれない。
最後に、将来はパキスタンまで行くかもしれないと言っていた。一帯一路の行く先としては、中国のトラックが中央アジアや中近東あたりまで行くことになるということなのだろうか。(場所によっては船を使った方がいい。だからこそ、近年の海洋進出ということになるのかとも思うが。)
無論、物資輸送のトラックが走るということは、そのルートを軍事的にも使えるということに他ならない。こういう視点で見ておくことも重要だと思う。
2024年7月12日記
=====================================
二回目に見て、思うことは基本的に変わらないのだが、追加で少し書いてみる。
運んだのがバナナというのが、やはり意味があることである。昔読んだ本で印象に残っているのが、岩波新書の『バナナと日本人』(鶴見良行)である。一九八二年の本だが、今でも売っている。世界の食糧、農業、それから、日本人の食生活、このようなことを考えるとき、その原点とでもいうべき名著であると思う。それから時代がたって、ラオスのバナナ農園を中国人が経営し(働いているのは現地の人だろうが)、それをチベットの人が食べる時代になったことは確かなことである。
それから、最初見たときには気づかなかったことなのだが、トラックドライバーの張さんは、チベットでバナナを降ろした後、帰りは何を運んだのだろうか。このことは、非常に重要なことのように思える。ギリギリの経費で走っているトラックである。空荷のままで帰るとは思えない。チベットから何をどこへ運んだのだろうか。これが分かると一帯一路の経済圏の様相が、もっと具体的にイメージできるだろう。また、今のチベットが中国の一部として、どうなっているかも。あるいは、空荷で帰ったのかもしれない。ラオスにバナナを運びに行ったときは、ラオス向けの品物を積んでいなかった。
さらに考えると、空荷で行ったり帰ったりするというのは、物資の流通において非効率である。中国全体の流通ということを考えるとかなりの無駄である。個人所有のトラックで、アプリで直接交渉しての仕事ということなので、こうなるのかもしれない。これが、大規模で全国的な組織を持っている運輸業者だったら、はるかに効率的な方法を考えるだろう。輸送運賃のデフレは起こっても、仕事は効率化しない。これは、中国経済にとってはマイナスでしかない。
違法な闇の燃料(小油)のことでいえば、これがなければ中国国内の物流が回らないという現実がある。だから、警察も見逃さざるをえない。だが、これは、政府や警察への信頼を揺るがすことにもつながる。今の中国で、警察の役割はとても重要だろう。治安の維持というよりも、反政府活動の取り締まりが重要な仕事になっているはずである。トラックを修理しているときに、警察がきて罰金を払っていた。これも、かなり恣意的なことのように思える。警察あるいは政府機関についての市民の信頼がないとすると、この先の中国のゆくすえの重要な問題なのかもしれない。
この番組に出てきたような人たちが、中国の経済発展をささえてきたことは確かなのだろうが、これから、この人たちが「見捨てられた」「忘れられた」と意識するようになると、かなり大きな問題になるかもしれない。今のアメリカでいう、ラストベルトの人たちである。
中国で年をとって病気になるのは、とても大変なことのようである。ドライバーの張さんの父親もがんになって治療費のために借金したという。その負担が、今まで残っている。日本なら、がんになっても標準的な治療であれば、保険適用であるし、高額医療費の補助もある。だが、中国では、がんの治療で財産がなくなってしまうようだ。以前に放送の「ドキュメント72時間」で中国のがん専門病院の入院患者のために食事をつくるためのレンタルキッチンを取材していた。これから中国も急激に少子高齢化社会を迎えるが、いったいどうなるだろうか。
チベットの道は、かなりの数のトラックが走っている。それだけ物流があるということだろう。そして、風景がとても美しい。夜空、ポタラ宮、山々の景色は、とても魅力的である。
この番組を作ったのは、テムジンである。私が、テムジンという会社のことを意識するようになったのは、ドラマの『開拓者たち』を見てからのことになる。満島ひかりが主演の、中国満州の開拓農民を描いたドラマである。テムジンは、中国関係ではいい番組を作る。「映像の世紀バタフライエフェクト」でも、印象に残る番組をいくつか作っている。テレサ・テンを扱った回も、テムジンの制作だった。
2024年12月7日記
ザ・ベストテレビ 「新・爆走風塵〜中国・トラックドライバー 生き残りを賭けて〜」
これは見た。そのときに思ったことは書いてあるので、そのまま以下に転記しておく。
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ラオスからチベットまで六日かけてバナナをトラックで運ぶというのが、近代的な生活であり経済ということなのだろうか。見終わって、ふと思わざるをえない。チベットでは、昔ながらの五体投地で巡礼する人のすがたもある。古代と現代が混在している。
中国の経済、特にその国内をささえるのは、トラック輸送であることは理解できる。どう考えても、鉄道では無理があるだろうし、無論、船は内陸奥地までは行けない。なるほど、これまでの中国の経済発展をささえてきたのは、このようなトラックによる流通があってのことなのかと、いろいろと興味深かった。しかし、それも、近年の中国経済の失速のあおりで、様々な困難があるらしい。
トラック輸送が個人もちのトラックに頼っているというのは、この番組で知った。日本なら、運送業者が引き受けるところである。しかも、その仕事は、今ではスマホで荷主と直接交渉になっている。これでは、デフレになったら、個人事業主ではひとたまりもない。
ラオスでバナナ農園を経営しているのは中国人。それを、中国国内まで運び、さらには、チベットまで運ぶ。その先の一帯一路の経済圏は、内陸のトラック輸送に依存することになる。
バナナ農園を探して行くときのシーン。日本なら、グーグルマップのデータを共有すればいいのかと思うが、それが出来ないらしい。トラックにもナビがついていないようである。これでよく仕事ができるのだろうかと、思ってしまう。(まあ、日本でも自動車にナビが標準でついていて、スマホで地図表示や案内が出来るようになったのは、近年になってからのことではあるが。)
おそらくは、この番組に出てきたような個人トラックが、調整弁となって経済の発展の浮き沈みをささえてきたのだろう。たぶん、これからもこの構造は変わらないかもしれない。今さら、大企業が運送業に手を出そうということはないだろう。
こんな広い中国とその周辺の地域で大量にトラックが走っていて、さて、カーボンニュートラルの議論は、どうなっているのだろう。
それにしても、道路網を整備し、また、それにともなってトラック輸送のためのガソリンスタンドとか、タイヤや自動車部品をあつかう商店や工場があることになる。このような全体的なインフラ整備を、中国はやってきたことになる。これはこれとして、すごいことかもしれないとは思う。
チベットまで行くとなると、当然ながらかなり高い標高になる。ラサで、三〇〇〇メートルを超える。富士山より高い。こんなところを走るトラックのエンジンはどうなっているのだろう。当然、酸素は少ないわけだからターボエンジンでないと難しいのかなと思うが、このあたりの技術的な説明はなかった。
寒くて凍ったエンジンをあためるのに、バーナーで火をあてるというのは、どう考えても乱暴というか、あきらかに危険である。タイヤもボロボロになるまで使っている。よくこんなトラックが走っているものかと感心するところもあった。途中で故障するぐらいならまだいい方で、下手をすると谷底に転落しかねない。実際、トラックの残骸が残っていた。
チベットについて、これが、現在の共産党政権になってから併合された経緯について触れてあったが、これは重要なことだろう。また、そのチベットを支配するために道路工事が必要であり、人民解放軍が多くの人的犠牲をはらって建設した、そう歴史があったことは、知っておくべきである。
登場していた中国人のトラックドライバーの二人。この友情といっていいのだろうか、関係も興味深い。受けた恩義はかならずかえさなければならない。ある意味では中国の人びとの強さ、したたかさの源泉はこのあたりにあるのかもしれない。
最後に、将来はパキスタンまで行くかもしれないと言っていた。一帯一路の行く先としては、中国のトラックが中央アジアや中近東あたりまで行くことになるということなのだろうか。(場所によっては船を使った方がいい。だからこそ、近年の海洋進出ということになるのかとも思うが。)
無論、物資輸送のトラックが走るということは、そのルートを軍事的にも使えるということに他ならない。こういう視点で見ておくことも重要だと思う。
2024年7月12日記
=====================================
二回目に見て、思うことは基本的に変わらないのだが、追加で少し書いてみる。
運んだのがバナナというのが、やはり意味があることである。昔読んだ本で印象に残っているのが、岩波新書の『バナナと日本人』(鶴見良行)である。一九八二年の本だが、今でも売っている。世界の食糧、農業、それから、日本人の食生活、このようなことを考えるとき、その原点とでもいうべき名著であると思う。それから時代がたって、ラオスのバナナ農園を中国人が経営し(働いているのは現地の人だろうが)、それをチベットの人が食べる時代になったことは確かなことである。
それから、最初見たときには気づかなかったことなのだが、トラックドライバーの張さんは、チベットでバナナを降ろした後、帰りは何を運んだのだろうか。このことは、非常に重要なことのように思える。ギリギリの経費で走っているトラックである。空荷のままで帰るとは思えない。チベットから何をどこへ運んだのだろうか。これが分かると一帯一路の経済圏の様相が、もっと具体的にイメージできるだろう。また、今のチベットが中国の一部として、どうなっているかも。あるいは、空荷で帰ったのかもしれない。ラオスにバナナを運びに行ったときは、ラオス向けの品物を積んでいなかった。
さらに考えると、空荷で行ったり帰ったりするというのは、物資の流通において非効率である。中国全体の流通ということを考えるとかなりの無駄である。個人所有のトラックで、アプリで直接交渉しての仕事ということなので、こうなるのかもしれない。これが、大規模で全国的な組織を持っている運輸業者だったら、はるかに効率的な方法を考えるだろう。輸送運賃のデフレは起こっても、仕事は効率化しない。これは、中国経済にとってはマイナスでしかない。
違法な闇の燃料(小油)のことでいえば、これがなければ中国国内の物流が回らないという現実がある。だから、警察も見逃さざるをえない。だが、これは、政府や警察への信頼を揺るがすことにもつながる。今の中国で、警察の役割はとても重要だろう。治安の維持というよりも、反政府活動の取り締まりが重要な仕事になっているはずである。トラックを修理しているときに、警察がきて罰金を払っていた。これも、かなり恣意的なことのように思える。警察あるいは政府機関についての市民の信頼がないとすると、この先の中国のゆくすえの重要な問題なのかもしれない。
この番組に出てきたような人たちが、中国の経済発展をささえてきたことは確かなのだろうが、これから、この人たちが「見捨てられた」「忘れられた」と意識するようになると、かなり大きな問題になるかもしれない。今のアメリカでいう、ラストベルトの人たちである。
中国で年をとって病気になるのは、とても大変なことのようである。ドライバーの張さんの父親もがんになって治療費のために借金したという。その負担が、今まで残っている。日本なら、がんになっても標準的な治療であれば、保険適用であるし、高額医療費の補助もある。だが、中国では、がんの治療で財産がなくなってしまうようだ。以前に放送の「ドキュメント72時間」で中国のがん専門病院の入院患者のために食事をつくるためのレンタルキッチンを取材していた。これから中国も急激に少子高齢化社会を迎えるが、いったいどうなるだろうか。
チベットの道は、かなりの数のトラックが走っている。それだけ物流があるということだろう。そして、風景がとても美しい。夜空、ポタラ宮、山々の景色は、とても魅力的である。
この番組を作ったのは、テムジンである。私が、テムジンという会社のことを意識するようになったのは、ドラマの『開拓者たち』を見てからのことになる。満島ひかりが主演の、中国満州の開拓農民を描いたドラマである。テムジンは、中国関係ではいい番組を作る。「映像の世紀バタフライエフェクト」でも、印象に残る番組をいくつか作っている。テレサ・テンを扱った回も、テムジンの制作だった。
2024年12月7日記
「破綻の航跡 “暁の宇品” 陸軍船舶部隊の戦争」 ― 2024-12-09
2024年12月9日 當山日出夫
BSスペシャル 破綻の航跡 “暁の宇品” 陸軍船舶部隊の戦争
『暁の宇品』(堀川恵子)は、大佛次郎賞をとったときに買った本である。(しまいこんでしまったままになっているのだが。)
太平洋戦争における日本軍の戦死者の多くが、戦病死、もっと有り体にいえば餓死であったことは、よく言われている。拡大しすぎた戦線に、補給路の確保ができなかった。日本軍が軽視したことの一つが、兵站、ロジスティックス、であったということは、いろんなところから指摘されていることである。(さらには、インテリジェンスの欠如もあるだろう。根本的には、戦争にいたるまでの国際情勢の読み間違い、判断の失敗ということになるし、また、暗号が解読されていることに気づかなかったということもあるかと思うが。)
兵員や武器を輸送するだけが、兵站の仕事ではない。食糧を始めとする多くの物資や人員の輸送が不可欠である。この物資の輸送は、行きだけでなく帰りもある。太平洋、東南アジアに、戦線を拡大する構想のなかで、ロジスティックスをどう確保するかという観点が、根本的に欠如していたことは、致命的であったことになる。その典型として、インパール作戦があり、ガダルカナル島のことがある。燃料がなければ動かないのは、軍艦や戦闘機だけではない。兵員、その他の物資を輸送する、船舶も動けない。そのための燃料の確保は、どう考えられていたのだろうか。
海上輸送について、輸送は陸軍の仕事で、その護衛は海軍の仕事、という分担は、いかにも日本軍の考えたことという気がする。制海権、制空権、が完全に確保さていなければ、戦争の遂行は不可能であることは、素人目にも判断できることであると思うのだが。
輸送用の船舶の多くは、民間から徴用されたものである。(この視点から、太平洋戦争のことを見るということは、これまでにもあった。)
上陸用舟艇というと、私などは、連合軍のノルマンディー上陸作戦のことを思ってしまうのだが、そのもとになったのは、日本が先がけて開発した大発(大発動艇)であった。これは、たしかに、太平洋戦争の初期の段階では、効果的に使われたということになる。だが、現地までの輸送と航路の安全の継続的な確保という視点がなかった。(Uボートによる輸送船攻撃ということは、第一次大戦のときの教訓として学ぶべきところがあったはずだと思うのだが。)
マルレのことが出てきていた。爆雷を積んだ木製モーターボートである。生還を期しがたい、という意味では特攻というべきかもしれない。
南方の戦場で、『野火』(大岡昇平)に描かれていたことが実際にあったということを、当事者が自ら語っているのは印象的である。聞かれることだろうから、聞かれるまえに話すということであった。
余計なことを考えると……いわゆる台湾有事(狭い意味での具体的な戦争)となった場合、南西諸島の島の取り合いになる可能性がある。そのとき、自衛隊は、どうやって兵員や物資を輸送することになるのだろうか。今のところ、北海道にいる部隊を移動させるのに、民間の輸送船やフェリーなどを使うぐらいしか方法はないようである。といって、自前で、普段からそのための船舶を確保しておくということも、合理的ではない。その輸送にあたる船員(民間人)などの、法的な問題はどうなっているのだろうか。さらには、戦場となる(かもしれない)島からの、住民の避難も必要になる。これらの輸送計画、そして、そのための制海権、制空権の確保ということは、どれぐらい考えられているのだろうか。その他、いわゆるシーレーン防衛ということまで視野にいれれば、国防ということは、簡単なことではない。絶望的であるとまでは言いたくないけれど。
2024年12月6日記
BSスペシャル 破綻の航跡 “暁の宇品” 陸軍船舶部隊の戦争
『暁の宇品』(堀川恵子)は、大佛次郎賞をとったときに買った本である。(しまいこんでしまったままになっているのだが。)
太平洋戦争における日本軍の戦死者の多くが、戦病死、もっと有り体にいえば餓死であったことは、よく言われている。拡大しすぎた戦線に、補給路の確保ができなかった。日本軍が軽視したことの一つが、兵站、ロジスティックス、であったということは、いろんなところから指摘されていることである。(さらには、インテリジェンスの欠如もあるだろう。根本的には、戦争にいたるまでの国際情勢の読み間違い、判断の失敗ということになるし、また、暗号が解読されていることに気づかなかったということもあるかと思うが。)
兵員や武器を輸送するだけが、兵站の仕事ではない。食糧を始めとする多くの物資や人員の輸送が不可欠である。この物資の輸送は、行きだけでなく帰りもある。太平洋、東南アジアに、戦線を拡大する構想のなかで、ロジスティックスをどう確保するかという観点が、根本的に欠如していたことは、致命的であったことになる。その典型として、インパール作戦があり、ガダルカナル島のことがある。燃料がなければ動かないのは、軍艦や戦闘機だけではない。兵員、その他の物資を輸送する、船舶も動けない。そのための燃料の確保は、どう考えられていたのだろうか。
海上輸送について、輸送は陸軍の仕事で、その護衛は海軍の仕事、という分担は、いかにも日本軍の考えたことという気がする。制海権、制空権、が完全に確保さていなければ、戦争の遂行は不可能であることは、素人目にも判断できることであると思うのだが。
輸送用の船舶の多くは、民間から徴用されたものである。(この視点から、太平洋戦争のことを見るということは、これまでにもあった。)
上陸用舟艇というと、私などは、連合軍のノルマンディー上陸作戦のことを思ってしまうのだが、そのもとになったのは、日本が先がけて開発した大発(大発動艇)であった。これは、たしかに、太平洋戦争の初期の段階では、効果的に使われたということになる。だが、現地までの輸送と航路の安全の継続的な確保という視点がなかった。(Uボートによる輸送船攻撃ということは、第一次大戦のときの教訓として学ぶべきところがあったはずだと思うのだが。)
マルレのことが出てきていた。爆雷を積んだ木製モーターボートである。生還を期しがたい、という意味では特攻というべきかもしれない。
南方の戦場で、『野火』(大岡昇平)に描かれていたことが実際にあったということを、当事者が自ら語っているのは印象的である。聞かれることだろうから、聞かれるまえに話すということであった。
余計なことを考えると……いわゆる台湾有事(狭い意味での具体的な戦争)となった場合、南西諸島の島の取り合いになる可能性がある。そのとき、自衛隊は、どうやって兵員や物資を輸送することになるのだろうか。今のところ、北海道にいる部隊を移動させるのに、民間の輸送船やフェリーなどを使うぐらいしか方法はないようである。といって、自前で、普段からそのための船舶を確保しておくということも、合理的ではない。その輸送にあたる船員(民間人)などの、法的な問題はどうなっているのだろうか。さらには、戦場となる(かもしれない)島からの、住民の避難も必要になる。これらの輸送計画、そして、そのための制海権、制空権の確保ということは、どれぐらい考えられているのだろうか。その他、いわゆるシーレーン防衛ということまで視野にいれれば、国防ということは、簡単なことではない。絶望的であるとまでは言いたくないけれど。
2024年12月6日記
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