『坂の上の雲』「(13)子規、逝く(前編)」2024-12-13

2024年12月13日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(13)子規、逝く(前編)」

いつものごとく、見ながら思ったことを書いてみる。

真之が家に帰って夕食のシーン。母親の貞が、食事をする真之のそばで団扇で、真之を扇いでいた。さりげないことなのだが、このごろの日本において、とんとみかけなくなってしまった光景かもしれない。このようなちょっとした心遣いの場面が、日常から消えてしまったような気がする。

それにつづいて、真之が貞をおぶって銭湯に行くシーン。画面の上の方の背景として、二階建ての建物があり、その二階で、二人の女性が団扇であおいでいる。こんな背景がなくても、ドラマとしては十分になりたつ。メインは、真之と貞との会話である。だが、このような背景で、季節を感じる。

団扇に季節を感じるというようなことは、もう私自身が年をとってしまっている、老人ということなのかなと、自分では思ってみるのだが。

袁世凱が、好古に対して、閣下と言っていた。このとき、好古は軍の階級は大佐だから、閣下ということはないかなと思うが、現地司令官としての敬称ということでいいのだろうか。(私の知識としては、閣下というのは将官に対してつかうことができることばである。)それに対して、好古も、袁世凱に閣下と言っていた。

袁世凱は、好古と酒を飲んでいるとき、同じアジア人という言い方をしていたのだが、この時代に、中国(清)が日本や、それから朝鮮をふくめて、アジア人という概念でとらえることはあったのだろうか。このあたりは、中国や日本における、アジアという意識の歴史ということになるのだろうが。

このドラマで活人画ということを知った。これに似たものは、漱石の『猫』のなかに出てくるのだが、明治のころ、上流階級の遊びとして、はやっていたということなのだろう。だが、実質のところは、華族の子女や軍人を対象として、集団でのお見合いということのようだったが。

真之は、季子に一目惚れということにはならなかった。季子は、とても美しい女性であったが、その美貌は、真之の関心をひかなかったということになる。

兵棋演習、普通にいって図上演習ということでいいのかと思うが、このときの真之のことばが印象に残る。司令官の命令は、船に乗っている乗員の命にかかわる。ことばどおりにうけとれば、それはそのとおりである。

はるか後の太平洋戦争で、あまりにも無謀な作戦を考えた昭和の軍人たちへの批判として受けとめることが、妥当だろうか。(司馬遼太郎としては、そう考えただろうと私は思う。)

結果的に、後の日本海海戦では、連合艦隊はほとん軽微な被害で済んだことはたしかである。旅順港閉塞作戦では、犠牲をはらうことになるが、このようなことは史実として、広く知られていることである。

ただ、この演習はいったい何のためにやっているのか、という意図が明確ではなかったかともいえようか。この演習は戦術(あるいは作戦)にかかわることであり、ロシアを仮想敵国とした場合、なぜ、艦隊決戦がおこるのか、という戦略にかかわる視点が語られていなかった。別に日本の海軍とロシア海軍とで、海戦で雌雄を決することが戦争の目的ではない。日本と中国や満州との補給路を日本が確保できるか、それとも、ロシアが遮断することになるのか、ロジスティックスをかけた戦いということになるはずである。戦争の最終的な国家としての目的は、日本の朝鮮半島と満州における権益の確保である。帝国主義の時代である。今の価値観で、これの是非を言ってもしかたないだろう。(ただ、その当時の日本国内においても、戦争反対論、非戦論があったことは確かである。)

結果としての日本海海戦の結果がめざましかったこともあるが、このドラマにおいても、また一般の日露戦争観……それは、かなり司馬遼太郎の『坂の上の雲』に影響されたものであるが……においても、なぜロシアはバルチック艦隊を極東まで派遣する必要があったのか、旅順港閉塞作戦は何のためであったのか、さらには、二〇三高地の戦略的意味は何であったのか、ということがぼやけてしまっているかと思う。

晩年の正岡子規のことについては、『仰臥漫録』『病牀六尺』は、若いときに古い岩波文庫で読んだかと憶えている。自分の死を思う、正岡子規の気持ちと、それを、文章に書いている冷静さ、ということが印象に残っている。

2024年12月12日記

「硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の証言〜」2024-12-13

2024年12月13日 當山日出夫

時をかけるテレビ 硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の証言〜

二〇〇六年に放送の、NHKスペシャル。

硫黄島については、いろいろと語られることの多い、太平洋戦争の激戦地である。

始まりはアメリカにある硫黄島に星条旗を立てる記念像からであった。硫黄島の激戦が、いまだにアメリカ軍にとって語りつたえられている歴史的な戦闘であったことになる。(たしか私の知っている範囲だと、この場面の写真は後から撮ったヤラセ写真、曰く因縁のある写真だったかと思うのだが、どうだったろうか。どうでもいいことだが、昔、テレビで映画『ランボー』を放送していたとき、地元の州兵がこれを真似て写真を撮ろうとするシーンがあって、そんなものなのかなあと思ったことを憶えている。)

『散るぞ悲しき』(梯久美子)は買って持っている。

はじめの方で、生還者の老人が、毎朝、仏壇に氷をいれた冷たい水を供える場面があった。兵士は戦友のために戦うものである、ということが実感される。

だが、実際に硫黄島で生きのびた兵士たちを待っていたのは、戦友のために戦うというような生やさしいものではなかった。組織的に戦闘を継続することができなくなって後、アメリカ軍に投降することもできず、かといって、自ら自決することもできず、さりとて、敵陣に切り込んでいくこともできず……はっきりいえば、ただ耐えて死を待つだけ、という状況であった。これは、肉体的にのみならず、精神的にも、極限の状況であったというべきである。(番組のなかでは言っていなかったが、適切な言い方が思いうかばないのだが、精神的なダメージで錯乱状態で死んでしまったという例もあったろうと、推測される。)

一方のアメリカ軍としても、今から思えば、そこまでやらなくてもいいのにと、いうほどの残虐な(としかいいようがないが)で、日本兵を掃討しようとしていた。日本兵のいる地下壕に海水を注ぎ込んで、そこにガソリンを流して、火をつける。(これは現在の価値観では考えつかないことになる。だが、それが戦争、戦場というものなのであろう。)

なぜ、アメリカ軍は、硫黄島を放っておかなかったのだろうか。制空権、制海権は完全にアメリカ側にあったはずだが。太平洋、南シナ海の島では、放置された日本兵が補給をたたれて、無残に餓死していったということがある。このあたりは、日本の参謀本部の判断、栗林中将の判断、それから、アメリカ軍の判断、これらの結果ということになるのだろう。硫黄島の戦いを戦史として、どう位置づけることになるのか、これはその専門家の仕事ではある。

戦争にもルールがある。これは、イスラエルとガザの戦闘について、グテーレス国連事務総長の言ったことである。硫黄島での戦闘は、戦争のルールからかなり逸脱したものであったと考えていいのかもしれない。これを、視点を変えていえば、硫黄島守備隊の善戦ということになってしまうのかもしれないが。

ところで、生きて虜囚の辱めを受けず……戦陣訓の有名な一部である。かなり前になるが、興味があってこれがネット上で見られないかと探してみたことがある。そのころ、まったく画像がヒットすることはなかった。このとき、ネットオークションで見つけて買ったものを持っている。そう高いものではなかった。

だが、これも、今では、いくつかの画像データとして見ることができる。

また、調べてみると、番組の最後に出てきた秋草鶴次の本は今では売っていない。Kindle版もない。

番組は二〇〇六年のものであるが、この時には、まだ取材して証言を得ることができた。見たかぎりの印象では、特に誇張も感じられない冷静な話しぶりが多かった。

「硫黄島」の詠み方は、現代の日本では「いおうとう」である。アメリカは、「いおうじま」と言う。番組の中に出てきた生存者は「いおうじま」と言っていた。

2024年12月10日記

「海獣のいる海 あるトド撃ちの生涯」2024-12-13

2024年12月13日 當山日出夫

NHKスペシャル 海獣のいる海 あるトド撃ちの生涯

淡々とした死生観が印象に残る。自分がどのように生きてきて死んでいくことになるのか、と思う。

北海道のトド猟については、今年(二〇二四)の九月二八日に、「老人と海獣 〜北海道 積丹 トドと泳ぐ海〜」をETV特集で放送している。これは見た。こちらの場合は、積丹のダイビングインストラクターの老人の視点からのものだった。

別にNHKの番組を比べて見るということではないが、私の印象としては、このNHKスペシャルの「海獣のいる海」の方が、よくできている。いや、というよりも、より深く心にしみるものがある、というべきだろうか。

きれいごとをいえばであるが……北海道周辺の生態系と、漁業(漁獲量)のバランス、そして、漁業資源の国際的な保護、ということになる。だが、このような、数値化して考えることでは、そこに生きる人たちの生活のあり方、どのように生きてきたのか、その心情の奥底に触れることはできない。(この番組をとおして、どこまで理解できるかということについては、謙虚でなければならなと思うのだが。)

人と自然とが調和して生きる……これはとても綺麗なことばなのだが……その実態の奥深くにある、人と生きものとのつながりというものを感じる。それは、生態系という視点から考えるというよりも、同じ生きものとしての感覚というべきだろうか。(だが、これも、場合によっては、駆除されるトドに対して、部外者が過度に感情移入することになるのかもしれないという危惧はある。少なくとも私は、トド猟師である人たちに対してクレームをつけようなどとは決して思わないけれど。)

見ながら思った余計なことがいくつかある。

まず、海上で揺れる小型の船のうえから、海のなかのトドを、一発でしとめるというのは、凄腕のスナイパーという以上に、神業としか思えない。

番組の中に登場していた診療所の医師。たしか、礼文島の医療をになうために父親の後をついだ、若いお医者さんである。これは、少し前、「Dear にっぽん」で登場していた。この島の医師は、こういう人のことも診なければならないのか。ただ、病気の治療ということだけではなく、この島の人の生き方を考えているように感じる。

礼文島の祭りの場面で、多くの子供たちが映っていた。この島の人口構成はどうなっているのかと思うが、できれば、多くの子供たちが育つ島であってほしい。(あるいは、夏休みだったから、たまたま子どもがいたのかもしれないが。)

俵さんが亡くなったとき、その告知を、有線放送で知らせていた。このようなことは、今の都会では考えられない。島という場所で生きるためには、このような共同体の感覚が必要なのかと思う。

さらに余計なこととしては、「トド肉」で検索してみると、販売もしているようである。

田中泯の最小限のナレーションがよかった。

2024年12月12日記

「調査報道 新世紀File7 気候変動対策の“死角”」2024-12-13

2024年12月13日 當山日出夫

NHKスペシャル 調査報道 新世紀File7 気候変動対策の“死角”

番組で主張したいことは分かるのだが、今ひとつどうかなと思うところがないではない。

まず、番組の始めで、人工衛星からの観測で、地球上でメタンがどこから排出されているのか示されていた。映った地図を見ると、圧倒的に、中国、ロシア、中央アジア、東南アジア、というあたりが、巨大な排出源ということになるようだ。(この画面をゆっくりと見せるということはなかったが、しかし、隠すということでもなかった。)

その中で、取材していたのはアメリカの事例。たしかにアメリカのことが、NHKとしては、もっとも取材しやすい、ということはあるにちがいない。だが、こここで、アメリカの事例だけをとりあげて、メタンの排出を抑制しても、その他の地域がどうなのかということが、問題として残ることになる。そして、残った地域は、そう簡単に排出の抑制が可能な地域とは思えない。

このあたりのことは、番組を見た人が、察してくれということなのかとも思うが、どうなのだろうか。

カーボンクレジットは、これで本当にCO2の排出量が減らせるかどうかは、眉唾ものである。見かけ上のことにすぎないとしかいいようがないだろう。カーボンクレジットという仕組みがあってもなくても、森林破壊はくいとめなければならないものである。強いていえば、カーボンクレジットでお墨付きを与えたところ以外は、森林伐採をやってもいい……かなり、批判的に見ればこのように考えることもできる。

しかし、だからといって、何もしないよりはマシであることも確かであり、より現実的なこころみとして、推進されるべきことでもある。無論、このときに、ごまかしなどはあってはならないが。

このての番組で、無条件に前提としていることは、あるいは、まったく考えていないことは、未来社会に対して、現代の我々がどのような倫理的な責任があり、それをどう解決することが妥当なのか、それは、地球上の人間や国家が、どのように負担すべきことなのか、そのとき、制限される権利があるとしたならば、それはどのようなことなのか……というようなことがらについての、根本的で論理的な問いかけである。

具体的には、グローバルサウスの国々に対して経済発展をあきらめろ、アメリカのラストベルトの人びとに対して今のままで我慢しろ……と言えるのだろうか。

とはいえ、日本としてできる限りのことを努力することに異存はないし、それで、少しぐらい生活が不便になってもいたしかたのないことだとは思うのであるが。

2024年12月9日記