「死亡退院 精神医療・闇の記録」 ― 2024-12-21
2024年12月21日 當山日出夫
NHKスペシャル 死亡退院 精神医療・闇の記録
若いときに、『ルポ・精神病棟』(大熊一夫)を読んだのだが、そのときのことをどうしても思い出す。根本的なところでは、日本の社会は変わっていない。
見ながらまず思ったことは、内部告発で記録されていた看護師や医師のことば。テレビで見るかぎり、やはり暴言であり虐待であるとしかいいようがない。しかし、この人たちも、一般社会のなかでは普通の人なのであろう。別の病院につとめていれば、こんな乱暴な言い方をしないでいただろう。こういうのを見ると、人間がおかれた環境で、いかようにでも、その心境が変わっていくものであり、暴力的なことに感覚が麻痺してしていくのか、と思わざるをえない。この意味では、番組の冒頭で映っていた看護師や医師の態度は、決して他人事ではない。ひょっとすると、自分も立場によっては、そのように(加害者側)に容易になり得る。そう思っておくべきことである。
そして、問題は、ただ滝山病院だけのことではなく、日本全体の、精神医療をふくむ医療のあり方の問題ということになる。精神疾患は、特殊な人のなる特殊な病気ではない。場合によっては、それを病気とカテゴライズすること自体が問題であるかもしれない。そのような人たちをうけいれる医療の体制が、日本では依然として整っていない。
滝山病院のことは、おそらく医療関係者の間では、問題があることは知られていたにちがいないが、しかし、それでも、この病院しか受け入れ先がないような、精神と身体に病気のある患者が、少なからず存在するということは、たしかなことである。公立、私立を問わず、日本全体の医療の問題として考えなければならないことである。
この番組のなかでは、イタリアのことについては触れることがなかったが、これは別の番組などで詳しく取りあげてもらいたいことである。
ナレーションは、高橋美鈴。おちついた語り方が、この番組にはふさわしい。
2024年12月19日記
NHKスペシャル 死亡退院 精神医療・闇の記録
若いときに、『ルポ・精神病棟』(大熊一夫)を読んだのだが、そのときのことをどうしても思い出す。根本的なところでは、日本の社会は変わっていない。
見ながらまず思ったことは、内部告発で記録されていた看護師や医師のことば。テレビで見るかぎり、やはり暴言であり虐待であるとしかいいようがない。しかし、この人たちも、一般社会のなかでは普通の人なのであろう。別の病院につとめていれば、こんな乱暴な言い方をしないでいただろう。こういうのを見ると、人間がおかれた環境で、いかようにでも、その心境が変わっていくものであり、暴力的なことに感覚が麻痺してしていくのか、と思わざるをえない。この意味では、番組の冒頭で映っていた看護師や医師の態度は、決して他人事ではない。ひょっとすると、自分も立場によっては、そのように(加害者側)に容易になり得る。そう思っておくべきことである。
そして、問題は、ただ滝山病院だけのことではなく、日本全体の、精神医療をふくむ医療のあり方の問題ということになる。精神疾患は、特殊な人のなる特殊な病気ではない。場合によっては、それを病気とカテゴライズすること自体が問題であるかもしれない。そのような人たちをうけいれる医療の体制が、日本では依然として整っていない。
滝山病院のことは、おそらく医療関係者の間では、問題があることは知られていたにちがいないが、しかし、それでも、この病院しか受け入れ先がないような、精神と身体に病気のある患者が、少なからず存在するということは、たしかなことである。公立、私立を問わず、日本全体の医療の問題として考えなければならないことである。
この番組のなかでは、イタリアのことについては触れることがなかったが、これは別の番組などで詳しく取りあげてもらいたいことである。
ナレーションは、高橋美鈴。おちついた語り方が、この番組にはふさわしい。
2024年12月19日記
「『極道の妻たち』 強くカッコいい女の時代へ」 ― 2024-12-21
2024年12月21日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 『極道の妻たち』 強くカッコいい女の時代へ
家田荘子の『極道の妻たち』は、出版されたとき話題になったことは記憶している。だが、読んだということはなかった。それが映画になったことも知ってはいたが、ふ~ん、これが映画になるのか、ぐらいに思っていた。
東映としては、女性のお客さんを開拓するという路線で、『極道の妻たち』を作ったらしい。女性を主人公にすれば女性客が来るということではないだろうが、これは家田荘子の本があってのことなのであろう。
東映ヤクザ映画というのは、日本におけるサブカルチャーの歴史のなかでは、重要な位置をしめるものと認識している。私は、ほとんど見るということはなかったが。同時に、今でも(あるいは、今では、というべきか)高く評価されているのが、日活ロマンポルノである。
岩下志麻は、私としては、『心中天網島』が印象に残っている。夫君である篠田正浩の監督作品である。
映画の『極道の妻たち』が作られた時代は、男女機会均等法が出来た時代で、その時代背景において、社会のなかでかっこよく活躍したいという女性たちを引きつけた、ということだったのだが、たしかにそういうところはあったのだろう。
少し時代をさかのぼってみれば、テレビの「必殺」シリーズにおいて、女性の仕事人が登場していたことも、私の記憶にある。山田五十鈴が出ていたはずである。
それから番組の中では触れていなかったが、五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』は、非常によかった。けれんみたっぷりの娯楽作品として傑出していると、感じたものである。無論、原作の宮尾登美子の作品もいい。映画における夏目雅子は印象に残っている。
映画が出来たとき、女性限定の試写会をやって、そこにこれまで例を見ない数の応募があったという話しは、とても興味深い。この時代、女性たちは何を求めていたのだろうか。
ところで、このシリーズは、現代では映画史のうえで、どのように評価されることになっているのだろうか。このあたりのことが、知りたいところでもある。
余計なこととしては、家田荘子の本は「極道の妻(つま)たち」であるが、映画になると、「極道の妻(おんな)たち」となる。「妻」という字を「おんな」と読ませるのは、そうも読めないことはないが、やはり特殊な効果をねらってのことだろう。さらに面白いのは、これを「極妻」と略して言ったときには、「ごくつま」と「つま」になることである。
これまで家田荘子の本は読んでいなかったのだが、見てみるとかなり興味深い本を書いている。いくつか読んでみようかと思う。
2024年12月18日記
アナザーストーリーズ 『極道の妻たち』 強くカッコいい女の時代へ
家田荘子の『極道の妻たち』は、出版されたとき話題になったことは記憶している。だが、読んだということはなかった。それが映画になったことも知ってはいたが、ふ~ん、これが映画になるのか、ぐらいに思っていた。
東映としては、女性のお客さんを開拓するという路線で、『極道の妻たち』を作ったらしい。女性を主人公にすれば女性客が来るということではないだろうが、これは家田荘子の本があってのことなのであろう。
東映ヤクザ映画というのは、日本におけるサブカルチャーの歴史のなかでは、重要な位置をしめるものと認識している。私は、ほとんど見るということはなかったが。同時に、今でも(あるいは、今では、というべきか)高く評価されているのが、日活ロマンポルノである。
岩下志麻は、私としては、『心中天網島』が印象に残っている。夫君である篠田正浩の監督作品である。
映画の『極道の妻たち』が作られた時代は、男女機会均等法が出来た時代で、その時代背景において、社会のなかでかっこよく活躍したいという女性たちを引きつけた、ということだったのだが、たしかにそういうところはあったのだろう。
少し時代をさかのぼってみれば、テレビの「必殺」シリーズにおいて、女性の仕事人が登場していたことも、私の記憶にある。山田五十鈴が出ていたはずである。
それから番組の中では触れていなかったが、五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』は、非常によかった。けれんみたっぷりの娯楽作品として傑出していると、感じたものである。無論、原作の宮尾登美子の作品もいい。映画における夏目雅子は印象に残っている。
映画が出来たとき、女性限定の試写会をやって、そこにこれまで例を見ない数の応募があったという話しは、とても興味深い。この時代、女性たちは何を求めていたのだろうか。
ところで、このシリーズは、現代では映画史のうえで、どのように評価されることになっているのだろうか。このあたりのことが、知りたいところでもある。
余計なこととしては、家田荘子の本は「極道の妻(つま)たち」であるが、映画になると、「極道の妻(おんな)たち」となる。「妻」という字を「おんな」と読ませるのは、そうも読めないことはないが、やはり特殊な効果をねらってのことだろう。さらに面白いのは、これを「極妻」と略して言ったときには、「ごくつま」と「つま」になることである。
これまで家田荘子の本は読んでいなかったのだが、見てみるとかなり興味深い本を書いている。いくつか読んでみようかと思う。
2024年12月18日記
「怪物オグリキャップ 伝説のラストラン」 ― 2024-12-21
2024年12月21日 當山日出夫
あの日偶然そこにいて 怪物オグリキャップ 伝説のラストラン
競馬にはまったく関心のない人生をすごしてきた。オグリキャップという名前も、かろうじて憶えているぐらいである。
番組の手法としては、昔のテレビ映像を手がかりに、今のその人を探し出すということなのだが、わずかな手がかりを見つけて、なんとか探し出そうとこころみる、そのプロセスそれ自体が、見せどころということになる。(このような探索型の作品の傑作としては、森鷗外の『澁江抽斎』があると、私は思っている。)
地方競馬の笠松競馬の、昔の様子がなんとものんびりしていて、こういう時代が、少し昔の日本にはあったんだと思う。現在のその競馬場の雰囲気は、ある意味での趣があると言っていいだろうか。そんなにたくさんのお客さんがいるわけではないみたいだったが、どういう人がここに来ているのだろうか。私としては、こっちの方が気になったところである。
レースを最前列で観戦していた女性の身元は、結局わからずに終わった。気になったのは、手にしていたカメラ。CONTAXだった。その当時としては、高級な機種になる。これを手にしているだけで、かなり裕福な生活をしていたらしいと推測することもできるだろうか。
時代背景としては、バブル景気のまっただなかということでいいだろうか。「24時間、戦えますか」は、憶えている。この時代を象徴するCMである。
思い出したのが、「ドキュメント72時間」で昔放送した、日本ダービーに並ぶ人の三日間。いい場所で観戦するために、数日まえから並ぶ。たぶん、オグリキャップの出た、有馬記念のレースでも、一二月の冬の寒いなか、何日もならんだのかもしれない。はたして、どうだったのだろうか。
日本の競馬において、トップクラスの馬になると、莫大なお金が動き、また、それにかかわる人たちがいることになる。厩務員もその一つの仕事であるが、具体的にどのような仕事をするのか、よく分からないところがある。だが、オグリキャップの担当になって仕事をするというのは、その世界では誇りに感じられる仕事だったのだろう。
ひょっとして、この番組を見た人から、あの場面に映っていたのは私です、というような連絡があるのかもしれない。たぶん、番組を作る方としても、そのようなことを期待しているかと思う。
どうでもいいことなのだが、競馬の歴史は、おそらく日本の近代の産業、農業、運送、さらには騎兵や軍馬の歴史と深くかかわることになるにちがいない。たぶん、調べれば専門の研究があるはずである(もう、調べてみようという気にならないのだが)。有馬記念の名称が、まさにその歴史を背負っている。
2024年12月20日気記
あの日偶然そこにいて 怪物オグリキャップ 伝説のラストラン
競馬にはまったく関心のない人生をすごしてきた。オグリキャップという名前も、かろうじて憶えているぐらいである。
番組の手法としては、昔のテレビ映像を手がかりに、今のその人を探し出すということなのだが、わずかな手がかりを見つけて、なんとか探し出そうとこころみる、そのプロセスそれ自体が、見せどころということになる。(このような探索型の作品の傑作としては、森鷗外の『澁江抽斎』があると、私は思っている。)
地方競馬の笠松競馬の、昔の様子がなんとものんびりしていて、こういう時代が、少し昔の日本にはあったんだと思う。現在のその競馬場の雰囲気は、ある意味での趣があると言っていいだろうか。そんなにたくさんのお客さんがいるわけではないみたいだったが、どういう人がここに来ているのだろうか。私としては、こっちの方が気になったところである。
レースを最前列で観戦していた女性の身元は、結局わからずに終わった。気になったのは、手にしていたカメラ。CONTAXだった。その当時としては、高級な機種になる。これを手にしているだけで、かなり裕福な生活をしていたらしいと推測することもできるだろうか。
時代背景としては、バブル景気のまっただなかということでいいだろうか。「24時間、戦えますか」は、憶えている。この時代を象徴するCMである。
思い出したのが、「ドキュメント72時間」で昔放送した、日本ダービーに並ぶ人の三日間。いい場所で観戦するために、数日まえから並ぶ。たぶん、オグリキャップの出た、有馬記念のレースでも、一二月の冬の寒いなか、何日もならんだのかもしれない。はたして、どうだったのだろうか。
日本の競馬において、トップクラスの馬になると、莫大なお金が動き、また、それにかかわる人たちがいることになる。厩務員もその一つの仕事であるが、具体的にどのような仕事をするのか、よく分からないところがある。だが、オグリキャップの担当になって仕事をするというのは、その世界では誇りに感じられる仕事だったのだろう。
ひょっとして、この番組を見た人から、あの場面に映っていたのは私です、というような連絡があるのかもしれない。たぶん、番組を作る方としても、そのようなことを期待しているかと思う。
どうでもいいことなのだが、競馬の歴史は、おそらく日本の近代の産業、農業、運送、さらには騎兵や軍馬の歴史と深くかかわることになるにちがいない。たぶん、調べれば専門の研究があるはずである(もう、調べてみようという気にならないのだが)。有馬記念の名称が、まさにその歴史を背負っている。
2024年12月20日気記
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