『おむすび』「働くって何なん?」 ― 2024-12-22
2024年12月22日 當山日出夫
『おむすび』「働くって何なん?」
はっきりいって、このドラマ、だんだん面白くなくなっていく。というよりも、作り方の荒さが、目立つようになってきている。
言わんとすることは理解できるつもりである。社食で働くことになった結が、社食の仕事の意味を十分に理解していないということであり、また、理容店の仕事は、父の聖人だけのものではなく、聖人と愛子と、二人で協働してなりたっているものである。
このようなことは、たしかにそのとおりである。だが、描き方が、かなり雑である。
社食の仕事についていえば、まず、日替わり定食などは、食材の調達、少なくとも在庫の確認があって、メニューと提供する数量が決まるものだろう。一定以上の注文があれば、「本日は終了しました」となるのが普通かと思う。それに、何よりも、結は、食材の発注にかかわっていない。これでは、原価計算など出来るはずがない。ここは、もうすこし、社食の厨房の仕事とはどんなものなのか、時間をかけてゆっくりと描いておくべきところだったかと思う。
そもそも、社食に結が栄養士の資格で仕事をすることになったことについて、この会社では、きちんと現場に連絡がいっていなかったようである。これもおかしい。ただの調理のパートのおばちゃんを増やすのとは、わけがちがう。こういうところは、まず社食の従業員だけではなく、そこを利用する会社の社員たちの、意見をきくことが必要である。会社の上層部の一存で、急に栄養士が加わることになりましたでは、現場が混乱するのは当然だろう。いくら、すこし前の時代のことだからといっても、これはありえないと思う。
そして、(外部の業者に委託するのではなく、自社の社員が仕事をすることになっている)社食は利益のために営業しているものではないはずである。損をしてまで安くすることはないが、基本は社員のため(栄養バランスのとれた食事をリーズナブルな価格で提供する)であるはずだろう。最終的に、星河電器の業績の向上につながるように、従業員のために食事を提供することに、その目的があるはずである。もし、社食の部署が、独立採算ということなら、まずそのことを説明しておかなくてはならない。
理容店の仕事でもそうである。愛子がストライキをして……どうやら有馬温泉に行っていたらしい、炭酸煎餅がお土産のようだった……店の仕事がまわらなくなる。これも確かにそのとおりだと思うが、これは事前に、愛子が店でどんな仕事をしているのか、部分的にでも描いておくべきことだったと思う。
店の仕事は役割分担ということになる。このことについても、極端な立場からはジェンダーによる仕事の分担の違いということで、クレームがきてもおかしくはない。(今回、そうはならなかったようだが。)その一方で、床屋の職人としての聖人の意地のようなものもあっていいようにも思うところでもある。
気になっているのは、米田の家の生活感の無さである。リビングのテーブルの上には、必要最小限のものしか置いていない。これは、わざとそういう演出なのだろうか。以前の糸島の祖父母の家は、その地方の農家の家の中、という雰囲気を出そうとしてあった。しかし、神戸の米田の家には、その時代らしさ、神戸の商店街での家族の暮らし、ということを思わせるようなものが、欠落している。意図的にそうしているならば、これは成功した演出とは感じられない。
愛子は、有間温泉で、ホームページを作ったということだったが、この時代だと、WindowsXP、あるいは、その次のWindowsVista、というあたりかと思う。ホームページを作るとしても、おそらくはHTMLで書いたはずである。さて、愛子に、HTMLを勉強する余裕があっただろうかと、思ってみるのだが、どうだろうか。
それにこの時代、商店街のなかの理容店に、ホームページを作ったからといって、急にお客さんが増えるとも思えない。この時代の検索としては、まだYAHOOがあったし、Googleも位置情報をもとに検索するというシステムでもなかったと思うが、どうだったろうか。女性相手の美容店なら、有りうるかもしれないが。このあたり、私としては、不自然な感じがするところである。
2024年12月20日記
『おむすび』「働くって何なん?」
はっきりいって、このドラマ、だんだん面白くなくなっていく。というよりも、作り方の荒さが、目立つようになってきている。
言わんとすることは理解できるつもりである。社食で働くことになった結が、社食の仕事の意味を十分に理解していないということであり、また、理容店の仕事は、父の聖人だけのものではなく、聖人と愛子と、二人で協働してなりたっているものである。
このようなことは、たしかにそのとおりである。だが、描き方が、かなり雑である。
社食の仕事についていえば、まず、日替わり定食などは、食材の調達、少なくとも在庫の確認があって、メニューと提供する数量が決まるものだろう。一定以上の注文があれば、「本日は終了しました」となるのが普通かと思う。それに、何よりも、結は、食材の発注にかかわっていない。これでは、原価計算など出来るはずがない。ここは、もうすこし、社食の厨房の仕事とはどんなものなのか、時間をかけてゆっくりと描いておくべきところだったかと思う。
そもそも、社食に結が栄養士の資格で仕事をすることになったことについて、この会社では、きちんと現場に連絡がいっていなかったようである。これもおかしい。ただの調理のパートのおばちゃんを増やすのとは、わけがちがう。こういうところは、まず社食の従業員だけではなく、そこを利用する会社の社員たちの、意見をきくことが必要である。会社の上層部の一存で、急に栄養士が加わることになりましたでは、現場が混乱するのは当然だろう。いくら、すこし前の時代のことだからといっても、これはありえないと思う。
そして、(外部の業者に委託するのではなく、自社の社員が仕事をすることになっている)社食は利益のために営業しているものではないはずである。損をしてまで安くすることはないが、基本は社員のため(栄養バランスのとれた食事をリーズナブルな価格で提供する)であるはずだろう。最終的に、星河電器の業績の向上につながるように、従業員のために食事を提供することに、その目的があるはずである。もし、社食の部署が、独立採算ということなら、まずそのことを説明しておかなくてはならない。
理容店の仕事でもそうである。愛子がストライキをして……どうやら有馬温泉に行っていたらしい、炭酸煎餅がお土産のようだった……店の仕事がまわらなくなる。これも確かにそのとおりだと思うが、これは事前に、愛子が店でどんな仕事をしているのか、部分的にでも描いておくべきことだったと思う。
店の仕事は役割分担ということになる。このことについても、極端な立場からはジェンダーによる仕事の分担の違いということで、クレームがきてもおかしくはない。(今回、そうはならなかったようだが。)その一方で、床屋の職人としての聖人の意地のようなものもあっていいようにも思うところでもある。
気になっているのは、米田の家の生活感の無さである。リビングのテーブルの上には、必要最小限のものしか置いていない。これは、わざとそういう演出なのだろうか。以前の糸島の祖父母の家は、その地方の農家の家の中、という雰囲気を出そうとしてあった。しかし、神戸の米田の家には、その時代らしさ、神戸の商店街での家族の暮らし、ということを思わせるようなものが、欠落している。意図的にそうしているならば、これは成功した演出とは感じられない。
愛子は、有間温泉で、ホームページを作ったということだったが、この時代だと、WindowsXP、あるいは、その次のWindowsVista、というあたりかと思う。ホームページを作るとしても、おそらくはHTMLで書いたはずである。さて、愛子に、HTMLを勉強する余裕があっただろうかと、思ってみるのだが、どうだろうか。
それにこの時代、商店街のなかの理容店に、ホームページを作ったからといって、急にお客さんが増えるとも思えない。この時代の検索としては、まだYAHOOがあったし、Googleも位置情報をもとに検索するというシステムでもなかったと思うが、どうだったろうか。女性相手の美容店なら、有りうるかもしれないが。このあたり、私としては、不自然な感じがするところである。
2024年12月20日記
『カーネーション』「明るい未来」 ― 2024-12-22
2024年12月22日 當山日出夫
『カーネーション』「明るい未来」
この週は変則的である。BKの制作で、お正月をはさんでの放送だったので、一週間分で六回となっていない。土曜日に二つ連続で放送して、つじつまがあうようになっていたことになる。
戦後のことから話しははじまる。
終戦になって糸子は、まず、それまでのモンペを脱いで、アッパッパに着替える。やっと戦争が終わったという解放感を、表していた。だが、街には進駐軍がやってくる。おそらく、日本の多くの街で見られた光景だったのかもしれない。昭和二〇年に、日本にやってきたアメリカ軍(実際には他にもいたはずだが)に対して、日本の人びとの反応や気持ちはどうだったのだろうか。(このあたりのことは、調べれば多くの証言や記録が残っていることだろうと思うが。)
戦後の日本を象徴するのは、やはり闇市である。これも、闇市でものが買えるだけのお金とか、物々交換できる品物とかを持っている人にとっては、これでなんとかなったのかもしれないが、そうではない人は、戦後になってかなり苦労することになったはずである。
ともあれ、朝ドラで闇市をどう描くかは、興味を持って見ているところである。このドラマとも関連することだが、パンパンを描く闇市と、描かない闇市とがある。
戦争が終わって、街に若い男たちがもどってきた。女はおしゃれしなければ、ということで、糸子は洋裁店の仕事にはげむことになる。しかし、糸子自身はずっと着物姿のままである。決して粗末な着物ではないが、自分自身がおしゃれしているという感じではない。このあたりのことは、その時代の人びとの普通の感覚だったのだろうと思う。
八重子は、実家に帰りたいと言い出すが、それを糸子はおしとどめる。なんとかパーマの機械を探し出して、それを買いにに東京までいく。ここは、ちょっとこの時代としては、不自然かなと感じないでもない。終戦直後に、電話が全国にそんなに通じていたとも思えないし、また、中古のパーマの機械を買いに東京まで行くとしても、その汽車の切符がそう簡単には手に入らなかっただろう。このあたりのことは、まあ、ドラマとして見ておくことになる。
私の感覚であるが、朝ドラの世界では、昭和の時代に電話が普及していすぎるし、また、長距離電話でもすぐにつながる。これは、ちょっと不自然かなと思って見ている。電話が日本の各家庭に広まるのは、昭和四〇年代以降(高度経済成長の後)のことだと、私は体験的には思っている。
闇市であるが、『カーネーション』の場合、かなり力をいれて作った感じである。とにかく、売っているものの種類が多い。実際に闇市がどうであったかということもあるが、ドラマのなかで、たくさんの小道具を用意するのは、かなりの手間だろうと思う。ここを手を抜かずに作ってあると感じる。
東京で、糸子は、泥棒の浮浪児たちに、まんまと有り金をもっていかれてしまうのだが、印象的なのは、浮浪児たちを、悪者に描いていないことである。孤児たちは、ずっと無言だったが、その映像から、その境遇が伝わってくる演出だった。泥棒をはたらいても、親分にかなりを持って行かれるのだろうが、それでも、戦後の混乱の時代を生き抜いていくたくましさ、ということを感じさせる描き方になっていた。また、そのような浮浪児たちを生み出した戦争が悪い、保護しない社会が悪い、という主張もはいっていない。その時代のなかで生きている人間は、こんなふうであったという描き方になっている。そのようにして人間は生きてきたのである。
このドラマの良さは、どのような生き方をするにしても、それをどこかで肯定するところのある人間観が根底にあることであると感じる。人間とはそのようにしてでも生きるしかないものである。決して、人間を善と悪に分けて、悪として断罪する視点ではない。
次週以降、本格的に戦後のことになる。
2024年12月21日記
『カーネーション』「明るい未来」
この週は変則的である。BKの制作で、お正月をはさんでの放送だったので、一週間分で六回となっていない。土曜日に二つ連続で放送して、つじつまがあうようになっていたことになる。
戦後のことから話しははじまる。
終戦になって糸子は、まず、それまでのモンペを脱いで、アッパッパに着替える。やっと戦争が終わったという解放感を、表していた。だが、街には進駐軍がやってくる。おそらく、日本の多くの街で見られた光景だったのかもしれない。昭和二〇年に、日本にやってきたアメリカ軍(実際には他にもいたはずだが)に対して、日本の人びとの反応や気持ちはどうだったのだろうか。(このあたりのことは、調べれば多くの証言や記録が残っていることだろうと思うが。)
戦後の日本を象徴するのは、やはり闇市である。これも、闇市でものが買えるだけのお金とか、物々交換できる品物とかを持っている人にとっては、これでなんとかなったのかもしれないが、そうではない人は、戦後になってかなり苦労することになったはずである。
ともあれ、朝ドラで闇市をどう描くかは、興味を持って見ているところである。このドラマとも関連することだが、パンパンを描く闇市と、描かない闇市とがある。
戦争が終わって、街に若い男たちがもどってきた。女はおしゃれしなければ、ということで、糸子は洋裁店の仕事にはげむことになる。しかし、糸子自身はずっと着物姿のままである。決して粗末な着物ではないが、自分自身がおしゃれしているという感じではない。このあたりのことは、その時代の人びとの普通の感覚だったのだろうと思う。
八重子は、実家に帰りたいと言い出すが、それを糸子はおしとどめる。なんとかパーマの機械を探し出して、それを買いにに東京までいく。ここは、ちょっとこの時代としては、不自然かなと感じないでもない。終戦直後に、電話が全国にそんなに通じていたとも思えないし、また、中古のパーマの機械を買いに東京まで行くとしても、その汽車の切符がそう簡単には手に入らなかっただろう。このあたりのことは、まあ、ドラマとして見ておくことになる。
私の感覚であるが、朝ドラの世界では、昭和の時代に電話が普及していすぎるし、また、長距離電話でもすぐにつながる。これは、ちょっと不自然かなと思って見ている。電話が日本の各家庭に広まるのは、昭和四〇年代以降(高度経済成長の後)のことだと、私は体験的には思っている。
闇市であるが、『カーネーション』の場合、かなり力をいれて作った感じである。とにかく、売っているものの種類が多い。実際に闇市がどうであったかということもあるが、ドラマのなかで、たくさんの小道具を用意するのは、かなりの手間だろうと思う。ここを手を抜かずに作ってあると感じる。
東京で、糸子は、泥棒の浮浪児たちに、まんまと有り金をもっていかれてしまうのだが、印象的なのは、浮浪児たちを、悪者に描いていないことである。孤児たちは、ずっと無言だったが、その映像から、その境遇が伝わってくる演出だった。泥棒をはたらいても、親分にかなりを持って行かれるのだろうが、それでも、戦後の混乱の時代を生き抜いていくたくましさ、ということを感じさせる描き方になっていた。また、そのような浮浪児たちを生み出した戦争が悪い、保護しない社会が悪い、という主張もはいっていない。その時代のなかで生きている人間は、こんなふうであったという描き方になっている。そのようにして人間は生きてきたのである。
このドラマの良さは、どのような生き方をするにしても、それをどこかで肯定するところのある人間観が根底にあることであると感じる。人間とはそのようにしてでも生きるしかないものである。決して、人間を善と悪に分けて、悪として断罪する視点ではない。
次週以降、本格的に戦後のことになる。
2024年12月21日記
『カムカムエヴリバディ』「1946-1948」 ― 2024-12-22
2024年12月21日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1946-1948」
稔が戦死したことを知った安子は、大阪に出て働き、一人でるいを育てることにする。
この週を見ていて印象に残っていることとして……岡山の雉真の家を出るときの安子は、自分は稔の妻であり、るいの母親であると、言っていた。また、大阪の安子の家を探し当てた、雉真の父の千吉も、稔の妻、という言い方をしていた。
これは今の考え方としては、普通にうけとめるところである。しかし、この時代の人間の感覚としては、雉真の家の嫁、という概念がまずあったにちがいない。しかし、ドラマのなかでは、このような言い方をしていない。
やはりこういうところは、現代の視聴者の感覚に合わせて作ってあると感じるところである。これが、かつての『おしん』だったら、まず何よりも、その家の嫁としての立場、ということが前面に出ていた。だからこその、佐賀編での壮絶な物語ということになっているのだが。
それから、大阪に出て、稔が下宿していた家を訪ねるのだが、そこのおばちゃんが、安子に対して、訳は聞かん、と言って、とりあえず住める家を貸してくれることになった。また、安子が、芋飴を売っていて偶然にラジオから聞こえてくる「カムカム英語」を耳にするが、その家の奥さんも、子連れで行商をしている安子に対して、なぜそのようなことをしているのか、一切訊ねることなく、家に上げて世話をしていた。
この時代、戦後まもなくのころ、いろんな事情で、女性一人で子どもを育てなければならないことが少なからずあったと思う。その時代の背景を考えてみるならば、下宿のおばちゃんも、ラジオの奥さんも、あえて身の上のことを聞くことなく、安子に接している。(この家のことは、ドラマの最後につながる伏線となっている。)
こういうところの描写……何を語っていないか……というところで、見る人の想像力にうったえるところがある。これは、脚本として非常に計算しつくした作り方になっていると感じるところである。
それから、大阪の安子の住まいの描写が、短い期間のことになるが、安子の仕事が安定し、生活がなんとかなるようになっていく過程を、家の中の道具類の変化で表現することになっている。映像で見る人に語りかけるところがある。こういう作り方というのは、やはり脚本だけではなく、小道具などのスタッフの努力があってのことになろう。一瞬映るだけのものをきちんと用意していることになる。こういうところを見ていくと、やはりこのドラマは傑作といわれる理由がわかる。
この週では、安子のるいへの愛情の深さが強く描かれていた。だからこそ、このあとにつづくことになる、安子とるいとの関係の変化が、きわだってくることになる。
2024年12月20日記
『カムカムエヴリバディ』「1946-1948」
稔が戦死したことを知った安子は、大阪に出て働き、一人でるいを育てることにする。
この週を見ていて印象に残っていることとして……岡山の雉真の家を出るときの安子は、自分は稔の妻であり、るいの母親であると、言っていた。また、大阪の安子の家を探し当てた、雉真の父の千吉も、稔の妻、という言い方をしていた。
これは今の考え方としては、普通にうけとめるところである。しかし、この時代の人間の感覚としては、雉真の家の嫁、という概念がまずあったにちがいない。しかし、ドラマのなかでは、このような言い方をしていない。
やはりこういうところは、現代の視聴者の感覚に合わせて作ってあると感じるところである。これが、かつての『おしん』だったら、まず何よりも、その家の嫁としての立場、ということが前面に出ていた。だからこその、佐賀編での壮絶な物語ということになっているのだが。
それから、大阪に出て、稔が下宿していた家を訪ねるのだが、そこのおばちゃんが、安子に対して、訳は聞かん、と言って、とりあえず住める家を貸してくれることになった。また、安子が、芋飴を売っていて偶然にラジオから聞こえてくる「カムカム英語」を耳にするが、その家の奥さんも、子連れで行商をしている安子に対して、なぜそのようなことをしているのか、一切訊ねることなく、家に上げて世話をしていた。
この時代、戦後まもなくのころ、いろんな事情で、女性一人で子どもを育てなければならないことが少なからずあったと思う。その時代の背景を考えてみるならば、下宿のおばちゃんも、ラジオの奥さんも、あえて身の上のことを聞くことなく、安子に接している。(この家のことは、ドラマの最後につながる伏線となっている。)
こういうところの描写……何を語っていないか……というところで、見る人の想像力にうったえるところがある。これは、脚本として非常に計算しつくした作り方になっていると感じるところである。
それから、大阪の安子の住まいの描写が、短い期間のことになるが、安子の仕事が安定し、生活がなんとかなるようになっていく過程を、家の中の道具類の変化で表現することになっている。映像で見る人に語りかけるところがある。こういう作り方というのは、やはり脚本だけではなく、小道具などのスタッフの努力があってのことになろう。一瞬映るだけのものをきちんと用意していることになる。こういうところを見ていくと、やはりこのドラマは傑作といわれる理由がわかる。
この週では、安子のるいへの愛情の深さが強く描かれていた。だからこそ、このあとにつづくことになる、安子とるいとの関係の変化が、きわだってくることになる。
2024年12月20日記
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