「紀伊山地 この道をゆけば」2024-12-24

2024年12月24日 當山日出夫

ドキュメント72時間 紀伊山地 この道をゆけば

国道425号線で紀伊半島を横断する旅。三重県から和歌山県なのだが、実質的には、奈良県の上北山村と十津川村、ということになる。

今の住まいが奈良市になるので、NHKのローカルニュースなどでは、この地域のことはよく目にする。はっきり言ってしまうことになるが、過疎高齢化のすすむ山間部の人口の少ない村である。面積はとても広い。だが、かつては林業などでさかえ、自然環境は豊かである。

日頃、このようなイメージで伝えられることの多いところである。それを、「ドキュメント72時間」の視点で見ると、少し違っている。

果無(はてなし)の集落のことは、時々、テレビに映る。

このような山間部の僻地(ということばはこのごろでは使わなくなったと思うが)でも、人は生活しており、その生活をささえるのが交通インフラとしての道路である。

同じ奈良県内では、国道169号線が、崖崩れで通行止めになってから、完全に復旧してはいない。この道は、県の南部の地域にとっての、重要な道路である。生活のための重要なインフラである。

このような地域に暮らす人びとのこれからの暮らしはどうなるのだろうか、と将来を考えると……これからの人口減少社会のことを思ってみると……あまり明るい希望は持てないかもしれない。現代のライフスタイルとしては、自動車で一時間以内ぐらいのところで、日常の買物、教育、医療、福祉などが、どうにかならないといけないのだが、はたしてこれから先、どうなるだろうかと思わないではない。そのために重要なのが、道路の整備であることになる。

逆にいえば、道路などが整備されるならば、将来的には十分に魅力のある地域ということでもあるのだが。

それから、十津川村のことについては、日本語学の研究者なら、名前だけは絶対に知っている。この村だけは、関西圏にあって、東京型アクセントの地域として孤立して存在している。

2024年12月22日記

「アンチエイジング 欲望の人体実験」2024-12-24

2024年12月24日 當山日出夫

フランケンシュタインの誘惑 「アンチエイジング 欲望の人体実験」2021

再放送である。最初は、二〇二二年。

ボロノフの研究は、今日の観点から見て、サイエンスとしての方法論、それから、研究倫理にてらして、非常に問題があるものであった。(このことは、番組のなかでは、あまり触れていなかったが。)

評価できる点があるとするならば、人間、この研究(?)の場合、特に男性に限られたことになるようだが、精巣と若々しさとの関係に注目したところだろうか。ざっくりといえば、人間が年をとって、性に対してどのようであるか、ということになる。この注目点は間違ってはいないだろう。人間のあり方というものを広くとらえるならば、性というもの、エロティシズムというものは、人間の生きることの根底にかかわるものであるとは、言っていいだろう。だが、これは、かなり文化的社会的に人間を見た場合であり、また、プラセボ効果をもふくんでの考え方ということになるだろう。総合的に人間というものを考えるならば、プラセボということも、ある意味では効果的であり、少なくとも、QOLに寄与する可能性は、考慮されてもいいだろうと、私は思っている。このなかには、マイナスの効果となるような、プラセボということも含めて考えなければならない。(しかし、これを実験として考えるには、倫理的に問題であろうが。)

ボロノフの研究の説明のなかでは、免疫のことについては言及がなかったのだが、このことについては、どうなのだろうか。

番組の終わりで言っていたように、現代では、遺伝子レベルの研究で人間の老化を考えることになる。おそらく、人間の健康寿命を延ばすことは、そう遠くない将来において可能になるかもしれない。

アンチエイジングは人間の古来よりの夢であることは確かだが、これからの時代、長生きすることが出来たとしても、それは、人類の暗い未来を見ることになるだけのことかもしれない、と思わないでもない。それよりも、QOLについて、科学や技術だけでなく、人文学の観点から、総合的に考えていくこと方が、より意味があるように私としては考えることになる。

平均的な人間の寿命を考えれば、私も生きられて、まあ一〇年ぐらいだろうとは思っている。それで十分かなと感じる。孫が中学生ぐらいになるまでかな。大学生になるのを見届けることは難しいだろう。なるべく長く元気でいたいと思うだけである。

2024年12月20日記

「テレサ・テン生誕70年ベスト アジアの歌姫は何を歌ったのか」2024-12-24

2024年12月24日 當山日出夫

名盤ドキュメント テレサ・テン生誕70年ベスト アジアの歌姫は何を歌ったのか

テレサ・テンのCDは、いくつか持っていて、WalkmanにFLACでコピーしていれてある。

好きか、嫌いかというと、好きな歌手なのだが、その歌を聴くことを好むかどうかといわれると、ちょっと微妙なところがある。番組のなかで、有田芳生が言っていたことだが、テレサ・テンが日本で歌手活動をはじめたころ、一九七〇年代になるが、このころの日本では、アジア人女性に対する蔑視があった。(番組のなかでは、言っていなかったが、そのころ、日本から韓国や台湾に女性をもとめての旅行が公然と行われていた時代でもある。)

テレサ・テンの歌う歌に共感するところは確かにあるのだが、そこに共感する自分自身のうちのなにかに対して、どこかしら違和感を感じるという感覚がある。これは、決して、理想主義的なフェミニズムからではない。フェミニズム的価値観からすると、テレサ・テンが日本で歌った曲はほとんど許しがたいものだろう。そこに描かれた女性像は、かなり旧弊な部分をひきずっている。私は、フェミニズムの価値は認めつつも、同時に、それだけでは人間というものが分からないだろうという気もしている。

テレサ・テンの歌った女性のイメージは、それまでの旧来の演歌などに歌われた女性とは、どこか違っている。それがどのようにその時代を反映したものであったか、これは非常に興味のあるところである。専門家の研究があるだろうか。

ドクターキャピタルの説明を聞くと、なるほどそういうものかと思う。かといって、YouTubeでさらに見てみようとまでは思わないのだけれど。

以前、「映像の世紀バタフライエフェクト」で、テレサ・テンをあつかっていたことがあった。このときに大きく取りあげていたのが、「月亮代表我的心」であった。この曲は、日本における歌謡曲歌手ではない、テレサ・テン、あるいは、鄧麗君といった方がいいだろうか、の別の側面をあらわすものである。おそらく、「アジアの歌姫」ということばは、この曲にこそふさわしいかもしれない。

テレサ・テンの歌った歌を、日本だけではなく、台湾や中国をふくめて、ひろく素直に聞ける時代は、もうちょっと先のことになるのかもしれないと思ってみる。今では、まだ、その時代の雰囲気をあまりにも強く感じさせる歌が多い。

テレサ・テンのCDは持っているが、それよりも、由紀さおりがカバーしたCD『あなたと共に生きてゆく』を聞くことの方が多い。

2024年12月15日記