最深日本研究「ラーメンを知りたい」 ― 2024-12-28
2024年12月28日 當山日出夫
最深日本研究 ラーメンを知りたい
これは面白かった。
私が今住んでいるところの最寄り駅の近辺には、いくつかのラーメン店がある。基本的にどこも行列である。それほどではないが、一種の激戦区に近いかもしれない。近くに二つの大学があるせいかとも思うが。
私の子どものころ、中華そばは大好きだった。ラーメンという言い方は、いつごろから定着したものだろうか。これは、日本語学の問題になる。番組でも言っていたように、チキンラーメンを安藤百福が開発して、普及したことがきっかけであったろうとは思う。
テレビのグルメ番組やバラエティ番組などで、ご当地ラーメンはよく登場する。しかし、なぜ、ご当地ラーメンなのか、ということは、日本の食文化の謎といっていいのだろう。
東京の新宿のラーメン学校はとても興味深い。こんなところがあるということを、まず、始めて知った。しかも、その受講生は外国人がほとんどだという。日本にきてラーメンを習って、国に帰ってラーメン店を開くらしい。ビーガンラーメンとか、ハラルラーメンとかもあるのは、今の世界を考えると、そういうものなのだろうと思う。まあ、こういう立場の人からみれば、豚骨ラーメンなどは、とんでもない食べ物ということになるにちがいないが。
山形のラーメンの歴史で、関東大震災で、東京から人が移住してきて、ラーメン店を始めた、というのは、面白い。おそらく、このような現象は他のことがらについてもあるはずである。関東大震災で、東京が壊滅的な被害をうけて、多くの人たちが全国に散らばることになり、それにともなって、いろんな生活文化というものも、地方に拡散した、このようなことを考えることは、十分に合理的な理由がある。それを実証的に照明するのは、難しいかもしれないが。
番組では言っていなかったが、太平洋戦争のときに、地方に疎開した人たちによって、日本全体として、どのような生活文化の伝播がおこったのか、ということも重要な観点になるにちがいない。
そもそも、ラーメンが日本で食べられるようになったのは、近代になってからの、日本と中国との関係があってのことである。このことについては、近年では、日本における中華料理の歴史という観点から、研究が進んできている分野と、私は認識している。今のいわゆる町中華が、どのような歴史があるのかということになる。
出てきたなかでは、山形の鳥中華は、食べてみたい気がする。(しかし、我が家から山形はちょっと遠い。)
最近食べたご当地ラーメンというと、和歌山に行って、和歌山城の近くで食べた、和歌山ラーメンということになるだろうか。ご当地ラーメンの広がりには、お土産としての普及ということがあったが、たしかに、和歌山に行って、パンダを見て帰るお土産に、和歌山ラーメンであってもおかしくはない。(買って帰ったのだけれど。)
ことばの問題としては、支那そば、という言い方を忌避することが、あったが、今ではどうだろうか。PCの観点から、支那、ということばを使ってはいけない、という主張であった。だが、歴史的には、中国の歴史や文化を総合的にあらわすことばとして、支那、ということばは非常に便利である。
むかし、私が若いころは、ラーメンは安価で手軽な食べ物だったのだが、このごろでは、一〇〇〇円では食べられないものになってしまている。そして、基本は行列しないといけない。これも時代の流れなのだろうが。
どうでもいいことかもしれないが、ケンブリッジ大学では、サバティカルで二年間つかえるというのは、日本の普通の大学では考えられないことかと思う。
2024年12月26日
最深日本研究 ラーメンを知りたい
これは面白かった。
私が今住んでいるところの最寄り駅の近辺には、いくつかのラーメン店がある。基本的にどこも行列である。それほどではないが、一種の激戦区に近いかもしれない。近くに二つの大学があるせいかとも思うが。
私の子どものころ、中華そばは大好きだった。ラーメンという言い方は、いつごろから定着したものだろうか。これは、日本語学の問題になる。番組でも言っていたように、チキンラーメンを安藤百福が開発して、普及したことがきっかけであったろうとは思う。
テレビのグルメ番組やバラエティ番組などで、ご当地ラーメンはよく登場する。しかし、なぜ、ご当地ラーメンなのか、ということは、日本の食文化の謎といっていいのだろう。
東京の新宿のラーメン学校はとても興味深い。こんなところがあるということを、まず、始めて知った。しかも、その受講生は外国人がほとんどだという。日本にきてラーメンを習って、国に帰ってラーメン店を開くらしい。ビーガンラーメンとか、ハラルラーメンとかもあるのは、今の世界を考えると、そういうものなのだろうと思う。まあ、こういう立場の人からみれば、豚骨ラーメンなどは、とんでもない食べ物ということになるにちがいないが。
山形のラーメンの歴史で、関東大震災で、東京から人が移住してきて、ラーメン店を始めた、というのは、面白い。おそらく、このような現象は他のことがらについてもあるはずである。関東大震災で、東京が壊滅的な被害をうけて、多くの人たちが全国に散らばることになり、それにともなって、いろんな生活文化というものも、地方に拡散した、このようなことを考えることは、十分に合理的な理由がある。それを実証的に照明するのは、難しいかもしれないが。
番組では言っていなかったが、太平洋戦争のときに、地方に疎開した人たちによって、日本全体として、どのような生活文化の伝播がおこったのか、ということも重要な観点になるにちがいない。
そもそも、ラーメンが日本で食べられるようになったのは、近代になってからの、日本と中国との関係があってのことである。このことについては、近年では、日本における中華料理の歴史という観点から、研究が進んできている分野と、私は認識している。今のいわゆる町中華が、どのような歴史があるのかということになる。
出てきたなかでは、山形の鳥中華は、食べてみたい気がする。(しかし、我が家から山形はちょっと遠い。)
最近食べたご当地ラーメンというと、和歌山に行って、和歌山城の近くで食べた、和歌山ラーメンということになるだろうか。ご当地ラーメンの広がりには、お土産としての普及ということがあったが、たしかに、和歌山に行って、パンダを見て帰るお土産に、和歌山ラーメンであってもおかしくはない。(買って帰ったのだけれど。)
ことばの問題としては、支那そば、という言い方を忌避することが、あったが、今ではどうだろうか。PCの観点から、支那、ということばを使ってはいけない、という主張であった。だが、歴史的には、中国の歴史や文化を総合的にあらわすことばとして、支那、ということばは非常に便利である。
むかし、私が若いころは、ラーメンは安価で手軽な食べ物だったのだが、このごろでは、一〇〇〇円では食べられないものになってしまている。そして、基本は行列しないといけない。これも時代の流れなのだろうが。
どうでもいいことかもしれないが、ケンブリッジ大学では、サバティカルで二年間つかえるというのは、日本の普通の大学では考えられないことかと思う。
2024年12月26日
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