「カラカサン 私たちに力を」 ― 2024-12-30
2024年12月30日 當山日出夫
ETV特集 カラカサン 私たちに力を
日本のなかにこのようにして暮らしている人がいることを忘れてはならない。(だから、行政や法的制度として、どうしろと声高に叫ぶことではないとは、思うのだけれども。)
見ながら思ったことを書いてみる。
フィリピンから来た女性たちは、八〇年代に日本にやってきたという。ちょうどバブル景気のころのことになる。いったいどんな仕事をしていたのか、はっきりと説明はなかったが、おそらくは飲食店での接客業(かなり穏健な表現であるが)だろうと思う。
そのようなフィリピン女性と結婚する、(日本人の)男性は、いったいどんな人たちだったのだろうか。本当に純粋に愛し合って結婚したという場合もあるだろうが、そうではなかった場合もあるかもしれない。どういう事情で、結婚にいたったのか、これは知りたいところである。(こういう言い方は偏見を助長することになるかもしれないのだが)フィリピン女性と結婚するしか相手がいないような男性だからこそ、その後の生活がうまくいかなかった……はたして、男性の側に視点をおいて、取材してみるとどういうことになるのか。
出入国管理のあり方は、いろいろと問題がある。これも、マスコミ(NHKをふくめて)の報道だと、きわめて悪質で問題がある例か、逆に、日本社会のなかでまともに生きて暮らしている善良な例か、このどちらかに偏っているように感じる。法律の運用にあたって、個別の事例に則して、人道的な配慮がなされるべきと思うだけである。(将来的なことを考えれば、日本が移民を受け入れる社会になろうとするならば、法的な整備は必要であると思うと同時に、その人たちが日本で暮らして、老いて、死んでいく、そして、子どもができることになることまで視野にいれた政策が求められることになる。)
登場してきたなかで男性は、フィリピン人女性の子どもと、それから、カナダにいる弟ぐらいだった。その他、日本にやってきて働くことになったフィリピン人は女性だけではなく、男性もいただろうと推測はしてみるが、その人たちは、どんな仕事をして、今は、どうしているのだろうか。えてして、日本の社会は、困っている女性や子どもには救いの手をさしのべる(この番組でのように、決して十分な支援であるとはいえないとしても)、だが、困っている男性には、きわめて冷淡である。もし想像することが許されるならば、かなり悲惨な生活であったとしてもおかしくないと思うが、はたしてどうなのだろうか。
女性たちはカトリックの信仰をもっている。これに対して、日本のカトリックの教会などは、どう対応しているのかも気になる。日本にも、カトリックの教会はある。その教会の扉をたたくことはないのだろうか。(だからといって、日本のカトリックの教会や信者である人たちの責任ということを、言いたいわけではない。信仰が生きていく支えになっているならば、その面で……信仰に限ってでも……援助することも教会の役割だろうと思ってみることになるということである。)
さらに思うこととしては、日本の現代社会は、地域社会、町内会、PTAというような、中間的な共同体を、否定する方向にむかってきた。これらは、封建的遺制であり個人を束縛するものにすぎないという価値観である。たしかにこのような性格はあったにせよ、これからの日本社会においては、個人と行政・国、という関係だけではなく、地域社会の中間的な共同体の再構築が必要になると思うことにもなるだろう。そのメンバーには、移民の人たちなどもふくむことになる。だが、一度壊してしまったものを、もういちど作ることは難しいかと思うけれど。
2024年12月29日記
ETV特集 カラカサン 私たちに力を
日本のなかにこのようにして暮らしている人がいることを忘れてはならない。(だから、行政や法的制度として、どうしろと声高に叫ぶことではないとは、思うのだけれども。)
見ながら思ったことを書いてみる。
フィリピンから来た女性たちは、八〇年代に日本にやってきたという。ちょうどバブル景気のころのことになる。いったいどんな仕事をしていたのか、はっきりと説明はなかったが、おそらくは飲食店での接客業(かなり穏健な表現であるが)だろうと思う。
そのようなフィリピン女性と結婚する、(日本人の)男性は、いったいどんな人たちだったのだろうか。本当に純粋に愛し合って結婚したという場合もあるだろうが、そうではなかった場合もあるかもしれない。どういう事情で、結婚にいたったのか、これは知りたいところである。(こういう言い方は偏見を助長することになるかもしれないのだが)フィリピン女性と結婚するしか相手がいないような男性だからこそ、その後の生活がうまくいかなかった……はたして、男性の側に視点をおいて、取材してみるとどういうことになるのか。
出入国管理のあり方は、いろいろと問題がある。これも、マスコミ(NHKをふくめて)の報道だと、きわめて悪質で問題がある例か、逆に、日本社会のなかでまともに生きて暮らしている善良な例か、このどちらかに偏っているように感じる。法律の運用にあたって、個別の事例に則して、人道的な配慮がなされるべきと思うだけである。(将来的なことを考えれば、日本が移民を受け入れる社会になろうとするならば、法的な整備は必要であると思うと同時に、その人たちが日本で暮らして、老いて、死んでいく、そして、子どもができることになることまで視野にいれた政策が求められることになる。)
登場してきたなかで男性は、フィリピン人女性の子どもと、それから、カナダにいる弟ぐらいだった。その他、日本にやってきて働くことになったフィリピン人は女性だけではなく、男性もいただろうと推測はしてみるが、その人たちは、どんな仕事をして、今は、どうしているのだろうか。えてして、日本の社会は、困っている女性や子どもには救いの手をさしのべる(この番組でのように、決して十分な支援であるとはいえないとしても)、だが、困っている男性には、きわめて冷淡である。もし想像することが許されるならば、かなり悲惨な生活であったとしてもおかしくないと思うが、はたしてどうなのだろうか。
女性たちはカトリックの信仰をもっている。これに対して、日本のカトリックの教会などは、どう対応しているのかも気になる。日本にも、カトリックの教会はある。その教会の扉をたたくことはないのだろうか。(だからといって、日本のカトリックの教会や信者である人たちの責任ということを、言いたいわけではない。信仰が生きていく支えになっているならば、その面で……信仰に限ってでも……援助することも教会の役割だろうと思ってみることになるということである。)
さらに思うこととしては、日本の現代社会は、地域社会、町内会、PTAというような、中間的な共同体を、否定する方向にむかってきた。これらは、封建的遺制であり個人を束縛するものにすぎないという価値観である。たしかにこのような性格はあったにせよ、これからの日本社会においては、個人と行政・国、という関係だけではなく、地域社会の中間的な共同体の再構築が必要になると思うことにもなるだろう。そのメンバーには、移民の人たちなどもふくむことになる。だが、一度壊してしまったものを、もういちど作ることは難しいかと思うけれど。
2024年12月29日記
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