「大江戸ルネサンスサミット2025」 ― 2025-01-01
2025年1月1日 當山日出夫
大江戸ルネサンスサミット 2025 〜なぜ江戸は世界的な文化都市になったのか?〜
次の大河ドラマ『べらぼう』の宣伝番組、ということでもないが、蔦屋重三郎が活躍した時代、江戸時代の後期、化政期の江戸文化が、どのようなものであり、そして、それはなぜ発展することになったのか、多方面から論じてみた……という趣旨の番組である。
見ていて思うこととしては、論点としても、史実としても、そんなに目新しいことはないなあ、ということである。
私にとって、新知識だったのは、大黒屋光太夫の描いた日本地図。これは興味深い。おそらく、地図の歴史というような研究分野にとっては当たり前のことなのかもしれないが、日本人(日本列島に住んでいる多くの人びとぐらいの意味であるが)が、日本地図の形をどうイメージしてきたかということは、とても面白いことである。
最後に、本郷和人が、コジェーヴのことに言及していたのは、ちょっと意外な感じがした。今では、コジェーヴは、そんなに読まれないと思うのだが、ここは、どういう人であったか、少し説明を入れてあった方がよかったところかもしれない。
天邪鬼な私として、すこし思ったことを書いてみる。
ここでいっていた江戸文化とは、都市としての江戸に限定してのことなのか、それとも、江戸時代のいろんな地方までふくんでのことなのか、このところが少し曖昧になっていた。基本は、江戸という都市の文化であることは理解できるし、それが地方の文化と関連するものであったことも理解できることなのだが、このあたりは、区別して議論をすすめる必要があるかと思う。
身分という概念をどうとらえるか、現在の歴史学では、旧来のような単純な上限関係、支配・被支配という関係だけではなく、社会のなかでの役割分担というような観点から考えることもあるかと思うのだが、はたしてどうだろうか。暗黙の前提として、武士が上で、町人や農民は下、ということであった。(そのような側面があったことは確かであろうが。)
江戸の町は、圧倒的に男性が多かったということを無視していた。町人と武士がほぼ半々とすると、町人については男女は同数となろうが、武士については、特に参勤交代でやってきた武士は男性がほとんどであったにちがいない。これは、よく言われていることである。江戸の町は、男性の町であった。そういう(今風にいえば)ジェンダーバイアスのあるなかでの文化ということも、考えておかなければならない。(このことを抜きにして、吉原を語ることはできないはずである。)
文化として、浮世絵とか歌舞伎とか料理とかを主に考えている。出版においては、読本や黄表紙などが紹介されていた。だが、江戸時代の出版としては、漢籍などと、読本などとは、その制作から出版、流通のシステムが異なっていた、というのが、基本的な出版史の知識だと思っているのだが、はたしてどうだろうか。(ここのところを、『べらぼう』でどう描くことになるかは、興味のあるところである。)
江戸時代の人口構成としては、武士と町人だけではなく、圧倒的多数だったのは、農民を中心とする「百姓」になる。これは、かならずしも、米作の農民だけではない、非農業民として漁業などもあるし、無論、商業も考えることになる。土地に定住する人もいただろうが、流浪の生活を送る人もいたはずである。これらの多くの人びとのことを、どう考えることになるのか、ほとんど触れることはなかった。強いていうならば、「常民」の視点から見たとき、江戸文化とはなんであったか、といういことになる。すこし言及されていたのは、村芝居のことぐらいであった。
江戸時代の江戸の人びとはいったいどんな暮らしをしていたのか。明治になってからのことになるが、貧民窟が多くあったことは知られていることである。これは、江戸の昔にさかのぼるとどうなのか、ということは気になることである。(おそらく、地図を分析することで分かることだろうと思うが、どうなのだろうか。)
江戸時代からのことが明治維新の後もつづいていた、その連続性を考えるのは、このごろの考え方かなと思う。同じように、戦前・戦中のことを、戦後の日本社会との連続性で考える方向もある。そう珍しい考え方ではない。問題は、何が連続していて、何が変わったかということである。おそらく、明治維新によって人びとの生活は大きく変わったが、それが根本的に変わるのは、戦後になって、高度経済成長期のことになる、それまでは、江戸時代に近い生活様式と意識のなかに生きてきた、このような考え方もできるだろう。たとえば、『忘れられた日本人』(宮本常一)の描いた日本の姿である。また、『逝きし世の面影』(渡辺京二)もある。
言うまでもないこだが、江戸時代の化政文化を論じるとき、沖縄と北海道はふくまれていない。いわゆる「鎖国」の時代と見ることもできるが、しかし、中国(清)から多くのものが入ってきていた時代でもある。このあたりの「日本」「日本文化」ということを、どういう範囲で考えるかということも、課題としては残ることになる。
それから、文化の問題とは直接は関係ないかもしれないのだが、なぜ、江戸時幕府が崩壊することになったのか、なぜ明治維新になったのか、ということもある。まさに、この時代の武士のあり方、日本に生活する人びとの意識のあり方、ということを考えなければならないことあろう。
どうでもいいことなのだが、スタジオで質問するとき、私はあまり知らないので教えてほしいのですが……というような言い方があったのだが、これは、学会などで、発表した若い人に、ちょっと意地の悪い質問などするときにつかう。NHKのこういう番組で使ってもかまわないとは思うのだけれど。(私は、見ながら思わず笑ってしまった。)
最後まで見て、慶應義塾大学古文書室、とあったが、いったい何で協力したことになったのだろうか。ここは、確か経済学部の所管で(私の学生のときは)、大学院の古文書学の受業などで、所蔵の古文書など触ったことがある。
買ったまま積んである『将軍の世紀』(山内昌之)を読んでおこうと思う。世の中にあふれている雑多な蔦重本を読むより、勉強になるかと思う。
2024年12月30日記
大江戸ルネサンスサミット 2025 〜なぜ江戸は世界的な文化都市になったのか?〜
次の大河ドラマ『べらぼう』の宣伝番組、ということでもないが、蔦屋重三郎が活躍した時代、江戸時代の後期、化政期の江戸文化が、どのようなものであり、そして、それはなぜ発展することになったのか、多方面から論じてみた……という趣旨の番組である。
見ていて思うこととしては、論点としても、史実としても、そんなに目新しいことはないなあ、ということである。
私にとって、新知識だったのは、大黒屋光太夫の描いた日本地図。これは興味深い。おそらく、地図の歴史というような研究分野にとっては当たり前のことなのかもしれないが、日本人(日本列島に住んでいる多くの人びとぐらいの意味であるが)が、日本地図の形をどうイメージしてきたかということは、とても面白いことである。
最後に、本郷和人が、コジェーヴのことに言及していたのは、ちょっと意外な感じがした。今では、コジェーヴは、そんなに読まれないと思うのだが、ここは、どういう人であったか、少し説明を入れてあった方がよかったところかもしれない。
天邪鬼な私として、すこし思ったことを書いてみる。
ここでいっていた江戸文化とは、都市としての江戸に限定してのことなのか、それとも、江戸時代のいろんな地方までふくんでのことなのか、このところが少し曖昧になっていた。基本は、江戸という都市の文化であることは理解できるし、それが地方の文化と関連するものであったことも理解できることなのだが、このあたりは、区別して議論をすすめる必要があるかと思う。
身分という概念をどうとらえるか、現在の歴史学では、旧来のような単純な上限関係、支配・被支配という関係だけではなく、社会のなかでの役割分担というような観点から考えることもあるかと思うのだが、はたしてどうだろうか。暗黙の前提として、武士が上で、町人や農民は下、ということであった。(そのような側面があったことは確かであろうが。)
江戸の町は、圧倒的に男性が多かったということを無視していた。町人と武士がほぼ半々とすると、町人については男女は同数となろうが、武士については、特に参勤交代でやってきた武士は男性がほとんどであったにちがいない。これは、よく言われていることである。江戸の町は、男性の町であった。そういう(今風にいえば)ジェンダーバイアスのあるなかでの文化ということも、考えておかなければならない。(このことを抜きにして、吉原を語ることはできないはずである。)
文化として、浮世絵とか歌舞伎とか料理とかを主に考えている。出版においては、読本や黄表紙などが紹介されていた。だが、江戸時代の出版としては、漢籍などと、読本などとは、その制作から出版、流通のシステムが異なっていた、というのが、基本的な出版史の知識だと思っているのだが、はたしてどうだろうか。(ここのところを、『べらぼう』でどう描くことになるかは、興味のあるところである。)
江戸時代の人口構成としては、武士と町人だけではなく、圧倒的多数だったのは、農民を中心とする「百姓」になる。これは、かならずしも、米作の農民だけではない、非農業民として漁業などもあるし、無論、商業も考えることになる。土地に定住する人もいただろうが、流浪の生活を送る人もいたはずである。これらの多くの人びとのことを、どう考えることになるのか、ほとんど触れることはなかった。強いていうならば、「常民」の視点から見たとき、江戸文化とはなんであったか、といういことになる。すこし言及されていたのは、村芝居のことぐらいであった。
江戸時代の江戸の人びとはいったいどんな暮らしをしていたのか。明治になってからのことになるが、貧民窟が多くあったことは知られていることである。これは、江戸の昔にさかのぼるとどうなのか、ということは気になることである。(おそらく、地図を分析することで分かることだろうと思うが、どうなのだろうか。)
江戸時代からのことが明治維新の後もつづいていた、その連続性を考えるのは、このごろの考え方かなと思う。同じように、戦前・戦中のことを、戦後の日本社会との連続性で考える方向もある。そう珍しい考え方ではない。問題は、何が連続していて、何が変わったかということである。おそらく、明治維新によって人びとの生活は大きく変わったが、それが根本的に変わるのは、戦後になって、高度経済成長期のことになる、それまでは、江戸時代に近い生活様式と意識のなかに生きてきた、このような考え方もできるだろう。たとえば、『忘れられた日本人』(宮本常一)の描いた日本の姿である。また、『逝きし世の面影』(渡辺京二)もある。
言うまでもないこだが、江戸時代の化政文化を論じるとき、沖縄と北海道はふくまれていない。いわゆる「鎖国」の時代と見ることもできるが、しかし、中国(清)から多くのものが入ってきていた時代でもある。このあたりの「日本」「日本文化」ということを、どういう範囲で考えるかということも、課題としては残ることになる。
それから、文化の問題とは直接は関係ないかもしれないのだが、なぜ、江戸時幕府が崩壊することになったのか、なぜ明治維新になったのか、ということもある。まさに、この時代の武士のあり方、日本に生活する人びとの意識のあり方、ということを考えなければならないことあろう。
どうでもいいことなのだが、スタジオで質問するとき、私はあまり知らないので教えてほしいのですが……というような言い方があったのだが、これは、学会などで、発表した若い人に、ちょっと意地の悪い質問などするときにつかう。NHKのこういう番組で使ってもかまわないとは思うのだけれど。(私は、見ながら思わず笑ってしまった。)
最後まで見て、慶應義塾大学古文書室、とあったが、いったい何で協力したことになったのだろうか。ここは、確か経済学部の所管で(私の学生のときは)、大学院の古文書学の受業などで、所蔵の古文書など触ったことがある。
買ったまま積んである『将軍の世紀』(山内昌之)を読んでおこうと思う。世の中にあふれている雑多な蔦重本を読むより、勉強になるかと思う。
2024年12月30日記
「80億人 人類繁栄の秘密」 ― 2025-01-01
2025年1月1日 當山日出夫
フロンティア 80億人 人類繁栄の秘密
録画してあったものをようやく見た。これは、一月六日に再放送するらしい。
まず、気になったことを書いておく。「フロンティア」のこの回の放送は、二〇二四年八月二二日である。その後、一一月四日に、「フランケンシュタインの誘惑」で「ネズミの“楽園”実験 切り取られた研究成果」を放送している。
なぜ、このことが気になったかというと、ユニバース25の実験の解釈についての疑問である。アメリカでカルフーンの行ったこの実験は有名なものだが、続きがある。数が増え続けたネズミは、滅亡するということは確かなことだろうが、そうであっても、ネズミに役割が与えられると、協力するようになり絶滅にいたらない、ということである。これを、「フランケンシュタインの誘惑」であつかっていた。
さて、NHKのスタッフは、この二つの番組をどう思って作ったことになるのだろうか。
人類がこれからも人口が増え続けるということは、人口学的には、どうなのだろうか。特に歴史人口学の立場からは、むしろ否定的であるように思える。例えば、『人口で語る世界史』(ポール・モーランド、度会圭子訳、文春文庫)を読むと、近代文明の時代になって、生活水準が上がり、女性の教育が普及すると、子どもの数が減る……これは、洋の東西をとわず、どこの国・地域でも見られる現象ということになる。すでに、日本を始めとして韓国などは人口減少の危機にある。ヨーロッパ諸国もそうである。中国も、将来の人口減少が確実である。アメリカは、例外的に移民の増加で、人口は維持できそうであるが、それを除けば基本的には減少傾向である。私には、こちらの考え方の方が、より説得力があるように思える。(だからといって、人口を維持するために、女性の教育が害であるなどと言うつもりはまったくない。)
番組のなかで言っていた、個々のことは興味深いことである。自己家畜化、お互いに仲よくした方が生き残れる、という生存戦略。アフリカを出る前の人類(ホモ・サピエンス)は、弓矢を使っていた。DNAから過去の人口を推定すると、かつて人類は絶滅の危機にあった。だが、火を使うことによって、寒冷な気候を生きのびることができた。それぞれは、興味深いことなのだが、全体をとおして、ではなぜ、ホモ・サピエンスが、これほどまでに地球上にひろがったのか、ということの説明としては、どうだろうかと思うことになる。
自己家畜化はとても興味深い論点である。しかし、人類の歴史は、敵対する人間に対する虐殺の歴史でもあったことも、また事実である。普通の人間が、時として非常に残酷になる。人類の歴史は、非常に残酷である。人間の歴史は、友愛の歴史でもあるだろうが、同時に、大量虐殺の歴史でもある。これは、歴史の常識であろう。
エチオピアの遺跡から見つかった矢じりは、他の遺跡から見つかる石器との比較検討が必要だと思うのだが、番組では、このことについてはまったく触れていなかった。また、その矢じりを作った石は、どこから得たものだったのだろうか。
この番組では言及がなかったが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』は面白い本なのだが、根本的に納得できないところもある。言語、宗教、共同体意識、こういうことの成立について、歴史上あった、というだけで、何故、どういうふうにして、それがおこったのかまったく説明がない。これを、現代の、脳科学や遺伝子の研究から解明することはできるだろうか。
進化ということばを番組のなかで使っていたが、生物学の用語としての進化ということばで説明できるのは、せいぜい旧石器時代から新石器時代ぐらいではないのだろううか。日本でいえば、縄文時代ぐらいまでという印象なのだが。今から数千年前に発生した古代文明について、進化という概念で説明ができるのだろうか。これは、生物学と歴史学にまたがる人類学という分野の本来のテーマかもしれない。
2024年12月31日記
フロンティア 80億人 人類繁栄の秘密
録画してあったものをようやく見た。これは、一月六日に再放送するらしい。
まず、気になったことを書いておく。「フロンティア」のこの回の放送は、二〇二四年八月二二日である。その後、一一月四日に、「フランケンシュタインの誘惑」で「ネズミの“楽園”実験 切り取られた研究成果」を放送している。
なぜ、このことが気になったかというと、ユニバース25の実験の解釈についての疑問である。アメリカでカルフーンの行ったこの実験は有名なものだが、続きがある。数が増え続けたネズミは、滅亡するということは確かなことだろうが、そうであっても、ネズミに役割が与えられると、協力するようになり絶滅にいたらない、ということである。これを、「フランケンシュタインの誘惑」であつかっていた。
さて、NHKのスタッフは、この二つの番組をどう思って作ったことになるのだろうか。
人類がこれからも人口が増え続けるということは、人口学的には、どうなのだろうか。特に歴史人口学の立場からは、むしろ否定的であるように思える。例えば、『人口で語る世界史』(ポール・モーランド、度会圭子訳、文春文庫)を読むと、近代文明の時代になって、生活水準が上がり、女性の教育が普及すると、子どもの数が減る……これは、洋の東西をとわず、どこの国・地域でも見られる現象ということになる。すでに、日本を始めとして韓国などは人口減少の危機にある。ヨーロッパ諸国もそうである。中国も、将来の人口減少が確実である。アメリカは、例外的に移民の増加で、人口は維持できそうであるが、それを除けば基本的には減少傾向である。私には、こちらの考え方の方が、より説得力があるように思える。(だからといって、人口を維持するために、女性の教育が害であるなどと言うつもりはまったくない。)
番組のなかで言っていた、個々のことは興味深いことである。自己家畜化、お互いに仲よくした方が生き残れる、という生存戦略。アフリカを出る前の人類(ホモ・サピエンス)は、弓矢を使っていた。DNAから過去の人口を推定すると、かつて人類は絶滅の危機にあった。だが、火を使うことによって、寒冷な気候を生きのびることができた。それぞれは、興味深いことなのだが、全体をとおして、ではなぜ、ホモ・サピエンスが、これほどまでに地球上にひろがったのか、ということの説明としては、どうだろうかと思うことになる。
自己家畜化はとても興味深い論点である。しかし、人類の歴史は、敵対する人間に対する虐殺の歴史でもあったことも、また事実である。普通の人間が、時として非常に残酷になる。人類の歴史は、非常に残酷である。人間の歴史は、友愛の歴史でもあるだろうが、同時に、大量虐殺の歴史でもある。これは、歴史の常識であろう。
エチオピアの遺跡から見つかった矢じりは、他の遺跡から見つかる石器との比較検討が必要だと思うのだが、番組では、このことについてはまったく触れていなかった。また、その矢じりを作った石は、どこから得たものだったのだろうか。
この番組では言及がなかったが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』は面白い本なのだが、根本的に納得できないところもある。言語、宗教、共同体意識、こういうことの成立について、歴史上あった、というだけで、何故、どういうふうにして、それがおこったのかまったく説明がない。これを、現代の、脳科学や遺伝子の研究から解明することはできるだろうか。
進化ということばを番組のなかで使っていたが、生物学の用語としての進化ということばで説明できるのは、せいぜい旧石器時代から新石器時代ぐらいではないのだろううか。日本でいえば、縄文時代ぐらいまでという印象なのだが。今から数千年前に発生した古代文明について、進化という概念で説明ができるのだろうか。これは、生物学と歴史学にまたがる人類学という分野の本来のテーマかもしれない。
2024年12月31日記
「ドキュメント72時間」年末スペシャル2024 ― 2025-01-01
2025年1月1日 當山日出夫
ドキュメント72時間 年末スペシャル2024視聴者投票
ここ数年、「ドキュメント72時間」は見ている。録画しておいて、二~三日後にゆっくりと見ることがほとんどである。年末には、その年のベストテンが放送なので、これも見ている。
二〇二四の年末スペシャルも、これは、家で留守番と孫の子守をしながら見た。だいたい予想したのは、ランクインしていたという感じだったのだが、予想外だったのが一位である。「国道4号線 ドライブインは眠らない」だった。これも見たことは憶えているのだが、そう強い印象に残る回ではなかった。特に、劇的な人生をあゆんだ人が出てきていたわけではないし、めったに見られないようなことが映っていたということでもない。ごく普通のドライブインと、そこにくるお客さんの話しであった。
だが、これが一位になったというのは、何か象徴的な気がするので、書いてみることにした。
この「ドキュメント72時間」という番組の企画からどうしてもそうなるのだが、ある場所や施設にまつわる人が多く登場することになる。その地域のローカルな人びとの交流が描かれることが多い。たぶん、このことが、この番組が長く続いている理由であり、また、今回の一位がドライブインであった理由なのだろう。
その地域に住む人びとの普段の生活と交流。これこそが、今の日本において、急速に失われつつあることである。そのなかには、家族のつながりもふくまれる。
現在の先端的な(?)価値観からすると、家族とか結婚とかいうものは、個人の自由意志や価値を束縛するものであり、そのようなもの縛られるのは、前近代的な封建制の残滓である……このような発想になる。このように考えることになったのには、それなりの理由があってのことではある。都市部における核家族化の進行の最終的な姿といってもいいかもしれない。個人の自由な意志が尊重されるようになったこと、それ自体は好ましいことだというべきである。これを否定しようとは思わない。
だが、それで何を失うことになるのか、なくなっていくものへの郷愁というべき感情を、人びとがいだくようになっても、おかしくはない。これは、人間のならいというべきもので、別に反動的保守思想として非難されるべきことではないと、私は考えている。時代がかわり、生活様式が変わっていくなかで、自然にいだく気持ちととらえておくべきだろう。
ドライブインの回であるが、登場していたのは、トラックドライバー、地元の消防団、家族、友達……ということになるだろうか。特別に感動的な話しがあったということではない。(強いていえば、母子家庭の母親と娘のエピソードだろうが、こういう言い方は失礼になるかもしれないが、これも、今の時代において、特に珍しいということではない。)
地元の消防団の付き合いなど、今の日本では絶滅危惧といっていいことであるが、一昔前までは普通にあったことである。家族で子どもを連れてやってきて、自分が子どものときに親に連れられてきたときのことを思い出す、これも今では、こんな親子関係は貴重かもしれない。自衛官になって休暇で帰ってきて、両親と食事に行くというのも、当たり前のことのようだが、孤独な都会生活からみると、ほのぼのとしたものを感じるところがあるにちがいない。
一昔前までは、ごく普通に日本中にどこでもあったような人と人との関係、家族の関係が、近年になって劇的に変化してきている。そのなかにあって、ちょっと前まではこんなだったなあ、と懐かしく思い出すのも、また人情というものであろう。
これは、いいとか悪いとかの問題ではなく、社会が変化していっているなかで、人びとが感じていることである、としかいいようがない。年末にテレビを見ながら、今の日本はこういう時代になっているのだなあ、としみじみと感じたということなのである。
感動を見る人に押しつけるところがない。何を感じるかは見る側の想像力にまかされている。これが、この番組の一番いいところであるにちがいない。
2024年12月31日記
ドキュメント72時間 年末スペシャル2024視聴者投票
ここ数年、「ドキュメント72時間」は見ている。録画しておいて、二~三日後にゆっくりと見ることがほとんどである。年末には、その年のベストテンが放送なので、これも見ている。
二〇二四の年末スペシャルも、これは、家で留守番と孫の子守をしながら見た。だいたい予想したのは、ランクインしていたという感じだったのだが、予想外だったのが一位である。「国道4号線 ドライブインは眠らない」だった。これも見たことは憶えているのだが、そう強い印象に残る回ではなかった。特に、劇的な人生をあゆんだ人が出てきていたわけではないし、めったに見られないようなことが映っていたということでもない。ごく普通のドライブインと、そこにくるお客さんの話しであった。
だが、これが一位になったというのは、何か象徴的な気がするので、書いてみることにした。
この「ドキュメント72時間」という番組の企画からどうしてもそうなるのだが、ある場所や施設にまつわる人が多く登場することになる。その地域のローカルな人びとの交流が描かれることが多い。たぶん、このことが、この番組が長く続いている理由であり、また、今回の一位がドライブインであった理由なのだろう。
その地域に住む人びとの普段の生活と交流。これこそが、今の日本において、急速に失われつつあることである。そのなかには、家族のつながりもふくまれる。
現在の先端的な(?)価値観からすると、家族とか結婚とかいうものは、個人の自由意志や価値を束縛するものであり、そのようなもの縛られるのは、前近代的な封建制の残滓である……このような発想になる。このように考えることになったのには、それなりの理由があってのことではある。都市部における核家族化の進行の最終的な姿といってもいいかもしれない。個人の自由な意志が尊重されるようになったこと、それ自体は好ましいことだというべきである。これを否定しようとは思わない。
だが、それで何を失うことになるのか、なくなっていくものへの郷愁というべき感情を、人びとがいだくようになっても、おかしくはない。これは、人間のならいというべきもので、別に反動的保守思想として非難されるべきことではないと、私は考えている。時代がかわり、生活様式が変わっていくなかで、自然にいだく気持ちととらえておくべきだろう。
ドライブインの回であるが、登場していたのは、トラックドライバー、地元の消防団、家族、友達……ということになるだろうか。特別に感動的な話しがあったということではない。(強いていえば、母子家庭の母親と娘のエピソードだろうが、こういう言い方は失礼になるかもしれないが、これも、今の時代において、特に珍しいということではない。)
地元の消防団の付き合いなど、今の日本では絶滅危惧といっていいことであるが、一昔前までは普通にあったことである。家族で子どもを連れてやってきて、自分が子どものときに親に連れられてきたときのことを思い出す、これも今では、こんな親子関係は貴重かもしれない。自衛官になって休暇で帰ってきて、両親と食事に行くというのも、当たり前のことのようだが、孤独な都会生活からみると、ほのぼのとしたものを感じるところがあるにちがいない。
一昔前までは、ごく普通に日本中にどこでもあったような人と人との関係、家族の関係が、近年になって劇的に変化してきている。そのなかにあって、ちょっと前まではこんなだったなあ、と懐かしく思い出すのも、また人情というものであろう。
これは、いいとか悪いとかの問題ではなく、社会が変化していっているなかで、人びとが感じていることである、としかいいようがない。年末にテレビを見ながら、今の日本はこういう時代になっているのだなあ、としみじみと感じたということなのである。
感動を見る人に押しつけるところがない。何を感じるかは見る側の想像力にまかされている。これが、この番組の一番いいところであるにちがいない。
2024年12月31日記
みるラジオ「DJ日本史」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
みるラジオ DJ日本史
これは『べらぼう』の番宣ではないのだが、しかし、あやかりの番組ではあろう。ということを思ってはみるが、なかなか面白かった。毒にも薬にもならない、というよりも、耳かきの十分の一ぐらいの毒をほんのりほんのわずかに感じさせる、というぐらいである。
歴史的なこと、文学史的なことについては、特に目新しいことが語られていたということではない。まあ、常識的な(私の感覚と知識ではということだが)である。強いていえば、松村邦洋が言っていた「粋」ということばかもしれない。江戸の「粋」をどう理解するか、表現するか、というのは、これはかなり難しいことだろう。ドラマを見る人、ラジオを聞く人、その文化的な感性によって大きく評価の分かれるところであろう。
「DJ日本史」を聞くひとは、かなり高齢の人なんだろうと思う。中で言っていた、銀座の山口洋子の店……これは、今の若い人には、絶対にわからないだろう。(私は、知識としては知っているが、無論、そのような店には行ったこともないし、行きたいと思ったこともない。)
蔦重について、どのような角度から見るかはいろいろあるだろうが、やはり最大の謎は、写楽であるにちがいない。「DJ日本史」のなかでも、写楽の名前は出てきていたが、さてその正体はということは、一切言及することがなかった。
私自身の興味は、蔦重やその時代の文化や歴史ということもあるが、むしろ、今の時代に、この時代のことをどう描くか、見るか、ということの方に関心がある。今の時代、かつてのような幕府や政府の規制は、ほとんどない(いや、あるのだという人もいるだろうが)。それよりも、存在するのは、自主規制という形のものである。また、近年では、SNSを舞台にしたキャンセルカルチャーの時代でもある。これも、ある意味では、非常に表現を圧迫するものになっている。
目に見える権力の規制に対抗した表現者ということでは、蔦重は理解しやすいことになるのかと思う。だが、現代の業界の自主規制とキャンセルカルチャーのなかで、人はどう考えて表現していくのかということは、かなり難しいだろう。(おそらく、問題となったジャニーズのことは、ちょうどこの裏返しのところにかかわることだと、私は思っている。)
2024年12月31日記
みるラジオ DJ日本史
これは『べらぼう』の番宣ではないのだが、しかし、あやかりの番組ではあろう。ということを思ってはみるが、なかなか面白かった。毒にも薬にもならない、というよりも、耳かきの十分の一ぐらいの毒をほんのりほんのわずかに感じさせる、というぐらいである。
歴史的なこと、文学史的なことについては、特に目新しいことが語られていたということではない。まあ、常識的な(私の感覚と知識ではということだが)である。強いていえば、松村邦洋が言っていた「粋」ということばかもしれない。江戸の「粋」をどう理解するか、表現するか、というのは、これはかなり難しいことだろう。ドラマを見る人、ラジオを聞く人、その文化的な感性によって大きく評価の分かれるところであろう。
「DJ日本史」を聞くひとは、かなり高齢の人なんだろうと思う。中で言っていた、銀座の山口洋子の店……これは、今の若い人には、絶対にわからないだろう。(私は、知識としては知っているが、無論、そのような店には行ったこともないし、行きたいと思ったこともない。)
蔦重について、どのような角度から見るかはいろいろあるだろうが、やはり最大の謎は、写楽であるにちがいない。「DJ日本史」のなかでも、写楽の名前は出てきていたが、さてその正体はということは、一切言及することがなかった。
私自身の興味は、蔦重やその時代の文化や歴史ということもあるが、むしろ、今の時代に、この時代のことをどう描くか、見るか、ということの方に関心がある。今の時代、かつてのような幕府や政府の規制は、ほとんどない(いや、あるのだという人もいるだろうが)。それよりも、存在するのは、自主規制という形のものである。また、近年では、SNSを舞台にしたキャンセルカルチャーの時代でもある。これも、ある意味では、非常に表現を圧迫するものになっている。
目に見える権力の規制に対抗した表現者ということでは、蔦重は理解しやすいことになるのかと思う。だが、現代の業界の自主規制とキャンセルカルチャーのなかで、人はどう考えて表現していくのかということは、かなり難しいだろう。(おそらく、問題となったジャニーズのことは、ちょうどこの裏返しのところにかかわることだと、私は思っている。)
2024年12月31日記
「オードリー東京ドームライブ 16万人が熱狂した“伝説”の舞台裏!」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
100カメ オードリー東京ドームライブ 16万人が熱狂した“伝説”の舞台裏!
昨年の放送である。録画してあったのをようやく見た。
オールナイトニッポンの音楽を久々に耳にしたかと思う。この音楽を若いときにラジオで聞いた経験のある人は、どれぐらいるだろうか。
ただ、現代の芸能とか漫才とかに、興味のない私としては、今回のこの企画はあまり面白くなかった。ただ、東京ドームというような大規模な会場で行うイベントの舞台裏がどんなになっている、という関心で見ていた。一年以上前から、企画の発案があり、準備していることになる。まあ、会場を押さえるのが一番ということになるだろうから、もっと早くから準備はスタートしていたのだろうが。それでも、当日の本番では、いろいろとハプニングがあったようだ。
この「100カメ」は、これまでの放送はほとんど見てきているつもりだが、一番面白かったのは、一番最初のころの、孤島の青ヶ島のときだったと思う。このような島で、こんな人たちの暮らしがあるのか、ととても面白かったし、また、その人びとの気持ちに共感するところもあった。
また、福島第一原子力発電所や東京の地下鉄の指令所など、「100カメ」のスタイルでなければ取材できない施設についても、面白いと思ってみた。
さて、今年は『べらぼう』の吉原の花魁道中が見られるだろうか。
2025年1月1日記
100カメ オードリー東京ドームライブ 16万人が熱狂した“伝説”の舞台裏!
昨年の放送である。録画してあったのをようやく見た。
オールナイトニッポンの音楽を久々に耳にしたかと思う。この音楽を若いときにラジオで聞いた経験のある人は、どれぐらいるだろうか。
ただ、現代の芸能とか漫才とかに、興味のない私としては、今回のこの企画はあまり面白くなかった。ただ、東京ドームというような大規模な会場で行うイベントの舞台裏がどんなになっている、という関心で見ていた。一年以上前から、企画の発案があり、準備していることになる。まあ、会場を押さえるのが一番ということになるだろうから、もっと早くから準備はスタートしていたのだろうが。それでも、当日の本番では、いろいろとハプニングがあったようだ。
この「100カメ」は、これまでの放送はほとんど見てきているつもりだが、一番面白かったのは、一番最初のころの、孤島の青ヶ島のときだったと思う。このような島で、こんな人たちの暮らしがあるのか、ととても面白かったし、また、その人びとの気持ちに共感するところもあった。
また、福島第一原子力発電所や東京の地下鉄の指令所など、「100カメ」のスタイルでなければ取材できない施設についても、面白いと思ってみた。
さて、今年は『べらぼう』の吉原の花魁道中が見られるだろうか。
2025年1月1日記
「戦後日本の設計者 3人の宰相」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 戦後日本の設計者 3人の宰相
最後まで見ると、協力として、御厨貴の名前があったのだが、戦後政治史としては、こういう描き方もあるのだろうと思って見たことになる。
一つには、戦前からの連続性である。
かつて、「八・一五革命説」ということが言われた時代があった。私などははっきりと記憶している。戦前とは断絶して、戦後から新しい民主国家がスタートしたということを、全面的に押し出した考え方だった。
それが、このごろでは、戦後政治は戦前からのものを大きく引きずっているということを、重視する方向に変わってきた。社会のシステム、行政のあり方など、これらはむしろ戦時中に作られたものである、ということを考えるようになってきた。このなかには、例えば町内会のシステムなどもふくめることもできるだろう(これは、最近ではもう消滅の危機にあるというべき状況になってはいるが。)
戦前からの連続性を象徴するのが、やはり岸信介ということになるだろう。戦時中の商工大臣であり、満洲国にもかかわった。(満洲国が、戦後日本再建のモデル国家であったというのは、よく言われることである。)
二つには、現代にいたるまでの外交、政治、軍事などの問題が、戦後の占領下からの独立の時点にさかのぼって考えなければならないことである、ということ。今、問題になっている政治とカネの問題にしても、これが政治の問題として大きく印象づけられたのは、田中角栄からであった。それ以前にも政治家の汚職事件はあったが、有権者が政治家との関係において、選挙の票と金銭のからんだ関係性の是非が問題になったのは、やはり田中角栄からであったというべきだろう。田中角栄は、政治家への献金、陳情、政策の実現、これをワンセットにした政治家であった。この意味では、別に自民党だけの問題ではなく、他の野党においても、政治資金をどこから得るか(支持者)と政策実現とが結びついているという意味では、同じといっていいことだと、私は思っている。
田中角栄について、立花隆のことは出てきていたが、ロッキード事件のことはなかった。私の世代だと、どうしても田中角栄はロッキード事件の悪いやつ、という印象がある。しかし、これも、現在ではロッキード事件そのものが何であったのか、再検討の時代になってきているということなのだろう。
以上のようなことを思うのであるが、さらに書くならば、戦後政治史を野党、特に社会党と共産党の視点から見るとどのように見えるかということもある。池上彰と佐藤優の『日本左翼史』のシリーズは読んだのだが、「映像の世紀バタフライエフェクト」で作ると、また違ったものになるだろう。(まあ、作り方によっては、日本共産党の逆鱗に触れることがあるかもしれないが、もう凋落野党である、そう気にすることもないだろう。)
ちょっと気になったのは、岸信介が襲撃された事件と、安倍晋三の銃撃事件を並べたこと。これは、その事件の背景や動機が大きく異なるだろう。祖父と孫として並べたということかもしれないが、安倍晋三の事件については、まだ裁判もはじまっていない。
東京の庭園美術館、ここは東京に住んでいたとき何回か行っている。慶應の学部の学生の時は、目黒区目黒に住んでいた。ちなみに、目黒駅は品川区にあり、庭園美術館は港区になる。自然教育園にも何度か行っている。庭園美術館、旧朝香宮邸であるが、ここを公邸として、吉田茂が住んでいたことは、初めて知った。
2024年12月31日記
映像の世紀バタフライエフェクト 戦後日本の設計者 3人の宰相
最後まで見ると、協力として、御厨貴の名前があったのだが、戦後政治史としては、こういう描き方もあるのだろうと思って見たことになる。
一つには、戦前からの連続性である。
かつて、「八・一五革命説」ということが言われた時代があった。私などははっきりと記憶している。戦前とは断絶して、戦後から新しい民主国家がスタートしたということを、全面的に押し出した考え方だった。
それが、このごろでは、戦後政治は戦前からのものを大きく引きずっているということを、重視する方向に変わってきた。社会のシステム、行政のあり方など、これらはむしろ戦時中に作られたものである、ということを考えるようになってきた。このなかには、例えば町内会のシステムなどもふくめることもできるだろう(これは、最近ではもう消滅の危機にあるというべき状況になってはいるが。)
戦前からの連続性を象徴するのが、やはり岸信介ということになるだろう。戦時中の商工大臣であり、満洲国にもかかわった。(満洲国が、戦後日本再建のモデル国家であったというのは、よく言われることである。)
二つには、現代にいたるまでの外交、政治、軍事などの問題が、戦後の占領下からの独立の時点にさかのぼって考えなければならないことである、ということ。今、問題になっている政治とカネの問題にしても、これが政治の問題として大きく印象づけられたのは、田中角栄からであった。それ以前にも政治家の汚職事件はあったが、有権者が政治家との関係において、選挙の票と金銭のからんだ関係性の是非が問題になったのは、やはり田中角栄からであったというべきだろう。田中角栄は、政治家への献金、陳情、政策の実現、これをワンセットにした政治家であった。この意味では、別に自民党だけの問題ではなく、他の野党においても、政治資金をどこから得るか(支持者)と政策実現とが結びついているという意味では、同じといっていいことだと、私は思っている。
田中角栄について、立花隆のことは出てきていたが、ロッキード事件のことはなかった。私の世代だと、どうしても田中角栄はロッキード事件の悪いやつ、という印象がある。しかし、これも、現在ではロッキード事件そのものが何であったのか、再検討の時代になってきているということなのだろう。
以上のようなことを思うのであるが、さらに書くならば、戦後政治史を野党、特に社会党と共産党の視点から見るとどのように見えるかということもある。池上彰と佐藤優の『日本左翼史』のシリーズは読んだのだが、「映像の世紀バタフライエフェクト」で作ると、また違ったものになるだろう。(まあ、作り方によっては、日本共産党の逆鱗に触れることがあるかもしれないが、もう凋落野党である、そう気にすることもないだろう。)
ちょっと気になったのは、岸信介が襲撃された事件と、安倍晋三の銃撃事件を並べたこと。これは、その事件の背景や動機が大きく異なるだろう。祖父と孫として並べたということかもしれないが、安倍晋三の事件については、まだ裁判もはじまっていない。
東京の庭園美術館、ここは東京に住んでいたとき何回か行っている。慶應の学部の学生の時は、目黒区目黒に住んでいた。ちなみに、目黒駅は品川区にあり、庭園美術館は港区になる。自然教育園にも何度か行っている。庭園美術館、旧朝香宮邸であるが、ここを公邸として、吉田茂が住んでいたことは、初めて知った。
2024年12月31日記
未来予測反省会「空飛ぶクルマで自由に移動できる」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
未来予測反省会 「空飛ぶクルマで自由に移動できる」
今年の八月の放送。録画したままHDに残っていたのだが、再放送があるので、それも録画しておいて見た。
「空飛ぶクルマ」というのが、きちんとした名称であるということは知らなかった。「車」ではなく「クルマ」でなければならないらしい。
番組の始まりで、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のことが出てきていた。今の人向けには、こうなのだろう。でも、一〇年ほど前のことになるが、ちょうど、その「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の日のとき、大学の授業の始まりのときに、今日はバック・トゥ・ザ・フューチャーの日ですね、と言ってみたのだが、数十人いた学生は、無反応だった。
私にとって、空飛ぶクルマというと、子どものときに見た、『鉄腕アトム』のTVアニメ版のイメージで考えることになる。このあたりは、世代差というものがあるだろう。
技術的には、もうあまり困難はない、というところまで来ていると言っていいだろうか。課題としては、空のどこを飛ぶことになるの、そのルートの設定や選択、誰がどのようにコントロールすることになるのか、管制の問題、といことになるかと思う。そして、最大の難関は、(日本においては)法的な壁だろう。国土交通省や経済産業省や警察などが、はたしてすんなり製造と運行を許可するだろうか。(番組では、このようなことは言っていなかったけれども。)
ただ、ある程度の重さのものを運ぶことが現実に可能になれば、これは、軍事目的には十分使えるものとして、開発される可能性はある。ロボット兵器、無人ドローン兵器、という時代になったとしても(現実にはすでにそうなっているが)、実際に人間が乗って操縦できる機種は、やはり有った方がいいのかもしれない。
関西万博では、空飛ぶクルマに乗れる……というような触れ込みを、かつて開催する側では言っていたかと記憶するのだが、実際には、デモ飛行ができればいいという程度のことになるらしい。まあ、そもそも、万博にはほとんど興味もないし、まったく行ってみようという気もないのだけれど。
番組のなかでちらっと言っていたことだが、自動車は、人間に自動車を運転する楽しさを与えてくれた。これは、実は重要なポイントかもしれない。近い将来、EVの時代になるとしても、運転していてつまらない自動車には乗りたくない。しかし、その前に、自分で運転することはもう辞めてしまうかもしれないが。
2024年12月29日記
未来予測反省会 「空飛ぶクルマで自由に移動できる」
今年の八月の放送。録画したままHDに残っていたのだが、再放送があるので、それも録画しておいて見た。
「空飛ぶクルマ」というのが、きちんとした名称であるということは知らなかった。「車」ではなく「クルマ」でなければならないらしい。
番組の始まりで、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のことが出てきていた。今の人向けには、こうなのだろう。でも、一〇年ほど前のことになるが、ちょうど、その「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の日のとき、大学の授業の始まりのときに、今日はバック・トゥ・ザ・フューチャーの日ですね、と言ってみたのだが、数十人いた学生は、無反応だった。
私にとって、空飛ぶクルマというと、子どものときに見た、『鉄腕アトム』のTVアニメ版のイメージで考えることになる。このあたりは、世代差というものがあるだろう。
技術的には、もうあまり困難はない、というところまで来ていると言っていいだろうか。課題としては、空のどこを飛ぶことになるの、そのルートの設定や選択、誰がどのようにコントロールすることになるのか、管制の問題、といことになるかと思う。そして、最大の難関は、(日本においては)法的な壁だろう。国土交通省や経済産業省や警察などが、はたしてすんなり製造と運行を許可するだろうか。(番組では、このようなことは言っていなかったけれども。)
ただ、ある程度の重さのものを運ぶことが現実に可能になれば、これは、軍事目的には十分使えるものとして、開発される可能性はある。ロボット兵器、無人ドローン兵器、という時代になったとしても(現実にはすでにそうなっているが)、実際に人間が乗って操縦できる機種は、やはり有った方がいいのかもしれない。
関西万博では、空飛ぶクルマに乗れる……というような触れ込みを、かつて開催する側では言っていたかと記憶するのだが、実際には、デモ飛行ができればいいという程度のことになるらしい。まあ、そもそも、万博にはほとんど興味もないし、まったく行ってみようという気もないのだけれど。
番組のなかでちらっと言っていたことだが、自動車は、人間に自動車を運転する楽しさを与えてくれた。これは、実は重要なポイントかもしれない。近い将来、EVの時代になるとしても、運転していてつまらない自動車には乗りたくない。しかし、その前に、自分で運転することはもう辞めてしまうかもしれないが。
2024年12月29日記
英雄たちの選択「大江戸エンタメ革命 〜実録・蔦屋重三郎〜」 ― 2025-01-03
2025年1月3日 當山日出夫
英雄たちの選択 大江戸エンタメ革命 〜実録・蔦屋重三郎〜
このところ、『べらぼう』の蔦屋重三郎関係の番組が目白押しである。これもそのひとつ。いつものように録画してあったのを見た。
見ながら思ったことを、書いておく。
蔦屋重三郎の仕事は、今でいうサブカルチャー、ポップカルチャー、の分野ということになる。このとき重要なのは、その時代のメインカルチャー、ハイカルチャーが何であったかをきちんとふまえておかないと、その意味が分からないということである。これまで、『べらぼう』関係の番組を見た印象だと、ここのところを指摘している番組は少ないという印象をもつ。
私の知識では、江戸時代の出版を考えるとき、漢籍、仏書、それから、日本の古典文学などの出版を考えておく必要がある。その一方で、近世初期の古活字本も見ておかなければならない。そして、仮名草子、浮世草子、といった読み物が刊行されるようになる。また、各種の実用的な書物も数多くある。これらを総合した江戸時代の出版文化ということの全体像のイメージがないと、蔦屋重三郎のやったことの意味がわからないだろうと思うことになる。
極端なたとえになるかもしれないが、今の日本で、大きな書店や公共図書館に行って、マンガとアイドル写真集だけを見て、それで、今の日本の出版文化を考えることは、どう考えても無理だろう。コンビニで売っている本だけで、今の日本の出版文化を語ることは無理である。同じように、蔦屋重三郎の手がけた、吉原細見とか、黄表紙とか、浮世絵とかで、その時代の(江戸という街に限るとしても)出版文化を語ることは無理である。また、出版文化を考えるときには、文字が読めない人が少なくなかった時代であることも考慮しなければならない。
さて、番組で言っていたことである。
自由ということを言っていた。田沼意次の時代の自由、次の松平定信の時代の不自由、ということであったが、江戸時代に武士や庶民(といって、どのような人びとを考えることになるか、これも大きな問題であるが)が、どういう自由の意識や感覚を持っていたか、ということは改めて考えるべきことのように思える。あまりに、近代的な概念としての自由ということを、持ち込みすぎるのはどうかなと思う。
そうはいっても、寛政の改革によって、社会のいろんな分野で不自由を感じたことは確かだったろう。(番組のなかでは言及がなかったが、寛政異学の禁、ということの実態はどうだったのだろうか。)
時代背景として、番組のなかで言っていたことでは、次のことが重要だろう。一つには、まだロシアやイギリスなどの侵略が東アジアまで及んできていない、比較的安定した東アジアの情勢だったこと。それから、日本国内で、天明の飢饉が起きていたこと。(その他には、近世になってから、この時代になって江戸がどのような位置を、政治や文化においてしめることになったかという、概略の流れがあることになろうが。)
この番組では、蔦屋重三郎の活躍を、松平定信の時代における出版統制とのかかわりで見ていたというところが、特徴的であるといえる。(番組で言っていなかったが)出版統制には、二つの方式がある。一つには、権力側で厳しく取り締まること。もう一つは、出版、作者の側の自主規制、ということ。これは、近代になってからの出版や言論の歴史を語るときに、今までつづく大きな論点である。)
鹿島茂が言っていたことだが、ヨーロッパでは宮廷があり、サロンがあった、だが、日本ではそれがないかわりに、武士と町人とか交わる場面があった。たとえば、狂歌などの会がそれにあたる。
これもたしかにそのとおりだが、江戸時代の身分を超えた文化サークルというべものは、他にもいろいろとあるはずである。たとえば園芸……この場合、朝顔のことを思っているのだが。国学における本居宣長の仕事なども、地域と身分を超えた全国的な共通の研究者意識とでもいうようなものを基盤に考える必要があるだろう。
狂歌については、大田南畝(蜀山人)のことが、出てくることになる。だが、これも、狂歌のことだけを取り出してみても、この時代の文化的背景が分かるとは思えない。狂歌がなりたつには、その前提として、古代以来の日本の和歌の伝統があってのことである。だからこそ、パロディとしてなりたつ。その大きな前提となる、和漢の古典籍の出版と普及という江戸時代の学問や教育(この場合、かなり広く一般的な意味のであるが)をふまえないと、その意味がわからないはずである。パロディが分かるためには、見えないところに、ものすごい教養の蓄積が必要であるというのは、むしろこんなことについて説明するのが野暮というべきだろう。
このような観点から見てなのだが、田中優子が言っていたことは、賛成である。伝統文化の尊重がなければ、サブカルチャーは生まれない、ということを言っていた。(私は、田中優子が政治や時事問題について語ることは、ほとんど反権力のステレオタイプでしかないと思っているのだが、この番組で言ったこのことについては、むしろ、本来の意味での保守主義の発想であると評価することになる。)
同じ趣旨のことを、磯田道史も言っていた。本歌取り、ということばで表現していたが、本歌取りができるためには、何よりもまずもとの歌を知っていなければならない。それが、作り手を受け手で共有されていなければならない。
江戸時代は、こういう意味で、和漢の古典文学や思想の素養が、かなりの多くの人びとにゆきわたっていた時代ということであり、そこを土台として(これは表面には見えていないが)、花開いたのが蔦屋重三郎に代表される江戸の出版文化(その一部)ということになるだろう。
水面下の教養の蓄積ということがあって、この時代の歌舞伎も理解できることになるはずである。
『べらぼう』を見ること、また、蔦屋重三郎について考えることは、その背景にある江戸時代の文化と教養の蓄積について、どれだけ想像力でおぎなえるか、ということがポイントになるかと思う。表面だけ見て、革新的文化プロデューサーと言っても、あまり意味がないと、私は思っている。
それから面白かったのは、歌麿の書いた美人画について。モデルとなった女性の名前を出すか、出さないか、ということ。これは、今でも、アイドル……それがリアルに存在する人であっても、バーチャルな存在であるとしても……アイドルには、名前が必要である、ということにつながる興味深い問題である。(どうせなら、こういうところまで指摘しておいてほしかった。)
また、写楽は何者であったのか。そして、なぜ、写楽の絵は急速に人びとの間から消えていったのか。その評価が高まったのは、海外に流出した浮世絵の研究によってである。これは、これとして、その時代の日本の美意識として、興味深いことになる。あるいは、これは、出版プロデューサーとしては、蔦屋重三郎の失敗として見ることもできる。大衆の求めるものを、見誤っていたことになるからである。
松平定信については、その時代において教養人であったことはたしかだろう。強いていえば、文学の分かる人間であったといってもいいかもしれない。その政策とは別に考えることになる。えてして、政治家については、その政策から人間性を考えがちであるが、これはどうだろうか。(これは近現代の政治家についても同様である。)
反権力ということと、権力をかわしての表現ということは、違う。これは重要なことである。(今の時代、これを混同しがちであるが。)
磯田道史が、無償の遊戯性ということを言っていたが、これは重要なことだろう。端的に言いかえれば、あそび、ということである。そして、権力とあそびの関係を考えることは、人間の歴史と文化を考えることの根本につながるはずである。
『べらぼう』をきっかけに江戸時代の出版文化を考えるという路線では、どうしてもはずれてしまうこと、見えなくなってしまうこととして、書物の輸入ということがある。日本は、多くの書物を中国から輸入している。そして、それをもとに日本で本を作っている。これも、非常に大事な論点である。
最後に余計なことかと思うが、江戸の戯作ということでは、『手鎖心中』(井上ひさし)のことを誰かが言及しているかと思って、いろいろと見ているのだが、今のところ無視されているようだ。もうこの作品を憶えているのは、私ぐらいの世代ぐらいのことになってしまっているのだろうか。この作品の最後の科白は、やはり印象に残る。
さらに追加で書くならば、現代では、頼山陽の出てこない近世文学史は無理だと思うが、どうなのだろうか。歴史家としての磯田道史が、文学として頼山陽をどう考えるか、興味あるところなのだが。
その他、思うことはいろいろあるが、これぐらいにしておきたい。
2025年1月2日記
英雄たちの選択 大江戸エンタメ革命 〜実録・蔦屋重三郎〜
このところ、『べらぼう』の蔦屋重三郎関係の番組が目白押しである。これもそのひとつ。いつものように録画してあったのを見た。
見ながら思ったことを、書いておく。
蔦屋重三郎の仕事は、今でいうサブカルチャー、ポップカルチャー、の分野ということになる。このとき重要なのは、その時代のメインカルチャー、ハイカルチャーが何であったかをきちんとふまえておかないと、その意味が分からないということである。これまで、『べらぼう』関係の番組を見た印象だと、ここのところを指摘している番組は少ないという印象をもつ。
私の知識では、江戸時代の出版を考えるとき、漢籍、仏書、それから、日本の古典文学などの出版を考えておく必要がある。その一方で、近世初期の古活字本も見ておかなければならない。そして、仮名草子、浮世草子、といった読み物が刊行されるようになる。また、各種の実用的な書物も数多くある。これらを総合した江戸時代の出版文化ということの全体像のイメージがないと、蔦屋重三郎のやったことの意味がわからないだろうと思うことになる。
極端なたとえになるかもしれないが、今の日本で、大きな書店や公共図書館に行って、マンガとアイドル写真集だけを見て、それで、今の日本の出版文化を考えることは、どう考えても無理だろう。コンビニで売っている本だけで、今の日本の出版文化を語ることは無理である。同じように、蔦屋重三郎の手がけた、吉原細見とか、黄表紙とか、浮世絵とかで、その時代の(江戸という街に限るとしても)出版文化を語ることは無理である。また、出版文化を考えるときには、文字が読めない人が少なくなかった時代であることも考慮しなければならない。
さて、番組で言っていたことである。
自由ということを言っていた。田沼意次の時代の自由、次の松平定信の時代の不自由、ということであったが、江戸時代に武士や庶民(といって、どのような人びとを考えることになるか、これも大きな問題であるが)が、どういう自由の意識や感覚を持っていたか、ということは改めて考えるべきことのように思える。あまりに、近代的な概念としての自由ということを、持ち込みすぎるのはどうかなと思う。
そうはいっても、寛政の改革によって、社会のいろんな分野で不自由を感じたことは確かだったろう。(番組のなかでは言及がなかったが、寛政異学の禁、ということの実態はどうだったのだろうか。)
時代背景として、番組のなかで言っていたことでは、次のことが重要だろう。一つには、まだロシアやイギリスなどの侵略が東アジアまで及んできていない、比較的安定した東アジアの情勢だったこと。それから、日本国内で、天明の飢饉が起きていたこと。(その他には、近世になってから、この時代になって江戸がどのような位置を、政治や文化においてしめることになったかという、概略の流れがあることになろうが。)
この番組では、蔦屋重三郎の活躍を、松平定信の時代における出版統制とのかかわりで見ていたというところが、特徴的であるといえる。(番組で言っていなかったが)出版統制には、二つの方式がある。一つには、権力側で厳しく取り締まること。もう一つは、出版、作者の側の自主規制、ということ。これは、近代になってからの出版や言論の歴史を語るときに、今までつづく大きな論点である。)
鹿島茂が言っていたことだが、ヨーロッパでは宮廷があり、サロンがあった、だが、日本ではそれがないかわりに、武士と町人とか交わる場面があった。たとえば、狂歌などの会がそれにあたる。
これもたしかにそのとおりだが、江戸時代の身分を超えた文化サークルというべものは、他にもいろいろとあるはずである。たとえば園芸……この場合、朝顔のことを思っているのだが。国学における本居宣長の仕事なども、地域と身分を超えた全国的な共通の研究者意識とでもいうようなものを基盤に考える必要があるだろう。
狂歌については、大田南畝(蜀山人)のことが、出てくることになる。だが、これも、狂歌のことだけを取り出してみても、この時代の文化的背景が分かるとは思えない。狂歌がなりたつには、その前提として、古代以来の日本の和歌の伝統があってのことである。だからこそ、パロディとしてなりたつ。その大きな前提となる、和漢の古典籍の出版と普及という江戸時代の学問や教育(この場合、かなり広く一般的な意味のであるが)をふまえないと、その意味がわからないはずである。パロディが分かるためには、見えないところに、ものすごい教養の蓄積が必要であるというのは、むしろこんなことについて説明するのが野暮というべきだろう。
このような観点から見てなのだが、田中優子が言っていたことは、賛成である。伝統文化の尊重がなければ、サブカルチャーは生まれない、ということを言っていた。(私は、田中優子が政治や時事問題について語ることは、ほとんど反権力のステレオタイプでしかないと思っているのだが、この番組で言ったこのことについては、むしろ、本来の意味での保守主義の発想であると評価することになる。)
同じ趣旨のことを、磯田道史も言っていた。本歌取り、ということばで表現していたが、本歌取りができるためには、何よりもまずもとの歌を知っていなければならない。それが、作り手を受け手で共有されていなければならない。
江戸時代は、こういう意味で、和漢の古典文学や思想の素養が、かなりの多くの人びとにゆきわたっていた時代ということであり、そこを土台として(これは表面には見えていないが)、花開いたのが蔦屋重三郎に代表される江戸の出版文化(その一部)ということになるだろう。
水面下の教養の蓄積ということがあって、この時代の歌舞伎も理解できることになるはずである。
『べらぼう』を見ること、また、蔦屋重三郎について考えることは、その背景にある江戸時代の文化と教養の蓄積について、どれだけ想像力でおぎなえるか、ということがポイントになるかと思う。表面だけ見て、革新的文化プロデューサーと言っても、あまり意味がないと、私は思っている。
それから面白かったのは、歌麿の書いた美人画について。モデルとなった女性の名前を出すか、出さないか、ということ。これは、今でも、アイドル……それがリアルに存在する人であっても、バーチャルな存在であるとしても……アイドルには、名前が必要である、ということにつながる興味深い問題である。(どうせなら、こういうところまで指摘しておいてほしかった。)
また、写楽は何者であったのか。そして、なぜ、写楽の絵は急速に人びとの間から消えていったのか。その評価が高まったのは、海外に流出した浮世絵の研究によってである。これは、これとして、その時代の日本の美意識として、興味深いことになる。あるいは、これは、出版プロデューサーとしては、蔦屋重三郎の失敗として見ることもできる。大衆の求めるものを、見誤っていたことになるからである。
松平定信については、その時代において教養人であったことはたしかだろう。強いていえば、文学の分かる人間であったといってもいいかもしれない。その政策とは別に考えることになる。えてして、政治家については、その政策から人間性を考えがちであるが、これはどうだろうか。(これは近現代の政治家についても同様である。)
反権力ということと、権力をかわしての表現ということは、違う。これは重要なことである。(今の時代、これを混同しがちであるが。)
磯田道史が、無償の遊戯性ということを言っていたが、これは重要なことだろう。端的に言いかえれば、あそび、ということである。そして、権力とあそびの関係を考えることは、人間の歴史と文化を考えることの根本につながるはずである。
『べらぼう』をきっかけに江戸時代の出版文化を考えるという路線では、どうしてもはずれてしまうこと、見えなくなってしまうこととして、書物の輸入ということがある。日本は、多くの書物を中国から輸入している。そして、それをもとに日本で本を作っている。これも、非常に大事な論点である。
最後に余計なことかと思うが、江戸の戯作ということでは、『手鎖心中』(井上ひさし)のことを誰かが言及しているかと思って、いろいろと見ているのだが、今のところ無視されているようだ。もうこの作品を憶えているのは、私ぐらいの世代ぐらいのことになってしまっているのだろうか。この作品の最後の科白は、やはり印象に残る。
さらに追加で書くならば、現代では、頼山陽の出てこない近世文学史は無理だと思うが、どうなのだろうか。歴史家としての磯田道史が、文学として頼山陽をどう考えるか、興味あるところなのだが。
その他、思うことはいろいろあるが、これぐらいにしておきたい。
2025年1月2日記
50ボイス「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜「あなたのべらぼうは?」」 ― 2025-01-03
2025年1月3日 當山日出夫
50ボイス べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜「あなたのべらぼうは?」
このところ、『べらぼう』関係の番組が立て続けにあるので、順番に録画して、見て、思ったことを書いていくのが、ちょっと大変になってきた。
「50ボイス」は、お正月の夕方にある。ここ数年、見てきている。
関係者五〇人による、『べらぼう』関係の短い映像やコメントをまとめて編集したものなのだが、結構おもしろい。
出版関係の考証は、鈴木俊幸さんになるようだ。近世の出版文化史の第一人者であるから、ここのところは信用できることになるだろう。神保町の、江戸時代の古書を専門にあつかう古書店……日本の古典籍に興味のある人なら誰でも知っている……が映っていた。ここの主人は、ちょっと珍しい名字である。
吉原は、実物大のセットを作って、さらに、そこにインカメラVFXの技術をつかって、リアルに再現してみせるようだ。このドラマにおいて、吉原は、一つの見どころになるにちがいない。
ところで、やはり気になることがあり。蔦屋重三郎は、今でいうエンタメの分野において、出版で活躍した。これは、確かにそのとおりだろう。
だが、この背景として、江戸時代の出版文化全体をどうとらえるか、という視点が、見えているかどうか、である。黄表紙などだけが、江戸時代に読まれた本ではない。いわゆる浮世草子という類の出版物があったし、また、漢籍とそれに関連する書物、さらには、仏書が膨大にあったはずである。それぞれに、制作や流通のルートがあった。去年の『光る君へ』の『源氏物語』も江戸時代に板本として刊行されている。江戸時代は、今につづく日本の古典文学作品、その注釈書が、数多く刊行された時代でもあった。(その素地があり、国学という研究があったからこそ、現代の国文学、日本文学の研究がなりたっている。)
一方、板本が広く流通したからといって、写本ということが廃れたということでもない。多くの写本が写され、書かれていた時代でもあった。
そして、その背景には、識字率、リテラシということも考えなければならない。
『べらぼう』自体は、現代におけるドラマとして見ておけばいいのだが、そこで描くことになる、江戸時代の、特に出版文化の全体像ということをどう描くことになるか、これは、私としては少し気になっているところである。
あまり指摘されていないようなのだが、写楽はいったい誰になるのだろうか。これも、非常に気になっている。
2025年1月2日記
50ボイス べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜「あなたのべらぼうは?」
このところ、『べらぼう』関係の番組が立て続けにあるので、順番に録画して、見て、思ったことを書いていくのが、ちょっと大変になってきた。
「50ボイス」は、お正月の夕方にある。ここ数年、見てきている。
関係者五〇人による、『べらぼう』関係の短い映像やコメントをまとめて編集したものなのだが、結構おもしろい。
出版関係の考証は、鈴木俊幸さんになるようだ。近世の出版文化史の第一人者であるから、ここのところは信用できることになるだろう。神保町の、江戸時代の古書を専門にあつかう古書店……日本の古典籍に興味のある人なら誰でも知っている……が映っていた。ここの主人は、ちょっと珍しい名字である。
吉原は、実物大のセットを作って、さらに、そこにインカメラVFXの技術をつかって、リアルに再現してみせるようだ。このドラマにおいて、吉原は、一つの見どころになるにちがいない。
ところで、やはり気になることがあり。蔦屋重三郎は、今でいうエンタメの分野において、出版で活躍した。これは、確かにそのとおりだろう。
だが、この背景として、江戸時代の出版文化全体をどうとらえるか、という視点が、見えているかどうか、である。黄表紙などだけが、江戸時代に読まれた本ではない。いわゆる浮世草子という類の出版物があったし、また、漢籍とそれに関連する書物、さらには、仏書が膨大にあったはずである。それぞれに、制作や流通のルートがあった。去年の『光る君へ』の『源氏物語』も江戸時代に板本として刊行されている。江戸時代は、今につづく日本の古典文学作品、その注釈書が、数多く刊行された時代でもあった。(その素地があり、国学という研究があったからこそ、現代の国文学、日本文学の研究がなりたっている。)
一方、板本が広く流通したからといって、写本ということが廃れたということでもない。多くの写本が写され、書かれていた時代でもあった。
そして、その背景には、識字率、リテラシということも考えなければならない。
『べらぼう』自体は、現代におけるドラマとして見ておけばいいのだが、そこで描くことになる、江戸時代の、特に出版文化の全体像ということをどう描くことになるか、これは、私としては少し気になっているところである。
あまり指摘されていないようなのだが、写楽はいったい誰になるのだろうか。これも、非常に気になっている。
2025年1月2日記
「経済バックヤード」 ― 2025-01-03
2025年1月3日 當山日出夫
経済バックヤード
私は経済のことは関心も知識もない。たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいて見たのだが、結構、面白かった。
出てきていたのは、住友林業とダイワハウス工業。普通、NHKの番組に企業の名前が出ることはないのだが、この番組では、会社名を特定して、その企業戦略について紹介していた。
都市の郊外では、平屋建ての住宅が増えているという。家のなかの導線を考えると、平屋の方が、たしかに合理的である。それだけの敷地があって、庭があって、駐車場は車二台分、これを注文するのは、やはりかなりの収入のある人だろうと思うが、これからの時代の生活様式としては、このような選択肢になるのかと思う。
私の今の家は、三〇年ほど前に建てた家であるが、二階建てである。気を配ったのは、一階の床を頑丈に作ることと、廊下を幅広くすること(一二〇センチを基本として考えた)。要するに、本を置くためである。無論、居住の建物とは別に書庫はある。
日本国内において、建売住宅のコスト削減が大きな課題であるという。これから、国内の住宅需要というパイが減少するなかで、低価格で売って利益を得るためには、コストを下げるしかない。
これから日本国内の人口は減少していく。たぶん、経済力も落ちていく(せいぜいよくて、現状維持というぐらいだろうか。)そのなかで、住宅メーカとしての生き残り戦略ということになる。
ただ、アメリカにはまだ住宅需要の増加が見込める。とはいえ、それは、かつてのような大きな家ではなく、タウンハウスというコンパクトな家である。人口的には、移民の増加などで、減少の心配はないとしても、そう高価格の家が売れる時代ではなくなってきているということなのだろう。
この番組の収録のときには、アメリカの次期大統領がトランプであることが確定していたはずである。口では移民の強制送還ということを言ってはいたが、現実に可能なのは、入国審査の管理強化ということぐらいで、実質的にアメリカに移民が増えること自体は、大きく変わらない、人口減少という危機は当分はない、という見込みがあってのことかと思う。ただ、そのような人たち(ラストベルトの労働者とか、移民労働者などを考えてみるのだが)は、大きな高い家は買えないなので、小さな安い家を提供する。ここにビジネスチャンスを見出している。そのように理解していいだろうか。
この番組では、政治や外交、軍事などの面からは見えない、日本とかアメリカの姿を見ることができるとは思う。
2024年12月31日記
経済バックヤード
私は経済のことは関心も知識もない。たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいて見たのだが、結構、面白かった。
出てきていたのは、住友林業とダイワハウス工業。普通、NHKの番組に企業の名前が出ることはないのだが、この番組では、会社名を特定して、その企業戦略について紹介していた。
都市の郊外では、平屋建ての住宅が増えているという。家のなかの導線を考えると、平屋の方が、たしかに合理的である。それだけの敷地があって、庭があって、駐車場は車二台分、これを注文するのは、やはりかなりの収入のある人だろうと思うが、これからの時代の生活様式としては、このような選択肢になるのかと思う。
私の今の家は、三〇年ほど前に建てた家であるが、二階建てである。気を配ったのは、一階の床を頑丈に作ることと、廊下を幅広くすること(一二〇センチを基本として考えた)。要するに、本を置くためである。無論、居住の建物とは別に書庫はある。
日本国内において、建売住宅のコスト削減が大きな課題であるという。これから、国内の住宅需要というパイが減少するなかで、低価格で売って利益を得るためには、コストを下げるしかない。
これから日本国内の人口は減少していく。たぶん、経済力も落ちていく(せいぜいよくて、現状維持というぐらいだろうか。)そのなかで、住宅メーカとしての生き残り戦略ということになる。
ただ、アメリカにはまだ住宅需要の増加が見込める。とはいえ、それは、かつてのような大きな家ではなく、タウンハウスというコンパクトな家である。人口的には、移民の増加などで、減少の心配はないとしても、そう高価格の家が売れる時代ではなくなってきているということなのだろう。
この番組の収録のときには、アメリカの次期大統領がトランプであることが確定していたはずである。口では移民の強制送還ということを言ってはいたが、現実に可能なのは、入国審査の管理強化ということぐらいで、実質的にアメリカに移民が増えること自体は、大きく変わらない、人口減少という危機は当分はない、という見込みがあってのことかと思う。ただ、そのような人たち(ラストベルトの労働者とか、移民労働者などを考えてみるのだが)は、大きな高い家は買えないなので、小さな安い家を提供する。ここにビジネスチャンスを見出している。そのように理解していいだろうか。
この番組では、政治や外交、軍事などの面からは見えない、日本とかアメリカの姿を見ることができるとは思う。
2024年12月31日記
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