みるラジオ「DJ日本史」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
みるラジオ DJ日本史
これは『べらぼう』の番宣ではないのだが、しかし、あやかりの番組ではあろう。ということを思ってはみるが、なかなか面白かった。毒にも薬にもならない、というよりも、耳かきの十分の一ぐらいの毒をほんのりほんのわずかに感じさせる、というぐらいである。
歴史的なこと、文学史的なことについては、特に目新しいことが語られていたということではない。まあ、常識的な(私の感覚と知識ではということだが)である。強いていえば、松村邦洋が言っていた「粋」ということばかもしれない。江戸の「粋」をどう理解するか、表現するか、というのは、これはかなり難しいことだろう。ドラマを見る人、ラジオを聞く人、その文化的な感性によって大きく評価の分かれるところであろう。
「DJ日本史」を聞くひとは、かなり高齢の人なんだろうと思う。中で言っていた、銀座の山口洋子の店……これは、今の若い人には、絶対にわからないだろう。(私は、知識としては知っているが、無論、そのような店には行ったこともないし、行きたいと思ったこともない。)
蔦重について、どのような角度から見るかはいろいろあるだろうが、やはり最大の謎は、写楽であるにちがいない。「DJ日本史」のなかでも、写楽の名前は出てきていたが、さてその正体はということは、一切言及することがなかった。
私自身の興味は、蔦重やその時代の文化や歴史ということもあるが、むしろ、今の時代に、この時代のことをどう描くか、見るか、ということの方に関心がある。今の時代、かつてのような幕府や政府の規制は、ほとんどない(いや、あるのだという人もいるだろうが)。それよりも、存在するのは、自主規制という形のものである。また、近年では、SNSを舞台にしたキャンセルカルチャーの時代でもある。これも、ある意味では、非常に表現を圧迫するものになっている。
目に見える権力の規制に対抗した表現者ということでは、蔦重は理解しやすいことになるのかと思う。だが、現代の業界の自主規制とキャンセルカルチャーのなかで、人はどう考えて表現していくのかということは、かなり難しいだろう。(おそらく、問題となったジャニーズのことは、ちょうどこの裏返しのところにかかわることだと、私は思っている。)
2024年12月31日記
みるラジオ DJ日本史
これは『べらぼう』の番宣ではないのだが、しかし、あやかりの番組ではあろう。ということを思ってはみるが、なかなか面白かった。毒にも薬にもならない、というよりも、耳かきの十分の一ぐらいの毒をほんのりほんのわずかに感じさせる、というぐらいである。
歴史的なこと、文学史的なことについては、特に目新しいことが語られていたということではない。まあ、常識的な(私の感覚と知識ではということだが)である。強いていえば、松村邦洋が言っていた「粋」ということばかもしれない。江戸の「粋」をどう理解するか、表現するか、というのは、これはかなり難しいことだろう。ドラマを見る人、ラジオを聞く人、その文化的な感性によって大きく評価の分かれるところであろう。
「DJ日本史」を聞くひとは、かなり高齢の人なんだろうと思う。中で言っていた、銀座の山口洋子の店……これは、今の若い人には、絶対にわからないだろう。(私は、知識としては知っているが、無論、そのような店には行ったこともないし、行きたいと思ったこともない。)
蔦重について、どのような角度から見るかはいろいろあるだろうが、やはり最大の謎は、写楽であるにちがいない。「DJ日本史」のなかでも、写楽の名前は出てきていたが、さてその正体はということは、一切言及することがなかった。
私自身の興味は、蔦重やその時代の文化や歴史ということもあるが、むしろ、今の時代に、この時代のことをどう描くか、見るか、ということの方に関心がある。今の時代、かつてのような幕府や政府の規制は、ほとんどない(いや、あるのだという人もいるだろうが)。それよりも、存在するのは、自主規制という形のものである。また、近年では、SNSを舞台にしたキャンセルカルチャーの時代でもある。これも、ある意味では、非常に表現を圧迫するものになっている。
目に見える権力の規制に対抗した表現者ということでは、蔦重は理解しやすいことになるのかと思う。だが、現代の業界の自主規制とキャンセルカルチャーのなかで、人はどう考えて表現していくのかということは、かなり難しいだろう。(おそらく、問題となったジャニーズのことは、ちょうどこの裏返しのところにかかわることだと、私は思っている。)
2024年12月31日記
「オードリー東京ドームライブ 16万人が熱狂した“伝説”の舞台裏!」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
100カメ オードリー東京ドームライブ 16万人が熱狂した“伝説”の舞台裏!
昨年の放送である。録画してあったのをようやく見た。
オールナイトニッポンの音楽を久々に耳にしたかと思う。この音楽を若いときにラジオで聞いた経験のある人は、どれぐらいるだろうか。
ただ、現代の芸能とか漫才とかに、興味のない私としては、今回のこの企画はあまり面白くなかった。ただ、東京ドームというような大規模な会場で行うイベントの舞台裏がどんなになっている、という関心で見ていた。一年以上前から、企画の発案があり、準備していることになる。まあ、会場を押さえるのが一番ということになるだろうから、もっと早くから準備はスタートしていたのだろうが。それでも、当日の本番では、いろいろとハプニングがあったようだ。
この「100カメ」は、これまでの放送はほとんど見てきているつもりだが、一番面白かったのは、一番最初のころの、孤島の青ヶ島のときだったと思う。このような島で、こんな人たちの暮らしがあるのか、ととても面白かったし、また、その人びとの気持ちに共感するところもあった。
また、福島第一原子力発電所や東京の地下鉄の指令所など、「100カメ」のスタイルでなければ取材できない施設についても、面白いと思ってみた。
さて、今年は『べらぼう』の吉原の花魁道中が見られるだろうか。
2025年1月1日記
100カメ オードリー東京ドームライブ 16万人が熱狂した“伝説”の舞台裏!
昨年の放送である。録画してあったのをようやく見た。
オールナイトニッポンの音楽を久々に耳にしたかと思う。この音楽を若いときにラジオで聞いた経験のある人は、どれぐらいるだろうか。
ただ、現代の芸能とか漫才とかに、興味のない私としては、今回のこの企画はあまり面白くなかった。ただ、東京ドームというような大規模な会場で行うイベントの舞台裏がどんなになっている、という関心で見ていた。一年以上前から、企画の発案があり、準備していることになる。まあ、会場を押さえるのが一番ということになるだろうから、もっと早くから準備はスタートしていたのだろうが。それでも、当日の本番では、いろいろとハプニングがあったようだ。
この「100カメ」は、これまでの放送はほとんど見てきているつもりだが、一番面白かったのは、一番最初のころの、孤島の青ヶ島のときだったと思う。このような島で、こんな人たちの暮らしがあるのか、ととても面白かったし、また、その人びとの気持ちに共感するところもあった。
また、福島第一原子力発電所や東京の地下鉄の指令所など、「100カメ」のスタイルでなければ取材できない施設についても、面白いと思ってみた。
さて、今年は『べらぼう』の吉原の花魁道中が見られるだろうか。
2025年1月1日記
「戦後日本の設計者 3人の宰相」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 戦後日本の設計者 3人の宰相
最後まで見ると、協力として、御厨貴の名前があったのだが、戦後政治史としては、こういう描き方もあるのだろうと思って見たことになる。
一つには、戦前からの連続性である。
かつて、「八・一五革命説」ということが言われた時代があった。私などははっきりと記憶している。戦前とは断絶して、戦後から新しい民主国家がスタートしたということを、全面的に押し出した考え方だった。
それが、このごろでは、戦後政治は戦前からのものを大きく引きずっているということを、重視する方向に変わってきた。社会のシステム、行政のあり方など、これらはむしろ戦時中に作られたものである、ということを考えるようになってきた。このなかには、例えば町内会のシステムなどもふくめることもできるだろう(これは、最近ではもう消滅の危機にあるというべき状況になってはいるが。)
戦前からの連続性を象徴するのが、やはり岸信介ということになるだろう。戦時中の商工大臣であり、満洲国にもかかわった。(満洲国が、戦後日本再建のモデル国家であったというのは、よく言われることである。)
二つには、現代にいたるまでの外交、政治、軍事などの問題が、戦後の占領下からの独立の時点にさかのぼって考えなければならないことである、ということ。今、問題になっている政治とカネの問題にしても、これが政治の問題として大きく印象づけられたのは、田中角栄からであった。それ以前にも政治家の汚職事件はあったが、有権者が政治家との関係において、選挙の票と金銭のからんだ関係性の是非が問題になったのは、やはり田中角栄からであったというべきだろう。田中角栄は、政治家への献金、陳情、政策の実現、これをワンセットにした政治家であった。この意味では、別に自民党だけの問題ではなく、他の野党においても、政治資金をどこから得るか(支持者)と政策実現とが結びついているという意味では、同じといっていいことだと、私は思っている。
田中角栄について、立花隆のことは出てきていたが、ロッキード事件のことはなかった。私の世代だと、どうしても田中角栄はロッキード事件の悪いやつ、という印象がある。しかし、これも、現在ではロッキード事件そのものが何であったのか、再検討の時代になってきているということなのだろう。
以上のようなことを思うのであるが、さらに書くならば、戦後政治史を野党、特に社会党と共産党の視点から見るとどのように見えるかということもある。池上彰と佐藤優の『日本左翼史』のシリーズは読んだのだが、「映像の世紀バタフライエフェクト」で作ると、また違ったものになるだろう。(まあ、作り方によっては、日本共産党の逆鱗に触れることがあるかもしれないが、もう凋落野党である、そう気にすることもないだろう。)
ちょっと気になったのは、岸信介が襲撃された事件と、安倍晋三の銃撃事件を並べたこと。これは、その事件の背景や動機が大きく異なるだろう。祖父と孫として並べたということかもしれないが、安倍晋三の事件については、まだ裁判もはじまっていない。
東京の庭園美術館、ここは東京に住んでいたとき何回か行っている。慶應の学部の学生の時は、目黒区目黒に住んでいた。ちなみに、目黒駅は品川区にあり、庭園美術館は港区になる。自然教育園にも何度か行っている。庭園美術館、旧朝香宮邸であるが、ここを公邸として、吉田茂が住んでいたことは、初めて知った。
2024年12月31日記
映像の世紀バタフライエフェクト 戦後日本の設計者 3人の宰相
最後まで見ると、協力として、御厨貴の名前があったのだが、戦後政治史としては、こういう描き方もあるのだろうと思って見たことになる。
一つには、戦前からの連続性である。
かつて、「八・一五革命説」ということが言われた時代があった。私などははっきりと記憶している。戦前とは断絶して、戦後から新しい民主国家がスタートしたということを、全面的に押し出した考え方だった。
それが、このごろでは、戦後政治は戦前からのものを大きく引きずっているということを、重視する方向に変わってきた。社会のシステム、行政のあり方など、これらはむしろ戦時中に作られたものである、ということを考えるようになってきた。このなかには、例えば町内会のシステムなどもふくめることもできるだろう(これは、最近ではもう消滅の危機にあるというべき状況になってはいるが。)
戦前からの連続性を象徴するのが、やはり岸信介ということになるだろう。戦時中の商工大臣であり、満洲国にもかかわった。(満洲国が、戦後日本再建のモデル国家であったというのは、よく言われることである。)
二つには、現代にいたるまでの外交、政治、軍事などの問題が、戦後の占領下からの独立の時点にさかのぼって考えなければならないことである、ということ。今、問題になっている政治とカネの問題にしても、これが政治の問題として大きく印象づけられたのは、田中角栄からであった。それ以前にも政治家の汚職事件はあったが、有権者が政治家との関係において、選挙の票と金銭のからんだ関係性の是非が問題になったのは、やはり田中角栄からであったというべきだろう。田中角栄は、政治家への献金、陳情、政策の実現、これをワンセットにした政治家であった。この意味では、別に自民党だけの問題ではなく、他の野党においても、政治資金をどこから得るか(支持者)と政策実現とが結びついているという意味では、同じといっていいことだと、私は思っている。
田中角栄について、立花隆のことは出てきていたが、ロッキード事件のことはなかった。私の世代だと、どうしても田中角栄はロッキード事件の悪いやつ、という印象がある。しかし、これも、現在ではロッキード事件そのものが何であったのか、再検討の時代になってきているということなのだろう。
以上のようなことを思うのであるが、さらに書くならば、戦後政治史を野党、特に社会党と共産党の視点から見るとどのように見えるかということもある。池上彰と佐藤優の『日本左翼史』のシリーズは読んだのだが、「映像の世紀バタフライエフェクト」で作ると、また違ったものになるだろう。(まあ、作り方によっては、日本共産党の逆鱗に触れることがあるかもしれないが、もう凋落野党である、そう気にすることもないだろう。)
ちょっと気になったのは、岸信介が襲撃された事件と、安倍晋三の銃撃事件を並べたこと。これは、その事件の背景や動機が大きく異なるだろう。祖父と孫として並べたということかもしれないが、安倍晋三の事件については、まだ裁判もはじまっていない。
東京の庭園美術館、ここは東京に住んでいたとき何回か行っている。慶應の学部の学生の時は、目黒区目黒に住んでいた。ちなみに、目黒駅は品川区にあり、庭園美術館は港区になる。自然教育園にも何度か行っている。庭園美術館、旧朝香宮邸であるが、ここを公邸として、吉田茂が住んでいたことは、初めて知った。
2024年12月31日記
未来予測反省会「空飛ぶクルマで自由に移動できる」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
未来予測反省会 「空飛ぶクルマで自由に移動できる」
今年の八月の放送。録画したままHDに残っていたのだが、再放送があるので、それも録画しておいて見た。
「空飛ぶクルマ」というのが、きちんとした名称であるということは知らなかった。「車」ではなく「クルマ」でなければならないらしい。
番組の始まりで、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のことが出てきていた。今の人向けには、こうなのだろう。でも、一〇年ほど前のことになるが、ちょうど、その「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の日のとき、大学の授業の始まりのときに、今日はバック・トゥ・ザ・フューチャーの日ですね、と言ってみたのだが、数十人いた学生は、無反応だった。
私にとって、空飛ぶクルマというと、子どものときに見た、『鉄腕アトム』のTVアニメ版のイメージで考えることになる。このあたりは、世代差というものがあるだろう。
技術的には、もうあまり困難はない、というところまで来ていると言っていいだろうか。課題としては、空のどこを飛ぶことになるの、そのルートの設定や選択、誰がどのようにコントロールすることになるのか、管制の問題、といことになるかと思う。そして、最大の難関は、(日本においては)法的な壁だろう。国土交通省や経済産業省や警察などが、はたしてすんなり製造と運行を許可するだろうか。(番組では、このようなことは言っていなかったけれども。)
ただ、ある程度の重さのものを運ぶことが現実に可能になれば、これは、軍事目的には十分使えるものとして、開発される可能性はある。ロボット兵器、無人ドローン兵器、という時代になったとしても(現実にはすでにそうなっているが)、実際に人間が乗って操縦できる機種は、やはり有った方がいいのかもしれない。
関西万博では、空飛ぶクルマに乗れる……というような触れ込みを、かつて開催する側では言っていたかと記憶するのだが、実際には、デモ飛行ができればいいという程度のことになるらしい。まあ、そもそも、万博にはほとんど興味もないし、まったく行ってみようという気もないのだけれど。
番組のなかでちらっと言っていたことだが、自動車は、人間に自動車を運転する楽しさを与えてくれた。これは、実は重要なポイントかもしれない。近い将来、EVの時代になるとしても、運転していてつまらない自動車には乗りたくない。しかし、その前に、自分で運転することはもう辞めてしまうかもしれないが。
2024年12月29日記
未来予測反省会 「空飛ぶクルマで自由に移動できる」
今年の八月の放送。録画したままHDに残っていたのだが、再放送があるので、それも録画しておいて見た。
「空飛ぶクルマ」というのが、きちんとした名称であるということは知らなかった。「車」ではなく「クルマ」でなければならないらしい。
番組の始まりで、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のことが出てきていた。今の人向けには、こうなのだろう。でも、一〇年ほど前のことになるが、ちょうど、その「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の日のとき、大学の授業の始まりのときに、今日はバック・トゥ・ザ・フューチャーの日ですね、と言ってみたのだが、数十人いた学生は、無反応だった。
私にとって、空飛ぶクルマというと、子どものときに見た、『鉄腕アトム』のTVアニメ版のイメージで考えることになる。このあたりは、世代差というものがあるだろう。
技術的には、もうあまり困難はない、というところまで来ていると言っていいだろうか。課題としては、空のどこを飛ぶことになるの、そのルートの設定や選択、誰がどのようにコントロールすることになるのか、管制の問題、といことになるかと思う。そして、最大の難関は、(日本においては)法的な壁だろう。国土交通省や経済産業省や警察などが、はたしてすんなり製造と運行を許可するだろうか。(番組では、このようなことは言っていなかったけれども。)
ただ、ある程度の重さのものを運ぶことが現実に可能になれば、これは、軍事目的には十分使えるものとして、開発される可能性はある。ロボット兵器、無人ドローン兵器、という時代になったとしても(現実にはすでにそうなっているが)、実際に人間が乗って操縦できる機種は、やはり有った方がいいのかもしれない。
関西万博では、空飛ぶクルマに乗れる……というような触れ込みを、かつて開催する側では言っていたかと記憶するのだが、実際には、デモ飛行ができればいいという程度のことになるらしい。まあ、そもそも、万博にはほとんど興味もないし、まったく行ってみようという気もないのだけれど。
番組のなかでちらっと言っていたことだが、自動車は、人間に自動車を運転する楽しさを与えてくれた。これは、実は重要なポイントかもしれない。近い将来、EVの時代になるとしても、運転していてつまらない自動車には乗りたくない。しかし、その前に、自分で運転することはもう辞めてしまうかもしれないが。
2024年12月29日記
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