「戦後日本の設計者 3人の宰相」 ― 2025-01-02
2025年1月2日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 戦後日本の設計者 3人の宰相
最後まで見ると、協力として、御厨貴の名前があったのだが、戦後政治史としては、こういう描き方もあるのだろうと思って見たことになる。
一つには、戦前からの連続性である。
かつて、「八・一五革命説」ということが言われた時代があった。私などははっきりと記憶している。戦前とは断絶して、戦後から新しい民主国家がスタートしたということを、全面的に押し出した考え方だった。
それが、このごろでは、戦後政治は戦前からのものを大きく引きずっているということを、重視する方向に変わってきた。社会のシステム、行政のあり方など、これらはむしろ戦時中に作られたものである、ということを考えるようになってきた。このなかには、例えば町内会のシステムなどもふくめることもできるだろう(これは、最近ではもう消滅の危機にあるというべき状況になってはいるが。)
戦前からの連続性を象徴するのが、やはり岸信介ということになるだろう。戦時中の商工大臣であり、満洲国にもかかわった。(満洲国が、戦後日本再建のモデル国家であったというのは、よく言われることである。)
二つには、現代にいたるまでの外交、政治、軍事などの問題が、戦後の占領下からの独立の時点にさかのぼって考えなければならないことである、ということ。今、問題になっている政治とカネの問題にしても、これが政治の問題として大きく印象づけられたのは、田中角栄からであった。それ以前にも政治家の汚職事件はあったが、有権者が政治家との関係において、選挙の票と金銭のからんだ関係性の是非が問題になったのは、やはり田中角栄からであったというべきだろう。田中角栄は、政治家への献金、陳情、政策の実現、これをワンセットにした政治家であった。この意味では、別に自民党だけの問題ではなく、他の野党においても、政治資金をどこから得るか(支持者)と政策実現とが結びついているという意味では、同じといっていいことだと、私は思っている。
田中角栄について、立花隆のことは出てきていたが、ロッキード事件のことはなかった。私の世代だと、どうしても田中角栄はロッキード事件の悪いやつ、という印象がある。しかし、これも、現在ではロッキード事件そのものが何であったのか、再検討の時代になってきているということなのだろう。
以上のようなことを思うのであるが、さらに書くならば、戦後政治史を野党、特に社会党と共産党の視点から見るとどのように見えるかということもある。池上彰と佐藤優の『日本左翼史』のシリーズは読んだのだが、「映像の世紀バタフライエフェクト」で作ると、また違ったものになるだろう。(まあ、作り方によっては、日本共産党の逆鱗に触れることがあるかもしれないが、もう凋落野党である、そう気にすることもないだろう。)
ちょっと気になったのは、岸信介が襲撃された事件と、安倍晋三の銃撃事件を並べたこと。これは、その事件の背景や動機が大きく異なるだろう。祖父と孫として並べたということかもしれないが、安倍晋三の事件については、まだ裁判もはじまっていない。
東京の庭園美術館、ここは東京に住んでいたとき何回か行っている。慶應の学部の学生の時は、目黒区目黒に住んでいた。ちなみに、目黒駅は品川区にあり、庭園美術館は港区になる。自然教育園にも何度か行っている。庭園美術館、旧朝香宮邸であるが、ここを公邸として、吉田茂が住んでいたことは、初めて知った。
2024年12月31日記
映像の世紀バタフライエフェクト 戦後日本の設計者 3人の宰相
最後まで見ると、協力として、御厨貴の名前があったのだが、戦後政治史としては、こういう描き方もあるのだろうと思って見たことになる。
一つには、戦前からの連続性である。
かつて、「八・一五革命説」ということが言われた時代があった。私などははっきりと記憶している。戦前とは断絶して、戦後から新しい民主国家がスタートしたということを、全面的に押し出した考え方だった。
それが、このごろでは、戦後政治は戦前からのものを大きく引きずっているということを、重視する方向に変わってきた。社会のシステム、行政のあり方など、これらはむしろ戦時中に作られたものである、ということを考えるようになってきた。このなかには、例えば町内会のシステムなどもふくめることもできるだろう(これは、最近ではもう消滅の危機にあるというべき状況になってはいるが。)
戦前からの連続性を象徴するのが、やはり岸信介ということになるだろう。戦時中の商工大臣であり、満洲国にもかかわった。(満洲国が、戦後日本再建のモデル国家であったというのは、よく言われることである。)
二つには、現代にいたるまでの外交、政治、軍事などの問題が、戦後の占領下からの独立の時点にさかのぼって考えなければならないことである、ということ。今、問題になっている政治とカネの問題にしても、これが政治の問題として大きく印象づけられたのは、田中角栄からであった。それ以前にも政治家の汚職事件はあったが、有権者が政治家との関係において、選挙の票と金銭のからんだ関係性の是非が問題になったのは、やはり田中角栄からであったというべきだろう。田中角栄は、政治家への献金、陳情、政策の実現、これをワンセットにした政治家であった。この意味では、別に自民党だけの問題ではなく、他の野党においても、政治資金をどこから得るか(支持者)と政策実現とが結びついているという意味では、同じといっていいことだと、私は思っている。
田中角栄について、立花隆のことは出てきていたが、ロッキード事件のことはなかった。私の世代だと、どうしても田中角栄はロッキード事件の悪いやつ、という印象がある。しかし、これも、現在ではロッキード事件そのものが何であったのか、再検討の時代になってきているということなのだろう。
以上のようなことを思うのであるが、さらに書くならば、戦後政治史を野党、特に社会党と共産党の視点から見るとどのように見えるかということもある。池上彰と佐藤優の『日本左翼史』のシリーズは読んだのだが、「映像の世紀バタフライエフェクト」で作ると、また違ったものになるだろう。(まあ、作り方によっては、日本共産党の逆鱗に触れることがあるかもしれないが、もう凋落野党である、そう気にすることもないだろう。)
ちょっと気になったのは、岸信介が襲撃された事件と、安倍晋三の銃撃事件を並べたこと。これは、その事件の背景や動機が大きく異なるだろう。祖父と孫として並べたということかもしれないが、安倍晋三の事件については、まだ裁判もはじまっていない。
東京の庭園美術館、ここは東京に住んでいたとき何回か行っている。慶應の学部の学生の時は、目黒区目黒に住んでいた。ちなみに、目黒駅は品川区にあり、庭園美術館は港区になる。自然教育園にも何度か行っている。庭園美術館、旧朝香宮邸であるが、ここを公邸として、吉田茂が住んでいたことは、初めて知った。
2024年12月31日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/01/02/9744098/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。