英雄たちの選択「森羅万象に挑んだ絵師 画狂・葛飾北斎」 ― 2025-01-05
2025年1月5日 當山日出夫
英雄たちの選択 「森羅万象に挑んだ絵師 画狂・葛飾北斎」
再放送である。最初は、二〇二一年九月。
蔦屋重三郎の関係で、江戸時代の後期、江戸の街を中心にした文化にかかわることで再放送になったものだろう。
見ていて一番面白かったのは、磯田道史が『武士の家計簿』の裏話をしたこと。この本は私も読んだ本である。(まあ、若いころの私だったら、こういう本は馬鹿にして読まなかったかもしれないが。年をとってくると、面白そうな本は、読んでみようかという気になる。そして、『武士の家計簿』は、読むに価する。ただ、これをそのまま学術論文に引用するのは、ちょっと難しいかもしれない。)
こんな面白い史料があるんなら、みんなに知らせたい……こういうふうに思う歴史研究者もいていいと思う。たいていの研究者なら、きちんとした論文を書いて、後の世に残るものにしたい、と思うところであるが。
ベロ藍が日本の絵画の歴史にどのような影響があったのか、世界の美術史のなかで、考えてみる必要があることになる。ただ、このことについて、ヤマザキマリの言っていた、西洋はキリスト教文化だからということはどうなのだろうか、とは思う。日本の場合、たしかに自然観ということはあるかもしれないが、青の歴史としては、陶磁器における染付との関連も気になるところである。
おそらく北斎から広重にいたり、その後、明治から現代につづくことになる、日本において「風景」とはなんであるのか、ということが重要なポイントになるにちがいない。「風景」と「名所」とは違うはずである。そこに、芸術家ならではの視点、世界観というものが、どう表現されるかということになるだろう。近代になってからの「風景」というと、私の場合、川瀬巴水、それから、岸田劉生を思うことになる。また、文学史としては、国木田独歩のことになる。(通俗的な理解かとも思っているのだが、不勉強なのである。)
それから、「風景」と「地名」との関係はどうなのだろうか。どの土地か分からない「風景」というのは、どのようにして成立することになったのか。逆に、「名所」を描くようになったことは、どういう経緯によってなのか。これは、人物画(役者絵、美人画)においてモデルの人名を明記するかどうかということとも関係して、総合的に考えるべきことになるだろう。
たとえば、現代でも、アイドルの写真には人名が必要であるが、ヌード写真など人名を必ずしも必要としない(場合によっては無い方がいいかもしれない)ということもある。風景写真は撮影地を特定するべきかどうか、考えることはいろいろとあるだろう。
磯田道史が言っていたが、江戸の後期になると、商品経済が発達してくる。これは芸術を考えるうえでも重要なことである。浮世絵が、商品として流通するようになる、いいかえればパトロンを必要としなくなる、ということが、芸術の受容としてどういう意味があったのか考えることになる。
芸術は世界の見方を変えるものである。これはそうなのだが、これも、江戸時代であるならば、本居宣長が『源氏物語』に「もののあはれ」を読みとったことなどもふくめて、江戸時代の精神というような視点から大胆に考えてみることもできるだろう。
二〇二一年の放送なので、ちょうどコロナ禍の最中である。ようやくワクチンの接種が行きわたり始めたころ、ということになる。この時期、やはり、人間が生きていくために、不要不急のなにかが必要なのである、それが人間の本質なのである、このような考え方が、多くの人びとに共有されていた時期でもあったことになる。はたして、今、この考え方がどれほど継承されてきているのだろうか、とも思う。今の世相としては、ともかく手取りを増やす、ということが耳目をあつめるようになっている。これも大事だが、これだけではないだろうとも思う。
2025年1月4日記
英雄たちの選択 「森羅万象に挑んだ絵師 画狂・葛飾北斎」
再放送である。最初は、二〇二一年九月。
蔦屋重三郎の関係で、江戸時代の後期、江戸の街を中心にした文化にかかわることで再放送になったものだろう。
見ていて一番面白かったのは、磯田道史が『武士の家計簿』の裏話をしたこと。この本は私も読んだ本である。(まあ、若いころの私だったら、こういう本は馬鹿にして読まなかったかもしれないが。年をとってくると、面白そうな本は、読んでみようかという気になる。そして、『武士の家計簿』は、読むに価する。ただ、これをそのまま学術論文に引用するのは、ちょっと難しいかもしれない。)
こんな面白い史料があるんなら、みんなに知らせたい……こういうふうに思う歴史研究者もいていいと思う。たいていの研究者なら、きちんとした論文を書いて、後の世に残るものにしたい、と思うところであるが。
ベロ藍が日本の絵画の歴史にどのような影響があったのか、世界の美術史のなかで、考えてみる必要があることになる。ただ、このことについて、ヤマザキマリの言っていた、西洋はキリスト教文化だからということはどうなのだろうか、とは思う。日本の場合、たしかに自然観ということはあるかもしれないが、青の歴史としては、陶磁器における染付との関連も気になるところである。
おそらく北斎から広重にいたり、その後、明治から現代につづくことになる、日本において「風景」とはなんであるのか、ということが重要なポイントになるにちがいない。「風景」と「名所」とは違うはずである。そこに、芸術家ならではの視点、世界観というものが、どう表現されるかということになるだろう。近代になってからの「風景」というと、私の場合、川瀬巴水、それから、岸田劉生を思うことになる。また、文学史としては、国木田独歩のことになる。(通俗的な理解かとも思っているのだが、不勉強なのである。)
それから、「風景」と「地名」との関係はどうなのだろうか。どの土地か分からない「風景」というのは、どのようにして成立することになったのか。逆に、「名所」を描くようになったことは、どういう経緯によってなのか。これは、人物画(役者絵、美人画)においてモデルの人名を明記するかどうかということとも関係して、総合的に考えるべきことになるだろう。
たとえば、現代でも、アイドルの写真には人名が必要であるが、ヌード写真など人名を必ずしも必要としない(場合によっては無い方がいいかもしれない)ということもある。風景写真は撮影地を特定するべきかどうか、考えることはいろいろとあるだろう。
磯田道史が言っていたが、江戸の後期になると、商品経済が発達してくる。これは芸術を考えるうえでも重要なことである。浮世絵が、商品として流通するようになる、いいかえればパトロンを必要としなくなる、ということが、芸術の受容としてどういう意味があったのか考えることになる。
芸術は世界の見方を変えるものである。これはそうなのだが、これも、江戸時代であるならば、本居宣長が『源氏物語』に「もののあはれ」を読みとったことなどもふくめて、江戸時代の精神というような視点から大胆に考えてみることもできるだろう。
二〇二一年の放送なので、ちょうどコロナ禍の最中である。ようやくワクチンの接種が行きわたり始めたころ、ということになる。この時期、やはり、人間が生きていくために、不要不急のなにかが必要なのである、それが人間の本質なのである、このような考え方が、多くの人びとに共有されていた時期でもあったことになる。はたして、今、この考え方がどれほど継承されてきているのだろうか、とも思う。今の世相としては、ともかく手取りを増やす、ということが耳目をあつめるようになっている。これも大事だが、これだけではないだろうとも思う。
2025年1月4日記
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