偉人の年収「大石内蔵助」 ― 2025-01-07
2025年1月7日 當山日出夫
偉人の年収 How much? 大石内蔵助
もう二〇年以上も前になるだろうか、ある女子大学で教えていたときのことである。日本文学科での講義である。学生は、二~三人だった。なにかの折りに、話しが忠臣蔵のことにおよんで、学生の反応がいまひとつだったので、聞いてみた。すると、そのときに教室にいた学生は、忠臣蔵を知らない、と言った。これには、その時、私は驚愕したものだったが、今となってはもう驚くことではないように感じる。今の学生が、何を知らなくても、もう驚かない。
番組の冒頭で、山崎怜奈と谷原章介の会話で、山崎怜奈が忠臣蔵をよく知らないと言っていたのは、まあ、今の時代なら当然だろうと思う。そういえば、NHKの大河ドラマでも、ここしばらくは忠臣蔵をあつかっていない。ちなみに、私の年代だと、初期の大河ドラマの『赤穂浪士』を憶えている。特にその音楽は印象的である。
忠臣蔵の話しは、日本文学を勉強する場合は、必須である。そのストーリーの概略を知らないと、「四谷怪談」も分からない。数年前、NHKで『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』を放送したときは、いいドラマだなと思って見たものである。脚本・演出は、源孝志だった。
大石内蔵助が赤穂藩の筆頭家老だったときの年収は、一五〇〇石で、それを現在のお金に換算するとき、大石学さんが、五公五民として~~と言っていた。一五〇〇石というのは、それだけの知行地が実際にあってのことなのだろうか。あるいは、藩から支給される給料ということなのだろうか。このあたり、磯田道史の『武士の家計簿』によると、実際には現金でもらうことであったように思うのだが、さて、実際はどうだったのだろうか。赤穂藩では藩札が使われていた。武士の給料にこれは使われることはなかったのだろうか。こういうことも気になる。といって、今から、近世経済史や武士の生活の実態など、勉強してみる気力はないのだけれど。
江戸にいて討ち入りの準備をする大石内蔵助が、どのような費用がかかるか見せてくれていたが、これが面白かった。赤穂から江戸までやってくるのに、今の金額で三〇万程かかったらしい。江戸時代の旅とは、どれぐらいの費用がかかるものだったのだろうか。また、出費のなかに飲料水とあった。江戸にやってきて住まいするとしても、水は買わなければならなかったことになる。長屋住まいで、そこには井戸がある、というのは、時代劇でおなじみの場面なのだが、江戸の飲料水事情はどうだったのだろうか。人口が増えれば、飲料水は必要になる。江戸は、埋め立て地が多いから、地下を掘って井戸から綺麗な水が出るところがばかりではなかっただろう。
討ち入りがあって後、幕府の処分についての意見が真っ二つに分かれたのは、そうだろうと思うが、このことについて論じたのが、丸山眞男の『日本政治思想史研究』である。丸山眞男が、徴兵されて、出征の日までかかって書き上げた論文である。浪士たちをどう処分すべきか。幕府の法にしたがって罰すべきか、武士としての忠義を褒め称えるべきか。この議論は、実は今になっても決着がついていない議論であると、私は思っている。その後、丸山眞男の書いたことを継承してどのような研究があるのだろうか。
また、喧嘩両成敗という法感覚も、現代ではなじみのないものになっている。
2025年1月4日記
偉人の年収 How much? 大石内蔵助
もう二〇年以上も前になるだろうか、ある女子大学で教えていたときのことである。日本文学科での講義である。学生は、二~三人だった。なにかの折りに、話しが忠臣蔵のことにおよんで、学生の反応がいまひとつだったので、聞いてみた。すると、そのときに教室にいた学生は、忠臣蔵を知らない、と言った。これには、その時、私は驚愕したものだったが、今となってはもう驚くことではないように感じる。今の学生が、何を知らなくても、もう驚かない。
番組の冒頭で、山崎怜奈と谷原章介の会話で、山崎怜奈が忠臣蔵をよく知らないと言っていたのは、まあ、今の時代なら当然だろうと思う。そういえば、NHKの大河ドラマでも、ここしばらくは忠臣蔵をあつかっていない。ちなみに、私の年代だと、初期の大河ドラマの『赤穂浪士』を憶えている。特にその音楽は印象的である。
忠臣蔵の話しは、日本文学を勉強する場合は、必須である。そのストーリーの概略を知らないと、「四谷怪談」も分からない。数年前、NHKで『忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段』を放送したときは、いいドラマだなと思って見たものである。脚本・演出は、源孝志だった。
大石内蔵助が赤穂藩の筆頭家老だったときの年収は、一五〇〇石で、それを現在のお金に換算するとき、大石学さんが、五公五民として~~と言っていた。一五〇〇石というのは、それだけの知行地が実際にあってのことなのだろうか。あるいは、藩から支給される給料ということなのだろうか。このあたり、磯田道史の『武士の家計簿』によると、実際には現金でもらうことであったように思うのだが、さて、実際はどうだったのだろうか。赤穂藩では藩札が使われていた。武士の給料にこれは使われることはなかったのだろうか。こういうことも気になる。といって、今から、近世経済史や武士の生活の実態など、勉強してみる気力はないのだけれど。
江戸にいて討ち入りの準備をする大石内蔵助が、どのような費用がかかるか見せてくれていたが、これが面白かった。赤穂から江戸までやってくるのに、今の金額で三〇万程かかったらしい。江戸時代の旅とは、どれぐらいの費用がかかるものだったのだろうか。また、出費のなかに飲料水とあった。江戸にやってきて住まいするとしても、水は買わなければならなかったことになる。長屋住まいで、そこには井戸がある、というのは、時代劇でおなじみの場面なのだが、江戸の飲料水事情はどうだったのだろうか。人口が増えれば、飲料水は必要になる。江戸は、埋め立て地が多いから、地下を掘って井戸から綺麗な水が出るところがばかりではなかっただろう。
討ち入りがあって後、幕府の処分についての意見が真っ二つに分かれたのは、そうだろうと思うが、このことについて論じたのが、丸山眞男の『日本政治思想史研究』である。丸山眞男が、徴兵されて、出征の日までかかって書き上げた論文である。浪士たちをどう処分すべきか。幕府の法にしたがって罰すべきか、武士としての忠義を褒め称えるべきか。この議論は、実は今になっても決着がついていない議論であると、私は思っている。その後、丸山眞男の書いたことを継承してどのような研究があるのだろうか。
また、喧嘩両成敗という法感覚も、現代ではなじみのないものになっている。
2025年1月4日記
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