「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」2025-01-09

2025年1月9日 當山日出夫

NHKスペシャル 「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」

再放送である。最初の放送は、2018年12月16日。

NHKでイゾラド関係の番組をまとめて再放送するので、録画しておいて見た。

イゾラドの人びとについては、いろいろと考えることはあるが、私が、この番組を見て感じたことの一番のことは、人間と言語である。最後の一人となった、アウラと名付けられた男性は、話すことをやめない。自分の話すことばが、相手に理解されるものではないということは、分かっているはずである。彼は、いったい何のために話しているのだろうか。おそらく、自分自身に向けて、自分が何者であり、かつてどんな体験をしてきて、今何を思うことになるのか、それがことばになっている……このような理解でいいだろうか。

最後の二人になって、「文明」のなかにつれてこられた。アウラの場合、三〇年の月日が経過したことになる。なぜ、この男性は、ポルトガル語であれ、他の先住民の言語であれ、かたことであっても憶えて、その言語でコミュニケーションしようとしないのか。(人間と言語のあり方としては、この方が自然である。)

おそらくは、「文明」の言語とは、絶対に拒絶したいなにものかであった、ということを思うのだが、どうなのだろうか。他の言語をかたくなに拒否し、母語で話し続ける、このことの意味を、言語と人間を考える観点からは、深く思ってみることになる。

最後に余計なことかもしれないが、書いておくと……「文明」のなかにつれてこられた最後の二人のイゾラド、その経験したことは、おそらく人間として耐えがたい極限の状況を生きのびてきたのだろう。その表情は、(適切なことばが思いうかばないのでしかたなく使うが)狂気を感じるものであった。当たり前のことだが、イゾラドの人びとを、同じ人間として見ることが、一番もとめられることであろう。

2025年1月8日記

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