英雄たちの選択「筆一本で乗り越えろ!作家・滝沢馬琴の奮闘」 ― 2025-01-14
2025年1月14日 當山日出夫
英雄たちの選択 筆一本で乗り越えろ!作家・滝沢馬琴の奮闘
この時期に馬琴をとりあげるのも、やはり『べらぼう』にあやかってという企画なのかなとは思う。
まず気になったのは、この回のタイトルである。馬琴について、滝沢馬琴というか、曲亭馬琴というか、微妙に立場が別れる。読本の作者ということに焦点をあてれば、曲亭馬琴ということになるはずだが、ここでは、滝沢馬琴といっている。その理由は、番組を見ていて理解できる。
武士である滝沢の家を背負った存在としての馬琴の生き方、ということを考えている。これも、一つの見方だろうと思う。
磯田道史は、子どものときに『八犬伝』を読んだと言っていたが、どの本で読んだのだろうか。今なら、『南総里見八犬伝』は、岩波文庫、新潮日本古典集成などで、新しい校訂本で読むことができる。古典のテキストについては、どの校訂本で読んだのか、明らかにするのが普通であるが(国文学、日本文学の分野としては。)あるいは、板本で読んだということなのだろうか。これは、子どもが読むには難しいと思うけれど、もしそうなら、これはすごい。
現在では、『南総里見八犬伝』をもとに、マンガ版が作られているし、著名なところでは、山田風太郎の『八犬伝』がある。(これは、山田風太郎の伝奇小説というべきで、八犬伝のストーリーと、馬琴の人生とを、交互に描いて、一つの作品にしてある。)
この時代の戯作、黄表紙や読本についての文学史的な概説がまず必要ということになる。蔦屋重三郎の時代であり、それから、少しくだったころまで、になる。
黄表紙が基本的に平仮名表記で、絵と一緒になった文章であったのに対して、読本になると、漢字が増える。そして、総ルビというわけではない。このことについては、日本語学として表記研究の分野として、どの漢字にどう振り仮名があり、無い場合はどうなのか、ということが研究課題になる。これは、これらの作品の読者のリテラシについて考えるこになる。
馬琴については、原稿料で生活できた作家のはじめ、ということで語られることが多い。また、晩年、失明してからは、息子の嫁のお路による口述筆記であったことも、知られていることである。それから、作家として生きていくために、武士の身分から、町人になったことも重要だろう。
馬琴にとって、武士としての滝沢の家を残すことは、意味があったことになる。江戸に居住する武士としては、最下層の身分ではあるが、容易には捨てがたいものだったのだろう。
このあたりのことは、山東京伝をはじめとして、他に生計のたづきをもっていた戯作者などをふくめて、この時代の人びとを総合的に考える必要があることになる。
江戸時代の後期になって登場する豪商や豪農という人びとが何を考えて、どれぐらいの社会的影響力を持っていたのか、これは、興味のあるところである。おそらく、近代へとつながる何かがあるはずである。(ただ、この観点からは、島崎藤村の『夜明け前』の主人公の青山半蔵のような存在も、考えてみたいところである。)
ところで、『南総里見八犬伝』の読者の近代史ということは、どれぐらい研究されているのだろうか。普通の文学史で語ると、江戸時代の読本というなかに位置づけられるのだが、その読書の歴史は、近代にまで及んでいる。読まれ続けている。(調べれば、しかるべき研究論文はあるのだろうと思うけれど、もうリタイアした身としては、調べてみようという気にならないでいる。)
「八犬伝」の物語が、超自然的ななにかにみちびかれた少年たちの友情の物語である……ということは、たしかにそのとおりであろう。私は読んでいないが、『ONE PIECE』などを思えばいいだろうか。(これは、うちの子どもが読み続けているので、全巻あるはずである。)
そういえば、NHKの人形劇の『八犬伝』は、昔、時々見ていたけれど、面白かった。こういうのを、もう一回リメイクしてできないかなと思う。
現在では、『南総里見八犬伝』の自筆稿本が、国立国会図書館のデジタルコレクションで、見ることができる。これは、昔は、学生にこういうものがあると教えたことがある。
どうでもいいことだが、最近、『べらぼう』にあやかって、江戸時代の戯作とか浮世絵についての番組が多い。これはいいとしても、見ていて、『手鎖心中』(井上ひさし)のことに誰も言及していない。私ぐらいの世代だと、江戸時代の戯作者の世界を描いた小説として、学生のときに読んだものであるが。これは、もう読まれない作品になってしまったのだろうか。Amazonを見てみると、文庫本は売っていないらしい。また、『戯作三昧』(芥川龍之介)などは、今の若い人は読むだろうか。
2025年1月10日記
英雄たちの選択 筆一本で乗り越えろ!作家・滝沢馬琴の奮闘
この時期に馬琴をとりあげるのも、やはり『べらぼう』にあやかってという企画なのかなとは思う。
まず気になったのは、この回のタイトルである。馬琴について、滝沢馬琴というか、曲亭馬琴というか、微妙に立場が別れる。読本の作者ということに焦点をあてれば、曲亭馬琴ということになるはずだが、ここでは、滝沢馬琴といっている。その理由は、番組を見ていて理解できる。
武士である滝沢の家を背負った存在としての馬琴の生き方、ということを考えている。これも、一つの見方だろうと思う。
磯田道史は、子どものときに『八犬伝』を読んだと言っていたが、どの本で読んだのだろうか。今なら、『南総里見八犬伝』は、岩波文庫、新潮日本古典集成などで、新しい校訂本で読むことができる。古典のテキストについては、どの校訂本で読んだのか、明らかにするのが普通であるが(国文学、日本文学の分野としては。)あるいは、板本で読んだということなのだろうか。これは、子どもが読むには難しいと思うけれど、もしそうなら、これはすごい。
現在では、『南総里見八犬伝』をもとに、マンガ版が作られているし、著名なところでは、山田風太郎の『八犬伝』がある。(これは、山田風太郎の伝奇小説というべきで、八犬伝のストーリーと、馬琴の人生とを、交互に描いて、一つの作品にしてある。)
この時代の戯作、黄表紙や読本についての文学史的な概説がまず必要ということになる。蔦屋重三郎の時代であり、それから、少しくだったころまで、になる。
黄表紙が基本的に平仮名表記で、絵と一緒になった文章であったのに対して、読本になると、漢字が増える。そして、総ルビというわけではない。このことについては、日本語学として表記研究の分野として、どの漢字にどう振り仮名があり、無い場合はどうなのか、ということが研究課題になる。これは、これらの作品の読者のリテラシについて考えるこになる。
馬琴については、原稿料で生活できた作家のはじめ、ということで語られることが多い。また、晩年、失明してからは、息子の嫁のお路による口述筆記であったことも、知られていることである。それから、作家として生きていくために、武士の身分から、町人になったことも重要だろう。
馬琴にとって、武士としての滝沢の家を残すことは、意味があったことになる。江戸に居住する武士としては、最下層の身分ではあるが、容易には捨てがたいものだったのだろう。
このあたりのことは、山東京伝をはじめとして、他に生計のたづきをもっていた戯作者などをふくめて、この時代の人びとを総合的に考える必要があることになる。
江戸時代の後期になって登場する豪商や豪農という人びとが何を考えて、どれぐらいの社会的影響力を持っていたのか、これは、興味のあるところである。おそらく、近代へとつながる何かがあるはずである。(ただ、この観点からは、島崎藤村の『夜明け前』の主人公の青山半蔵のような存在も、考えてみたいところである。)
ところで、『南総里見八犬伝』の読者の近代史ということは、どれぐらい研究されているのだろうか。普通の文学史で語ると、江戸時代の読本というなかに位置づけられるのだが、その読書の歴史は、近代にまで及んでいる。読まれ続けている。(調べれば、しかるべき研究論文はあるのだろうと思うけれど、もうリタイアした身としては、調べてみようという気にならないでいる。)
「八犬伝」の物語が、超自然的ななにかにみちびかれた少年たちの友情の物語である……ということは、たしかにそのとおりであろう。私は読んでいないが、『ONE PIECE』などを思えばいいだろうか。(これは、うちの子どもが読み続けているので、全巻あるはずである。)
そういえば、NHKの人形劇の『八犬伝』は、昔、時々見ていたけれど、面白かった。こういうのを、もう一回リメイクしてできないかなと思う。
現在では、『南総里見八犬伝』の自筆稿本が、国立国会図書館のデジタルコレクションで、見ることができる。これは、昔は、学生にこういうものがあると教えたことがある。
どうでもいいことだが、最近、『べらぼう』にあやかって、江戸時代の戯作とか浮世絵についての番組が多い。これはいいとしても、見ていて、『手鎖心中』(井上ひさし)のことに誰も言及していない。私ぐらいの世代だと、江戸時代の戯作者の世界を描いた小説として、学生のときに読んだものであるが。これは、もう読まれない作品になってしまったのだろうか。Amazonを見てみると、文庫本は売っていないらしい。また、『戯作三昧』(芥川龍之介)などは、今の若い人は読むだろうか。
2025年1月10日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/01/14/9747090/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。