アナザーストーリーズ「リクルート事件 35年目の真相」 ― 2025-01-15
2025年1月15日 當山日出夫
アナザーストーリーズ リクルート事件 35年目の真相
再放送である。最初は、2023年年7月21日。
大学生ころ、慶應の三田のキャンパスで、ただで分厚い本を配っているということがあった。一九七〇年代の終わりである。それが、リクルートという会社がやっているということは、なんとなく憶えたのだが、いったい何故、無料でそんなものを配っているのか、ほとんど就職というようなことに興味のなかった私には、理解できないことだった。
リクルート事件が起こったとき、大きな事件だったということは記憶にある。未公開株をつかった贈収賄事件という印象だった。だが、はたして、これが本当に犯罪というべきものだったかどうか、ただのマスコミの報道の印象に流されていたところもあったかと感じる。
これが今だったらどうだろうか、いわゆる自民党の裏金問題であるが、犯罪といえるかどうかはグレーな部分が大きいだろうとは思う。マスコミは、検察と政治家はグルだということにしているけれど。SNSなどではきわめて大きな話題になっていることはたしかであり、この流れのなかに世論(しいていえば輿論ではなく)がある、ということになる。
検察の立場としては、リクルート事件の論点の一つは、賄賂性の有無ということが論点になる。いったい具体的に何を見返りに江副浩正は、未公開株を配ったのだろうか。これも今から考えると、リクルートという企業の将来性、ということをめぐってと解釈することもできるのかもしれない。今日的な価値観からすると、将来性のあるベンチャー企業へのかかわり、ということになる。だが、その当時は、このような発想はなかった。
未公開株の譲渡(この当時の認識として)、賄賂性の認識、時効、これらのことを総合的に考えると、まったくの冤罪ということもないだろうが、悪質な贈収賄事件ということも無理がありそうである。
第二電電の構想において、稲盛和夫が、江副浩正を仲間からはずしたというエピソードは興味深い。リクルートという会社が、何をする会社なのか、将来を誰も予見できなかったのかもしれない。
もし、リクルート事件が起こっていなければ、今頃、リクルートはどんな事業を展開することになっていただろうかとも、思ってみることになる。江副浩正は、広告などは虚業であると思っていたようだが、今、インターネットの時代に巨大なビジネスの戦場となっているのは、ネット広告である。その裏で、ユーザのグーグルの検索行為が、商品としてネットのなかで取引されていることになる。
このような事件について、マスコミや世論は重要だが、検察の視点から法的に立件できるかどうか、という観点も考えてみなければならないことになる。検察こそ、合法的であることが、もっとももとめられる。だからといって検察が常に正しいというわけではない。今の時代の世論だと、おおむね検察は、政府と癒着した悪代官みたいなイメージで見られることが多いのだけれど。
2025年1月10日記
アナザーストーリーズ リクルート事件 35年目の真相
再放送である。最初は、2023年年7月21日。
大学生ころ、慶應の三田のキャンパスで、ただで分厚い本を配っているということがあった。一九七〇年代の終わりである。それが、リクルートという会社がやっているということは、なんとなく憶えたのだが、いったい何故、無料でそんなものを配っているのか、ほとんど就職というようなことに興味のなかった私には、理解できないことだった。
リクルート事件が起こったとき、大きな事件だったということは記憶にある。未公開株をつかった贈収賄事件という印象だった。だが、はたして、これが本当に犯罪というべきものだったかどうか、ただのマスコミの報道の印象に流されていたところもあったかと感じる。
これが今だったらどうだろうか、いわゆる自民党の裏金問題であるが、犯罪といえるかどうかはグレーな部分が大きいだろうとは思う。マスコミは、検察と政治家はグルだということにしているけれど。SNSなどではきわめて大きな話題になっていることはたしかであり、この流れのなかに世論(しいていえば輿論ではなく)がある、ということになる。
検察の立場としては、リクルート事件の論点の一つは、賄賂性の有無ということが論点になる。いったい具体的に何を見返りに江副浩正は、未公開株を配ったのだろうか。これも今から考えると、リクルートという企業の将来性、ということをめぐってと解釈することもできるのかもしれない。今日的な価値観からすると、将来性のあるベンチャー企業へのかかわり、ということになる。だが、その当時は、このような発想はなかった。
未公開株の譲渡(この当時の認識として)、賄賂性の認識、時効、これらのことを総合的に考えると、まったくの冤罪ということもないだろうが、悪質な贈収賄事件ということも無理がありそうである。
第二電電の構想において、稲盛和夫が、江副浩正を仲間からはずしたというエピソードは興味深い。リクルートという会社が、何をする会社なのか、将来を誰も予見できなかったのかもしれない。
もし、リクルート事件が起こっていなければ、今頃、リクルートはどんな事業を展開することになっていただろうかとも、思ってみることになる。江副浩正は、広告などは虚業であると思っていたようだが、今、インターネットの時代に巨大なビジネスの戦場となっているのは、ネット広告である。その裏で、ユーザのグーグルの検索行為が、商品としてネットのなかで取引されていることになる。
このような事件について、マスコミや世論は重要だが、検察の視点から法的に立件できるかどうか、という観点も考えてみなければならないことになる。検察こそ、合法的であることが、もっとももとめられる。だからといって検察が常に正しいというわけではない。今の時代の世論だと、おおむね検察は、政府と癒着した悪代官みたいなイメージで見られることが多いのだけれど。
2025年1月10日記
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