フランケンシュタインの誘惑「幻の惑星 ヴァルカン」2025-01-23

2025年1月23日 當山日出夫

フランケンシュタインの誘惑 幻の惑星 ヴァルカン

これは面白かった。おそらく、天文学史、物理学史、こういう分野の知識のある人にとっては、当たり前のことかとも思う。

見ていて思うことの一つとして、この番組では「仮説」「パラダイム」ということばを、きちんと使っている。これらのことばは、今では一般的に広く使われることばであるが、しかし、科学(サイエンス)の用語としては、厳格に使用する必要がある。「パラダイム」ということばについては、『科学革命の構造』(トマス・クーン)の翻訳本を若いときに読んだ。今は、新しい訳本が出ているが、改めて読みなおしてみようという元気もないままでいる。

科学の歴史をたどると、何が真理であるかということもあるが、一方で、その歴史は、どの理論が観察された事象をもっとも合理的に説明できるか、ということでの「パラダイム」の変革の歴史であるといってよい。この意味では、かつての地動説も、その当時の知見としては合理的だったということになる。一般に、地動説は過去の迷妄としりぞけられがちであるが、どのような観測データを、どのように説明できるのか、という観点から見るべきだということである。

以前、読んだ本では、『ビッグバン宇宙論』(サイモン・シン、青木薫訳)が面白かった。今では、『宇宙創成』のタイトルで文庫本で出ている。

ニュートン力学で説明できることの範囲はどこまでか。説明できない事象があるとしたら、それは、新しいどのような理論で合理的に説明できるのか。このような「パラダイム」の変革があ、科学の歴史であったと、理解していいだろう。

また、天文学についてもそうだが、新しい技術の開発によって、それまで観測できなかったことがらが、観測可能になり、理論の正しさが証明される、あるいは、されない、ということもある。

サイエンスとはどういうものなのか。自然の真実、それを人間の認識として理解するためのいとなみであり方法論の確立と考えることができる。だが、それは、観測や実験のデータの信頼性の評価と、それを合理的に、また、エレガントに説明する理論を考えること、発見すること、ともいえるかもしれない。

番組の始めのところで、アメリカの天文台で一五〇年前の望遠鏡が残っていて、その時代の天文学者が見たであろう天体の姿を今も見ることができる、というのは、科学史という観点からみて、価値のあることだと考える。

どうでもいいことだが、人名の「ルヴェリエ」は、「ル・ヴェリエ」でもいいかなと思うけれど、これは細かなことである。

2025年1月17日記

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