BS世界のドキュメンタリー「メイド イン エチオピア “一帯一路”最前線の4年間」2025-01-24

2025年1月24日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「メイド イン エチオピア “一帯一路”最前線の4年間」

二〇二四年、アメリカ、イギリス、カナダ、エチオピアの制作。

COVID-19パンデミックのとき、エチオピアと中国とのつながりが強いということは、かなりマスコミでも言われていたことであるが、その実態について具体的に報じられることはなかったと思う。

エチオピアで中国資本が作った東方工業団地で働いているのは、若い女性が多い。給料も多くはもらっていない。ノルマを達成しろと言われる。こういうのを、一般には、搾取というのだが……女工哀史を思い浮かべるのだが……しかし、こういう現実について、いわゆるリベラルのメディアは、(少なくとも日本では)ほとんど触れてこなかったというのが、私の感じるところである。

国際的に資本は、より安く効率的な労働力を求める。このなかにあって、中国資本はエチオピアをはじめ、アフリカに進出していることになる。制度的に植民地にしないだけで、ことの本質は帝国主義と言っていいだろうと、私は思うが、歴史学者たち、中国の専門家は、どう見ることになるのだろうか。(こんなことを書くとおこられそうだが、もしかつての植民地だったら、現地の治安や法制度、教育や医療などについても、本国は責任をなにがしか負うことになる。しかし、工業団地を作って金儲けをするだけで、根本的に現地の人びとの生活が向上するだろうか。現地に近代的な産業が根づくのだろうか。国家としての独立は守られるということはある。国家としての独立はきわめて重要である。植民地といってもいろんな形態があったはずだし、また、だからといってそれを肯定するわけではないのであるが。)

どうも見ていると(この番組で描いたかぎりということになるが)、中国の資本家は金儲けのことしか考えていない。現地の労働者に対しては、働けと言う。働けば暮らしが良くなると言う。工場で働かせるだけで、その生活が向上するような各種のインフラ……病院であったり学校であったり……を作ろうとしている様子はない。公園に寄付して、市の行政の歓心を買うことはあるが。

エチオピアの子どもが中国語を勉強するという。見方によっては、こういうことは植民地主義である。(どの言語を学ぶかは自由ではあるのだが。)

ビルや道路を作ったのは中国企業であったという。つまりは、末端の建設労働者としてエチオピアの人たちが働いて(場合によっては、他国からの出稼ぎ外国人だったのかもしれないが)、しかし、建設工事の儲けはほとんど中国が持って行ったと理解していいだろうと思うのだが、どうなのだろうか。都市の近代化工事で、現地の人びとの生活が、どれだけ豊かになったか、ここのところが最も重要なことのはずである。(こういう工事は、基本的に地元の建設業者と労働者にも利益があるようにするべきというのが、理想的にすぎると批判されるかもしれないが、そうあるべき姿と私は思う。)

番組の中では言っていなかったが、ここにきて中国経済の失速ということもあるのだろう。エチオピアへの投資は、現在、どれほど継続的におこなわれているのだろうか。

これも、今後、エチオピアが経済的に豊かになり賃金が向上すると、さらに安い賃金をもとめて、他の地域に進出することになるのが、おそらくはこれからの展開ということになるのだろう。まあ、それまで、中国の発展が続けばということになるが。

ドバイやシンガポールのように豊かにと言っていたのだが……これらの地域は、ごく一部の金持ち支配階級と監視下にある一般市民、そして、多くの外国人労働者でなりたっていると思うのだが、このようになりたいと思っているとしたら、どこか問題があるように感じる。

一帯一路というが、その地域の人びとに経済的発展をもたらすとしても、それで、人びとの生活がどうなるかは、それぞれの国の責任であり、中国政府としては関与しない、無関心である、(まあ、反中国の暴動がおこれば別かもしれないが)、ということでいいのだろうか。現在の国民国家を単位とした、国際的な経済としては、そうなるのだろう。

とりあえず、村の人びとの祈りの木が残ったのは、いいことだと思う。

2025年1月19日記

『坂の上の雲』「(19)旅順総攻撃(前編)」2025-01-24

2025年1月24日 當山日出夫

『坂の上の雲』 (19)旅順総攻撃(前編)

この時代の軍事についての基本としては、要塞攻略のセオリーはどんなものだったのだろうか。ドラマで描かれた範囲では、ロシア軍の用意周到さと、日本軍の無謀さ、ということでしかないのだが。軍事史的に見て、日露戦争のときの旅順要塞とは、世界のなかでどの程度のものだったのか。そして、それを、日本軍は知っていたのか。ロシアを仮想敵国として準備をしてきたはずの日本陸軍は、事前に旅順要塞について、どれほどのことを知っていたのか、あるいは、知らなかったのか、このあたりのことが気になる。

日露戦争の目的は、いったい何だったのだろうか。政治的、経済的には、日本の朝鮮半島、満州における権益の確保ということは確かだろうと思うのだが、そのために、旅順要塞の攻撃の意味は何だったのか。

秋山真之は、この段階で、二〇三高地の意味をとらえている。戦略の目的として、旅順艦隊を陸から攻撃するための観測地点の確保ということであり、それは、日本と大陸との兵站を確保するためである。これは、きわめて合理的な判断だと思うのだが、これを、陸軍と海軍とで共有できていなかった、と理解していいのだろうか。

日本の陸軍と海軍の仲の悪さは、昭和になってから特に問題視されることではあるが、それは、すでにこの時代から始まっていた、と理解していいかかもしれない。

ともあれ、戦争の最終目的、そのための戦略と作戦という、軍事的に基本的なことが、どうやら日露戦争ではおろそかにされていた、このようなことになる。その大きな前提としてのインテリジェンスがなければならないが、これについてはどうだったのか。史料が残っていないので、もう分からないことなのか、それとも、日本軍は、この時代からインテリジェンス軽視であったのか。

ドラマとしては迫力ある映像で描いているのだが、日露戦争における旅順攻撃の意味が、今ひとつ理解できない。あるいは、当時の日本軍も、第三軍の乃木希典も、意味が分かっていなかったのかもしれない。

旅順が近代であった、というのはドラマのなかで語られることだが、それよりも、インテリジェンスの欠如こそが、日本の前近代性としてとらえた方がいいように思える回であった。仮想敵国が、それほどの大規模な要塞構築の工事をおこなっていて、それがどんなものか予測し損ねたということが、最大の問題であろう。機関銃の威力についても、それを事前に知っていなかったとしたら、そのこと自体が、致命的なミスであったというべきである。敵の軍事的な能力をどう見積もるかが、狭義の軍事、戦争の基本である。その背後には、政治的判断ということもあるが。

機関銃が本格的に使用された戦いなのかとは思うが、機関銃の開発は決してロシア軍の軍事機密ということではなかったはずである。たしか、秋山好古も機関銃の訓練をしていた。

見ていて、作戦や戦術の合理性よりも、とにかく精神力で頑張れ、という雰囲気がただよってくるというのは、ちょっと冷淡な見方にすぎるだろうか。(その後、この回で描かれたような失敗は、太平洋戦争において各所で繰り返されたことになるのだが。)

乃木希典の人格について、司馬遼太郎『坂の上の雲』では語ってあったと思い出すのだが、どのような人物であったとしても、死んでいった兵士にとって、戦死は戦死である。

どうでもいいことだが、兵隊さんたちが飯盒で御飯を食べていたシーンがあったが、飯盒というものの実物を知っているのは、もう若い人ではあまりいないかもしれない。

2025年1月23日記

3か月でマスターする江戸時代「(3)本当は“鎖国”してなかったってホント?」2025-01-24

2025年1月24日 當山日出夫

3か月でマスターする江戸時代 (3)本当は“鎖国”してなかったってホント?

学生のころのことをいろいろと思い出す回であった。

私が慶應の文学部の国文で勉強して、慶應のなかで本当に先生と呼びたいのは、(無論、福澤先生というのを別にしてであるが)、恩師の太田次男先生と、高瀬弘一郎先生、だけである。

高瀬先生のキリシタン史の講義は、学部から大学にかけて、三年間、出席した。『キリシタン時代の研究』が刊行になったころだった。室町時代末期から江戸時代初期にかけての、近世の東アジアの交易史と、イエズス会を中心として宗教と貿易、宗教の教団をささえる経済的基盤ということについて、多く学ぶことになった。そのころの受業のノートは、今でも書庫のなかに持っている。

イエズス会の史料によって、ポルトガルなどは日本を軍事的に占領する意図があった、というのは確かなことだったろう。(だが、それが、中南米などのように簡単にはいかなかったということになる。結果的に、イエズス会は日本から撤退することになる。)

朝鮮との関係で、国書が偽造された件をあきらかにしたのは、田代和生さんだが、私が朝鮮語を勉強したこともあって、見知っていた。(その当時、国文の学生で朝鮮語を勉強しようというのは、例外、いや異端であった。なんで日本語、日本文学を勉強するのに朝鮮語を勉強するのか、と言われて当然であった時代だった。この感覚は、今の若い人にはもう分からないだろう。朝鮮語を勉強したのは、三田のキャンパスにあった慶應義塾外国語学校である。学部の普通の受業で朝鮮語は科目になかった。)

ところで、「鎖国」である。番組の中では言及がなかったが、このことば広く知られるようになった契機の一つは、和辻哲郎の『鎖国』だろう。この本は、学生のときに読んだ本である。(それから、『風土』も読んだ本である。今から思い返すと、古いところのある本かと思うが、自然環境がその土地に生活する人びとの感覚や文化にどう影響するかということは、やはり考えるべき価値のあることである。)

江戸時代は、「鎖国」をしていなかった、というのは、今では普通の考え方だと私は思っている。「鎖国」というとことばがきつくなるが、やわらかく言いかえるならば、厳格に管理された対外交易、とでもいうことができるだろうか。

番組でも言っていたように、オランダ以外にも、中国、朝鮮、琉球(言うまでもなく、この時代、沖縄の地域は琉球王国として独立国であった)、それから、蝦夷地のアイヌの人びと、これらとの交易があったことは、常識的に考えてわかることである。問題は、その規模や、具体的な交易の品々、管理体制、これらがどうであったか、ということである。それから、その商品が、日本国内でどう流通したかということもある。

一般に「鎖国」というと、国を閉ざして、オランダとだけ出島を介しての交易があったというイメージが強い。しかし、中国と交易があったことは、当たり前すぎることだからなのかもしれないが、あまり語られることがない。

たまたま、というか、まさにNHKの意図としては、『べらぼう』の時代として江戸時代についての番組であるのだが、江戸時代には、中国から多くの書物が輸入されている。そして、それをもとに、日本国内でも出版がなされている。いわゆる和刻本という類になる。こういうことを無視して、蔦屋重三郎を、江戸の出版文化におけるメディア王といういうのは、どうかなと思う。(たしかに、蔦重のした仕事は価値のあることではあったが。)

日本史研究のなかでも対外交易史というのは、特殊な分野になるかもしれない。史料の特殊性がある。イエズス会のことを調べるには、中世のポルトガル語、スペイン語、ラテン語、の文書史料を調べなければならないし、オランダとの関係においてはオランダ語の史料になるし、中国との関係においては中国語、漢文の史料になる。日本史の研究として、通常の日本の古文書が読めるだけではなく、これらの外国語の古い史料を解読し分析できることが求められる。これは、普通に日本史の勉強をしようという学生からすると、かなりハードルが高い研究領域ということになる。

日本語学の分野において、中世のキリシタン文献の研究は、実に細緻な研究が積み重ねられてきているが、これは、ラテン語、ポルトガル語、スペイン語、などに通じた、優秀な研究者の努力によるものである。(その数は、きわめて少ないのであるが。)

番組のなかでは言っていなかったことだが、オランダ東インド会社は、1799年になくなっている。これをふまえて、オランダとの交易はどのようなものであったか、ということを考えなくてはならない。これと併行して、イギリスは、インドを植民地にし、そして、アヘン戦争があったことになる。これまでの期間、東アジアは、例外的に平穏な時代であったということになるのかもしれない。

「鎖国」というと、江戸幕府の宗教政策と切り離して考えることはできない。この観点からは、宗教政策としては、国を閉ざしていた、という側面が強く意識されることになるかもしれない。

これも明治以降の近代日本の宗教のあり方とも関係してくる。このことについては、近年になって大きく研究のすすんだ分野ということになる。(やはり、昭和の時代の終わり、昭和天皇の崩御ということがあって、近代の神道をふくめて宗教全般を冷静に考えることができるようになったという印象がある。これは、私の世代としては、そう感じるということなのだが。)

最後に、江戸時代というものを考えるとき、もっとも重要なことの一つは、この時代はまだ近代的な国民国家の時代ではない、ということである。近代的な外交や、国家間の貿易の概念で、この時代のことを考えることは無理がある。外交や交易についても、幕府と藩という関係をぬきにしては語ることはできない。ここのところが、もっとも考慮しなければならないところであるにちがいない。(それが、無理矢理に国民国家であることを強いられたのが、幕末からの「開国」ということになるはずである。)

2025年1月23日記