3か月でマスターする江戸時代「(3)本当は“鎖国”してなかったってホント?」 ― 2025-01-24
2025年1月24日 當山日出夫
3か月でマスターする江戸時代 (3)本当は“鎖国”してなかったってホント?
学生のころのことをいろいろと思い出す回であった。
私が慶應の文学部の国文で勉強して、慶應のなかで本当に先生と呼びたいのは、(無論、福澤先生というのを別にしてであるが)、恩師の太田次男先生と、高瀬弘一郎先生、だけである。
高瀬先生のキリシタン史の講義は、学部から大学にかけて、三年間、出席した。『キリシタン時代の研究』が刊行になったころだった。室町時代末期から江戸時代初期にかけての、近世の東アジアの交易史と、イエズス会を中心として宗教と貿易、宗教の教団をささえる経済的基盤ということについて、多く学ぶことになった。そのころの受業のノートは、今でも書庫のなかに持っている。
イエズス会の史料によって、ポルトガルなどは日本を軍事的に占領する意図があった、というのは確かなことだったろう。(だが、それが、中南米などのように簡単にはいかなかったということになる。結果的に、イエズス会は日本から撤退することになる。)
朝鮮との関係で、国書が偽造された件をあきらかにしたのは、田代和生さんだが、私が朝鮮語を勉強したこともあって、見知っていた。(その当時、国文の学生で朝鮮語を勉強しようというのは、例外、いや異端であった。なんで日本語、日本文学を勉強するのに朝鮮語を勉強するのか、と言われて当然であった時代だった。この感覚は、今の若い人にはもう分からないだろう。朝鮮語を勉強したのは、三田のキャンパスにあった慶應義塾外国語学校である。学部の普通の受業で朝鮮語は科目になかった。)
ところで、「鎖国」である。番組の中では言及がなかったが、このことば広く知られるようになった契機の一つは、和辻哲郎の『鎖国』だろう。この本は、学生のときに読んだ本である。(それから、『風土』も読んだ本である。今から思い返すと、古いところのある本かと思うが、自然環境がその土地に生活する人びとの感覚や文化にどう影響するかということは、やはり考えるべき価値のあることである。)
江戸時代は、「鎖国」をしていなかった、というのは、今では普通の考え方だと私は思っている。「鎖国」というとことばがきつくなるが、やわらかく言いかえるならば、厳格に管理された対外交易、とでもいうことができるだろうか。
番組でも言っていたように、オランダ以外にも、中国、朝鮮、琉球(言うまでもなく、この時代、沖縄の地域は琉球王国として独立国であった)、それから、蝦夷地のアイヌの人びと、これらとの交易があったことは、常識的に考えてわかることである。問題は、その規模や、具体的な交易の品々、管理体制、これらがどうであったか、ということである。それから、その商品が、日本国内でどう流通したかということもある。
一般に「鎖国」というと、国を閉ざして、オランダとだけ出島を介しての交易があったというイメージが強い。しかし、中国と交易があったことは、当たり前すぎることだからなのかもしれないが、あまり語られることがない。
たまたま、というか、まさにNHKの意図としては、『べらぼう』の時代として江戸時代についての番組であるのだが、江戸時代には、中国から多くの書物が輸入されている。そして、それをもとに、日本国内でも出版がなされている。いわゆる和刻本という類になる。こういうことを無視して、蔦屋重三郎を、江戸の出版文化におけるメディア王といういうのは、どうかなと思う。(たしかに、蔦重のした仕事は価値のあることではあったが。)
日本史研究のなかでも対外交易史というのは、特殊な分野になるかもしれない。史料の特殊性がある。イエズス会のことを調べるには、中世のポルトガル語、スペイン語、ラテン語、の文書史料を調べなければならないし、オランダとの関係においてはオランダ語の史料になるし、中国との関係においては中国語、漢文の史料になる。日本史の研究として、通常の日本の古文書が読めるだけではなく、これらの外国語の古い史料を解読し分析できることが求められる。これは、普通に日本史の勉強をしようという学生からすると、かなりハードルが高い研究領域ということになる。
日本語学の分野において、中世のキリシタン文献の研究は、実に細緻な研究が積み重ねられてきているが、これは、ラテン語、ポルトガル語、スペイン語、などに通じた、優秀な研究者の努力によるものである。(その数は、きわめて少ないのであるが。)
番組のなかでは言っていなかったことだが、オランダ東インド会社は、1799年になくなっている。これをふまえて、オランダとの交易はどのようなものであったか、ということを考えなくてはならない。これと併行して、イギリスは、インドを植民地にし、そして、アヘン戦争があったことになる。これまでの期間、東アジアは、例外的に平穏な時代であったということになるのかもしれない。
「鎖国」というと、江戸幕府の宗教政策と切り離して考えることはできない。この観点からは、宗教政策としては、国を閉ざしていた、という側面が強く意識されることになるかもしれない。
これも明治以降の近代日本の宗教のあり方とも関係してくる。このことについては、近年になって大きく研究のすすんだ分野ということになる。(やはり、昭和の時代の終わり、昭和天皇の崩御ということがあって、近代の神道をふくめて宗教全般を冷静に考えることができるようになったという印象がある。これは、私の世代としては、そう感じるということなのだが。)
最後に、江戸時代というものを考えるとき、もっとも重要なことの一つは、この時代はまだ近代的な国民国家の時代ではない、ということである。近代的な外交や、国家間の貿易の概念で、この時代のことを考えることは無理がある。外交や交易についても、幕府と藩という関係をぬきにしては語ることはできない。ここのところが、もっとも考慮しなければならないところであるにちがいない。(それが、無理矢理に国民国家であることを強いられたのが、幕末からの「開国」ということになるはずである。)
2025年1月23日記
3か月でマスターする江戸時代 (3)本当は“鎖国”してなかったってホント?
学生のころのことをいろいろと思い出す回であった。
私が慶應の文学部の国文で勉強して、慶應のなかで本当に先生と呼びたいのは、(無論、福澤先生というのを別にしてであるが)、恩師の太田次男先生と、高瀬弘一郎先生、だけである。
高瀬先生のキリシタン史の講義は、学部から大学にかけて、三年間、出席した。『キリシタン時代の研究』が刊行になったころだった。室町時代末期から江戸時代初期にかけての、近世の東アジアの交易史と、イエズス会を中心として宗教と貿易、宗教の教団をささえる経済的基盤ということについて、多く学ぶことになった。そのころの受業のノートは、今でも書庫のなかに持っている。
イエズス会の史料によって、ポルトガルなどは日本を軍事的に占領する意図があった、というのは確かなことだったろう。(だが、それが、中南米などのように簡単にはいかなかったということになる。結果的に、イエズス会は日本から撤退することになる。)
朝鮮との関係で、国書が偽造された件をあきらかにしたのは、田代和生さんだが、私が朝鮮語を勉強したこともあって、見知っていた。(その当時、国文の学生で朝鮮語を勉強しようというのは、例外、いや異端であった。なんで日本語、日本文学を勉強するのに朝鮮語を勉強するのか、と言われて当然であった時代だった。この感覚は、今の若い人にはもう分からないだろう。朝鮮語を勉強したのは、三田のキャンパスにあった慶應義塾外国語学校である。学部の普通の受業で朝鮮語は科目になかった。)
ところで、「鎖国」である。番組の中では言及がなかったが、このことば広く知られるようになった契機の一つは、和辻哲郎の『鎖国』だろう。この本は、学生のときに読んだ本である。(それから、『風土』も読んだ本である。今から思い返すと、古いところのある本かと思うが、自然環境がその土地に生活する人びとの感覚や文化にどう影響するかということは、やはり考えるべき価値のあることである。)
江戸時代は、「鎖国」をしていなかった、というのは、今では普通の考え方だと私は思っている。「鎖国」というとことばがきつくなるが、やわらかく言いかえるならば、厳格に管理された対外交易、とでもいうことができるだろうか。
番組でも言っていたように、オランダ以外にも、中国、朝鮮、琉球(言うまでもなく、この時代、沖縄の地域は琉球王国として独立国であった)、それから、蝦夷地のアイヌの人びと、これらとの交易があったことは、常識的に考えてわかることである。問題は、その規模や、具体的な交易の品々、管理体制、これらがどうであったか、ということである。それから、その商品が、日本国内でどう流通したかということもある。
一般に「鎖国」というと、国を閉ざして、オランダとだけ出島を介しての交易があったというイメージが強い。しかし、中国と交易があったことは、当たり前すぎることだからなのかもしれないが、あまり語られることがない。
たまたま、というか、まさにNHKの意図としては、『べらぼう』の時代として江戸時代についての番組であるのだが、江戸時代には、中国から多くの書物が輸入されている。そして、それをもとに、日本国内でも出版がなされている。いわゆる和刻本という類になる。こういうことを無視して、蔦屋重三郎を、江戸の出版文化におけるメディア王といういうのは、どうかなと思う。(たしかに、蔦重のした仕事は価値のあることではあったが。)
日本史研究のなかでも対外交易史というのは、特殊な分野になるかもしれない。史料の特殊性がある。イエズス会のことを調べるには、中世のポルトガル語、スペイン語、ラテン語、の文書史料を調べなければならないし、オランダとの関係においてはオランダ語の史料になるし、中国との関係においては中国語、漢文の史料になる。日本史の研究として、通常の日本の古文書が読めるだけではなく、これらの外国語の古い史料を解読し分析できることが求められる。これは、普通に日本史の勉強をしようという学生からすると、かなりハードルが高い研究領域ということになる。
日本語学の分野において、中世のキリシタン文献の研究は、実に細緻な研究が積み重ねられてきているが、これは、ラテン語、ポルトガル語、スペイン語、などに通じた、優秀な研究者の努力によるものである。(その数は、きわめて少ないのであるが。)
番組のなかでは言っていなかったことだが、オランダ東インド会社は、1799年になくなっている。これをふまえて、オランダとの交易はどのようなものであったか、ということを考えなくてはならない。これと併行して、イギリスは、インドを植民地にし、そして、アヘン戦争があったことになる。これまでの期間、東アジアは、例外的に平穏な時代であったということになるのかもしれない。
「鎖国」というと、江戸幕府の宗教政策と切り離して考えることはできない。この観点からは、宗教政策としては、国を閉ざしていた、という側面が強く意識されることになるかもしれない。
これも明治以降の近代日本の宗教のあり方とも関係してくる。このことについては、近年になって大きく研究のすすんだ分野ということになる。(やはり、昭和の時代の終わり、昭和天皇の崩御ということがあって、近代の神道をふくめて宗教全般を冷静に考えることができるようになったという印象がある。これは、私の世代としては、そう感じるということなのだが。)
最後に、江戸時代というものを考えるとき、もっとも重要なことの一つは、この時代はまだ近代的な国民国家の時代ではない、ということである。近代的な外交や、国家間の貿易の概念で、この時代のことを考えることは無理がある。外交や交易についても、幕府と藩という関係をぬきにしては語ることはできない。ここのところが、もっとも考慮しなければならないところであるにちがいない。(それが、無理矢理に国民国家であることを強いられたのが、幕末からの「開国」ということになるはずである。)
2025年1月23日記
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