シリーズアジアに生きる「イラン ハリメとラヒム 不妊治療の日々」2025-01-30

2025年1月30日 當山日出夫

シリーズ アジアに生きる イラン ハリメとラヒム 不妊治療の日々

たまたま番組表で見つけたので録画しておいて見た。

2024年、フランスの会社とNHKとの共同制作。

不妊治療ということが、医学的に可能になって、はたして人が幸せになったのか、ということになる。一般的な感想になるが、これがまず思うことである。科学の結果として、遺伝子を発見したことが、人間の幸福につながったのか、という気もする。子どもを産むべきということが、遺伝子を残さなければならない、という考え方にすり替わっているのが、現代の社会かとも思う。

イランという国がテレビのニュースに出てくるときは、あまり良い場面では出てこない。核開発とか、対米強硬姿勢とか、ということで登場することがほとんどで、そこで生活する一般の人びとの生活感覚が伝えられることは、まったくないといっていいだろう。

日本でも、子どもが出来ない夫婦がいても、それはそれとしてごく普通のあり方だったのが、一昔まえまでのこととしてある。それが、子どもを産む/産まないは、女性の権利であるという考え方(これは、必ずしも間違っているということではないが)が広がる一方で、生殖医療の技術はどんどん進歩してきている。日本の場合、まだ代理母ということが、具体的に選択肢としてあがってくるという状況ではないけれど、これも時間の問題かもしれない。

イランの夫婦について思うことは、そこまでの無理をしてまで子どもが産まれることを求めることもないのではないか、ということを、私としてはまず思うことになる。これも、イランという国の歴史や文化、特にイスラムの教え(シーア派)で、このあたりのことがどう考えられることになるのか、ということはあるのだが。

日本の場合、養子ということについては、かなりハードルが低いというのが、文化的背景としてはある。が、これも、近年の少子化社会のなかでは、どう変化していくか分からないが。

番組のなかで説明はなかったが、イランにおいては、女性が外に出て働くということが、普通に認められている、と考えていいのだろうか。極端な例として、アフガニスタンのような国のことを思ってしまうことになる。夫が、糖尿病で失明して、妻が学校の教師として働くことになる、というのは、見方によってはかなり恵まれた状況といってもいいのかもしれない。そういう生活が社会に認められているのだろう。

無論、中高年になってからの病気による失明ということは、とても不幸なできごとである。この場合、どのような援助が公的にあるのだろうか、ということも気になる。

この番組は、映像が非常にいい。凝っている。音楽も控えめであるが、上手につかってある。

2025年1月28日記

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