『坂の上の雲』「(20)旅順総攻撃(後編)」 ― 2025-02-01
2025年2月1日 當山日出夫
『坂の上の雲』 (20)旅順総攻撃(後編)
日露戦争の目的はいったい何だったのだろうか。ロシアにとっては、極東アジアにおける権益の確保であり、さらには、太平洋への出口を得る、ということだったと思う。それに対して、日本の目的は、そのロシアの脅威に対する防衛戦争というだけのことなのか。そこからすすんで、自らも大陸に進出して利権を獲得しようということまで目論んでのことだったのか。ドラマでは、基本的に対ロシア防衛戦争ということで描いているが、その後の日本の歴史は、朝鮮半島から満州にかけての進出ということになる。最終的には、これは失敗するし、世界の帝国主義の終わりということになう。それにかわって、東西冷戦の時代になるのだが。
この日露戦争の目的をどう考えるかで、旅順の意味も変わってくるにちがいない。ただ、防衛戦争ということなら、旅順を孤立させておけばよいかもしれない。しかし、極東におけるロシア勢力の一掃ということが目的なら、旅順は落とさなければならない最大の、敵の拠点ということになる。
このあたりのことが、これまでのドラマで、あまり明確になっているとは言いがたい、と私は思って見ている。
ドラマのなかで、旅順攻撃の全体像が見えているのが、児玉源太郎だけ、ということになっている。これは、歴史としてはどうだったのだろうか。
乃木希典をどう描くかは、難しいところだろう。司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、軍人としては無能、という評価になっている。だが、人物としては、明治天皇に忠節をつくした人物である。『坂の上の雲』では、西南戦争にさかのぼって、連隊旗を奪われた顚末について、かなり詳しく書いてあったと記憶する。
旅順の要塞攻撃に、二八サンチ榴弾砲が必要、ということなら、前もってその準備をしておかなければならない。旅順要塞がどのようなものであったか、単なるインテリジェンスの失敗であったのか、あるいは、戦術、作戦のミスであったのか、このあたりもはっきりしない。
遼陽の会戦で、クロパトキンは退却した。これをロイターが報じたということであるが、その記者は、どこでどういう取材をしていたのか、このことが具体的な描写であると、より説得力のあるドラマになったかもしれない。このドラマは、基本的に日本の視点であり、時として、ロシアのことが登場するのだが、世界がこの戦争をどう見ていたのか、ということは描いていない。せいぜい出てきたのが、ユダヤ人の資産家である。ロシアにおいても、また、その後のソ連においても、多くのユダヤ人が犠牲になってきたことは、知られていることであろう。
帝国主義の時代、東アジアの権益をめぐって、イギリスやアメリカはどう考えていたのか、ということも重要なことであるにちがいないが、こういうことは描かれていない。最終的にアメリカにたのんで、戦争が終わることになるが、これは、アメリカにとっては、太平洋をはさんで極東における権益と、どう関係するものだったのか、ということになる。
日露戦争の陸戦の戦場は、満州の地域ということだが、その地域にどのような人びとがどのように生活していたのか、そして、そこは清朝にとってどういう意味のある土地であったのか、こういうことも出てきていない。後の歴史としては、満洲国皇帝の溥儀のことにつながることになる。
このドラマの最大の問題点としては、日露戦争当時の日本の国内世論、また、政治家などが、どうであったのか。基本的に、マスコミというのは対外強行姿勢である。これは、今も変わらない。しかし、識者の一部には、日露戦争反対論もあったのだが、このような言説について、まったく触れていない。もし、今の時点でこのドラマを作るとするならば、こういうことは是非ともふくめなければならないことになるだろう。ただ、私は、日露戦争をそんなに否定的に考えるということはないのではあるが。
2025年1月31日記
『坂の上の雲』 (20)旅順総攻撃(後編)
日露戦争の目的はいったい何だったのだろうか。ロシアにとっては、極東アジアにおける権益の確保であり、さらには、太平洋への出口を得る、ということだったと思う。それに対して、日本の目的は、そのロシアの脅威に対する防衛戦争というだけのことなのか。そこからすすんで、自らも大陸に進出して利権を獲得しようということまで目論んでのことだったのか。ドラマでは、基本的に対ロシア防衛戦争ということで描いているが、その後の日本の歴史は、朝鮮半島から満州にかけての進出ということになる。最終的には、これは失敗するし、世界の帝国主義の終わりということになう。それにかわって、東西冷戦の時代になるのだが。
この日露戦争の目的をどう考えるかで、旅順の意味も変わってくるにちがいない。ただ、防衛戦争ということなら、旅順を孤立させておけばよいかもしれない。しかし、極東におけるロシア勢力の一掃ということが目的なら、旅順は落とさなければならない最大の、敵の拠点ということになる。
このあたりのことが、これまでのドラマで、あまり明確になっているとは言いがたい、と私は思って見ている。
ドラマのなかで、旅順攻撃の全体像が見えているのが、児玉源太郎だけ、ということになっている。これは、歴史としてはどうだったのだろうか。
乃木希典をどう描くかは、難しいところだろう。司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、軍人としては無能、という評価になっている。だが、人物としては、明治天皇に忠節をつくした人物である。『坂の上の雲』では、西南戦争にさかのぼって、連隊旗を奪われた顚末について、かなり詳しく書いてあったと記憶する。
旅順の要塞攻撃に、二八サンチ榴弾砲が必要、ということなら、前もってその準備をしておかなければならない。旅順要塞がどのようなものであったか、単なるインテリジェンスの失敗であったのか、あるいは、戦術、作戦のミスであったのか、このあたりもはっきりしない。
遼陽の会戦で、クロパトキンは退却した。これをロイターが報じたということであるが、その記者は、どこでどういう取材をしていたのか、このことが具体的な描写であると、より説得力のあるドラマになったかもしれない。このドラマは、基本的に日本の視点であり、時として、ロシアのことが登場するのだが、世界がこの戦争をどう見ていたのか、ということは描いていない。せいぜい出てきたのが、ユダヤ人の資産家である。ロシアにおいても、また、その後のソ連においても、多くのユダヤ人が犠牲になってきたことは、知られていることであろう。
帝国主義の時代、東アジアの権益をめぐって、イギリスやアメリカはどう考えていたのか、ということも重要なことであるにちがいないが、こういうことは描かれていない。最終的にアメリカにたのんで、戦争が終わることになるが、これは、アメリカにとっては、太平洋をはさんで極東における権益と、どう関係するものだったのか、ということになる。
日露戦争の陸戦の戦場は、満州の地域ということだが、その地域にどのような人びとがどのように生活していたのか、そして、そこは清朝にとってどういう意味のある土地であったのか、こういうことも出てきていない。後の歴史としては、満洲国皇帝の溥儀のことにつながることになる。
このドラマの最大の問題点としては、日露戦争当時の日本の国内世論、また、政治家などが、どうであったのか。基本的に、マスコミというのは対外強行姿勢である。これは、今も変わらない。しかし、識者の一部には、日露戦争反対論もあったのだが、このような言説について、まったく触れていない。もし、今の時点でこのドラマを作るとするならば、こういうことは是非ともふくめなければならないことになるだろう。ただ、私は、日露戦争をそんなに否定的に考えるということはないのではあるが。
2025年1月31日記
レギュラー番組への道「○○で一番面白い話」 ― 2025-02-01
2025年2月1日 當山日出夫
レギュラー番組への道 ○○で一番面白い話
このシリーズは、ともかくお試し企画であるので、面白いものもあるし、よくわからないものもある。この企画の場合、ちょっと無理があったかな、という気がしないでもない。
確かにローカルな地域の情報というのは、面白いものがあることが多い。これだったら、「小さな旅」であつかっても、あんまり変わらないのではないかと思う。カッパ、相撲部で歌う学生、スクランブル交差点、これぐらいで、旅人が旅する番組でもいい。これを、無理矢理、ローカルな話題をバラエティ番組風にとりあげても、そう面白くなるものではないだろう。
見ていて、私が、一番面白かったのは、カッパの話し。マンホールがカッパだった。牛久のカッパをつかまえるのには、メロンが必要になるらしい。小川芋銭の事跡も、もうちょっと紹介してくれてもよかった。全国にカッパのいる地域はたくさんあるはずだが、牛久ならではのカッパということにした方がよかったのではないだろうか。
2025年1月29日記
レギュラー番組への道 ○○で一番面白い話
このシリーズは、ともかくお試し企画であるので、面白いものもあるし、よくわからないものもある。この企画の場合、ちょっと無理があったかな、という気がしないでもない。
確かにローカルな地域の情報というのは、面白いものがあることが多い。これだったら、「小さな旅」であつかっても、あんまり変わらないのではないかと思う。カッパ、相撲部で歌う学生、スクランブル交差点、これぐらいで、旅人が旅する番組でもいい。これを、無理矢理、ローカルな話題をバラエティ番組風にとりあげても、そう面白くなるものではないだろう。
見ていて、私が、一番面白かったのは、カッパの話し。マンホールがカッパだった。牛久のカッパをつかまえるのには、メロンが必要になるらしい。小川芋銭の事跡も、もうちょっと紹介してくれてもよかった。全国にカッパのいる地域はたくさんあるはずだが、牛久ならではのカッパということにした方がよかったのではないだろうか。
2025年1月29日記
BS世界のドキュメンタリー「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」 ― 2025-02-01
2025年2月1日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」
2023年、フランスの制作。
こういう番組を見て感じることの一つに、かつて植民地などであった国のことについて、旧宗主国の会社がかかわって作ることが多い。レバノンは、昔は、フランスの委任統治領であった(ざっと、Wikipediaを見たかぎりであるが)。やはり、その地域についてのいろんな情報、人脈、その他のいろんな関係が続いているということなのだろうと思う。
1982年のこの事件のことは、はっきりいって記憶にない。東京に住んでいたころのことになるのだが、そのころはテレビを持たない生活をしていた。新聞はとっていた。(朝日新聞は、東京で学生生活を始めたときからずっと講読している。)
見ていて思うことは、中東において、国民国家の確立に失敗した事例の一つ、といっていいのかな、ということであった。民族や宗教が複雑に入り組んだ地域にあって、近代的な国民国家をつくり、維持していく、近隣諸国とも仲よく(が、無理ならせめて戦争だけはしないように)……これは、かなり難しいことである。原因をさかのぼれば、イスラエルが悪い、さらには、かつてのイギリスとフランスが悪い、ということにはなるかもしれないが、現に今そこに生活している人びとのこととしては、少なくとも紛争がなく、安定した生活がおくれることが何よりだろう。
憎悪の連鎖という。国際的なテロ活動については、報復の連鎖といっていい。番組のなかで言っていたことばで印象に残ることとしては……つらいのは、自分の気持ちを人に語ることである、と言っていたのが、そういうものなのか、と思うところがあった。イスラム敎にしても、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、一神教の世界である。唯一の神に対する信仰があるとしても、それで気持ちが休まるということは無い、といっていいかもしれない。日本的な素朴なアニミズムのなかに生きているような感覚からすると……私は、日本の宗教観の根底にあるのは、宗派をとわず、汎神論的なアニミズムであると感じているのだが……一神教の世界に生きている人の感覚が分かりにくい。
憎悪の連鎖、報復の連鎖を断ち切るには、ゆるす、ということしかない……これは、おそらく理性的に考えて理解できることである。だが、具体的に、どのような事案に対して、どのような人たちを、ゆるすことができるのか、これは非常に難しい問題があると感じることになる。
テレビのドキュメンタリー番組が、結果として、憎悪を増幅することになるのか、あるいは、ゆるすことにつながるのか……見ながらいろいろと考えることがあった。
戦争やテロなどをあつかった番組を見ていつも感じることなのだが、人間は、ときとして非情に冷酷で残虐になりうるものである。特定の宗教とか思想、国家の指導者の影響にするのではなく、人間が生きてきた歴史はそのようなものであったし、今もそうである、ということを感じる。だからといって、近代的なヒューマニズムを否定するつもりはないけれど。
2025年1月24日記
BS世界のドキュメンタリー 「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」
2023年、フランスの制作。
こういう番組を見て感じることの一つに、かつて植民地などであった国のことについて、旧宗主国の会社がかかわって作ることが多い。レバノンは、昔は、フランスの委任統治領であった(ざっと、Wikipediaを見たかぎりであるが)。やはり、その地域についてのいろんな情報、人脈、その他のいろんな関係が続いているということなのだろうと思う。
1982年のこの事件のことは、はっきりいって記憶にない。東京に住んでいたころのことになるのだが、そのころはテレビを持たない生活をしていた。新聞はとっていた。(朝日新聞は、東京で学生生活を始めたときからずっと講読している。)
見ていて思うことは、中東において、国民国家の確立に失敗した事例の一つ、といっていいのかな、ということであった。民族や宗教が複雑に入り組んだ地域にあって、近代的な国民国家をつくり、維持していく、近隣諸国とも仲よく(が、無理ならせめて戦争だけはしないように)……これは、かなり難しいことである。原因をさかのぼれば、イスラエルが悪い、さらには、かつてのイギリスとフランスが悪い、ということにはなるかもしれないが、現に今そこに生活している人びとのこととしては、少なくとも紛争がなく、安定した生活がおくれることが何よりだろう。
憎悪の連鎖という。国際的なテロ活動については、報復の連鎖といっていい。番組のなかで言っていたことばで印象に残ることとしては……つらいのは、自分の気持ちを人に語ることである、と言っていたのが、そういうものなのか、と思うところがあった。イスラム敎にしても、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、一神教の世界である。唯一の神に対する信仰があるとしても、それで気持ちが休まるということは無い、といっていいかもしれない。日本的な素朴なアニミズムのなかに生きているような感覚からすると……私は、日本の宗教観の根底にあるのは、宗派をとわず、汎神論的なアニミズムであると感じているのだが……一神教の世界に生きている人の感覚が分かりにくい。
憎悪の連鎖、報復の連鎖を断ち切るには、ゆるす、ということしかない……これは、おそらく理性的に考えて理解できることである。だが、具体的に、どのような事案に対して、どのような人たちを、ゆるすことができるのか、これは非常に難しい問題があると感じることになる。
テレビのドキュメンタリー番組が、結果として、憎悪を増幅することになるのか、あるいは、ゆるすことにつながるのか……見ながらいろいろと考えることがあった。
戦争やテロなどをあつかった番組を見ていつも感じることなのだが、人間は、ときとして非情に冷酷で残虐になりうるものである。特定の宗教とか思想、国家の指導者の影響にするのではなく、人間が生きてきた歴史はそのようなものであったし、今もそうである、ということを感じる。だからといって、近代的なヒューマニズムを否定するつもりはないけれど。
2025年1月24日記
『おむすび』「Restart」 ― 2025-02-02
2025年2月2日 當山日出夫
『おむすび』 「Restaet」
別にヒロインが登場しなくなっても、ドラマとして面白ければいいのだが、私の見るところ、あまり面白くなっていない。強いていえば、話しの展開に無理がある、というか、都合よく科白だけですませてしまっているところがあると感じる。
商店街にショッピングセンターが出来るということで、商店街の人たちは反対の立場になる。そのなかで、靴屋の渡辺も、最初は娘の真紀の思い出の残っている家を壊すことはできないと反対していたが、最終的には、土地を売ることに合意する。そして、ショッピングセンターが出来る。最初は反対していた人たちも、商店街に新しいお客さんが増えることになり、ショッピングセンターと共存する道をさぐることになる。という、めでたしめでたし、のお話しであった。
別にこのような筋のドラマであってもいいとは思うのだが、それならば、事前にもっと描いておくべきことがあったはずである。
まず、これは何度も書いているが、商店街の人たちの仕事が見えてこない。どんな仕事をしているのか、かろうじて映っていたのは理容店の米田の店ぐらいである。この週になって、ようやく靴屋の渡辺の仕事の場面があったが、それもわずかなものであった。
また、商店街のお客さんの姿がいっこうに見えてきていなかった。
たとえば、以前の『舞いあがれ!』(『おむすび』と同じくBKの制作)では、隣のお好み焼き屋さんの仕事がきっちりと描かれていたし、そこにやってくる近所のお客さんたちによって、東大阪の町工場がどんな街であるかが描かれていた。しかし、『おむすび』の太極軒にやってくるお客さんの姿から、その商店街にどんな人が集まっているのか、まったく見えてきていない。同じことは、パン屋についても、靴屋についても、また、理容店についても、言えることである。どこに住んでいるどんなお客さんが来ているのか、想像することもできない。
地元密着型の店舗経営でいくならば、まず、その街の人びとの生活が分かるように描いてある必要がある。しかし、少し前では、愛子の作ったホームページで遠方のお客さんを呼び込もうという方向であったりした。これは、ドラマの筋立てとして、ちぐはぐである。
パン屋でパンを焼く仕事、中華料理屋で料理を作る仕事、靴屋で靴を作る仕事、これらを描写してあったうえで、それを求めてくる地元のお客さんたちが、どんな人たちであるのか、それが震災後にどう変化していくのかということを描いてこそ、その商店街の未来を展望できるというものである。
また、パン屋とか町中華とか靴屋(高級なオーダーメイド)とか理容店(古くからのなじみ客が多い)の場合、ショッピングセンターが出来たからといって、すぐに大きな影響を受けることはないだろうと思われる。これが、既成の衣料品店などだったら、影響は大きいかもしれない。
靴屋の渡辺は、神戸の店を手放して東京に行くという。靴職人としてやっていくということである。だが、そのわりには、靴を作っているシーンがこれまで無かった。靴職人としての腕前は、ギャル向けのカスタムシューズの制作ではなく、普通の靴をそれを履く人に合わせて作る技術であったはずである。少なくとも、震災前の渡辺はそういう職人であったはずである。その肝心な部分がまったく出てきていない。靴は、どんなデザインであっても、サイズが合わなければまったく意味がない商品である。お客さんの足に合わせて作るのが、職人ある。
震災からの復興ということで、駅界隈の再開発ということになって、マンションができたようだが、これも唐突である。マンション建設の話しがあれば、そこにどんな人が住んで、どんな買物の需要があるのか、考えるのが商店街としての基本であろう。
それから、SNS映えでパンが売れる、餃子が売れる、ということだったが、これも、無理矢理に筋書きのなかにねじ込んだという印象がある。たしかに今の時代、SNS映えといういことは、商品の魅力的なアピールにつながることは確かだが、時期的に、これはちょっと早いかなという気がしないでもない。
それよりもまず作るべきは、商店街のホームページで、どこにどんな店があって、何を売っているか、ということの情報発信であることのように思えるのだが、どうだろうか。
チャンミカの店で、古着をオンラインショップで売るのはいいとしても、これも服のサイズなどの情報が必要であるし、何よりも決済の方法をきちんとしないといけない。独自に構築するのでなければ、どこかオンラインショップに店を出すということになるのだろうが、そのようなことについては、まったく言及がなかった。それに、もしオンラインショップだけでやっていけるなら、店舗は無駄である。
それよりも、古着バイヤーとしての歩の仕事ぶりとか、目のつけどころとか、値段の交渉とか、このあたりのことをきちんと描いておくべきではないだろうか。
おしゃれしたいという願望は、誰しも持つものであろうが、しかし、これを、おしゃれ=ギャル、としてしまうのでは、逆に、そういう人間の気持ちの普遍性を描き損なうと思わざるをえない。別に、ギャルの恰好が悪いという意味ではないが、このみは人それぞれであること、そして、時代の流行、これをまずふまえておかなければならない。
ギャルがすべてを解決する、というのは、いくらなんでも都合がよすぎると感じるのである。
このドラマの運が悪かったと思うところは、たまたま、『カーネーション』と『カムカムエヴリバディ』の再放送と重なってしまったことである。これらの過去のドラマでは、洋裁店、美容院、お菓子屋、クリーニング屋、回転焼き屋、映画俳優、などで手を動かして仕事をする姿が、ドラマの一部として意味を持つようにきちんと描かれている。そして、その仕事をとおして、時代と世相の変化が伝わるように作られている。どうしてもこれらを比べて見てしまうことになる。
かつて結は栄養士として、社食のメニューについて、地産地消を提案したことがあったが、この経験が、商店街の八百屋のビジネスと関係する展開もあり得たかもしれないと思うが、どうだろうか。
他にも書きたいことはあるが、これぐらいにしておく。
2025年1月31日記
『おむすび』 「Restaet」
別にヒロインが登場しなくなっても、ドラマとして面白ければいいのだが、私の見るところ、あまり面白くなっていない。強いていえば、話しの展開に無理がある、というか、都合よく科白だけですませてしまっているところがあると感じる。
商店街にショッピングセンターが出来るということで、商店街の人たちは反対の立場になる。そのなかで、靴屋の渡辺も、最初は娘の真紀の思い出の残っている家を壊すことはできないと反対していたが、最終的には、土地を売ることに合意する。そして、ショッピングセンターが出来る。最初は反対していた人たちも、商店街に新しいお客さんが増えることになり、ショッピングセンターと共存する道をさぐることになる。という、めでたしめでたし、のお話しであった。
別にこのような筋のドラマであってもいいとは思うのだが、それならば、事前にもっと描いておくべきことがあったはずである。
まず、これは何度も書いているが、商店街の人たちの仕事が見えてこない。どんな仕事をしているのか、かろうじて映っていたのは理容店の米田の店ぐらいである。この週になって、ようやく靴屋の渡辺の仕事の場面があったが、それもわずかなものであった。
また、商店街のお客さんの姿がいっこうに見えてきていなかった。
たとえば、以前の『舞いあがれ!』(『おむすび』と同じくBKの制作)では、隣のお好み焼き屋さんの仕事がきっちりと描かれていたし、そこにやってくる近所のお客さんたちによって、東大阪の町工場がどんな街であるかが描かれていた。しかし、『おむすび』の太極軒にやってくるお客さんの姿から、その商店街にどんな人が集まっているのか、まったく見えてきていない。同じことは、パン屋についても、靴屋についても、また、理容店についても、言えることである。どこに住んでいるどんなお客さんが来ているのか、想像することもできない。
地元密着型の店舗経営でいくならば、まず、その街の人びとの生活が分かるように描いてある必要がある。しかし、少し前では、愛子の作ったホームページで遠方のお客さんを呼び込もうという方向であったりした。これは、ドラマの筋立てとして、ちぐはぐである。
パン屋でパンを焼く仕事、中華料理屋で料理を作る仕事、靴屋で靴を作る仕事、これらを描写してあったうえで、それを求めてくる地元のお客さんたちが、どんな人たちであるのか、それが震災後にどう変化していくのかということを描いてこそ、その商店街の未来を展望できるというものである。
また、パン屋とか町中華とか靴屋(高級なオーダーメイド)とか理容店(古くからのなじみ客が多い)の場合、ショッピングセンターが出来たからといって、すぐに大きな影響を受けることはないだろうと思われる。これが、既成の衣料品店などだったら、影響は大きいかもしれない。
靴屋の渡辺は、神戸の店を手放して東京に行くという。靴職人としてやっていくということである。だが、そのわりには、靴を作っているシーンがこれまで無かった。靴職人としての腕前は、ギャル向けのカスタムシューズの制作ではなく、普通の靴をそれを履く人に合わせて作る技術であったはずである。少なくとも、震災前の渡辺はそういう職人であったはずである。その肝心な部分がまったく出てきていない。靴は、どんなデザインであっても、サイズが合わなければまったく意味がない商品である。お客さんの足に合わせて作るのが、職人ある。
震災からの復興ということで、駅界隈の再開発ということになって、マンションができたようだが、これも唐突である。マンション建設の話しがあれば、そこにどんな人が住んで、どんな買物の需要があるのか、考えるのが商店街としての基本であろう。
それから、SNS映えでパンが売れる、餃子が売れる、ということだったが、これも、無理矢理に筋書きのなかにねじ込んだという印象がある。たしかに今の時代、SNS映えといういことは、商品の魅力的なアピールにつながることは確かだが、時期的に、これはちょっと早いかなという気がしないでもない。
それよりもまず作るべきは、商店街のホームページで、どこにどんな店があって、何を売っているか、ということの情報発信であることのように思えるのだが、どうだろうか。
チャンミカの店で、古着をオンラインショップで売るのはいいとしても、これも服のサイズなどの情報が必要であるし、何よりも決済の方法をきちんとしないといけない。独自に構築するのでなければ、どこかオンラインショップに店を出すということになるのだろうが、そのようなことについては、まったく言及がなかった。それに、もしオンラインショップだけでやっていけるなら、店舗は無駄である。
それよりも、古着バイヤーとしての歩の仕事ぶりとか、目のつけどころとか、値段の交渉とか、このあたりのことをきちんと描いておくべきではないだろうか。
おしゃれしたいという願望は、誰しも持つものであろうが、しかし、これを、おしゃれ=ギャル、としてしまうのでは、逆に、そういう人間の気持ちの普遍性を描き損なうと思わざるをえない。別に、ギャルの恰好が悪いという意味ではないが、このみは人それぞれであること、そして、時代の流行、これをまずふまえておかなければならない。
ギャルがすべてを解決する、というのは、いくらなんでも都合がよすぎると感じるのである。
このドラマの運が悪かったと思うところは、たまたま、『カーネーション』と『カムカムエヴリバディ』の再放送と重なってしまったことである。これらの過去のドラマでは、洋裁店、美容院、お菓子屋、クリーニング屋、回転焼き屋、映画俳優、などで手を動かして仕事をする姿が、ドラマの一部として意味を持つようにきちんと描かれている。そして、その仕事をとおして、時代と世相の変化が伝わるように作られている。どうしてもこれらを比べて見てしまうことになる。
かつて結は栄養士として、社食のメニューについて、地産地消を提案したことがあったが、この経験が、商店街の八百屋のビジネスと関係する展開もあり得たかもしれないと思うが、どうだろうか。
他にも書きたいことはあるが、これぐらいにしておく。
2025年1月31日記
『カーネーション』「自信」 ― 2025-02-02
2025年2月2日 當山日出夫
『カーネーション』「自信」
この週から、糸子の娘たち(優子、直子、聡子)が、大きくあつかわれることになる。そろそろ、次の世代へとつながっていくことになる。
東京の洋裁学校に優子が行き、それから、直子も行くことになる。この二人は、ライバルということになる。優子は、まさにその名前のとおりの優等生である。一方、直子は、わがままという感じもするが、しかし、絵のセンスはある。そしで、服飾デザイナーとして生きていく覚悟を決めている。このことについては、優子の方は、糸子の店を継ぐというぐらいである。聡子は、いまのところ、さほど洋裁やデザインに関心があるというわけではなく、もっぱらテニスに熱中している。
このドラマを見るのは、三回目ぐらいになるはずだが、やはりうまく作ってあると感じるところが多い。何よりも映像として魅力がある。テレビドラマは、映像表現なのであるから、画面の映像としての魅力が重要である。つまらないドラマは、まず、画面の映像の魅力がないということが多い。
画面に奥行きを感じる作り方になっている。岸和田の家もそうだが、窓があって外の景色が見える。そして、窓からの日の光が差し込んでくる。この窓からの光を、このドラマでは非常にうまく使っている。時間や季節の変化を感じさせると同時に、画面が立体的に浮かびあがってくる。映像として非常に上手である。
ドラマの舞台は、ほとんど岸和田の糸子の店と、その前の商店街、ほぼこれだけでほとんどである。しかし、その岸和田の店の中の小道具が、その当時の生活や仕事ぶりをうかがわせるように、丁寧に配置されている。時代が進むごとに、家の中のものが少しづつ変わっていって、変化を感じさせる。
東京の学校の直子の仲間、男性三人が、岸和田にやってくる。糸子がやっている立体裁断を見学するためである。このとき、小原の家の食卓に出たのはトンカツだった。これも思いおこしてみると、昔、糸子が洋裁をミシンの先生(根岸先生)に習いはじめたとき、母の千代がトンカツを作ろうとしてうまくいかなかった。結局、イワシの煮たのをおいしそうにたべていたシーンを思い出す。それから年月がたって、岸和田の小原の家でも普通の、今のようなトンカツを作るようになっている。こういうところに、時代の変化ということをうまく表現している。
立体裁断を実演してみせる糸子を、直子はそばにたって黙ってじっと見ていたが、その目は、娘が母親を見る目ではなかった。服飾デザイナーとして、ライバルを見るという印象の目であった。
これに対して、優子の糸子に対する態度は、基本的に、娘の母親に対する姿勢である。
優子が東京の男性を連れてくるのだが、それに対して糸子はつれない。仕事ぐらい自分で探せという。まあ、若くから自立して洋裁店を経営してきた糸子にとっては、そのように感じるというところがあったのだろう。
この時の回は、昭和三四年であるが、世相を表すものとしては、皇太子御成婚であった。また、街角の描写のなかに、フラフープやホッピングが置かれていた。まさに、この昭和三〇年代を表していることになる。
土曜日の回で、優子は店の仕事をすることになったが、妊娠した女性について、失敗してしまう。このとき、糸子は、丁寧に手取り足取り教えるということはしない。優子に、自分でやってみろというだけであった。この回を見ると、岸和田の洋裁店で糸子がやってきた仕事は、服飾デザイナーであり、洋裁の職人であり、洋裁店の経営者であり、そして、同時にお客さんに対する接客業でもある……こういう仕事を全部やってきたのだ、ということが実感される。そして、女性であり、母親でもある。このドラマのうまさは、糸子のこういう多面性のある生き方を、たくみに糸子の人生のなかに、相互に連続性のあるものとして、織りこんであるところにあるのだろうと思う。
2025年2月1日記
『カーネーション』「自信」
この週から、糸子の娘たち(優子、直子、聡子)が、大きくあつかわれることになる。そろそろ、次の世代へとつながっていくことになる。
東京の洋裁学校に優子が行き、それから、直子も行くことになる。この二人は、ライバルということになる。優子は、まさにその名前のとおりの優等生である。一方、直子は、わがままという感じもするが、しかし、絵のセンスはある。そしで、服飾デザイナーとして生きていく覚悟を決めている。このことについては、優子の方は、糸子の店を継ぐというぐらいである。聡子は、いまのところ、さほど洋裁やデザインに関心があるというわけではなく、もっぱらテニスに熱中している。
このドラマを見るのは、三回目ぐらいになるはずだが、やはりうまく作ってあると感じるところが多い。何よりも映像として魅力がある。テレビドラマは、映像表現なのであるから、画面の映像としての魅力が重要である。つまらないドラマは、まず、画面の映像の魅力がないということが多い。
画面に奥行きを感じる作り方になっている。岸和田の家もそうだが、窓があって外の景色が見える。そして、窓からの日の光が差し込んでくる。この窓からの光を、このドラマでは非常にうまく使っている。時間や季節の変化を感じさせると同時に、画面が立体的に浮かびあがってくる。映像として非常に上手である。
ドラマの舞台は、ほとんど岸和田の糸子の店と、その前の商店街、ほぼこれだけでほとんどである。しかし、その岸和田の店の中の小道具が、その当時の生活や仕事ぶりをうかがわせるように、丁寧に配置されている。時代が進むごとに、家の中のものが少しづつ変わっていって、変化を感じさせる。
東京の学校の直子の仲間、男性三人が、岸和田にやってくる。糸子がやっている立体裁断を見学するためである。このとき、小原の家の食卓に出たのはトンカツだった。これも思いおこしてみると、昔、糸子が洋裁をミシンの先生(根岸先生)に習いはじめたとき、母の千代がトンカツを作ろうとしてうまくいかなかった。結局、イワシの煮たのをおいしそうにたべていたシーンを思い出す。それから年月がたって、岸和田の小原の家でも普通の、今のようなトンカツを作るようになっている。こういうところに、時代の変化ということをうまく表現している。
立体裁断を実演してみせる糸子を、直子はそばにたって黙ってじっと見ていたが、その目は、娘が母親を見る目ではなかった。服飾デザイナーとして、ライバルを見るという印象の目であった。
これに対して、優子の糸子に対する態度は、基本的に、娘の母親に対する姿勢である。
優子が東京の男性を連れてくるのだが、それに対して糸子はつれない。仕事ぐらい自分で探せという。まあ、若くから自立して洋裁店を経営してきた糸子にとっては、そのように感じるというところがあったのだろう。
この時の回は、昭和三四年であるが、世相を表すものとしては、皇太子御成婚であった。また、街角の描写のなかに、フラフープやホッピングが置かれていた。まさに、この昭和三〇年代を表していることになる。
土曜日の回で、優子は店の仕事をすることになったが、妊娠した女性について、失敗してしまう。このとき、糸子は、丁寧に手取り足取り教えるということはしない。優子に、自分でやってみろというだけであった。この回を見ると、岸和田の洋裁店で糸子がやってきた仕事は、服飾デザイナーであり、洋裁の職人であり、洋裁店の経営者であり、そして、同時にお客さんに対する接客業でもある……こういう仕事を全部やってきたのだ、ということが実感される。そして、女性であり、母親でもある。このドラマのうまさは、糸子のこういう多面性のある生き方を、たくみに糸子の人生のなかに、相互に連続性のあるものとして、織りこんであるところにあるのだろうと思う。
2025年2月1日記
『カムカムエヴリバディ』「1962」「1962-1963」 ― 2025-02-02
2025年2月2日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1962」「1962-1963」
この週を見て思ったことなど書いておく。本来の放送での週の区切りとちぐはぐになるが、これはいたしかたない。
大阪のクリーニング店で働き始めたるいが、ジャズ喫茶のジョーと知り合い、そして、お互いに惹かれ合っていくということになる。
この週の放送の終わりで、ジョーの子どものときの回想シーンが、ようやく出てきた。これで、ジョーが、岡山で定一の店にいたトランペットの少年であったことが分かる、ということになる。だが、ジョーはそのことを、るいに告げるまでにはいたっていない。
トミーはベリーに、共鳴、ということばをつかっていた。これは、めぐまれた環境に生まれ育った二人(ベリーの生いたちはこれから明らかになるが)が、ジャズ喫茶で出会って、何かしら共通するものがあるということであろう。この時代のジャズ喫茶は、ドラマのなかではそうはっきりと描かれていないが、おそらくは不良の集まるところという印象だったろうと思われる。一方で、この時代、ジャズは、一部の知的エリートには、非常に人気のある音楽でもあった。(サブカルチャーには、このような、いわゆる低級な大衆向けというイメージの側面と、知的エリートの指向が合わさるという現象がある。)クラシック音楽の基本を学んだというトミーにとっては、ジャズは音楽の邪道でもあったにちがいない。
そして、この共鳴ということは、岡山で母の安子と別れた記憶のあるるいと、戦災孤児であったジョーとの、お互いの幼いころの思い出が、重なり合うということでもある。だが、ドラマのなかで、このことがはっきりと描かれるのは、もうちょっと先になってからである。
このドラマの演出でうまいなあと思ったのは……クリーニング屋の店先を妊娠した女性が歩いていて、次のシーンでは同じ女性が乳母車を押して歩いていた。これだけで、何の説明もしなくても、ほぼ半年から一年ぐらいの時間が経過したことが分かる。
地蔵盆のときのこともいい。地蔵盆で子どもと一緒に遊ぶジョーと、それを二階から見ているるい。ジョーがタコ焼きを落としてシャツを汚して、すかさずかけよるるいの姿が印象的である。また、これを見守る、クリーニング屋の夫婦の姿が、とても安心して見ていられる。かき氷、タコ焼き、ラムネ、風鈴……これらの小道具がたくみに使ってあった。
時代劇でのポスターで、モモケンと虚無蔵の名前が出てきていた。これらは、これからの京都でのドラマの展開に大きな役割をはたすことになる。
2025年1月31日記
『カムカムエヴリバディ』「1962」「1962-1963」
この週を見て思ったことなど書いておく。本来の放送での週の区切りとちぐはぐになるが、これはいたしかたない。
大阪のクリーニング店で働き始めたるいが、ジャズ喫茶のジョーと知り合い、そして、お互いに惹かれ合っていくということになる。
この週の放送の終わりで、ジョーの子どものときの回想シーンが、ようやく出てきた。これで、ジョーが、岡山で定一の店にいたトランペットの少年であったことが分かる、ということになる。だが、ジョーはそのことを、るいに告げるまでにはいたっていない。
トミーはベリーに、共鳴、ということばをつかっていた。これは、めぐまれた環境に生まれ育った二人(ベリーの生いたちはこれから明らかになるが)が、ジャズ喫茶で出会って、何かしら共通するものがあるということであろう。この時代のジャズ喫茶は、ドラマのなかではそうはっきりと描かれていないが、おそらくは不良の集まるところという印象だったろうと思われる。一方で、この時代、ジャズは、一部の知的エリートには、非常に人気のある音楽でもあった。(サブカルチャーには、このような、いわゆる低級な大衆向けというイメージの側面と、知的エリートの指向が合わさるという現象がある。)クラシック音楽の基本を学んだというトミーにとっては、ジャズは音楽の邪道でもあったにちがいない。
そして、この共鳴ということは、岡山で母の安子と別れた記憶のあるるいと、戦災孤児であったジョーとの、お互いの幼いころの思い出が、重なり合うということでもある。だが、ドラマのなかで、このことがはっきりと描かれるのは、もうちょっと先になってからである。
このドラマの演出でうまいなあと思ったのは……クリーニング屋の店先を妊娠した女性が歩いていて、次のシーンでは同じ女性が乳母車を押して歩いていた。これだけで、何の説明もしなくても、ほぼ半年から一年ぐらいの時間が経過したことが分かる。
地蔵盆のときのこともいい。地蔵盆で子どもと一緒に遊ぶジョーと、それを二階から見ているるい。ジョーがタコ焼きを落としてシャツを汚して、すかさずかけよるるいの姿が印象的である。また、これを見守る、クリーニング屋の夫婦の姿が、とても安心して見ていられる。かき氷、タコ焼き、ラムネ、風鈴……これらの小道具がたくみに使ってあった。
時代劇でのポスターで、モモケンと虚無蔵の名前が出てきていた。これらは、これからの京都でのドラマの展開に大きな役割をはたすことになる。
2025年1月31日記
『べらぼう』「蔦に唐丸因果の蔓」 ― 2025-02-03
2025年2月3日 當山日出夫
『べらぼう』「蔦に唐丸因果の蔓」
須原屋が出てきたのだが、まずは、この時代の書物の出版や販売のシステムが、書物の種類によってどうであったかということから、解説してあった方がいいだろうと思う。ここはお稲荷さんが説明してほしいところである。この方面のことについては、近年、研究の進んできている分野の一つといっていいだろうか。蔦重が関係することになる戯作や錦絵などと、漢籍など学問にかかわる書物、それから、仏書など、それぞれに制作、流通のシステムがあったはずである。また、こういうことについて、蔦重がまったく無知であったというのも、どうかなと思うところでもある。
地本問屋と書物問屋ということであるが、そこでどんな種類の本をあつかっていたのか、説明が必要だろう。あるいは、これはここから先のことになるのかもしれないが。
株仲間というのは、排他的ではある。しかし、その一方で、株を手にいれさえすれば(それを買うことができれば)、他からの参入もできるというのは、ある意味では、江戸時代は、一般にイメージされるようながんじがらめの身分制社会ではなかった、ということにもなる。
現代では、基本的には、どのような書物でも、一般の書店で流通するようになっている。街に書店があれば、そこからの注文で、アイドルの写真集であっても、専門的な学術書であっても、同じような流通システムで、ほしい人のもとにとどく。だが、このような書籍の流通システムが出来上がったのは、昭和の戦中から戦後にかけてであったと思うのだが、近代の書籍流通史については、その専門の研究をあたることになる。また、戦後でも、こういう流通ルート以外で、いろんな本が作られ売られていたこともある。(例えばであるが、戦後の貸本屋の書籍は、どのようにして作られて流通していたのか、という問題がある。)
その他に、近代、現代においても、地下出版ということはあったし、また、一般の書物の範疇にふくまれないグレーな領域の書物も存在する。
江戸時代の蔦重の時代、戯作や錦絵などは、どのような制作の過程があったのか、ということは、これから、このドラマの中で描かれていくことになるのだろう。(だが、それ以外の、江戸時代の出版の全体像がどうであったかということについての視点は重要である。)
田沼意次と平賀源内が言っていたが、国を開く、ということはどうだろうか。はっきりと「鎖国」ということばを使うのを避けた脚本になっていた、と理解する。歴史学的には、この時代の人びとにとって、日本が「鎖国」しているという概念があったかどうかは、疑わしい。ここは、江戸時代は「鎖国」の時代であったという一般的な見方と、現代の歴史学の考え方とを、折衷しての脚本であり科白であったということになるだろうか。
もし、田沼意次の時代に、すでに「開国」していたとしても、そんなに大規模に外国と取引できたとは限らないだろう。江戸時代が、いわゆる「鎖国」を維持できていたのは、スペインやポルトガルが引き下がって、それに変わってイギリスなどが、帝国主義的な植民地をもとめての侵略を、東アジアにすすめてくるまでの、奇跡的なパワーバランスの空白時期と重なったということも、あったはずである。イギリスがインドを植民地にし、そして、東南アジアを経て、清とアヘン戦争をするまでには、ちょっと時間がかかる。それに先んじて、アメリカがやってきたことになるのだが。また、ロシアが東方へ勢力を伸ばして、日本へ本格的に関心をしめすようになるのも、もう少し後のことになるかと思っている。
田沼と源内の話は、一般の視聴者の歴史知識を前提として、この時代はどうであったか、ということで、語られたものと理解しておいていいだろう。無論、オランダ以外のヨーロッパの国やロシアとの交易ということは、まったく非現実的であったわけではないだろう。
唐丸には何か過去があったようなのだが、この時点では明らかになっていない。行方不明になっているが、しかし、死んだということにもなっていない。これから先、再登場ということもあるのだろう、と思うが、どうなるだろうか。
平賀源内が山師……まあ、博打とは言っていたが……であって、秩父の産業の発展に寄与したということは、たしかなことといっていいのだろうが、気になるのは、この時代の製鉄法である。どのような方法で、鉄鉱石を採掘し、それから鉄を作っていたのだろうか。このあたりのことは、解説があった方がよかったかと思う。昔からのタタラ製鉄では、膨大な炭を使うことになるのだが、この時代はどうだったのだろうか。さらに江戸時代の江戸の人びとの、燃料事情というのは、どうだったのだろうか。台所で煮炊きに使う、冬の暖房につかう、炭や薪は、どういう生産と流通のルートがあったのだろうか。
平賀源内が、高松藩を辞するとき、他に奉公してはならないという条件がついていたことは知られていることだと思うのだが、ここも、もうちょっと説明してあった方がよかったかもしれない。あるいは、これから、お稲荷さんが話をしてくれるのかとも思うが。
自由、ということを平賀源内が言っていたが、江戸時代のこのころに、現代のわれわれが考えるような自由の概念があり得たか……これは、疑問に思うところなのだが、ここは、ドラマとして自由に生きた人間としての源内ということになるのだろう。
ドラマの筋とは関係ないのだが、見ていて興味深かったのは、蔦重と源内が江戸の通りで話をしているシーン。その話の内容よりも、背景に映っている江戸の町の風景や、人びとの身なりや、商売などが、気になった。これは、きちんと考証して作ってあるのだろうが、はたして、この時代の江戸市中の街の通りは、どんなだったのだろうかと思う。
江戸時代、ということを表現するのに、場所が吉原がメインになるというのは、やはり少し無理があるように思えてならない。
つきだし、と出てきていたが、このことばの意味がすんなり分かる人は少ないかもしれない。
ポッペンを吹く音は、テレビで初めて聴いたかもしれない。
本を作っても、板木は鱗形屋のものになる、と言っていたが、このあたりはどうだろうか。江戸時代の板本の板木の研究は、最近になって本格的な研究が始まったところであるが。
源内が、秩父から帰ってきて、すぐに吉原の蔦重のところに行ったようなのだが、これはどうなのだろうか。
それから、ちょっと気になったのは、唐丸が、蔦重のところからお金を盗んでいたとして、それを、お金の重さで考えるというのは、どうなのだろうか。どれだけのお金があるのか、きちんと帳面につけて管理してあるのが、普通だと思ったのだけれども。
2025年2月2日記
『べらぼう』「蔦に唐丸因果の蔓」
須原屋が出てきたのだが、まずは、この時代の書物の出版や販売のシステムが、書物の種類によってどうであったかということから、解説してあった方がいいだろうと思う。ここはお稲荷さんが説明してほしいところである。この方面のことについては、近年、研究の進んできている分野の一つといっていいだろうか。蔦重が関係することになる戯作や錦絵などと、漢籍など学問にかかわる書物、それから、仏書など、それぞれに制作、流通のシステムがあったはずである。また、こういうことについて、蔦重がまったく無知であったというのも、どうかなと思うところでもある。
地本問屋と書物問屋ということであるが、そこでどんな種類の本をあつかっていたのか、説明が必要だろう。あるいは、これはここから先のことになるのかもしれないが。
株仲間というのは、排他的ではある。しかし、その一方で、株を手にいれさえすれば(それを買うことができれば)、他からの参入もできるというのは、ある意味では、江戸時代は、一般にイメージされるようながんじがらめの身分制社会ではなかった、ということにもなる。
現代では、基本的には、どのような書物でも、一般の書店で流通するようになっている。街に書店があれば、そこからの注文で、アイドルの写真集であっても、専門的な学術書であっても、同じような流通システムで、ほしい人のもとにとどく。だが、このような書籍の流通システムが出来上がったのは、昭和の戦中から戦後にかけてであったと思うのだが、近代の書籍流通史については、その専門の研究をあたることになる。また、戦後でも、こういう流通ルート以外で、いろんな本が作られ売られていたこともある。(例えばであるが、戦後の貸本屋の書籍は、どのようにして作られて流通していたのか、という問題がある。)
その他に、近代、現代においても、地下出版ということはあったし、また、一般の書物の範疇にふくまれないグレーな領域の書物も存在する。
江戸時代の蔦重の時代、戯作や錦絵などは、どのような制作の過程があったのか、ということは、これから、このドラマの中で描かれていくことになるのだろう。(だが、それ以外の、江戸時代の出版の全体像がどうであったかということについての視点は重要である。)
田沼意次と平賀源内が言っていたが、国を開く、ということはどうだろうか。はっきりと「鎖国」ということばを使うのを避けた脚本になっていた、と理解する。歴史学的には、この時代の人びとにとって、日本が「鎖国」しているという概念があったかどうかは、疑わしい。ここは、江戸時代は「鎖国」の時代であったという一般的な見方と、現代の歴史学の考え方とを、折衷しての脚本であり科白であったということになるだろうか。
もし、田沼意次の時代に、すでに「開国」していたとしても、そんなに大規模に外国と取引できたとは限らないだろう。江戸時代が、いわゆる「鎖国」を維持できていたのは、スペインやポルトガルが引き下がって、それに変わってイギリスなどが、帝国主義的な植民地をもとめての侵略を、東アジアにすすめてくるまでの、奇跡的なパワーバランスの空白時期と重なったということも、あったはずである。イギリスがインドを植民地にし、そして、東南アジアを経て、清とアヘン戦争をするまでには、ちょっと時間がかかる。それに先んじて、アメリカがやってきたことになるのだが。また、ロシアが東方へ勢力を伸ばして、日本へ本格的に関心をしめすようになるのも、もう少し後のことになるかと思っている。
田沼と源内の話は、一般の視聴者の歴史知識を前提として、この時代はどうであったか、ということで、語られたものと理解しておいていいだろう。無論、オランダ以外のヨーロッパの国やロシアとの交易ということは、まったく非現実的であったわけではないだろう。
唐丸には何か過去があったようなのだが、この時点では明らかになっていない。行方不明になっているが、しかし、死んだということにもなっていない。これから先、再登場ということもあるのだろう、と思うが、どうなるだろうか。
平賀源内が山師……まあ、博打とは言っていたが……であって、秩父の産業の発展に寄与したということは、たしかなことといっていいのだろうが、気になるのは、この時代の製鉄法である。どのような方法で、鉄鉱石を採掘し、それから鉄を作っていたのだろうか。このあたりのことは、解説があった方がよかったかと思う。昔からのタタラ製鉄では、膨大な炭を使うことになるのだが、この時代はどうだったのだろうか。さらに江戸時代の江戸の人びとの、燃料事情というのは、どうだったのだろうか。台所で煮炊きに使う、冬の暖房につかう、炭や薪は、どういう生産と流通のルートがあったのだろうか。
平賀源内が、高松藩を辞するとき、他に奉公してはならないという条件がついていたことは知られていることだと思うのだが、ここも、もうちょっと説明してあった方がよかったかもしれない。あるいは、これから、お稲荷さんが話をしてくれるのかとも思うが。
自由、ということを平賀源内が言っていたが、江戸時代のこのころに、現代のわれわれが考えるような自由の概念があり得たか……これは、疑問に思うところなのだが、ここは、ドラマとして自由に生きた人間としての源内ということになるのだろう。
ドラマの筋とは関係ないのだが、見ていて興味深かったのは、蔦重と源内が江戸の通りで話をしているシーン。その話の内容よりも、背景に映っている江戸の町の風景や、人びとの身なりや、商売などが、気になった。これは、きちんと考証して作ってあるのだろうが、はたして、この時代の江戸市中の街の通りは、どんなだったのだろうかと思う。
江戸時代、ということを表現するのに、場所が吉原がメインになるというのは、やはり少し無理があるように思えてならない。
つきだし、と出てきていたが、このことばの意味がすんなり分かる人は少ないかもしれない。
ポッペンを吹く音は、テレビで初めて聴いたかもしれない。
本を作っても、板木は鱗形屋のものになる、と言っていたが、このあたりはどうだろうか。江戸時代の板本の板木の研究は、最近になって本格的な研究が始まったところであるが。
源内が、秩父から帰ってきて、すぐに吉原の蔦重のところに行ったようなのだが、これはどうなのだろうか。
それから、ちょっと気になったのは、唐丸が、蔦重のところからお金を盗んでいたとして、それを、お金の重さで考えるというのは、どうなのだろうか。どれだけのお金があるのか、きちんと帳面につけて管理してあるのが、普通だと思ったのだけれども。
2025年2月2日記
よみがえる新日本紀行「焼畑〜高知県池川町椿山〜」 ― 2025-02-03
2025年2月3日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「焼畑〜高知県池川町椿山〜」
テレビの番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。再放送。最初の放送は、2022年12月23日。見ながらなんとなく、椿山の焼畑のことが記憶にあったので、検索してみると、ETV特集で放送している。これは見て(再放送だったが)、思ったことを書いている。
2023年1月28日
ETV特集 消えた故郷へ帰るとき〜高知・椿山 50年の記録〜
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/M68GV8GW52/
やまもも書斎記 2023年7月18日
ETV特集「消えた故郷へ帰るとき」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/07/18/9602781
今から見ると、非常に貴重な映像の記録である。焼畑がどのようにして行われているのか(山を焼く前のお祈りの作法)、ミツマタの栽培や収穫後の処理はどのようにして行われていたのか、焼畑と山林の維持との関連、虫送りの踊りと音楽……民俗学的に見ても、貴重なものだろう。
この新日本紀行が放送されたのは、昭和51年(1976年)、これは私が東京で大学生だったころのことである。まだ、この時代、四国の山奥では、このような暮らしが実際にあった。焼畑がリアルな生活として存在し、それで暮らしている人びとがいた。それが急速に失われていったのが、その後の日本の姿ということになる。
今、ある意味では焼畑は見なおされてきている。かつては自然を破壊する原始的な農法という評価だったと思うが、近年では、自然の環境に配慮した、持続可能な農業のあり方の一つ、という位置づけに変わってきている、と私は認識している。
しかし、もはや焼畑を復活させることは不可能かもしれない。少なくとも、椿山の集落がもとのような生活の場にもどることはないだろう。
今後の最大の課題は、植林したヒノキをこれからどう育てていくかということなのだが、国内の林業の先行きはどうなのだろうか。間伐などして樹木を育てても、それを山の下の街まで運び降ろすことが、できるかどうか。集落までの道路はのこっているようだが、その道路の維持も大変である。廃村となった集落のために、道路を維持することが、これからの日本で可能だろうか。
番組を見ても、出てきたのは、主な作物はミツマタのほかにはアワぐらいであった。米は出てきていない。正月の餅も、アワでつくっている。電気はきているようだったが、主な燃料は薪になる。映っていたわけではないが、上水道はないだろう。
かつてのような生活にもどることはできないとしても、日本の国土として山林の保護は重要な意味があるに違いない。山林の樹木が価値をもつのは、植林してから数十年後のことになる。将来を見すえた、山林の維持と活用について、今こそ議論すべきときだろう。
今の日本で、アワ(粟)は雑穀として、むしろヘルシーな食材というイメージになってきているかと思っているが、ほんの数十年前まで、アワぐらいしか穀物の収穫できない生活が、日本のなかであったことは忘れてはならないことであると、私は思っている。
2025年1月31日記
よみがえる新日本紀行 「焼畑〜高知県池川町椿山〜」
テレビの番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。再放送。最初の放送は、2022年12月23日。見ながらなんとなく、椿山の焼畑のことが記憶にあったので、検索してみると、ETV特集で放送している。これは見て(再放送だったが)、思ったことを書いている。
2023年1月28日
ETV特集 消えた故郷へ帰るとき〜高知・椿山 50年の記録〜
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/M68GV8GW52/
やまもも書斎記 2023年7月18日
ETV特集「消えた故郷へ帰るとき」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/07/18/9602781
今から見ると、非常に貴重な映像の記録である。焼畑がどのようにして行われているのか(山を焼く前のお祈りの作法)、ミツマタの栽培や収穫後の処理はどのようにして行われていたのか、焼畑と山林の維持との関連、虫送りの踊りと音楽……民俗学的に見ても、貴重なものだろう。
この新日本紀行が放送されたのは、昭和51年(1976年)、これは私が東京で大学生だったころのことである。まだ、この時代、四国の山奥では、このような暮らしが実際にあった。焼畑がリアルな生活として存在し、それで暮らしている人びとがいた。それが急速に失われていったのが、その後の日本の姿ということになる。
今、ある意味では焼畑は見なおされてきている。かつては自然を破壊する原始的な農法という評価だったと思うが、近年では、自然の環境に配慮した、持続可能な農業のあり方の一つ、という位置づけに変わってきている、と私は認識している。
しかし、もはや焼畑を復活させることは不可能かもしれない。少なくとも、椿山の集落がもとのような生活の場にもどることはないだろう。
今後の最大の課題は、植林したヒノキをこれからどう育てていくかということなのだが、国内の林業の先行きはどうなのだろうか。間伐などして樹木を育てても、それを山の下の街まで運び降ろすことが、できるかどうか。集落までの道路はのこっているようだが、その道路の維持も大変である。廃村となった集落のために、道路を維持することが、これからの日本で可能だろうか。
番組を見ても、出てきたのは、主な作物はミツマタのほかにはアワぐらいであった。米は出てきていない。正月の餅も、アワでつくっている。電気はきているようだったが、主な燃料は薪になる。映っていたわけではないが、上水道はないだろう。
かつてのような生活にもどることはできないとしても、日本の国土として山林の保護は重要な意味があるに違いない。山林の樹木が価値をもつのは、植林してから数十年後のことになる。将来を見すえた、山林の維持と活用について、今こそ議論すべきときだろう。
今の日本で、アワ(粟)は雑穀として、むしろヘルシーな食材というイメージになってきているかと思っているが、ほんの数十年前まで、アワぐらいしか穀物の収穫できない生活が、日本のなかであったことは忘れてはならないことであると、私は思っている。
2025年1月31日記
ドキュメント72時間「聖夜の長崎 大病院のケーキ店」 ― 2025-02-03
2025年2月3日 當山日出夫
ドキュメント72時間 聖夜の長崎 大病院のケーキ店
病院のなかにケーキ屋さんがあるというのは、とても珍しい。
ただ、病院内にあるなら、含んでいる食品の成分とか、カロリーとか、表示があってもよさそうだと思ったのではあるが。
病気によっては、味覚の障害がある。そのことを確認するために、ケーキを買って食べるということは、確かに意味のあることだろう。食事というものが、ただ栄養をとるためだけではなく、味覚のこともあるし、さらには、人と人との関係をとりむすぶものであることは確かだろう。
「ドキュメント72時間」としては、大きな病院シリーズということなる。地域の中核的な大きな病院には、いろんな病気の人がくることになるし、そこにはさまざまな人生が背後にあることになる。
この番組では、レストランなど食べ物屋さんが舞台になることが多い。やはり、食べることを通じての、人と人とのかかわりがある。食べるものについての思い出もある。
まあ、私は、甘いものは自分から進んで食べるということは、基本的にはない。酒も、もう飲まなくなった。何を楽しみ生きているのだろうと思われるかもしれないが、毎日、なにがしかの文章を書く生活というのが、続けられればと思っている。
どうでもいいことだが、大学病院は公立の施設であるが、そこで、クリスマスを祝うというのも、日本的である。日本の年中行事のなかに定着している風習である。これが、アメリカのように、クリスマスに「メリークリスマス」と言ってはいけない、(キリスト教徒ではない人に対するPCの配慮)、というのも、なんだか味気ないなあ、という気がしている。
2025年2月1日記
ドキュメント72時間 聖夜の長崎 大病院のケーキ店
病院のなかにケーキ屋さんがあるというのは、とても珍しい。
ただ、病院内にあるなら、含んでいる食品の成分とか、カロリーとか、表示があってもよさそうだと思ったのではあるが。
病気によっては、味覚の障害がある。そのことを確認するために、ケーキを買って食べるということは、確かに意味のあることだろう。食事というものが、ただ栄養をとるためだけではなく、味覚のこともあるし、さらには、人と人との関係をとりむすぶものであることは確かだろう。
「ドキュメント72時間」としては、大きな病院シリーズということなる。地域の中核的な大きな病院には、いろんな病気の人がくることになるし、そこにはさまざまな人生が背後にあることになる。
この番組では、レストランなど食べ物屋さんが舞台になることが多い。やはり、食べることを通じての、人と人とのかかわりがある。食べるものについての思い出もある。
まあ、私は、甘いものは自分から進んで食べるということは、基本的にはない。酒も、もう飲まなくなった。何を楽しみ生きているのだろうと思われるかもしれないが、毎日、なにがしかの文章を書く生活というのが、続けられればと思っている。
どうでもいいことだが、大学病院は公立の施設であるが、そこで、クリスマスを祝うというのも、日本的である。日本の年中行事のなかに定着している風習である。これが、アメリカのように、クリスマスに「メリークリスマス」と言ってはいけない、(キリスト教徒ではない人に対するPCの配慮)、というのも、なんだか味気ないなあ、という気がしている。
2025年2月1日記
『あ・うん』「(3)「青りんご」」 ― 2025-02-04
2025年2月4日 當山日出夫
『あ・うん』 (3)「青りんご」
一九八〇年のドラマなのだが、やはりこれは向田邦子の作品ということで見ることになる。今の時代だったら、このドラマに描かれたような、友情とか、夫婦の関係とか、親子の関係とか……これらを、とても題材にできないだろう。一九八〇年(昭和五五年)のときには、このドラマの登場人物や設定に理解があり、共感する視聴者が多くいた。現在、そのような人がまったくいなくなったというわけではないが(現に、私はこの再放送を見ている)、このような筋立てのドラマを書ける脚本家は、もういないだろう。
現代の価値観からすると到底容認できないような、家庭のあり方だったり、夫婦関係だったりする。水田と門倉の友情も、どのようなきっかけがあれば、こんな人間関係が構築できるのか、想像することも難しいだろう。いや、ドラマが放送された一九八〇年の当時でも、かなり特殊な関係と思われていたにちがいない。だが、その無理なところを、ドラマに仕立ててみせるのが、向田邦子のうまいところ、ということになる。
そうはいっても、見ていると、こういう人間の気持ちもわかる気がする……という気になる。誰も悪い人は出てこない。山師のおじいちゃんも、悪い人手はない。みんなが、お互いの気持ちを分かるようでいて、本当のところは若いあえていない、しかし、だからといって孤独(近代的な意味での)ということでもない。
ところで、水田千吉は夜学の出である。これが、会社勤めをするなかで、コンプレックスになっていた時代があった。これも、過去のことである。門倉には二号がいるが、これを悪徳としては描いていない。まだこの時代には、こういうことに社会全体としておおらかであった。(今は、とてもこうはいかない。)
2025年1月30日記
『あ・うん』 (3)「青りんご」
一九八〇年のドラマなのだが、やはりこれは向田邦子の作品ということで見ることになる。今の時代だったら、このドラマに描かれたような、友情とか、夫婦の関係とか、親子の関係とか……これらを、とても題材にできないだろう。一九八〇年(昭和五五年)のときには、このドラマの登場人物や設定に理解があり、共感する視聴者が多くいた。現在、そのような人がまったくいなくなったというわけではないが(現に、私はこの再放送を見ている)、このような筋立てのドラマを書ける脚本家は、もういないだろう。
現代の価値観からすると到底容認できないような、家庭のあり方だったり、夫婦関係だったりする。水田と門倉の友情も、どのようなきっかけがあれば、こんな人間関係が構築できるのか、想像することも難しいだろう。いや、ドラマが放送された一九八〇年の当時でも、かなり特殊な関係と思われていたにちがいない。だが、その無理なところを、ドラマに仕立ててみせるのが、向田邦子のうまいところ、ということになる。
そうはいっても、見ていると、こういう人間の気持ちもわかる気がする……という気になる。誰も悪い人は出てこない。山師のおじいちゃんも、悪い人手はない。みんなが、お互いの気持ちを分かるようでいて、本当のところは若いあえていない、しかし、だからといって孤独(近代的な意味での)ということでもない。
ところで、水田千吉は夜学の出である。これが、会社勤めをするなかで、コンプレックスになっていた時代があった。これも、過去のことである。門倉には二号がいるが、これを悪徳としては描いていない。まだこの時代には、こういうことに社会全体としておおらかであった。(今は、とてもこうはいかない。)
2025年1月30日記
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