『坂の上の雲』「(20)旅順総攻撃(後編)」2025-02-01

2025年2月1日 當山日出夫

『坂の上の雲』 (20)旅順総攻撃(後編)

日露戦争の目的はいったい何だったのだろうか。ロシアにとっては、極東アジアにおける権益の確保であり、さらには、太平洋への出口を得る、ということだったと思う。それに対して、日本の目的は、そのロシアの脅威に対する防衛戦争というだけのことなのか。そこからすすんで、自らも大陸に進出して利権を獲得しようということまで目論んでのことだったのか。ドラマでは、基本的に対ロシア防衛戦争ということで描いているが、その後の日本の歴史は、朝鮮半島から満州にかけての進出ということになる。最終的には、これは失敗するし、世界の帝国主義の終わりということになう。それにかわって、東西冷戦の時代になるのだが。

この日露戦争の目的をどう考えるかで、旅順の意味も変わってくるにちがいない。ただ、防衛戦争ということなら、旅順を孤立させておけばよいかもしれない。しかし、極東におけるロシア勢力の一掃ということが目的なら、旅順は落とさなければならない最大の、敵の拠点ということになる。

このあたりのことが、これまでのドラマで、あまり明確になっているとは言いがたい、と私は思って見ている。

ドラマのなかで、旅順攻撃の全体像が見えているのが、児玉源太郎だけ、ということになっている。これは、歴史としてはどうだったのだろうか。

乃木希典をどう描くかは、難しいところだろう。司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、軍人としては無能、という評価になっている。だが、人物としては、明治天皇に忠節をつくした人物である。『坂の上の雲』では、西南戦争にさかのぼって、連隊旗を奪われた顚末について、かなり詳しく書いてあったと記憶する。

旅順の要塞攻撃に、二八サンチ榴弾砲が必要、ということなら、前もってその準備をしておかなければならない。旅順要塞がどのようなものであったか、単なるインテリジェンスの失敗であったのか、あるいは、戦術、作戦のミスであったのか、このあたりもはっきりしない。

遼陽の会戦で、クロパトキンは退却した。これをロイターが報じたということであるが、その記者は、どこでどういう取材をしていたのか、このことが具体的な描写であると、より説得力のあるドラマになったかもしれない。このドラマは、基本的に日本の視点であり、時として、ロシアのことが登場するのだが、世界がこの戦争をどう見ていたのか、ということは描いていない。せいぜい出てきたのが、ユダヤ人の資産家である。ロシアにおいても、また、その後のソ連においても、多くのユダヤ人が犠牲になってきたことは、知られていることであろう。

帝国主義の時代、東アジアの権益をめぐって、イギリスやアメリカはどう考えていたのか、ということも重要なことであるにちがいないが、こういうことは描かれていない。最終的にアメリカにたのんで、戦争が終わることになるが、これは、アメリカにとっては、太平洋をはさんで極東における権益と、どう関係するものだったのか、ということになる。

日露戦争の陸戦の戦場は、満州の地域ということだが、その地域にどのような人びとがどのように生活していたのか、そして、そこは清朝にとってどういう意味のある土地であったのか、こういうことも出てきていない。後の歴史としては、満洲国皇帝の溥儀のことにつながることになる。

このドラマの最大の問題点としては、日露戦争当時の日本の国内世論、また、政治家などが、どうであったのか。基本的に、マスコミというのは対外強行姿勢である。これは、今も変わらない。しかし、識者の一部には、日露戦争反対論もあったのだが、このような言説について、まったく触れていない。もし、今の時点でこのドラマを作るとするならば、こういうことは是非ともふくめなければならないことになるだろう。ただ、私は、日露戦争をそんなに否定的に考えるということはないのではあるが。

2025年1月31日記

レギュラー番組への道「○○で一番面白い話」2025-02-01

2025年2月1日 當山日出夫

レギュラー番組への道 ○○で一番面白い話

このシリーズは、ともかくお試し企画であるので、面白いものもあるし、よくわからないものもある。この企画の場合、ちょっと無理があったかな、という気がしないでもない。

確かにローカルな地域の情報というのは、面白いものがあることが多い。これだったら、「小さな旅」であつかっても、あんまり変わらないのではないかと思う。カッパ、相撲部で歌う学生、スクランブル交差点、これぐらいで、旅人が旅する番組でもいい。これを、無理矢理、ローカルな話題をバラエティ番組風にとりあげても、そう面白くなるものではないだろう。

見ていて、私が、一番面白かったのは、カッパの話し。マンホールがカッパだった。牛久のカッパをつかまえるのには、メロンが必要になるらしい。小川芋銭の事跡も、もうちょっと紹介してくれてもよかった。全国にカッパのいる地域はたくさんあるはずだが、牛久ならではのカッパということにした方がよかったのではないだろうか。

2025年1月29日記

BS世界のドキュメンタリー「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」2025-02-01

2025年2月1日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」

2023年、フランスの制作。

こういう番組を見て感じることの一つに、かつて植民地などであった国のことについて、旧宗主国の会社がかかわって作ることが多い。レバノンは、昔は、フランスの委任統治領であった(ざっと、Wikipediaを見たかぎりであるが)。やはり、その地域についてのいろんな情報、人脈、その他のいろんな関係が続いているということなのだろうと思う。

1982年のこの事件のことは、はっきりいって記憶にない。東京に住んでいたころのことになるのだが、そのころはテレビを持たない生活をしていた。新聞はとっていた。(朝日新聞は、東京で学生生活を始めたときからずっと講読している。)

見ていて思うことは、中東において、国民国家の確立に失敗した事例の一つ、といっていいのかな、ということであった。民族や宗教が複雑に入り組んだ地域にあって、近代的な国民国家をつくり、維持していく、近隣諸国とも仲よく(が、無理ならせめて戦争だけはしないように)……これは、かなり難しいことである。原因をさかのぼれば、イスラエルが悪い、さらには、かつてのイギリスとフランスが悪い、ということにはなるかもしれないが、現に今そこに生活している人びとのこととしては、少なくとも紛争がなく、安定した生活がおくれることが何よりだろう。

憎悪の連鎖という。国際的なテロ活動については、報復の連鎖といっていい。番組のなかで言っていたことばで印象に残ることとしては……つらいのは、自分の気持ちを人に語ることである、と言っていたのが、そういうものなのか、と思うところがあった。イスラム敎にしても、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、一神教の世界である。唯一の神に対する信仰があるとしても、それで気持ちが休まるということは無い、といっていいかもしれない。日本的な素朴なアニミズムのなかに生きているような感覚からすると……私は、日本の宗教観の根底にあるのは、宗派をとわず、汎神論的なアニミズムであると感じているのだが……一神教の世界に生きている人の感覚が分かりにくい。

憎悪の連鎖、報復の連鎖を断ち切るには、ゆるす、ということしかない……これは、おそらく理性的に考えて理解できることである。だが、具体的に、どのような事案に対して、どのような人たちを、ゆるすことができるのか、これは非常に難しい問題があると感じることになる。

テレビのドキュメンタリー番組が、結果として、憎悪を増幅することになるのか、あるいは、ゆるすことにつながるのか……見ながらいろいろと考えることがあった。

戦争やテロなどをあつかった番組を見ていつも感じることなのだが、人間は、ときとして非情に冷酷で残虐になりうるものである。特定の宗教とか思想、国家の指導者の影響にするのではなく、人間が生きてきた歴史はそのようなものであったし、今もそうである、ということを感じる。だからといって、近代的なヒューマニズムを否定するつもりはないけれど。

2025年1月24日記