BS世界のドキュメンタリー「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」2025-02-01

2025年2月1日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「レバノン1982 なぜ虐殺は起きたのか」

2023年、フランスの制作。

こういう番組を見て感じることの一つに、かつて植民地などであった国のことについて、旧宗主国の会社がかかわって作ることが多い。レバノンは、昔は、フランスの委任統治領であった(ざっと、Wikipediaを見たかぎりであるが)。やはり、その地域についてのいろんな情報、人脈、その他のいろんな関係が続いているということなのだろうと思う。

1982年のこの事件のことは、はっきりいって記憶にない。東京に住んでいたころのことになるのだが、そのころはテレビを持たない生活をしていた。新聞はとっていた。(朝日新聞は、東京で学生生活を始めたときからずっと講読している。)

見ていて思うことは、中東において、国民国家の確立に失敗した事例の一つ、といっていいのかな、ということであった。民族や宗教が複雑に入り組んだ地域にあって、近代的な国民国家をつくり、維持していく、近隣諸国とも仲よく(が、無理ならせめて戦争だけはしないように)……これは、かなり難しいことである。原因をさかのぼれば、イスラエルが悪い、さらには、かつてのイギリスとフランスが悪い、ということにはなるかもしれないが、現に今そこに生活している人びとのこととしては、少なくとも紛争がなく、安定した生活がおくれることが何よりだろう。

憎悪の連鎖という。国際的なテロ活動については、報復の連鎖といっていい。番組のなかで言っていたことばで印象に残ることとしては……つらいのは、自分の気持ちを人に語ることである、と言っていたのが、そういうものなのか、と思うところがあった。イスラム敎にしても、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、一神教の世界である。唯一の神に対する信仰があるとしても、それで気持ちが休まるということは無い、といっていいかもしれない。日本的な素朴なアニミズムのなかに生きているような感覚からすると……私は、日本の宗教観の根底にあるのは、宗派をとわず、汎神論的なアニミズムであると感じているのだが……一神教の世界に生きている人の感覚が分かりにくい。

憎悪の連鎖、報復の連鎖を断ち切るには、ゆるす、ということしかない……これは、おそらく理性的に考えて理解できることである。だが、具体的に、どのような事案に対して、どのような人たちを、ゆるすことができるのか、これは非常に難しい問題があると感じることになる。

テレビのドキュメンタリー番組が、結果として、憎悪を増幅することになるのか、あるいは、ゆるすことにつながるのか……見ながらいろいろと考えることがあった。

戦争やテロなどをあつかった番組を見ていつも感じることなのだが、人間は、ときとして非情に冷酷で残虐になりうるものである。特定の宗教とか思想、国家の指導者の影響にするのではなく、人間が生きてきた歴史はそのようなものであったし、今もそうである、ということを感じる。だからといって、近代的なヒューマニズムを否定するつもりはないけれど。

2025年1月24日記

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