『べらぼう』「蔦に唐丸因果の蔓」 ― 2025-02-03
2025年2月3日 當山日出夫
『べらぼう』「蔦に唐丸因果の蔓」
須原屋が出てきたのだが、まずは、この時代の書物の出版や販売のシステムが、書物の種類によってどうであったかということから、解説してあった方がいいだろうと思う。ここはお稲荷さんが説明してほしいところである。この方面のことについては、近年、研究の進んできている分野の一つといっていいだろうか。蔦重が関係することになる戯作や錦絵などと、漢籍など学問にかかわる書物、それから、仏書など、それぞれに制作、流通のシステムがあったはずである。また、こういうことについて、蔦重がまったく無知であったというのも、どうかなと思うところでもある。
地本問屋と書物問屋ということであるが、そこでどんな種類の本をあつかっていたのか、説明が必要だろう。あるいは、これはここから先のことになるのかもしれないが。
株仲間というのは、排他的ではある。しかし、その一方で、株を手にいれさえすれば(それを買うことができれば)、他からの参入もできるというのは、ある意味では、江戸時代は、一般にイメージされるようながんじがらめの身分制社会ではなかった、ということにもなる。
現代では、基本的には、どのような書物でも、一般の書店で流通するようになっている。街に書店があれば、そこからの注文で、アイドルの写真集であっても、専門的な学術書であっても、同じような流通システムで、ほしい人のもとにとどく。だが、このような書籍の流通システムが出来上がったのは、昭和の戦中から戦後にかけてであったと思うのだが、近代の書籍流通史については、その専門の研究をあたることになる。また、戦後でも、こういう流通ルート以外で、いろんな本が作られ売られていたこともある。(例えばであるが、戦後の貸本屋の書籍は、どのようにして作られて流通していたのか、という問題がある。)
その他に、近代、現代においても、地下出版ということはあったし、また、一般の書物の範疇にふくまれないグレーな領域の書物も存在する。
江戸時代の蔦重の時代、戯作や錦絵などは、どのような制作の過程があったのか、ということは、これから、このドラマの中で描かれていくことになるのだろう。(だが、それ以外の、江戸時代の出版の全体像がどうであったかということについての視点は重要である。)
田沼意次と平賀源内が言っていたが、国を開く、ということはどうだろうか。はっきりと「鎖国」ということばを使うのを避けた脚本になっていた、と理解する。歴史学的には、この時代の人びとにとって、日本が「鎖国」しているという概念があったかどうかは、疑わしい。ここは、江戸時代は「鎖国」の時代であったという一般的な見方と、現代の歴史学の考え方とを、折衷しての脚本であり科白であったということになるだろうか。
もし、田沼意次の時代に、すでに「開国」していたとしても、そんなに大規模に外国と取引できたとは限らないだろう。江戸時代が、いわゆる「鎖国」を維持できていたのは、スペインやポルトガルが引き下がって、それに変わってイギリスなどが、帝国主義的な植民地をもとめての侵略を、東アジアにすすめてくるまでの、奇跡的なパワーバランスの空白時期と重なったということも、あったはずである。イギリスがインドを植民地にし、そして、東南アジアを経て、清とアヘン戦争をするまでには、ちょっと時間がかかる。それに先んじて、アメリカがやってきたことになるのだが。また、ロシアが東方へ勢力を伸ばして、日本へ本格的に関心をしめすようになるのも、もう少し後のことになるかと思っている。
田沼と源内の話は、一般の視聴者の歴史知識を前提として、この時代はどうであったか、ということで、語られたものと理解しておいていいだろう。無論、オランダ以外のヨーロッパの国やロシアとの交易ということは、まったく非現実的であったわけではないだろう。
唐丸には何か過去があったようなのだが、この時点では明らかになっていない。行方不明になっているが、しかし、死んだということにもなっていない。これから先、再登場ということもあるのだろう、と思うが、どうなるだろうか。
平賀源内が山師……まあ、博打とは言っていたが……であって、秩父の産業の発展に寄与したということは、たしかなことといっていいのだろうが、気になるのは、この時代の製鉄法である。どのような方法で、鉄鉱石を採掘し、それから鉄を作っていたのだろうか。このあたりのことは、解説があった方がよかったかと思う。昔からのタタラ製鉄では、膨大な炭を使うことになるのだが、この時代はどうだったのだろうか。さらに江戸時代の江戸の人びとの、燃料事情というのは、どうだったのだろうか。台所で煮炊きに使う、冬の暖房につかう、炭や薪は、どういう生産と流通のルートがあったのだろうか。
平賀源内が、高松藩を辞するとき、他に奉公してはならないという条件がついていたことは知られていることだと思うのだが、ここも、もうちょっと説明してあった方がよかったかもしれない。あるいは、これから、お稲荷さんが話をしてくれるのかとも思うが。
自由、ということを平賀源内が言っていたが、江戸時代のこのころに、現代のわれわれが考えるような自由の概念があり得たか……これは、疑問に思うところなのだが、ここは、ドラマとして自由に生きた人間としての源内ということになるのだろう。
ドラマの筋とは関係ないのだが、見ていて興味深かったのは、蔦重と源内が江戸の通りで話をしているシーン。その話の内容よりも、背景に映っている江戸の町の風景や、人びとの身なりや、商売などが、気になった。これは、きちんと考証して作ってあるのだろうが、はたして、この時代の江戸市中の街の通りは、どんなだったのだろうかと思う。
江戸時代、ということを表現するのに、場所が吉原がメインになるというのは、やはり少し無理があるように思えてならない。
つきだし、と出てきていたが、このことばの意味がすんなり分かる人は少ないかもしれない。
ポッペンを吹く音は、テレビで初めて聴いたかもしれない。
本を作っても、板木は鱗形屋のものになる、と言っていたが、このあたりはどうだろうか。江戸時代の板本の板木の研究は、最近になって本格的な研究が始まったところであるが。
源内が、秩父から帰ってきて、すぐに吉原の蔦重のところに行ったようなのだが、これはどうなのだろうか。
それから、ちょっと気になったのは、唐丸が、蔦重のところからお金を盗んでいたとして、それを、お金の重さで考えるというのは、どうなのだろうか。どれだけのお金があるのか、きちんと帳面につけて管理してあるのが、普通だと思ったのだけれども。
2025年2月2日記
『べらぼう』「蔦に唐丸因果の蔓」
須原屋が出てきたのだが、まずは、この時代の書物の出版や販売のシステムが、書物の種類によってどうであったかということから、解説してあった方がいいだろうと思う。ここはお稲荷さんが説明してほしいところである。この方面のことについては、近年、研究の進んできている分野の一つといっていいだろうか。蔦重が関係することになる戯作や錦絵などと、漢籍など学問にかかわる書物、それから、仏書など、それぞれに制作、流通のシステムがあったはずである。また、こういうことについて、蔦重がまったく無知であったというのも、どうかなと思うところでもある。
地本問屋と書物問屋ということであるが、そこでどんな種類の本をあつかっていたのか、説明が必要だろう。あるいは、これはここから先のことになるのかもしれないが。
株仲間というのは、排他的ではある。しかし、その一方で、株を手にいれさえすれば(それを買うことができれば)、他からの参入もできるというのは、ある意味では、江戸時代は、一般にイメージされるようながんじがらめの身分制社会ではなかった、ということにもなる。
現代では、基本的には、どのような書物でも、一般の書店で流通するようになっている。街に書店があれば、そこからの注文で、アイドルの写真集であっても、専門的な学術書であっても、同じような流通システムで、ほしい人のもとにとどく。だが、このような書籍の流通システムが出来上がったのは、昭和の戦中から戦後にかけてであったと思うのだが、近代の書籍流通史については、その専門の研究をあたることになる。また、戦後でも、こういう流通ルート以外で、いろんな本が作られ売られていたこともある。(例えばであるが、戦後の貸本屋の書籍は、どのようにして作られて流通していたのか、という問題がある。)
その他に、近代、現代においても、地下出版ということはあったし、また、一般の書物の範疇にふくまれないグレーな領域の書物も存在する。
江戸時代の蔦重の時代、戯作や錦絵などは、どのような制作の過程があったのか、ということは、これから、このドラマの中で描かれていくことになるのだろう。(だが、それ以外の、江戸時代の出版の全体像がどうであったかということについての視点は重要である。)
田沼意次と平賀源内が言っていたが、国を開く、ということはどうだろうか。はっきりと「鎖国」ということばを使うのを避けた脚本になっていた、と理解する。歴史学的には、この時代の人びとにとって、日本が「鎖国」しているという概念があったかどうかは、疑わしい。ここは、江戸時代は「鎖国」の時代であったという一般的な見方と、現代の歴史学の考え方とを、折衷しての脚本であり科白であったということになるだろうか。
もし、田沼意次の時代に、すでに「開国」していたとしても、そんなに大規模に外国と取引できたとは限らないだろう。江戸時代が、いわゆる「鎖国」を維持できていたのは、スペインやポルトガルが引き下がって、それに変わってイギリスなどが、帝国主義的な植民地をもとめての侵略を、東アジアにすすめてくるまでの、奇跡的なパワーバランスの空白時期と重なったということも、あったはずである。イギリスがインドを植民地にし、そして、東南アジアを経て、清とアヘン戦争をするまでには、ちょっと時間がかかる。それに先んじて、アメリカがやってきたことになるのだが。また、ロシアが東方へ勢力を伸ばして、日本へ本格的に関心をしめすようになるのも、もう少し後のことになるかと思っている。
田沼と源内の話は、一般の視聴者の歴史知識を前提として、この時代はどうであったか、ということで、語られたものと理解しておいていいだろう。無論、オランダ以外のヨーロッパの国やロシアとの交易ということは、まったく非現実的であったわけではないだろう。
唐丸には何か過去があったようなのだが、この時点では明らかになっていない。行方不明になっているが、しかし、死んだということにもなっていない。これから先、再登場ということもあるのだろう、と思うが、どうなるだろうか。
平賀源内が山師……まあ、博打とは言っていたが……であって、秩父の産業の発展に寄与したということは、たしかなことといっていいのだろうが、気になるのは、この時代の製鉄法である。どのような方法で、鉄鉱石を採掘し、それから鉄を作っていたのだろうか。このあたりのことは、解説があった方がよかったかと思う。昔からのタタラ製鉄では、膨大な炭を使うことになるのだが、この時代はどうだったのだろうか。さらに江戸時代の江戸の人びとの、燃料事情というのは、どうだったのだろうか。台所で煮炊きに使う、冬の暖房につかう、炭や薪は、どういう生産と流通のルートがあったのだろうか。
平賀源内が、高松藩を辞するとき、他に奉公してはならないという条件がついていたことは知られていることだと思うのだが、ここも、もうちょっと説明してあった方がよかったかもしれない。あるいは、これから、お稲荷さんが話をしてくれるのかとも思うが。
自由、ということを平賀源内が言っていたが、江戸時代のこのころに、現代のわれわれが考えるような自由の概念があり得たか……これは、疑問に思うところなのだが、ここは、ドラマとして自由に生きた人間としての源内ということになるのだろう。
ドラマの筋とは関係ないのだが、見ていて興味深かったのは、蔦重と源内が江戸の通りで話をしているシーン。その話の内容よりも、背景に映っている江戸の町の風景や、人びとの身なりや、商売などが、気になった。これは、きちんと考証して作ってあるのだろうが、はたして、この時代の江戸市中の街の通りは、どんなだったのだろうかと思う。
江戸時代、ということを表現するのに、場所が吉原がメインになるというのは、やはり少し無理があるように思えてならない。
つきだし、と出てきていたが、このことばの意味がすんなり分かる人は少ないかもしれない。
ポッペンを吹く音は、テレビで初めて聴いたかもしれない。
本を作っても、板木は鱗形屋のものになる、と言っていたが、このあたりはどうだろうか。江戸時代の板本の板木の研究は、最近になって本格的な研究が始まったところであるが。
源内が、秩父から帰ってきて、すぐに吉原の蔦重のところに行ったようなのだが、これはどうなのだろうか。
それから、ちょっと気になったのは、唐丸が、蔦重のところからお金を盗んでいたとして、それを、お金の重さで考えるというのは、どうなのだろうか。どれだけのお金があるのか、きちんと帳面につけて管理してあるのが、普通だと思ったのだけれども。
2025年2月2日記
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