よみがえる新日本紀行「焼畑〜高知県池川町椿山〜」 ― 2025-02-03
2025年2月3日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「焼畑〜高知県池川町椿山〜」
テレビの番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。再放送。最初の放送は、2022年12月23日。見ながらなんとなく、椿山の焼畑のことが記憶にあったので、検索してみると、ETV特集で放送している。これは見て(再放送だったが)、思ったことを書いている。
2023年1月28日
ETV特集 消えた故郷へ帰るとき〜高知・椿山 50年の記録〜
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/M68GV8GW52/
やまもも書斎記 2023年7月18日
ETV特集「消えた故郷へ帰るとき」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/07/18/9602781
今から見ると、非常に貴重な映像の記録である。焼畑がどのようにして行われているのか(山を焼く前のお祈りの作法)、ミツマタの栽培や収穫後の処理はどのようにして行われていたのか、焼畑と山林の維持との関連、虫送りの踊りと音楽……民俗学的に見ても、貴重なものだろう。
この新日本紀行が放送されたのは、昭和51年(1976年)、これは私が東京で大学生だったころのことである。まだ、この時代、四国の山奥では、このような暮らしが実際にあった。焼畑がリアルな生活として存在し、それで暮らしている人びとがいた。それが急速に失われていったのが、その後の日本の姿ということになる。
今、ある意味では焼畑は見なおされてきている。かつては自然を破壊する原始的な農法という評価だったと思うが、近年では、自然の環境に配慮した、持続可能な農業のあり方の一つ、という位置づけに変わってきている、と私は認識している。
しかし、もはや焼畑を復活させることは不可能かもしれない。少なくとも、椿山の集落がもとのような生活の場にもどることはないだろう。
今後の最大の課題は、植林したヒノキをこれからどう育てていくかということなのだが、国内の林業の先行きはどうなのだろうか。間伐などして樹木を育てても、それを山の下の街まで運び降ろすことが、できるかどうか。集落までの道路はのこっているようだが、その道路の維持も大変である。廃村となった集落のために、道路を維持することが、これからの日本で可能だろうか。
番組を見ても、出てきたのは、主な作物はミツマタのほかにはアワぐらいであった。米は出てきていない。正月の餅も、アワでつくっている。電気はきているようだったが、主な燃料は薪になる。映っていたわけではないが、上水道はないだろう。
かつてのような生活にもどることはできないとしても、日本の国土として山林の保護は重要な意味があるに違いない。山林の樹木が価値をもつのは、植林してから数十年後のことになる。将来を見すえた、山林の維持と活用について、今こそ議論すべきときだろう。
今の日本で、アワ(粟)は雑穀として、むしろヘルシーな食材というイメージになってきているかと思っているが、ほんの数十年前まで、アワぐらいしか穀物の収穫できない生活が、日本のなかであったことは忘れてはならないことであると、私は思っている。
2025年1月31日記
よみがえる新日本紀行 「焼畑〜高知県池川町椿山〜」
テレビの番組表でたまたま見つけたので録画しておいて見た。再放送。最初の放送は、2022年12月23日。見ながらなんとなく、椿山の焼畑のことが記憶にあったので、検索してみると、ETV特集で放送している。これは見て(再放送だったが)、思ったことを書いている。
2023年1月28日
ETV特集 消えた故郷へ帰るとき〜高知・椿山 50年の記録〜
https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/M68GV8GW52/
やまもも書斎記 2023年7月18日
ETV特集「消えた故郷へ帰るとき」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/07/18/9602781
今から見ると、非常に貴重な映像の記録である。焼畑がどのようにして行われているのか(山を焼く前のお祈りの作法)、ミツマタの栽培や収穫後の処理はどのようにして行われていたのか、焼畑と山林の維持との関連、虫送りの踊りと音楽……民俗学的に見ても、貴重なものだろう。
この新日本紀行が放送されたのは、昭和51年(1976年)、これは私が東京で大学生だったころのことである。まだ、この時代、四国の山奥では、このような暮らしが実際にあった。焼畑がリアルな生活として存在し、それで暮らしている人びとがいた。それが急速に失われていったのが、その後の日本の姿ということになる。
今、ある意味では焼畑は見なおされてきている。かつては自然を破壊する原始的な農法という評価だったと思うが、近年では、自然の環境に配慮した、持続可能な農業のあり方の一つ、という位置づけに変わってきている、と私は認識している。
しかし、もはや焼畑を復活させることは不可能かもしれない。少なくとも、椿山の集落がもとのような生活の場にもどることはないだろう。
今後の最大の課題は、植林したヒノキをこれからどう育てていくかということなのだが、国内の林業の先行きはどうなのだろうか。間伐などして樹木を育てても、それを山の下の街まで運び降ろすことが、できるかどうか。集落までの道路はのこっているようだが、その道路の維持も大変である。廃村となった集落のために、道路を維持することが、これからの日本で可能だろうか。
番組を見ても、出てきたのは、主な作物はミツマタのほかにはアワぐらいであった。米は出てきていない。正月の餅も、アワでつくっている。電気はきているようだったが、主な燃料は薪になる。映っていたわけではないが、上水道はないだろう。
かつてのような生活にもどることはできないとしても、日本の国土として山林の保護は重要な意味があるに違いない。山林の樹木が価値をもつのは、植林してから数十年後のことになる。将来を見すえた、山林の維持と活用について、今こそ議論すべきときだろう。
今の日本で、アワ(粟)は雑穀として、むしろヘルシーな食材というイメージになってきているかと思っているが、ほんの数十年前まで、アワぐらいしか穀物の収穫できない生活が、日本のなかであったことは忘れてはならないことであると、私は思っている。
2025年1月31日記
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