『あ・うん』「(3)「青りんご」」2025-02-04

2025年2月4日 當山日出夫

『あ・うん』 (3)「青りんご」

一九八〇年のドラマなのだが、やはりこれは向田邦子の作品ということで見ることになる。今の時代だったら、このドラマに描かれたような、友情とか、夫婦の関係とか、親子の関係とか……これらを、とても題材にできないだろう。一九八〇年(昭和五五年)のときには、このドラマの登場人物や設定に理解があり、共感する視聴者が多くいた。現在、そのような人がまったくいなくなったというわけではないが(現に、私はこの再放送を見ている)、このような筋立てのドラマを書ける脚本家は、もういないだろう。

現代の価値観からすると到底容認できないような、家庭のあり方だったり、夫婦関係だったりする。水田と門倉の友情も、どのようなきっかけがあれば、こんな人間関係が構築できるのか、想像することも難しいだろう。いや、ドラマが放送された一九八〇年の当時でも、かなり特殊な関係と思われていたにちがいない。だが、その無理なところを、ドラマに仕立ててみせるのが、向田邦子のうまいところ、ということになる。

そうはいっても、見ていると、こういう人間の気持ちもわかる気がする……という気になる。誰も悪い人は出てこない。山師のおじいちゃんも、悪い人手はない。みんなが、お互いの気持ちを分かるようでいて、本当のところは若いあえていない、しかし、だからといって孤独(近代的な意味での)ということでもない。

ところで、水田千吉は夜学の出である。これが、会社勤めをするなかで、コンプレックスになっていた時代があった。これも、過去のことである。門倉には二号がいるが、これを悪徳としては描いていない。まだこの時代には、こういうことに社会全体としておおらかであった。(今は、とてもこうはいかない。)

2025年1月30日記

BS世界のドキュメンタリー「ドイツの内なる脅威 躍進する“極右”政党」2025-02-04

2025年2月4日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ドイツの内なる脅威 躍進する“極右”政党」

二〇二四年、イギリス、アメリカの制作。

この番組自体は、どちらかといえばリベラルより、あるいは、反右翼、という立場で作ってある。これは、今の時代のジャーナリズムのあり方としては、普通かと思う。

そうはいっても、ドイツの右翼政党(あるいは、立場によっては、極右政党と見ることになる)のAfDの主張も、取材している。

このような番組について、私が考えることとしては、何故、多くの人びとがAfDを支持することになっているのか、ということの背景について語っているかどうか、ということである。AfDは、ドイツへの移民のこれ以上の増加を歓迎しない。あるいは、排斥しようとしている。これは、主張としてはたしかにそのとおりなのだが、では、何故、ドイツにすむ人びとが、そのような気持ちになるのか、現実を見ることが重要だと思っている。

ドイツ国内で、イスラム系の人びとが、どこにどれぐらい生活していて、そこでの暮らしぶりはどんななのか、地元にもとからいる人たちはとはどうなっているのか、このあたりのことをきちんとふまえないで、ただ、双方の主張だけを並べても意味はない、と思うのである。

人間は同じような文化や宗教や価値観を持ったものどうしで、仲間をつくりたがるものである。これは、右派も左派も同じである。現実に、リベラルという人たちも、その主張を共有する人間同士で、仲間をつくっている。問題なのは、それと異なる価値観をいだく人に対して、どう接するかということになる。

自分たちの価値観を共有しないというだけで、犯罪者あつかいするのは、どうだろうかと思うこともある。

興味深かったのは、リベラル側のデモの映像。ここで、多様性をかかげてレインボーフラッグを持っている人がいた。移民に対して寛容であれ、という主張なのだろうと思う。だが、イスラムの教義はで同性愛は認められない罪である、ということを分かっているのだろうか。多様な価値観を認めるべきだといいながら、その結果として、不寛容な価値観を持つことを肯定することになる。多様性を主張するときに、性的多様性に不寛容な人たちも許容せよ、というのは矛盾している。(だからといって、私は、イスラムの教えを否定するつもりはまったくない。その教義のなかで普通に生活する人びとのことは、尊重されなければならない。)

番組の中でも指摘されていることだが、右翼政党の活動を取材するのに、隠れてしのびこんでこっそりと、そこにいる人間の姿を写したり、手紙の宛名を記録したり、これはどう考えてみても、正統な取材方法とはいえないだろう。(完全に違法とはいえないかもしれないが。)目的が正しければ、どんな手段をとってもかまわないという発想は、きわめて危険である。

番組の意図としては、AfDの脅威ということを伝えたかったのかと思うが、結果的には、いわゆるリベラル側の問題点を露呈することになったかと思うことになる。

2025年1月23日記

よみがえる新日本紀行「都ぞ弥生〜札幌・北大恵迪寮〜」2025-02-04

2025年2月4日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 都ぞ弥生〜札幌・北大恵迪寮〜

たまたま私が勉強してきた分野が、国語学、日本語学のなかでも、訓点語、文字、表記、ということなので、(その分野に知識のある人にとってはよく知られていることだが)、北海道大学の関係者には知り合いが多い。そこの先生であったり、卒業生であったりという人たちとは、学会などでよく話しをした。(もう、今では、ほとんど学会にも出なくなってしまったが。)

もとの番組は、昭和五〇年の放送である。ちょうどこの時期、私が、大学生になって東京で一人暮らしをはじめたころになる。同じ時代、北海道大学で勉強していた人たち(番組に映っていた)とは、ほぼ同年配ということになる。

昭和五〇年ごろは、その数年前までの、七〇年安保闘争が終わって、全国の大学がようやく平穏をとりもどしたころだったと、今から回顧することになる。都会……特に東京……の若者は、おしゃれに見えた。この時代、ちまたに流行った歌でいえば、『神田川』(かぐや姫)、『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)、などが印象に残っている。まさに、この時代の学生の感覚を表している。

一方で、戦前からの旧制高校、大学での、バンカラの気風も一部には残っていた。私が学んだのは、慶應義塾大学の文学部であったが、春と秋の慶早戦(慶應の場合、こういう言い方になる)では、随分と無茶をする学生もいた。慶應の場合であれば、日比谷公園の噴水でおよぐということになるが……もう、今では、このようなことはなくなっているだろうと思うが。

北大の恵迪寮の生活は、旧制の高校、予科、などの雰囲気を色濃く残していたことになる。この時代、このような学生の生活があったということは、記録には残っていていいことだと思う。ストーム映像などは貴重なものかもしれない。

いまなお、この恵迪寮の生活は、古くからの「伝統」を残しているようだ。世の中に、このようなところがあってもいいと私は思っている。(今時の学生だから、昔のような無茶なことはしないだろう。)

『都ぞ弥生』の歌は知っている。いつ憶えたかは定かではないが、私の年代ならば、若いときにどこかで耳にしたことがあったはずである。その歌をうたうとき、「アインス、ツヴァイ、ドライ」とドイツ語で言っているのは、まさに、旧制の高校以来の、これも「伝統」というべきことになる。

少し前のことになるが、「ドキュメント72時間」で、この恵迪寮のことをあつかっていたのを思い出した。寮に女子学生が入るようになり、個室もある、これも時代の流れである。

2025年2月2日記