カラーでよみがえる映像の世紀「(2)大量殺戮の完成」 ― 2025-02-10
2025年2月10日 當山日出夫
カラーでよみがえる映像の世紀 (2)大量殺戮の完成 〜兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た〜
二月八日、土曜日の放送。たまたま大雪の日だったので、(我が家の近辺はさいわいどうということはなかったが)、放送は、大雪情報と一緒だった。これは、再放送もあるだろうと思うが、ともかく見たときに思ったことを書いておく。
エイゼンシュテインの映画を、カラー化することは、どういう意味があるのだろうか。チャップリンの映画をカラー化して見たいだろうか。
これには、二つの考え方がある。
一つには、その時代の技術の範囲で、どれだけの表現ができるかということで作った作品である。であるならば、その時代の技術の範囲で見るべきである。白黒の映画しかない時代のなかで、どのような表現をしたのか、それこそが重要な意味がある。
二つには、もしその当時にカラーフィルムがあったなら、それを使っただろう。たまたま白黒のフィルムしかなかっただけである。その表現したかったものを理解するためには、カラー化は別に悪いことではない。いや、その表現を高めるものである。
さて、どう考えるべきだろうか。
たとえば、黒澤明の映画、『羅生門』や『赤ひげ』をカラー化して見たいと思うひとは、まあ、いないだろう。黒澤明は、カラーフィルムが実用化されてからでも、あえて白黒で映画を作っている。その表現の意図を理解するためには、白黒のままで見るべき、というのは普通の感覚だろう。
普通の記録フィルムのカラー化は、まあ、批判はあるにしても、その当時のことをイメージするのに役立つということはある。しかし、創作として作られた映画をカラー化することは、やはり、いろいろと考えるところがある。
この番組、「映像の世紀」が作られたのは、今から三〇年ほど前のことになる。この時代、東西冷戦がおわり、一種の安定した歴史観が支配的だったころかと思い出すことになる。今、この番組を見ても、それほど、現代の社会……二一世紀になってからのいろんな戦争やテロなど……に対する、批判のまなざしは感じない。むしろ、三〇年前においては、ナショナリズムというものを、かなり肯定的に描いている。第一次世界大戦はいろんな側面があるが、一つには、オーストリア・ハンガリー帝国、バルカン半島地域における、民族のナショナリズムが、一つの要素としてあることはたしかだろう。現代では、(特に左翼的な立場からは)ナショナリズムは、危険な思想とされがちであるが、第一次世界大戦のころのことを理解するためには、逆に、肯定的に見ることになるかと思う。
これ……ナショナリズム……は、帝国主義のヨーロッパ諸国の植民地であった国々にも、波及することになる。第一次世界大戦から、その後の第二次世界大戦を経て、ナショナリズムのもとに、植民地であった地域が独立をはたしていくことになる。
ガンジーが、イギリスの戦争に協力するべきだと主張したことは興味深い。ガンジーというと、絶対平和主義というイメージなのだが、インド独立にいたるまでの世界の情勢のなかで、どのように考えてきたことになるのだろうか。
中国人の労働者が、物資の輸送などに使役されていたのだが、番組のなかでは、苦力(クーリー)とは言っていなかった。さて、このような中国人の労働者は、戦争の終わった後には、どうなったのだろうか。
馬と歩兵で始まった戦争は、その後、機関銃、戦車、飛行機、潜水艦といった新しい兵器をつかったものになり、これは、その後の第二次世界大戦に引き継がれることになる。(どうでもいいことだが、映画「眼下の敵」のなかで、Uボートの艦長が、昔の第一次世界大戦のころの戦いかたを懐古するシーンがあったのを思い出す。)
機関銃の威力は、その前の、日露戦争のときに、威力は知られていたはずだが、各国の軍隊がそれを軍備として重要なものと認識していたということではなかったということなのだろうか。(しかし、機関銃に対して、歩兵による突撃で戦うというのは、太平洋戦争の日本軍まで行われていたことになる。日本の軍隊は、第一次世界大戦から、いったい何を学んだ、あるいは、学ばなかったのだろうか。)
戦争は、社会を変える大きな要因になる。いろんな技術について、使えるものは何でもつかう。結果的に、技術の発達をうながすことにはなる。女性の社会進出についても、戦争のはたした役割を、肯定的に見ることも可能である。(だからといって、戦争自体を肯定するということではないが。)
この回で特に印象に残っているのは、シェルショック(戦争神経症)となった兵士たち。この三〇年前の番組の段階では、まだ、PTSDということばが、そう世の中で広く使われている時代ではなかった、ということになる。
2025年2月9日記
カラーでよみがえる映像の世紀 (2)大量殺戮の完成 〜兵士たちはすさまじい兵器の出現を見た〜
二月八日、土曜日の放送。たまたま大雪の日だったので、(我が家の近辺はさいわいどうということはなかったが)、放送は、大雪情報と一緒だった。これは、再放送もあるだろうと思うが、ともかく見たときに思ったことを書いておく。
エイゼンシュテインの映画を、カラー化することは、どういう意味があるのだろうか。チャップリンの映画をカラー化して見たいだろうか。
これには、二つの考え方がある。
一つには、その時代の技術の範囲で、どれだけの表現ができるかということで作った作品である。であるならば、その時代の技術の範囲で見るべきである。白黒の映画しかない時代のなかで、どのような表現をしたのか、それこそが重要な意味がある。
二つには、もしその当時にカラーフィルムがあったなら、それを使っただろう。たまたま白黒のフィルムしかなかっただけである。その表現したかったものを理解するためには、カラー化は別に悪いことではない。いや、その表現を高めるものである。
さて、どう考えるべきだろうか。
たとえば、黒澤明の映画、『羅生門』や『赤ひげ』をカラー化して見たいと思うひとは、まあ、いないだろう。黒澤明は、カラーフィルムが実用化されてからでも、あえて白黒で映画を作っている。その表現の意図を理解するためには、白黒のままで見るべき、というのは普通の感覚だろう。
普通の記録フィルムのカラー化は、まあ、批判はあるにしても、その当時のことをイメージするのに役立つということはある。しかし、創作として作られた映画をカラー化することは、やはり、いろいろと考えるところがある。
この番組、「映像の世紀」が作られたのは、今から三〇年ほど前のことになる。この時代、東西冷戦がおわり、一種の安定した歴史観が支配的だったころかと思い出すことになる。今、この番組を見ても、それほど、現代の社会……二一世紀になってからのいろんな戦争やテロなど……に対する、批判のまなざしは感じない。むしろ、三〇年前においては、ナショナリズムというものを、かなり肯定的に描いている。第一次世界大戦はいろんな側面があるが、一つには、オーストリア・ハンガリー帝国、バルカン半島地域における、民族のナショナリズムが、一つの要素としてあることはたしかだろう。現代では、(特に左翼的な立場からは)ナショナリズムは、危険な思想とされがちであるが、第一次世界大戦のころのことを理解するためには、逆に、肯定的に見ることになるかと思う。
これ……ナショナリズム……は、帝国主義のヨーロッパ諸国の植民地であった国々にも、波及することになる。第一次世界大戦から、その後の第二次世界大戦を経て、ナショナリズムのもとに、植民地であった地域が独立をはたしていくことになる。
ガンジーが、イギリスの戦争に協力するべきだと主張したことは興味深い。ガンジーというと、絶対平和主義というイメージなのだが、インド独立にいたるまでの世界の情勢のなかで、どのように考えてきたことになるのだろうか。
中国人の労働者が、物資の輸送などに使役されていたのだが、番組のなかでは、苦力(クーリー)とは言っていなかった。さて、このような中国人の労働者は、戦争の終わった後には、どうなったのだろうか。
馬と歩兵で始まった戦争は、その後、機関銃、戦車、飛行機、潜水艦といった新しい兵器をつかったものになり、これは、その後の第二次世界大戦に引き継がれることになる。(どうでもいいことだが、映画「眼下の敵」のなかで、Uボートの艦長が、昔の第一次世界大戦のころの戦いかたを懐古するシーンがあったのを思い出す。)
機関銃の威力は、その前の、日露戦争のときに、威力は知られていたはずだが、各国の軍隊がそれを軍備として重要なものと認識していたということではなかったということなのだろうか。(しかし、機関銃に対して、歩兵による突撃で戦うというのは、太平洋戦争の日本軍まで行われていたことになる。日本の軍隊は、第一次世界大戦から、いったい何を学んだ、あるいは、学ばなかったのだろうか。)
戦争は、社会を変える大きな要因になる。いろんな技術について、使えるものは何でもつかう。結果的に、技術の発達をうながすことにはなる。女性の社会進出についても、戦争のはたした役割を、肯定的に見ることも可能である。(だからといって、戦争自体を肯定するということではないが。)
この回で特に印象に残っているのは、シェルショック(戦争神経症)となった兵士たち。この三〇年前の番組の段階では、まだ、PTSDということばが、そう世の中で広く使われている時代ではなかった、ということになる。
2025年2月9日記
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