フランケンシュタインの誘惑「サリンの父 サリンの子」2025-02-10

2025年2月10日 當山日出夫

フランケンシュタインの誘惑 サリンの父 サリンの子

たとえそれがサリンであっても、最終的な化学式が分かっていて、それを作ってみようとして、それができた、ということには、純粋な喜びがあったのだろう……と、私は思う。このような喜びを、筑波大学の研究室は、土谷正実に与えることができなかった、もっと具体的にいえば、そのようなポストが将来的に約束されていなかった、このことは言っていいことだと思う。(言うまでもないと思うが、現在では、大学院で勉強したとしても、その先の未来が約束されている時代ではなくなっている。報酬の多寡の問題もあるが、それよりも、自分の能力と知識を生かせる場所を提供できるかどうかが、重要である。)

サリンという物質については、その用途が神経ガスとして化学兵器に使うぐらいしか道がない、ということは、容易に想像できることだったと思われる。この意味では、サリンを発明したシュラーダーも、また、それを作った土谷正実も、科学者としての責任から自由であったとは思えない。

世の中には、デュアルユース、軍民両用、という技術は確かに存在する。GPSをたよりに目的地まで自律的に移動できるドローンなどは、その典型といってもいいだろう。しかし、猛毒の神経ガスの民生利用ということは、想像しにくい。

ところで、毒ガスの使用は第一次世界大戦から実用化されたと思っているのだが、この当時は、どんなガスがどう使われたのだろうか。

ナチス・ドイツが崩壊した後、そこの科学者たちの研究が、連合国側……要するに勝った側……に引き抜かれていったことは、別にサリンに限ったことではないはずである。ナチスのV2ロケットがなければ、その後の軍事用のミサイルも、また、宇宙開発用のロケットもなかったろう。

科学者の社会的責任という方向から考えることもできるし、また、その一方で、科学とはどんなもので、それを社会はどうあつかうべきものなのか、という社会の側からの立場を考えることも、必要だろう。科学者に良心があれば、悪いことはしないというだけでは、問題は解決することではないと、私は思う。

2025年2月4日記

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