100分de名著「デュルケーム“社会分業論” (2)自律的個人はこうして生まれた」2025-02-13

2025年2月13日 當山日出夫

100分de名著 デュルケーム“社会分業論” (2)自律的個人はこうして生まれた

人間は、自立した個人であることを義務的に強いられるよりも、集合意識のなかで生きていることの方が、幸福である……私も、この歳まで生きてきて、なんとなくこのことばに共感するようになってきた、ということは確かである。何もかも自分の意志で決めて、その結果は、自分で責任を取る、ということが、かならずしも良いことばかりではないと思うようになってきている。

また、この番組では言っていないことなのだが、近年の行動科学などの知見からするならば、人間は、そう自由に自分の「自由意志」というものにしたがっているのではない、ということもいえるかと思う。切り捨てたはずの、古くからの社会的伝統などから、完全に自由であることは難しい。何度も書いていることなのだが、人間は、文化と歴史から自由ではありえない、ということである。

ところで、デュルケームの考えた、古代の人びとの生活というのは、おそらくは、アフリカなどの先住民の生活からヒントを得たものかもしれない。ヨーロッパが帝国主義の時代、世界に殖民地を作ったが、それと同時に、現地に暮らす人びとについての知見も得ることになる。そのようなことが、原始状態における人間の生活ということを考えることにつながっている、ということだろう。これは、ホッブズやルソーあたりからの西欧の啓蒙思想、社会契約論の、根底にあることでもある。

天邪鬼な考え方かもしれないが、集合意識の崩壊ということについては、今日のフェミニズムは、とんでもないと反発することになるにちがいない。古い家父長制的、男性中心的な価値観を温存してきたのは、まさに、ここでいわれている、集合意識のなかで生きてきた人間だからである。男はこうである、女はこうであるという、古くからの価値観を疑わないで生きてきた……ある意味では、このこと自体は、悪いことではないかもしれないが、しかし、今日の価値観からすると、全面的に否定的に考えなければならないことになるはずである。

古くからの価値観が崩壊したとき、世の中は分かりやすいヒーローをもとめる、ということで、今のアメリカのトランプ大統領を映していたが、どうなのだろうか。トランプ大統領の存在には、もっと複雑なアメリカ社会の事情があるように思うが。そして、強いていえば、トランプ大統領を、このように分かりやすく理解してしまおうということも、また、危険な短絡かもしれないと思うのであるが。

2025年2月11日記

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