「たたかう蔦屋重三郎 いざ!三本勝負」2025-02-14

2025年2月14日 當山日出夫

たたかう蔦屋重三郎 いざ!三本勝負

『べらぼう』関係の番組がいくつか放送であるなかの一つ。

まあ、たしかに蔦屋重三郎が何をした人なのか、ということの概略は分かるのだけれども、それが時代のなかでどういう意味を持つものだったのか、という観点からは、やはり疑問が残る。というよりも、江戸時代の出版の全体像というのが、まだ未解明な研究領域であるというべきかもしれない。

吉原細見、喜多川歌麿、東洲斎写楽、このあたりが、蔦重のかかわった大きな仕事ということにはなる。

吉原細見についていえば、その時代の吉原がどんなところで、また、江戸市中の岡場所などがどんなふうだったのか、ということが分からないと、蔦重のやったことの意味が分からない。しかし、これは、江戸時代の売春の実態ということにもなるので、その研究をどうすすめるか、また、どう公開するかということは、今の時代としては、かなり難しいところがあるかとは思っている。

ドラマの『べらぼう』は、吉原を、とにかく映像美の観点からどう描くかということに腐心しているように見ている。

喜多川歌麿、東洲斎写楽の浮世絵は、現代では、江戸時代の美術としてきわめて高く評価されている。しかし、浮世絵が評価されるようになったのは、海外に流出してから、外国での評判が高まってのことだというのが、一般の認識だろう。日本から流出したとき、それらは、ゴミとして出ていったというのが、私の思っているところである。

また、東洲斎写楽の役者絵は、すばらしいのだが、これも、その時代の江戸の人びとにどう受け入れられたのかということになると、考えることがあると思う。江戸の人びとにとって、写楽の役者絵は、理解できないものだったのかもしれない。

興味深かったのは、番組の最後のところで、本居宣長にふれて、出版の全国展開ということを語っていたことである。それよりも、まず、本居宣長が、伊勢の松阪にいながら、どうしてあのような偉大な業績を残すことができたのか、その背景にある、近世の出版文化、そのなかでも、和漢の古典についての出版ということが、重要である。

狂歌についても、狂歌が分かるためには、いわゆる日本の古典の和歌についての一通りの知識が必要であり、古典にのっとった和歌が詠めることを、前提にして、そのパロディとして、人びとは楽しんでいたことになるあ。

蔦重の仕事の主な部分は、サブカルチャー、カウンターカルチャーという領域になると思うが、これの意味を理解するためには、時代におけるハイカルチャー、メインカルチャーということについて、知っている必要がある。

「古典は本当に必要なのか」という議論があるが、江戸時代の知的上層階層の人びとにとっては、日本の古典についての知識が、広くひろまっていた時代であるということを、理解しておく必要があるかと思う。

2025年2月10日記

映像の世紀バタフライエフェクト「麻薬 世界を狂わせた欲望」2025-02-14

2025年2月14日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 麻薬 世界を狂わせた欲望

こういう番組の場合、資料(映像)の関係から、どうしてもそれを入手しやすいところのことを中心に描くことになる。昔の中国の阿片屈からはじまって、多くはアメリカの事例だった。たしかにアメリカという国は、麻薬の国であるといっていいにちがいないが、アメリカだけが突出して問題ということではないかもしれない。おそらく、この問題は世界中に広がっていることであろう。

現代の日本も例外ではないと思うが、そう大きく社会問題になるほどにはなっていない。ただ、私の世代なら、日本におけるヒロポン中毒ということについては、なんとなく憶えたことばである。日常的にニュースになっていた、ということだろうか。

ジャズ・ミュージシャン、ロック・ミュージシャンたちにとって、麻薬(と酒)は切っても切れないものである……というのは、改めて言うまでもなく当たり前のことであると認識している。ウッドストックのことは、今から、どう評価することになるだろうか。反体制的な若者たちの熱狂にはちがいないのだが、そこには、麻薬と奔放な性の解放ということがあった。

戦争中に兵士に対して薬物が使われたということは、多くの証言や資料が残っていることだろうと思う。意図的に行われた場合もあれば、ベトナム戦争のときのように、戦場の兵士がやむにやまれず始めたということもあったかもしれない。ベトナム戦争の場合、いったいどこから手に入れたのだろうか。アメリカ本国から持ち込んだものだったのか、あるいは、ひょっとすると、敵であるベトナムからの工作だったのか(これは、考えすぎだろうか)。そして、同じようなことを、ベトコン側でもやっていなかったということは、考えにくい。(これについては、資料が残っているかどうかということもあるが。)

番組の最後で、シリアが崩壊した後に発見された麻薬工場が写っていたのだが、ここで生産された麻薬は、どこに流れてどう使われたのだろうか。シリアの背後にいたのは、ロシアであるということなので、ロシアがかかわっていたとしても、不思議ではないが、今は、そこまで取材することはできないのかとも思う。

気になるのは、今の中国とかロシアのことである。完全に押さえ込んでいるのか、あるいは、こっそりと政府が関与して、麻薬ビジネスを闇で展開しているのか、あきらかになるのは、もっと先になってからだろう。

アメリカで問題になっているフェンタニル、オピオイド系の麻薬であるが、これがメキシコ経由でアメリカに密輸されているならば、それをストップしようというのは、これはこれとして、きわめて妥当な政治的判断であると、私は思う。

番組のはじめで紹介されていたジョン・レノンのことばは、まあ、近代における個人というのは、そういうものだよなあ、という印象で聞いていた。(たまたま、録画してあったのを見る順番で、「100分de名著」に続けて見たので。)

番組では言っていなかったことだが、満州国における甘粕正彦のことも、気になるところである。

2025年2月11日記

3か月でマスターする江戸時代「(6)なぜ立て続けに「改革」した?(1)徳川吉宗〜田沼意次」2025-02-14

2025年2月14日 當山日出夫

3か月でマスターする江戸時代 (6)なぜ立て続けに「改革」した?(1)徳川吉宗〜田沼意次

この回は、吉宗と田沼意次。見ていて、なるほどなあ、と思うところがある一方で、今一つ隔靴掻痒という気がする。それは、前にも書いたことなのだが、江戸時代の幕藩体制は、米作が基本であり、それからの年貢で、すべて動いていた……まあ、たしかにそのとおりなのかとも思うが、これで本当にその時代の経済が回っていたのだろうかと、思ってしまうところにある。

米という穀物の利用価値は、とにかく食べることだけである。お米の御飯を炊いて、それを主食にする。あるいは、一部では、それを原料にしてお酒を造る。しかし、これ以外の利用法はたぶんないだろう。

このとき気になるのは、次のことである。

第一に、全国で、どこでどれぐらいの米が取れたのか。そして、それは、どのように流通して、消費されたのか。江戸時代の人びとは、身分や階層にもよるだろうが、いったい何を食べていたのか。お米を、いちいち江戸や大阪まで運んでいたとしても、その後、その米はどう消費されたのか。換金するとして、お米の流通と、貨幣のシステムは、どのように連動していたのか。

第二に、米が作れない地域、あるいは米作をしない人びとの生活はどのようなものであったのか。たとえば、漁民であったり、山間部に住む人びとであったり、あるいは、旅から旅へと移動する人びとであったり。また、商業従事者は、どのようにして暮らしていたのか。具体的には、どのようにして、お米を買っていたのか。それを、どのように食べていたのか。また、人間はお米の御飯だけを食べては生きていけない。それ以外の食物は、どうだったのだろうか。

お米を基準に考える江戸時代ということになると、どうしても、その流通のシステムが重要であることになるし、同時に、日本の農耕と食文化の歴史、これが密接にからんだ領域のことになる。

どうもこのあたりのことが、すっきりとしないのである。

吉宗を米将軍と称するのは、そうなのだろうが、だからといって、吉宗の時代から日本の人びとの食生活が結果的に米中心になった、というわけではあるまい。米将軍という言い方は、シンボリックに「米」と言っていることになるが、この時代の米とは、どんなものだったのだろうか。上げ米ということがあったとしても、現物のお米を江戸まではこんだのだろうか。そうだとしても、その米は、換金するしかなかったはずである。江戸市中に米があふれた、ということでもないだろう。その米は、誰が食べたと理解すればいいだろうか。米は、食べることしか最終的な利用価値がないものである。

もちろん、上述のようなことを考えるためには、「貨幣とは何か」という、経済学の、あるいは、哲学の、重要な問題があることを、考えなければならないことになる。歴史学者は、「貨幣とは何か」ということについて、どう考えているのだろうか。このことを考えずに、商品経済の発達、などと言っても、たしかにそのとおりだとは思うが、何か本質的なところを見誤っているようにも、思えてならない。

米をタテマエとしたのが江戸時代だったといっていいかもしれないが、それならそれで、実態の経済はどうだったのか、ということが気になるのである。このタテマエの論理の構成が気になるといってもいいだろうか。

おそらく、米をタテマエとしない社会の成立ということが、明治維新ということになるのかもしれない、とは思うところである。たぶん、明治になってからの地租改正、秩禄処分、というあたりの経済的、社会的意味を、考えるところから、さかのぼって江戸時代を見るとどうだったのか、というアプローチもあるかもしれない。近代的な税制度の確立から、それ以前の社会のあり方がどうであったのかを考えることになる。近世と近代の、政治的経済的な連続と不連続を見ることができるだろう。

もし、私が若くて学生だったら自分で勉強してみたいと思うのだが、もうその元気もないので、ただ思うだけである。歴史学の方面では、すでに研究が進んでいることかもしれないけれど。

2025年2月13日記