『カーネーション』「鮮やかな態度」 ― 2025-02-16
2025年2月16日 當山日出夫
『カーネーション』「鮮やかな態度」
娘たちの世代へと時代が変わっていく。このドラマの良さというべきところは、糸子の父の善作の時代、糸子の時代、糸子の娘たちの時代、それから糸子の晩年、というふうに時代をおって展開していく。そのなかで、各世代によってものの考え方に違いがある。それを、それぞれに肯定的に描いていることである。決して旧弊として否定していない。
最初の方では、糸子がミシンの技術を身につけるために働きたいと言ったところで、父親の善作は激怒していた。それでもなんとか糸子はミシンを憶え、洋裁ができるようになって、独立する。善作は、あっさりと岸和田の「小原呉服店」の看板を「オハラ洋装店」に変えて、糸子にゆずった。
娘たちの世代になって、糸子が、岸和田の「オハラ洋装店」の看板をゆずろうとしても、今度は、誰もそのことに関心をしめさない。東京のデパートで店をはじめる、心斎橋で店をひらく、あるいは、パリに行く、ということで、結局「オハラ洋装店」の看板を糸子は守り続けることになる。
このドラマは、ある見方としては、岸和田の小原の家(建物)の物語である。最初、畳敷きの座敷で商売をしていた呉服店が、格子の出窓がショーウィンドウに変わり、玄関の板戸が硝子戸に変わり、畳敷きだった部分が、外から直接入ってこれるように土間がひろくなった。(その後、糸子の晩年にかけてさらに姿を変えていくようになる。)
看板は、小原呉服店だったものが、オハラ洋装店になり、その看板を糸子は背負って仕事をし、その後も生きていくということになる。
このドラマは、基本的に岸和田のこの家と、前の通りと、隣近所の店のいくつか、それと喫茶店の太太鼓ぐらいが、主な舞台で、それ以外の場所はほとんど出てこない。(始めのころ、奈津の料理屋とか、学校とかが出てきていた。東京のアパートとか、直子の店も出てきた。しかし、メインのストーリーが展開するのは、基本的に岸和田においてである。)
この狭い(と言っては悪いかもしれないが)岸和田の小さなエリアだけの人物と描写だけで、時代の変化を描いている。昭和の初期から、戦争の時代になり、戦後を経て、東京オリンピックがすぎるまで、原則、岸和田の街の視点で描いている。ただ、東京オリンピックのことは、出てきていなかったが、時代の変化を象徴するものとして、だんじり祭りの変化、女性たちが参加するようになったことが出てきていた。
このように時代が変化し、人びとの考え方、社会の様相が変わっていくなかで、それぞれの時代を、それぞれの世代の人びとが、それなりに生きてきたことを、非常に肯定的に描いている。今の価値観からすれば、父親の善作は、前近代的家父長制の暴君となるところであるが、その時代の父親というもの、家族のあり方というものを、否定してはいない。そのような時代があったということで描いている。
ミニスカートが流行る時代になって、糸子は言う……時代が変わった、もう女はよめにいかなくてもいい時代になった、と。明らかに、時代の変化、人びとの価値観の変化ということを、実感させる。これは、ある意味では、糸子が時代遅れになってきてしまっているということにもなるのだが、しかし、糸子は、これまでの自分の生き方を変えようとはしない。「オハラ洋装店」の看板を背負って生きていくことになる。
ところで、昭和四一年、ミニスカートの流行のことが出てきていたが、私は、この時代のことは記憶に残っている。いきなり世の中の女性のスカートが短くなった。いったいなぜだか分からないまま、ただ流行ということで、そうなった。そして、おどろくことになったのは、その数年後、今度は急にそのミニスカートが姿を消したことである。これもまた流行ということになる。ただ、こういう時代の流行の変化を体験的に知っていると、いったい流行とはいったい何なのかと考えることにもなる。とにかく分からなかったのが、女性の気持ちである。
このドラマのなかで小原の家の食事の場面を見ていると、糸子は夕食のときに晩酌をするようになってきた。それが、やけ酒になったりするとコップに変わる。家のなかの火鉢が、石油ストーブになり、台所に電気冷蔵庫が加わった。こういう細かなところの変化で、時代がかわり、糸子もだんだんと歳をとってきて、生活のスタイルが変わってきていることが、表現されていると感じる。
2025年2月15日記
『カーネーション』「鮮やかな態度」
娘たちの世代へと時代が変わっていく。このドラマの良さというべきところは、糸子の父の善作の時代、糸子の時代、糸子の娘たちの時代、それから糸子の晩年、というふうに時代をおって展開していく。そのなかで、各世代によってものの考え方に違いがある。それを、それぞれに肯定的に描いていることである。決して旧弊として否定していない。
最初の方では、糸子がミシンの技術を身につけるために働きたいと言ったところで、父親の善作は激怒していた。それでもなんとか糸子はミシンを憶え、洋裁ができるようになって、独立する。善作は、あっさりと岸和田の「小原呉服店」の看板を「オハラ洋装店」に変えて、糸子にゆずった。
娘たちの世代になって、糸子が、岸和田の「オハラ洋装店」の看板をゆずろうとしても、今度は、誰もそのことに関心をしめさない。東京のデパートで店をはじめる、心斎橋で店をひらく、あるいは、パリに行く、ということで、結局「オハラ洋装店」の看板を糸子は守り続けることになる。
このドラマは、ある見方としては、岸和田の小原の家(建物)の物語である。最初、畳敷きの座敷で商売をしていた呉服店が、格子の出窓がショーウィンドウに変わり、玄関の板戸が硝子戸に変わり、畳敷きだった部分が、外から直接入ってこれるように土間がひろくなった。(その後、糸子の晩年にかけてさらに姿を変えていくようになる。)
看板は、小原呉服店だったものが、オハラ洋装店になり、その看板を糸子は背負って仕事をし、その後も生きていくということになる。
このドラマは、基本的に岸和田のこの家と、前の通りと、隣近所の店のいくつか、それと喫茶店の太太鼓ぐらいが、主な舞台で、それ以外の場所はほとんど出てこない。(始めのころ、奈津の料理屋とか、学校とかが出てきていた。東京のアパートとか、直子の店も出てきた。しかし、メインのストーリーが展開するのは、基本的に岸和田においてである。)
この狭い(と言っては悪いかもしれないが)岸和田の小さなエリアだけの人物と描写だけで、時代の変化を描いている。昭和の初期から、戦争の時代になり、戦後を経て、東京オリンピックがすぎるまで、原則、岸和田の街の視点で描いている。ただ、東京オリンピックのことは、出てきていなかったが、時代の変化を象徴するものとして、だんじり祭りの変化、女性たちが参加するようになったことが出てきていた。
このように時代が変化し、人びとの考え方、社会の様相が変わっていくなかで、それぞれの時代を、それぞれの世代の人びとが、それなりに生きてきたことを、非常に肯定的に描いている。今の価値観からすれば、父親の善作は、前近代的家父長制の暴君となるところであるが、その時代の父親というもの、家族のあり方というものを、否定してはいない。そのような時代があったということで描いている。
ミニスカートが流行る時代になって、糸子は言う……時代が変わった、もう女はよめにいかなくてもいい時代になった、と。明らかに、時代の変化、人びとの価値観の変化ということを、実感させる。これは、ある意味では、糸子が時代遅れになってきてしまっているということにもなるのだが、しかし、糸子は、これまでの自分の生き方を変えようとはしない。「オハラ洋装店」の看板を背負って生きていくことになる。
ところで、昭和四一年、ミニスカートの流行のことが出てきていたが、私は、この時代のことは記憶に残っている。いきなり世の中の女性のスカートが短くなった。いったいなぜだか分からないまま、ただ流行ということで、そうなった。そして、おどろくことになったのは、その数年後、今度は急にそのミニスカートが姿を消したことである。これもまた流行ということになる。ただ、こういう時代の流行の変化を体験的に知っていると、いったい流行とはいったい何なのかと考えることにもなる。とにかく分からなかったのが、女性の気持ちである。
このドラマのなかで小原の家の食事の場面を見ていると、糸子は夕食のときに晩酌をするようになってきた。それが、やけ酒になったりするとコップに変わる。家のなかの火鉢が、石油ストーブになり、台所に電気冷蔵庫が加わった。こういう細かなところの変化で、時代がかわり、糸子もだんだんと歳をとってきて、生活のスタイルが変わってきていることが、表現されていると感じる。
2025年2月15日記
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