よみがえる新日本紀行「南伊豆」2025-02-20

2025年2月20日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 南伊豆

最初の新日本紀行の放送が、昭和44年(1969)2月17日。よみがえる新日本紀行としての最初の放送は、2022年6月17日。

南伊豆というと、熱川のバナナワニ園。これは今でもある。日本で初めてワニの人工孵化に成功したということだったが、繁殖に成功したということではなかったようである。これは、今ではどうなっているのだろうか。

川端康成の『伊豆の踊子』は、私は何度も読んでいる。映画化、ドラマ化も、見ている。この時代(昭和44年)のころというと、ちょうど山口百恵主演の映画のころかと思う。これは映画館で見た。(どうでもいいことだが、近年、『伊豆の踊子』の映画やドラマが作られていない。世間の興味がなくなったのか、あるいは、製作のコストを考えてのことなのか。)

マーガレットの栽培風景が映っていたが、露地栽培だった。今なら花の栽培は、ハウス栽培になっているかと思うのだが、どうだろうか。ちなみに、Copilot で、伊豆でのマーガレットの栽培について聞いてみたら、今でも行われているとのことだった。

南伊豆の漁村にやってくる、都会の若者たち、という描き方であった。この時代(昭和44年)、地方から都市部への人口移動が顕著にになり、地方の過疎化が、そろそろ問題とされるようになったころである。田中角栄の日本列島改造論は、この時代を背景にしないと理解できないことになる。

興味深かったのは、海上保安庁の仕事。小笠原が返還になって管轄する区域が増えた、とあったが、小笠原が返還されたのは、昭和43年のことである。海の位置の特定には、紙の地図に、三角定規とデバイダであったが、これは今ではどうなっているだろうか。デジタル地図上に、GPSやレーダーの情報をプロットするということになっているかな、とは思うのだが。映っていたなかに、モールス信号があった。この時代、まだ現役の通信手段だったことになる。キーボードを打つ場面があったが、これは、テレタイプでいいだろうか。これらは、今では、姿を消してしまったものであるかと思っている。

漁村での民宿の営業ということが、この時代からおこなわれていたことになる。都会からの若者がやってくる。なかで、女性が、バスの車掌をしていた……とあったが、この時代、バスには車掌さんが乗っていて、それは女性の仕事であった。このような時代があったことを思い出す。

老人が多いことを、長寿の村、と言っていたのは、時代を感じさせる。今なら、高齢化地域ということになる。そして、それに過疎ということが加わる。

現代のパートでは、都会から移住してきた人が映っていたが、これは、成功例ということになるのだろう。さて、南伊豆のこの地域の将来性というのは、はたしてどうなのだろうか。

2025年2月16日記

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