アナザーストーリーズ「あさま山荘事件 立てこもり10日間の真相」2025-02-25

2025年2月25日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 「あさま山荘事件 立てこもり10日間の真相」

再放送である。最初は、2021年2月17日。

あさま山荘事件が起こったのは、1972年の2月。このときのことは記憶している。毎日、テレビにかじりついていたということではなかったが、(この時期なら普通は学校に通っていたはずである)、ニュースで大きく取りあげられたことは、はっきりと憶えている。これをふくめて、一連の連合赤軍事件の全貌が明るみに出て、世の中の潮流が大きく変わったのを実感している。

私が、今もって、いわゆる現在のリベラルを信用しきれないのは、連合赤軍のことが体験的に記憶していることだからである。権力への抵抗ということはそれなりに認めながらも、その活動それ自体が自己目的化したときどうなるか、それが暴走したときどうなるか、その危険を忘れることができないからである。たぶん、現在、70才以上の人間の多くはそうだろうと思う。いやこれよりも、思想の教条化ということへの危惧である。この観点では、別にリベラルが嫌いというのではなく、いわゆる保守的な立場についても、そう思う。自分がなぜその考え方をするのか、ということについての自省を含まない思想は、危険なのである。世の中、どちらかといえば、いわゆるリベラルの方が、自省の抑制がきかないことが多い。保守思想は、(本来の意味としては)何を保守するべきなのか自省をともなうものである。

あさま山荘事件については、これまで多くのドキュメンタリー番組であつかわれてきているし、佐々敦行が現場の指揮官だったことも、後に知ったことである。このときの警視総監は、後藤田正晴。

興味深いのは、犯人の視点からの部分。裁判が終わり、刑期をつとめれば、一般の人間として生活できる。そのインタビューが興味深い。あさま山荘にたてこもったのは、逃避行のなりゆきでたまたまの偶然の結果、ということらしい。人質を交渉材料につかって、何かをなしとげよう、ということではなかった。これはそうだったのかもしれないが、無計画というか、無謀というか、もうちょっと考えて行動していればという気になる。(まあ、考える余裕があったのなら、そもそもこのような事件の結末にいたることはなかっただろうが。)

この当時、機動隊の盾では銃弾を防ぐことはできなかった。これは、今では、どう改良されているのだろうか。現実に起こりうる事態として、カラシニコフを連射されても防ぐことはできるのだろうか。あるいは、これは秘密事項なのか。

犯人を生きたまま捕らえる、これが警察の至上命題だったことは、そうだろうと思う。死んでしまえば英雄視されることになる。テレビのカメラが、銃を持っている姿を捕らえることができているのだから、腕利きのスナイパーなら仕留めることは可能だったかもしれないが、それは選択肢から排除されたことになる。(どうでもいいことだが、重信房子が日本に戻ってきたとき、英雄の凱旋のごとく出迎えていたのが、日本のジャーナリズムの一部であることは、確かなことである。)

警察側が二名の殉職者を出したことは、そうなのだが、防ぐことは可能だったかもしれない。あるいは、二名の殉職者で済んだことは僥倖だったのか。おそらく、テロ対策の専門家などにおいては、きちんとした検証がされているのだろうと思う。

この番組では、人質になった女性の名前を出していた。これまでに見た番組では、その女性の名前は伏せていた場合もあったかと思うが、番組の全体の構成を考えると、名前は出さざるを得ないし、だからといって、特に問題が生じるということはないように思える。

番組の最後に、警察において、殉職者への顕彰碑が映っていたが、このことはもっと一般に知られていいことだと思う。

2025年2月19日記

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