ねほりんぱほりん「元刑務官」2025-03-01

2025年3月1日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 元刑務官

再放送である。最初は、2022年11月11日。

刑務所というと、パノプティコン、ということばを思ってしまうが、実際には、人間と人間との関係がある、ということになる。これまで、刑務所のなかのことが、報道番組などであつかわれるとき、多くは受刑者の処遇をめぐってということが多い。

刑務所で求められることは、受刑者の更生と、所内の起立を守ること、なるほどそのとおりかと思う。

だが、そもそも刑務所に入ってくるような人たち……犯罪者ということになるが……は、それまでの社会において、疎外された人生をおくってきたような人たちということでもある。知られた言い方をするならば、「ケーキの切れない非行少年たち」というべき人たちも多いことだろう。(番組のなかでは、このような、限界知能以下というような人のことは言っていなかったが。)

刑務官も人間である。何十人もの受刑者を監督しなければならない。また、同時に、工場での仕事もとどこらせることはできない。そこには、やはり、人間と人間とのかかわりということがあると感じることになる。

秩序を守るという観点からは、刑務官が、受刑者に対して、上位の立場であることを徹底しなければならない、というのが実際にあることになる。そして、自身が規律を厳格に守らないといけない。

玉の検査というのは、まあ、そういうことがあるのか、と思う。(いろんな趣味の人間がいるものだとは思うが。)

死刑の執行も刑務官の役割であるが、死刑が実際にどう行われるのかということについては、ほとんど一般には知られることがない。(私個人の意見としては、死刑という制度はあっていいかとも思う。だが、これが、極刑ということではない。終身刑もあっていいだろう。その選択肢は、あってもいいかと思う。また、再審の制度的な整備も重要である。ただ、制度としてあっていいとは思うが、その適用は、最も慎重であるべきと思う。従来の判例とは異なることになっても、どこかで、方針を変える時があってもいいかもしれない。)

刑務所や拘置所のことが報道でとりあげられると、受刑者側の人権ということが主になる。これはこれで、悪いことではない。だが、どうしようもなく悪い人間、極悪人としかいいようのない犯罪者もいるかとも思う。だが、そうであっても、その人権は守られなければならないということも確かである。

社会のなかで、法のルールを守るためには、刑務所が必要であり、そこには、刑務官という仕事が重要である。このことは、広く知られていいことだと思う。

このごろ、息子が部屋をよごして困る……いろいろと言い方はあるものである。刑務所のなかでは禁止ということなんだろうが、ちょっと可哀想な気もする。

余計なこととしては、日本語学として興味深いのは、刑務所で受刑者が刑務官のことを「先生」ということである。「先生」ということばの用法として、こういう場面でも使われることばなのかと、改めて考える。

2025年2月28日記

100分de名著「デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立」2025-03-01

2025年3月1日 當山日出夫

100分de名著 デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立

社会分業論、ということについて論じていくと、最後はやはりこういうところに落ち着かざるをえないかな、という気がする。特に、NHKで作ると、こういうふうになるのかと思う。

近代になって孤立した個人に必要なのは、中間共同体である。これは、いろんなところで、言われ続けてきていることである。しかし、その一方で、現実には、日本社会においても、会社も、学校も、PTAも、町内会も、ことごとく否定され続けてきた。その張本人というべきが、(進歩的というべき)マスコミであり、そのなかに、NHKもふくまれる。だが、そうでありながら、なにか災害が起こったときには、絆といい、あるいは、民主主義にとって必要なのは、コミュニティであり、アソシエーションであり、コモンズであり、ということも、言われ続けてきている。

このあたりを、どう整合性をとって論じるかというのは、はっきりいって難しい。無難な着地点を見つけるとして、依存し合う社会であり、依存が多いほど自立した個人になれる、という逆転的な発想ということになる。

ここまではいいとしても、最後に、熊谷晋一郎のことをもってくるのは、反則ではないかと思う。はっきりいって、この番組の作り方は、ずるいと感じる。(だが、熊谷晋一郎の言っていることは、これはこれとして正しい。)

ここは、戸谷洋志の、『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』(講談社現代新書)のような論点から、考えなおすべきではないかと思う。これは、改めて番組を作って考えることが、妥当かと思う。

2025年2月26日記

Asia Insight「“盗まれた子どもたち”をさがして〜東ティモール〜」2025-03-01

2025年3月1日 當山日出夫

Asia Insight  盗まれた子どもたち”をさがして〜東ティモール〜

東ティモールの独立のときのことは記憶にある。ただ、言語研究の関心として、この国の公用語が何になるか、ということに関心があった。結果としては、ポルトガル語とテトゥン語、ということになった。インドネシア語は公用語にならなかった。

インドネシアに「盗まれた」というのは、番組のタイトルとしては、そうなるのかもしれないが、いろいろと個別には事情があったようだ。学校に行かせてくれるからという理由で、インドネシアに行った、という男性が出てきていたが、これは「盗まれた」というのとは、ちょっと違うかと思う。無論、その後の再会もかなわず、離ればなれにされてしまったということでは、小さい子どもをだまして連れ去ったと言っていいことになるだろう。

ただ、学校に行かせてくれる、という理由でインドネシアに行ったということは、そのころの、東ティモールは、どのような生活だったのだろうか、と思うことにはなる。そして、現在では、どうなのだろうか。

その男性の信仰はカトリックであったようだ。家の中には、マリア像があった。また、東ティモールに帰ってから、地元の教会に行っている。インドネシアと東ティモールの対立のなかに、宗教的な要素はどれぐらいあるのか、不案内なので知らないのだが、気になるところである。

たまたまテレビの画面に映っていたが、乗っていた自動車の窓ガラスに、禁煙マークのように、銃のアイコンに禁止となっていた。おそらくは、銃の持ち込み禁止、まどから銃を撃ってはいけない、というような意味だろうと思うが、しかし、このようなことを禁止事項として、ピクトグラムで表示するというのは、初めて見た。世界には、いろんな地域があるものである。

インドネシアで、バイクタクシーの仕事をして、半日のかせぎが、600円(4ドル)というのは、これは、インドネシアの生活としては、どの程度なのだろうか。家の中の様子としては、かなり裕福な生活のように見えたのだが。

2025年2月27日記

事件の涙「桐島聡 “仮面”の逃亡劇」2025-03-01

2025年3月1日 當山日出夫

事件の涙 桐島聡 “仮面”の逃亡劇

見て(録画であるが)思うことはいろいろあるが、まず感じたのは、今の時代にあんなボロの木造アパートがあって、住んでいる人がいるのか……という、率直な驚きである。(台所、トイレは共同だろうし、風呂はついていないようである。)

東アジア反日武装戦線、三菱重工爆破事件のことは、記憶している。この時代、連合赤軍事件のことが終わり、世の中が平穏な感じがあった時代、と言っていいかもしれない。しかし、一方で、革命こそ正義である、という感覚が若者の間から、まったくなくなったということではない。私が、大学生になったころ、まだ、キャンパスのなかには、その残滓のようなものはあった。三田のキャンパスでも、ヘルメットをかぶって集団でデモをする(ごく少人数だったが)学生が、まだ残っていた時代でもある。

東アジア反日武装戦線の主張したこと、日本の大企業による、世界のなかの弱者である後進国へ、経済的に殖民地侵略を企てている、今の日本人は、その恩恵で生きている共犯者である……まあ、このような論理になるのだが、このような考え方は、この時代、多くの人にとって、完全に否定することはできなかったことでもあると、今になって思い返すことになる。この感覚は、現代でもまったく消えたということではない。かつての第三世界が、今では、グローバルサウスに言いかえられていることになる。(だからといって、その起こした事件を肯定することではないが。)

今の時代であっても、偽名のまま生活するということは、決して不可能ではないだろう。いわゆる、日雇い労働者、下層の労働者、というべき人たちのなかには、自分の正体を隠して生きて行かざるをえない人も、いくらかはいると思う。また、そのような人であっても、なんとか生きていけるところが、世の中にはある。(私の考えとしては、世の中には、こういうところもあっていいと思っている。あまりにも潔癖にクリーンにしてしまうだけが、人間の生きる世の中のあり方ではない。同時に、そういう状態から抜け出したいと思ったときのための、支援の窓口は用意してあるべきであるが。)

桐島聡の場合、最期まで、仮の名前のままで生きていくことは、出来なかったということになる。あるいは、桐島聡の名前を棄てきれなかったとも、いえるかもしれない。まったくの想像でいえば、全国に指名手配されている「桐島聡」は実は自分なのだ、と自負するところがあったのかもしれない。これも、今となっては、完全に闇の中である。

死ぬ最期に、食べたいものはと聞かれて、アイスが食べたい、ガリガリ君が食べたいと言ったそうなのだが、おそらく、日々の仕事のなかでたまにコンビニなどで買って食べるガリガリ君が御馳走だったのかもしれない……と思うことになる。

人間の生き方として、こういう生き方もあるのか……というのが、感じるところである。

2025年2月25日記