よみがえる新日本紀行「天橋立」 ― 2025-03-03
2025年3月3日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 天橋立
私は、生まれは、京都府の日本海に面したところなので(育ちは宇治市であるが)、天橋立、宮津というと、馴染みのある地域である。天橋立には、何度か行っている。
天橋立が、時代によって、その長さが変化してきたというのは、初めて知った。古来より名所として知られている。
小式部内侍の
大江山 いくの道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立
は『百人一首』に入っている。さて、この平安時代の天橋立は、どんな長さだったのだろうか。現在から想像するイメージとは違っているかもしれない。
観光地の記念写真の歴史としても面白い。カメラが普及して、観光地で記念写真を撮るようになった歴史……これについては、研究のある分野だろうと思うが、天橋立にも、それなりの興味深い歴史がある。
戦前は、舞鶴が軍港だったので、あたりの風景を入れて写真を撮ることが出来ず、憲兵が見張りをしていた。場合によっては、三人で写真を撮るのを避けるために一緒に写ってくれることもあった。(三人で写真を撮ると縁起が悪い、というのは、今ではもう忘れられてしまったことだろう。私はかろうじて記憶している。日本で写真を普通の人びとが撮るようになってから生まれた迷信になるのだろうが、この歴史的経緯も面白いことがあるにちがいない。)
番組が放送された昭和56年のころだと、団体旅行のお客さんを相手に記念写真を撮って、すぐに現像してプリントして、販売する。移動は、リフトとモーターボートであった。ただ、こういうスピード重視のプリントでは、十分な水洗がされていないだろうから、印画紙の写真が長くもたなかったと想像されるが、はたしてどうだったろうか。使っていたのはマミヤ、ブローニー版のカメラであった。
これも、今では、デジタルカメラでとって、すぐにデータを送信してプリントアウトして、販売することができる。お客さんを誘うのに、そんなに外国語に堪能である必要はない。短いフレーズで事足りる。(番組には出てきていなかったが、自動翻訳の利用もできるだろう。)
プリントアウトの他に、写真のデータも欲しいと言ったら、もらえるのだろうか。ちょっと気になったことである。(著作権と肖像権のかかわることにはちがいないが。)
スマホをほとんど人が持つようになっても、それでも、観光地の記念写真がビジネスとして成りたっているというのも、面白いことだと思う。
内海の阿蘇海では、魚が捕れなくなっている。いろんな理由があるのだろう。漁師の人数も減ってきているなかで、若いが頑張っている漁師がいる。地元に密着した仕事として、なんとかやっていけるといいがと思う。
天橋立は、地元の人にとっては生活道路である、ということは重要なことかもしれない。
漁港に近いところでは、魚の行商ということが行われていたのだが、これは今ではどうなっているだろうか。(魚の行商というと、『おしん』を思い出す。)
2025年2月24日記
よみがえる新日本紀行 天橋立
私は、生まれは、京都府の日本海に面したところなので(育ちは宇治市であるが)、天橋立、宮津というと、馴染みのある地域である。天橋立には、何度か行っている。
天橋立が、時代によって、その長さが変化してきたというのは、初めて知った。古来より名所として知られている。
小式部内侍の
大江山 いくの道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立
は『百人一首』に入っている。さて、この平安時代の天橋立は、どんな長さだったのだろうか。現在から想像するイメージとは違っているかもしれない。
観光地の記念写真の歴史としても面白い。カメラが普及して、観光地で記念写真を撮るようになった歴史……これについては、研究のある分野だろうと思うが、天橋立にも、それなりの興味深い歴史がある。
戦前は、舞鶴が軍港だったので、あたりの風景を入れて写真を撮ることが出来ず、憲兵が見張りをしていた。場合によっては、三人で写真を撮るのを避けるために一緒に写ってくれることもあった。(三人で写真を撮ると縁起が悪い、というのは、今ではもう忘れられてしまったことだろう。私はかろうじて記憶している。日本で写真を普通の人びとが撮るようになってから生まれた迷信になるのだろうが、この歴史的経緯も面白いことがあるにちがいない。)
番組が放送された昭和56年のころだと、団体旅行のお客さんを相手に記念写真を撮って、すぐに現像してプリントして、販売する。移動は、リフトとモーターボートであった。ただ、こういうスピード重視のプリントでは、十分な水洗がされていないだろうから、印画紙の写真が長くもたなかったと想像されるが、はたしてどうだったろうか。使っていたのはマミヤ、ブローニー版のカメラであった。
これも、今では、デジタルカメラでとって、すぐにデータを送信してプリントアウトして、販売することができる。お客さんを誘うのに、そんなに外国語に堪能である必要はない。短いフレーズで事足りる。(番組には出てきていなかったが、自動翻訳の利用もできるだろう。)
プリントアウトの他に、写真のデータも欲しいと言ったら、もらえるのだろうか。ちょっと気になったことである。(著作権と肖像権のかかわることにはちがいないが。)
スマホをほとんど人が持つようになっても、それでも、観光地の記念写真がビジネスとして成りたっているというのも、面白いことだと思う。
内海の阿蘇海では、魚が捕れなくなっている。いろんな理由があるのだろう。漁師の人数も減ってきているなかで、若いが頑張っている漁師がいる。地元に密着した仕事として、なんとかやっていけるといいがと思う。
天橋立は、地元の人にとっては生活道路である、ということは重要なことかもしれない。
漁港に近いところでは、魚の行商ということが行われていたのだが、これは今ではどうなっているだろうか。(魚の行商というと、『おしん』を思い出す。)
2025年2月24日記
フロンティア「地磁気と生命 40億年の物語」 ― 2025-03-03
2025年3月3日 當山日出夫
フロンティア 地磁気と生命 40億年の物語
普通の世界史の知識(私の知っている)では、羅針盤の発明が文明に大きな進歩をもたらした、ということになっている。羅針盤があって、世界規模の大航海が可能になった。だが、これも、考えてみれば、この時代に、たまたま北極と南極に、磁北と磁南あった、ということになる。別にどこにあっても、よかったかもしれないが(安定してさえいれば)、北と南の寒いところであり、北は北極星の指し示す方角でもあった。偶然にそうなったことになるのかと思うが、人類の文明の進歩には、非常に役立ったということになりそうである。(このようなことは、番組の中では言っていなかったが。)
磁極の逆転というよりも、これは、そんなに安定したものではなく、揺れているのが通常の状態である、と言った方がいいように思えるのだが、専門家はどう考えるのだろうか。
地場を感知する能力が、生物に備わっているということは、おそらく常識的な科学の知識だろうと思っている。サケとか渡り鳥とかについて、説明のときに出てくる。
この能力を古代の生命の発生のごく初期の段階で起こったこととするならば、それは何のためだったのか。あるいは、この能力があったがために、どう生存に役立ったのか。このあたりのことについては、深海のチムニーの研究から推測はできるが、仮説ということだろう。
多くの生物に磁力を感知する能力がある。人間の脳においても、磁力を感知している。だが、人間は、それを意識することはない。これも、ひょっとすると、どこかで作用しているのかもしれないが、これは今後の研究ということだろう。
磁力と植物のことが出てきていなかったが、これはどうなのか気になるところである。古代の細菌に、磁性細菌があるなら、植物においても何かしら磁力を感知することがあってもいいように思える。これも、研究はあるが、番組のなかでは取りあげなかったということだろうか。
地球の磁場の揺れ動きと、気候変動が、関連するものである、というのは興味深い。これは、もう定説と言っていいのだろうか。あるいは、この因果関係の説明は仮説というべきことなのだろうか。(この番組は、あまり仮説ということばをつかいたがらないようだが、科学にとって仮説を示すことは、むしろ重要なことである。)
古気候学、磁場の変動、これらから、ネアンデルタール人の絶滅を説明するのは、ちょっと無理があるかなという気もするのだが、一つの要因として考えてみるには、価値のあることかもしれない。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅については、ホモ・サピエンスとの生き残り合戦をふくめて、多様な要因があってのことだろうと思うが。
2025年2月27日記
フロンティア 地磁気と生命 40億年の物語
普通の世界史の知識(私の知っている)では、羅針盤の発明が文明に大きな進歩をもたらした、ということになっている。羅針盤があって、世界規模の大航海が可能になった。だが、これも、考えてみれば、この時代に、たまたま北極と南極に、磁北と磁南あった、ということになる。別にどこにあっても、よかったかもしれないが(安定してさえいれば)、北と南の寒いところであり、北は北極星の指し示す方角でもあった。偶然にそうなったことになるのかと思うが、人類の文明の進歩には、非常に役立ったということになりそうである。(このようなことは、番組の中では言っていなかったが。)
磁極の逆転というよりも、これは、そんなに安定したものではなく、揺れているのが通常の状態である、と言った方がいいように思えるのだが、専門家はどう考えるのだろうか。
地場を感知する能力が、生物に備わっているということは、おそらく常識的な科学の知識だろうと思っている。サケとか渡り鳥とかについて、説明のときに出てくる。
この能力を古代の生命の発生のごく初期の段階で起こったこととするならば、それは何のためだったのか。あるいは、この能力があったがために、どう生存に役立ったのか。このあたりのことについては、深海のチムニーの研究から推測はできるが、仮説ということだろう。
多くの生物に磁力を感知する能力がある。人間の脳においても、磁力を感知している。だが、人間は、それを意識することはない。これも、ひょっとすると、どこかで作用しているのかもしれないが、これは今後の研究ということだろう。
磁力と植物のことが出てきていなかったが、これはどうなのか気になるところである。古代の細菌に、磁性細菌があるなら、植物においても何かしら磁力を感知することがあってもいいように思える。これも、研究はあるが、番組のなかでは取りあげなかったということだろうか。
地球の磁場の揺れ動きと、気候変動が、関連するものである、というのは興味深い。これは、もう定説と言っていいのだろうか。あるいは、この因果関係の説明は仮説というべきことなのだろうか。(この番組は、あまり仮説ということばをつかいたがらないようだが、科学にとって仮説を示すことは、むしろ重要なことである。)
古気候学、磁場の変動、これらから、ネアンデルタール人の絶滅を説明するのは、ちょっと無理があるかなという気もするのだが、一つの要因として考えてみるには、価値のあることかもしれない。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅については、ホモ・サピエンスとの生き残り合戦をふくめて、多様な要因があってのことだろうと思うが。
2025年2月27日記
『べらぼう』「玉菊燈籠恋の地獄」 ― 2025-03-03
2025年3月3日 當山日出夫
『べらぼう』「玉菊燈籠恋の地獄」
蔦重が瀬川に渡した本のタイトルは、「天の網島」とあったように見えたのだが……とすると、『心中天網島』を思うことになる。(言うまでもなく近松門左衛門の浄瑠璃である。映画化もされている。ATGである。今は、もうこの名前も憶えている人は少ないかもしれない。篠田正浩監督で、岩下志麻が出ている。)
この回は、吉原のことがメインだった。主な筋としては、瀬川の身請けのこと、それから、うつせみの逃亡とその失敗。
ところで、浄瑠璃本が吉原で読まれたであろうか。ちょっと気になる。
鳥山検校は、瀬川を千両で身請けしたいという。悪い話しではないはずなのだが、瀬川は、断る。蔦重の思いにこたえるためである。だが、そう簡単に断れる話しでもない。花魁といっても、女郎である。簡単に自由になれるわけではない。
このあたりのこと、瀬川の思い、蔦重の気持ち、これらを描きつつ、一方で、鳥山検校を、そんなに悪者に描くでもなく(このドラマでは、とてもいい人として描かれている)、悪人の役割を担わされるのは、楼主ということになる。こういう設定のドラマになるのは、妥当なところかと思う。だが、その楼主(松葉屋)も、極悪人というわけでもない。それなりに、女郎としての生き方を考えている。
江戸時代の金貸し、というか、あこぎな高利貸しの話は、ドラマなどでよく描かれる。烏金(からすがね)とか、十一(といち)、とか、私もことばとしては知っている。昔の金貸しは、そうとう悪どいことをしたのかとも思う。だからといって、鳥山検校が、悪人だったということではない。
だが、蔦重の江戸市中の金貸し……そのなかには、検校もふくまれることになるが……が、ひどい商売をしていることは、言っていた。ここで、ヒルのことがたとえに出てきていたが、今の時代、生きたヒルなどは日常生活のなかで目にすることは、まずないだろう。特に都会生活ではそうである。
うつせみは新之介と逃亡をはかるが、見つかってしまい、折檻をうけることになる。実際には、こういう女郎は、その後、どうなったのだろうか。調べれば、考証した文章などあるにちがいないが。だが、すくなくとも、元通りのつとめということはなかっただろう。
『べらぼう』の最初の回のとき、死んだ女郎たちの投げ込み寺のことがあつかわれていたが(着るものを剥ぎ取られて、裸で死体が地面にころがされていた)、最悪の場合は、こんなふうだったかもしれないが、その後、このドラマの中では、死んだ女郎というのは出てきていないはずである。(先代の瀬川は死んだということだったが。)
吉原を抜け出せたとしても、その後、どこでどうやって暮らしていくかということになると、かなり厳しいものがあったにはちがいない。だが、社会の最底辺の生活を覚悟するなら、それはそれなりになんとかなったのかもしれない。(日本の社会のなかから、貧民窟というものが姿を消したのは、わりと最近のことである。)
吉原を舞台にしたドラマということで、今のところ進行しているので、そのなかで働く女郎たちの仕事や生活の厳しさを描くことはあっても、そんなに酷いものとしてばかりということはない。テレビの映像的には、かなり凝った映像で非常に美しく描写している。そうでもしないと、吉原=地獄、ということになってしまう。吉原を、そう肯定するでもなく、完全に悪所として否定するでもなく、そのなかに生きる人びと……蔦重も瀬川もうつせみも、また、妓楼の主たちもふくまれる……について、それでも普通の人と同じような、人間としての喜怒哀楽の感情を持って生きてきていた、という視点で描くことになるのだろう。これはこれで、一つの立場だと思う。
瀬川の吉原での普段の姿なのだが、ちょっと衣紋を抜きすぎかなという気がしないでもないのだが、専門の知識のある人はどう見ているのだろうか。たしかに、画面では色っぽくはあるのだけれど。
花魁道中は、瀬川になってからがやはりいい。貫禄がある。うつせみが三百両。瀬川が千両、さらに千四百両。これは、花魁であっても格の違いか。
幸せ、という概念が吉原の女郎にあっただろうか、これは見ながら思ったことである。たしかに人間として生きていくなかで、幸福感というのは大事な要素なのだが、この時代の吉原の人たちにとって、幸せになりたい、という現代のわれわれの感じるような気持ちが、そのままあったとも考えにくい。この時代は、そのおかれた状況、社会的な階層とか地位とか立場とか、そのなかで、充足した生き方はあったにちがいないが、一般的に人間としての幸せというような概念が、はたしてあったかどうか、さて、どうだろうか。
瀬川は蔦重に見られたことに気づいた、ということでいいのだろう。これもまた女郎の仕事である、と割りきることのできない部分であったかもしれない。
松葉屋のいねの言っていたことは、あこぎといえばいえなくなくもないが、しかし、この時代の吉原にあっては、(現代的な評価をすれば)良心的な考え方であったということになるのかもしれない。
2025年3月2日記
『べらぼう』「玉菊燈籠恋の地獄」
蔦重が瀬川に渡した本のタイトルは、「天の網島」とあったように見えたのだが……とすると、『心中天網島』を思うことになる。(言うまでもなく近松門左衛門の浄瑠璃である。映画化もされている。ATGである。今は、もうこの名前も憶えている人は少ないかもしれない。篠田正浩監督で、岩下志麻が出ている。)
この回は、吉原のことがメインだった。主な筋としては、瀬川の身請けのこと、それから、うつせみの逃亡とその失敗。
ところで、浄瑠璃本が吉原で読まれたであろうか。ちょっと気になる。
鳥山検校は、瀬川を千両で身請けしたいという。悪い話しではないはずなのだが、瀬川は、断る。蔦重の思いにこたえるためである。だが、そう簡単に断れる話しでもない。花魁といっても、女郎である。簡単に自由になれるわけではない。
このあたりのこと、瀬川の思い、蔦重の気持ち、これらを描きつつ、一方で、鳥山検校を、そんなに悪者に描くでもなく(このドラマでは、とてもいい人として描かれている)、悪人の役割を担わされるのは、楼主ということになる。こういう設定のドラマになるのは、妥当なところかと思う。だが、その楼主(松葉屋)も、極悪人というわけでもない。それなりに、女郎としての生き方を考えている。
江戸時代の金貸し、というか、あこぎな高利貸しの話は、ドラマなどでよく描かれる。烏金(からすがね)とか、十一(といち)、とか、私もことばとしては知っている。昔の金貸しは、そうとう悪どいことをしたのかとも思う。だからといって、鳥山検校が、悪人だったということではない。
だが、蔦重の江戸市中の金貸し……そのなかには、検校もふくまれることになるが……が、ひどい商売をしていることは、言っていた。ここで、ヒルのことがたとえに出てきていたが、今の時代、生きたヒルなどは日常生活のなかで目にすることは、まずないだろう。特に都会生活ではそうである。
うつせみは新之介と逃亡をはかるが、見つかってしまい、折檻をうけることになる。実際には、こういう女郎は、その後、どうなったのだろうか。調べれば、考証した文章などあるにちがいないが。だが、すくなくとも、元通りのつとめということはなかっただろう。
『べらぼう』の最初の回のとき、死んだ女郎たちの投げ込み寺のことがあつかわれていたが(着るものを剥ぎ取られて、裸で死体が地面にころがされていた)、最悪の場合は、こんなふうだったかもしれないが、その後、このドラマの中では、死んだ女郎というのは出てきていないはずである。(先代の瀬川は死んだということだったが。)
吉原を抜け出せたとしても、その後、どこでどうやって暮らしていくかということになると、かなり厳しいものがあったにはちがいない。だが、社会の最底辺の生活を覚悟するなら、それはそれなりになんとかなったのかもしれない。(日本の社会のなかから、貧民窟というものが姿を消したのは、わりと最近のことである。)
吉原を舞台にしたドラマということで、今のところ進行しているので、そのなかで働く女郎たちの仕事や生活の厳しさを描くことはあっても、そんなに酷いものとしてばかりということはない。テレビの映像的には、かなり凝った映像で非常に美しく描写している。そうでもしないと、吉原=地獄、ということになってしまう。吉原を、そう肯定するでもなく、完全に悪所として否定するでもなく、そのなかに生きる人びと……蔦重も瀬川もうつせみも、また、妓楼の主たちもふくまれる……について、それでも普通の人と同じような、人間としての喜怒哀楽の感情を持って生きてきていた、という視点で描くことになるのだろう。これはこれで、一つの立場だと思う。
瀬川の吉原での普段の姿なのだが、ちょっと衣紋を抜きすぎかなという気がしないでもないのだが、専門の知識のある人はどう見ているのだろうか。たしかに、画面では色っぽくはあるのだけれど。
花魁道中は、瀬川になってからがやはりいい。貫禄がある。うつせみが三百両。瀬川が千両、さらに千四百両。これは、花魁であっても格の違いか。
幸せ、という概念が吉原の女郎にあっただろうか、これは見ながら思ったことである。たしかに人間として生きていくなかで、幸福感というのは大事な要素なのだが、この時代の吉原の人たちにとって、幸せになりたい、という現代のわれわれの感じるような気持ちが、そのままあったとも考えにくい。この時代は、そのおかれた状況、社会的な階層とか地位とか立場とか、そのなかで、充足した生き方はあったにちがいないが、一般的に人間としての幸せというような概念が、はたしてあったかどうか、さて、どうだろうか。
瀬川は蔦重に見られたことに気づいた、ということでいいのだろう。これもまた女郎の仕事である、と割りきることのできない部分であったかもしれない。
松葉屋のいねの言っていたことは、あこぎといえばいえなくなくもないが、しかし、この時代の吉原にあっては、(現代的な評価をすれば)良心的な考え方であったということになるのかもしれない。
2025年3月2日記
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