「イゾラド アマゾン 未知の人々との”再会”」2025-03-04

2025年3月4日 當山日出夫

NHKのHPを探したが、この番組のことがヒットしない。とりあえずタイトルは、番組が始まったところで表示されたものにしておく。

NHKのイゾラドをあつかった番組は、これまでのものは見てきている。今年になって再放送があったので、録画しておいて見た。

過去の番組と比べてということになるが、今回のこの番組では、少し視点の置き方が変わってきている。

昔は、アマゾンの源流域の奥地に、こんな人びとがいる、という発見の驚きがメインであったと感じる。また、たまたま文明社会にやってきて、孤独になってしまった男性については、人間とは何かということを考えさせるところがあった。それとくらべると、今回の番組の作り方は、文明への批判、ということがかなり大きく扱われている。

イゾラドの人びとは、文明の側にいる人間を敵視している。それは、悪徳業者によるアマゾンの森林の伐採が原因であると考えられる。できれば、イゾラドの人びとは、今のままで平穏にアマゾンの森の中で暮らしていってほしい。文明の側とは、なんとかして共存できるだけの距離をたもって存在してほしい。・・・このようなメッセージが伝わってくる。

これは、この間の、人間社会の文明というものついての考え方が、変わってきたということもあるにちがいない。文明の側にいるわれわれは、もはや、昔の生活にもどることはできない。アマゾンの奥地であっても、人びとが暮らすには、スマホが必要という時代に生きている。しかし、だからといって、イゾラドの人びとを、無理に文明の方にひきずりこむことはしない。彼らには彼らの生き方があるのであり、それを尊重しなければならない。こんなふうに考え方が、微妙に変化してきていると感じる。

ところで、この番組を見ながら思ったことであるが……むかし、数百年前、西欧人がこの地にやってきて、先住民の人びとに始めて接したとき、どのように感じたのであろうか。同じ人間であり、文化があり、言語があり、という視点では、おそらく見てはいなかっただろう、ということは推測できる。その後、疫病による大量死もあるし、また、虐殺もあった。さらには、奴隷として使われることもあった。

はたして、昔の西欧人は、どんなふうに先住民の人たちのことを思ったのか。調べれば、記録、史料、研究書などは、あるのだろうが、どうだったのだろうか、というのは、気になったところである。

2025年2月26日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/03/04/9758662/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。