よみがえる新日本紀行「最初のニュータウン 〜大阪・千里〜」2025-03-08

2025年3月8日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 最初のニュータウン 〜大阪・千里〜

最初の放送は、2023年11月18日。オリジナルの放送は、昭和54年(1979)。私が、東京で学生だったころである。

この番組、以前の放送のときに見ている。再放送である。ただ、そのときは、たまたまテレビをつけて途中からの放送を見たので、全部を始めから見たということではなかった。

1970年の万博のときは、行っている。この時代、万博には、夢があった。希望があった。(しかし、今度の、大阪の万博には、何も感じない。どうやって失敗を糊塗するか、そのいいわけの理由を想像してみるぐらいしか楽しみがない。まあ、どうころんでも、主催者側としては、絶対に失敗でしたとは言わないだろうが。)

千里ニュータウンが、日本の高度経済成長の時代を受けた、新しい生活のスタイルの街であったということは、理解できる。たしかに、日本には、こういう時代があったことになる。

昭和54年のころ、もともと2DKであった団地の住まいを、外に拡張して、3DKにする工事が行われていた。子どもができて、一人一部屋が必要になってくれば、これに対応するためには、こういう工夫が必要だったということになる。

それよりも興味深かったのは、昭和54年の時代、開発から残された一画の古い昔からの民家の生活としては、台所にかまどがあって、薪で火を燃やしていたことである。近代的な団地やマンションの地域の、すぐ隣で、このような生活が続いてきていたということは、今となっては、とても価値のある映像である。(このような民家は、今ではどうなってしまったのだろうか。)

この地域も、現代では、少子高齢化の大きな波から逃れることはできない。しかし、それでも、若い人たちにとって、住みやすく、子どもを育てやすい街として、認識されているらしい。

少子化対策については、いろいろと言われているが、そのなかで重要だと、私が感じることの一つは、住宅の問題である。今の生活のスタイルだと、小学生以上の子どもがいるなら、その部屋が必要になる。二人以上の子どもとなると、子供部屋が二つ確保できないといけない。そういう住宅があって、なおかつ、教育や医療などへのアクセスがよい、無論、親の働く場所にも近い、こういう住宅をどれだけ提供できるか、ということが、現実的な課題としてあるかと、思っている。無論、住宅問題だけがすべてではない。少子化ということは、広く全世界にわたる人類の問題でもある。

また、この地域の生活のスタイルとして、徒歩で日常生活が完結するのだろうか。サザエさんのように、買い物カゴをうでにかかえて商店街で買物という時代では、もはやないだろうと思う。郊外の広い駐車場のあるショッピングセンターが、日常の買物の軸になる生活スタイルに変わってきている。この地域に、次の次の世代が住み続けて、どのような生活をすることになるのだろうか。これを具体的にイメージできないと、将来の展望は描けないかもしれない。

この番組のときには、正司照枝はまだ存命だった。今、朝の時間、『カーネーション』の再放送をしているが、おばあちゃんの役が印象に残っている。

2025年3月3日記

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