『カムカムエヴリバディ』「1976ー1983」「1983」 ― 2025-03-09
2025年3月9日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1976ー1983」「1983」
この週で描いていたのは、ひなたが高校生になってからのこと。
高校三年生になっても、ひなたは、進路が定まらずにいる。幼なじみの小夜子は大学に行って教員を目指す。一恵は、すぐにはお茶の先生をつぐことはせずに短大に行くという。(この時代なら、まだ女性の進学先として短大が普通だった時代でもある。)
かといって、家業の回転焼き屋で働くということもないようだ。回転焼きを焼こうとするひなたに対して、母のるいは、生まれて一八年間一度も手伝ったことがないのに、いきなり回転焼きを焼くの無理……と言っていたが、これまで、ひなたが回転焼きを焼くシーンは無かった。無論、ジョーもできないから、結局、この店はるいが一人できりもりしてきたことになる。
映画村で、条映城のお姫様コンテストがある。それにひなたは出場するのだが、選ばれるということはなかった。そのコンテストの舞台でめぐりあったのが、以前、店に来たことのある男(五十嵐文四郎)だったことになる。
これを客席の奥で見ていたのが、伴虚無蔵。ひなたに、映画村で夏休みの間、アルバイトをしないかともちかける。そこで、ひなたは、条映や映画村の人たちと出会うことになり、次の展開になる。
このような流れになる。
この時代の、高校生の気持ちを、ややコミカルであるが、こんなもんだっただろうなあ、と描いていることになる。まだ、女性の四年生大学進学率が、そんなに高くなかった時代であり、また、働くといっても、男女雇用機会均等法の前の時代でもある。
演出が細かいなと思ったのが、お姫様コンテストのときの、舞台の殺陣。このとき、浪人たちを相手にした文四郎は、刀を抜いて、回転させて刃を下にしていた。つまり、剣劇としては峰打ちにしたことになる。わずかな動作だが、きちんと考えて殺陣が演じられていたことが分かる。
だが、ひなたは、舞台の上で文四郎の刀を抜いて逆に斬りかかるとき、刀を普通に使っていた。峰打ちではなかった。
文四郎も、伴虚無蔵も、条映では大部屋俳優である。『カムカムエヴリバディ』の、この週当たりを見ると、どうしても、前のシーズンに再放送された『オードリー』を思い出す。太秦の映画産業、なかでも、時代劇映画の衰退の時期になる。この時代に、時代劇の関係者は、どんな気持ちで仕事をしていたのだろうか。衰退していく時代劇をなんとかしたいという気持ちは、強く持っていたのだろうが、具体的にどんな映画をどう作ればいいのか、悩んでいた時期になる。
斬新な手法の時代劇ドラマとしては、「木枯し紋次郎」があり、必殺シリーズがあったが、だからといって、時代劇が大きく挽回するということはなかった。これは、その後の歴史であきらかになることである。
条映の映画村のシーンを見ていると、この時代に時代劇にかかわった人びとの、悲哀と情熱をなんとなく感じる。
商店街の大月の家の中では、柱とか台所の家具とかに、あちこちシールが貼ってある。この時代だと、子供たちが、ペタペタ貼っていたものである。
ジョーとひなたがテレビを見る。ここで過去の朝ドラが出てくるのだが、『おしん』が使われていた。『おしん』は、これまでに再放送で二回ほど見ているが、その最初の回は、ドラマのなかで言っていたとおり、乙羽信子のおしんが列車のなかで登場するのは、終わりになってからだった。生まれ故郷の山形に向かっていたことになり、そこから、小さいころの小林綾子に引き継がれる、という展開だったのを憶えている。
『おしん』が放送されていた時代、日本が高度経済成長を終えたころであり、社会の豊かさを多くの感じられていた時代でもあった。その社会の変化のなかで、太秦で作るような時代劇の表現する価値観が忘れられようとしていた時代でもあったことになる。
2025年3月8日記
『カムカムエヴリバディ』「1976ー1983」「1983」
この週で描いていたのは、ひなたが高校生になってからのこと。
高校三年生になっても、ひなたは、進路が定まらずにいる。幼なじみの小夜子は大学に行って教員を目指す。一恵は、すぐにはお茶の先生をつぐことはせずに短大に行くという。(この時代なら、まだ女性の進学先として短大が普通だった時代でもある。)
かといって、家業の回転焼き屋で働くということもないようだ。回転焼きを焼こうとするひなたに対して、母のるいは、生まれて一八年間一度も手伝ったことがないのに、いきなり回転焼きを焼くの無理……と言っていたが、これまで、ひなたが回転焼きを焼くシーンは無かった。無論、ジョーもできないから、結局、この店はるいが一人できりもりしてきたことになる。
映画村で、条映城のお姫様コンテストがある。それにひなたは出場するのだが、選ばれるということはなかった。そのコンテストの舞台でめぐりあったのが、以前、店に来たことのある男(五十嵐文四郎)だったことになる。
これを客席の奥で見ていたのが、伴虚無蔵。ひなたに、映画村で夏休みの間、アルバイトをしないかともちかける。そこで、ひなたは、条映や映画村の人たちと出会うことになり、次の展開になる。
このような流れになる。
この時代の、高校生の気持ちを、ややコミカルであるが、こんなもんだっただろうなあ、と描いていることになる。まだ、女性の四年生大学進学率が、そんなに高くなかった時代であり、また、働くといっても、男女雇用機会均等法の前の時代でもある。
演出が細かいなと思ったのが、お姫様コンテストのときの、舞台の殺陣。このとき、浪人たちを相手にした文四郎は、刀を抜いて、回転させて刃を下にしていた。つまり、剣劇としては峰打ちにしたことになる。わずかな動作だが、きちんと考えて殺陣が演じられていたことが分かる。
だが、ひなたは、舞台の上で文四郎の刀を抜いて逆に斬りかかるとき、刀を普通に使っていた。峰打ちではなかった。
文四郎も、伴虚無蔵も、条映では大部屋俳優である。『カムカムエヴリバディ』の、この週当たりを見ると、どうしても、前のシーズンに再放送された『オードリー』を思い出す。太秦の映画産業、なかでも、時代劇映画の衰退の時期になる。この時代に、時代劇の関係者は、どんな気持ちで仕事をしていたのだろうか。衰退していく時代劇をなんとかしたいという気持ちは、強く持っていたのだろうが、具体的にどんな映画をどう作ればいいのか、悩んでいた時期になる。
斬新な手法の時代劇ドラマとしては、「木枯し紋次郎」があり、必殺シリーズがあったが、だからといって、時代劇が大きく挽回するということはなかった。これは、その後の歴史であきらかになることである。
条映の映画村のシーンを見ていると、この時代に時代劇にかかわった人びとの、悲哀と情熱をなんとなく感じる。
商店街の大月の家の中では、柱とか台所の家具とかに、あちこちシールが貼ってある。この時代だと、子供たちが、ペタペタ貼っていたものである。
ジョーとひなたがテレビを見る。ここで過去の朝ドラが出てくるのだが、『おしん』が使われていた。『おしん』は、これまでに再放送で二回ほど見ているが、その最初の回は、ドラマのなかで言っていたとおり、乙羽信子のおしんが列車のなかで登場するのは、終わりになってからだった。生まれ故郷の山形に向かっていたことになり、そこから、小さいころの小林綾子に引き継がれる、という展開だったのを憶えている。
『おしん』が放送されていた時代、日本が高度経済成長を終えたころであり、社会の豊かさを多くの感じられていた時代でもあった。その社会の変化のなかで、太秦で作るような時代劇の表現する価値観が忘れられようとしていた時代でもあったことになる。
2025年3月8日記
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