よみがえる新日本紀行「幸福への旅〜帯広〜」2025-03-12

2025年3月12日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「幸福への旅〜帯広〜」

2018年の放送。オリジナルは、昭和48年(1973)の放送。

見る人によって、感じとるものはいろいろだろう。

この時代は、まだ国鉄だった。そして、広尾線があった。まだ馬を飼っている農家があった。家からお嫁入りする女性の姿があった。その嫁入り家具をあつかう店があった。昔は、人が死んでも火葬場がなくて、自分の家で薪を用意して火葬にするしかなかった。大豆の生産と流通。五つ玉の算盤と電卓が机の上にある。その他、いろんなことを読みとることができ、それぞれに貴重な記録になっている。

「よみがえる」の放送が、2018年。この時に農業を継いでいた男性は、その後、農業を辞めたという。

最初の昭和48年のころ、日本は、田中角栄の日本列島改造論が語られた後の時代ということになるが、日本の国内での地域間格差、産業構造の変化、人の移動ということがあった。幸福の町も、過疎の町になりつつあった。

そして、2018年の放送の時点から、現在までの間に、さらに日本の農業をとりまく状況は変わってきたということになる。大規模経営の農業でも、条件によっては無事に存続できるかどうか、という時代になったと言っていいのだろうか。

私は、「幸福駅」の切符がブームになったときのことは記憶している。これは、どうやら、NHKのこの番組がきっかけだったとのことである。今でも、鉄道は無くなってしまったが、観光スポットとして人気があるらしい。(特に、ここに行ってみたいとは思わないけれど。)

印象に残っているのは、明治のころに、入植してきた男性。なぜ、ここに来たのか、その訳は聞かないでくれと言っていた。こういう言い方をするということが、今の時代では、もうなくなってしまったかとも思う。想像してみるしても、夜逃げぐらいかなとは思うけれども、言うに言われない事情があって、北海道の開拓村に移り住むというようなことが、普通に語られる時代が、この時代まではあったことになる。

2025年3月10日記

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