3か月でマスターする江戸時代「(12)なぜ「薩長」は江戸幕府を倒したのか?(12)なぜ「薩長」は江戸幕府を倒したのか?」2025-03-28

2025年3月28日 當山日出夫

3か月でマスターする江戸時代 (12)なぜ「薩長」は江戸幕府を倒したのか?

時代が変わったものだなあ、ということを実感する。私の学生のころまでは、明治維新を論ずるときには、革命ということばを避けることはできなかった。それがどういう性格のものであったか、歴史的には、講座派、労農派という議論の図式にはなる。歴史というよりも、歴史学史、である。

いつごろから、革命ということばを使わずに明治維新を考えるようになったのだろうか。

なぜ、薩長だったのか、要するに、これらの藩がお金持ちだったから、ということになるというのは、そんなものかと思う。お金がなければ、なんにもできないというのは、何時の時代でもそうである。

徳川慶喜という人物の個性がかなり特殊なものであったことが、江戸幕府の運命を決めることになった。前回の、孝明天皇といい、徳川慶喜といい、幕末には、はためいわくな人物が多くいたことになる。

番組で言っていた話しの筋は理解できるのだが、江戸時代が終わって、明治の時代になるにあたって、どのような過程で、近代的な市民意識(こういう言い方が、もはや時代遅れなのかもしれないが)が、形成されていったの、ということが、大きな歴史の流れとしては、重要なことかもしれない。

近年、明治維新を断絶ととらえずに、江戸時代からの社会のシステムの延長としての近代の日本を考えようという傾向にある。これは、たしかにそのとおりだろうと思っている。強いていうならば、一般市民レベル、庶民レベルでの、リテラシの高さであったり、社会的な構造であったり、総合的に考えることになるだろう。

革命といえば、であるが、昭和20年の終戦を、革命と考えることも、もう流行らなくなった。8・15革命説、なんてことを憶えているのは、私ぐらいの年代かなとも思う。

要するに、江戸時代から、明治維新を経て、現代にいたるまでの、社会の構造の基本的なところ、また、文化の基盤というようなものは、連綿と続いてきているのである、という方向で、多くの人たちが考えるようになってきたことになる。これはこれで、一つの歴史観である。

その一方で、近代になって忘れられてしまった、前近代の人たちの生活感覚ということも重要である。『逝きし世の面影』『忘れられた日本人』などに見ることのできる日本人の生活である。それに、イザベラ・バードのことなども加えてもいいかもしれない。柳田国男が『遠野物語』で描いたような、心性がかつての日本に住む人びとにはあった。それが、急速に失われてしまったのが、戦後の高度経済成長の時代以降のことになるかもしれない。

近世から現代につづく連続性と、前近代の人びとの生活感覚、これらを総合的に俯瞰するところから、新しい日本の歴史像が描かれていくことになるのだろうと思う。それは、また、「坂の上の雲」にかわる新しい歴史観となるにちがいない。

2025年3月27日記

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