よみがえる新日本紀行「心に潮騒が聞こえるー湘南海岸ー」 ― 2025-03-28
2025年3月28日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 心に潮騒が聞こえるー湘南海岸ー
オリジナルは、昭和54年(1979)。この時代に、NHKがこういう番組を作っていたことは、正直にいっておどろいた。
登場している人たちの声(音声)は原則的にない。ナレーションだけで進行している。会話(手話による)は、すべて字幕で表示してある。
昭和54年というと、私は、大学生で、国語学を勉強していたころである。この時代、まだ、手話が言語として言語研究者の間でも認められているものではなかった。言語は、音声であるというのが、暗黙の前提として言語研究がなりたっていた。手話も言語として考えるべきではないか、音声だけがが言語ではないだろうと思ってはいたのだが、このことを、きちんと理論的に考えることなく過ぎてしまっていた。(その後、言語研究の分野でも、手話も言語にふくめて研究対象となるように変わってきた。)
この番組が放送された当時に、こういう番組の意義について、どういう人たちが、どう感じていただろうか、ということは、今になってからだから思うことでもある。このころ、私は、テレビを持たない生活をしていたのだが、もし、この番組を見ていたら、いろいろと考えるところがあっただろうと思う。
それから、観光の地引き網は、あらかじめ魚を捕って入れてあったものらしい。そして、この時代において、すでに、海洋プラスチックごみの問題があったことになる。
現代の部分で、東京の服飾の専門学校であるが、留学生が多い。日本に服飾を学びに来ているということなのだが、今の日本にそれだけ魅力があることなのだろうか。このあたり、また別の番組であつかってほしいところである。
2025年3月23日記
よみがえる新日本紀行 心に潮騒が聞こえるー湘南海岸ー
オリジナルは、昭和54年(1979)。この時代に、NHKがこういう番組を作っていたことは、正直にいっておどろいた。
登場している人たちの声(音声)は原則的にない。ナレーションだけで進行している。会話(手話による)は、すべて字幕で表示してある。
昭和54年というと、私は、大学生で、国語学を勉強していたころである。この時代、まだ、手話が言語として言語研究者の間でも認められているものではなかった。言語は、音声であるというのが、暗黙の前提として言語研究がなりたっていた。手話も言語として考えるべきではないか、音声だけがが言語ではないだろうと思ってはいたのだが、このことを、きちんと理論的に考えることなく過ぎてしまっていた。(その後、言語研究の分野でも、手話も言語にふくめて研究対象となるように変わってきた。)
この番組が放送された当時に、こういう番組の意義について、どういう人たちが、どう感じていただろうか、ということは、今になってからだから思うことでもある。このころ、私は、テレビを持たない生活をしていたのだが、もし、この番組を見ていたら、いろいろと考えるところがあっただろうと思う。
それから、観光の地引き網は、あらかじめ魚を捕って入れてあったものらしい。そして、この時代において、すでに、海洋プラスチックごみの問題があったことになる。
現代の部分で、東京の服飾の専門学校であるが、留学生が多い。日本に服飾を学びに来ているということなのだが、今の日本にそれだけ魅力があることなのだろうか。このあたり、また別の番組であつかってほしいところである。
2025年3月23日記
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