『中島みゆき ~春・旅立つひとに贈る名曲選~』2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

中島みゆき ~春・旅立つひとに贈る名曲選~

これも録画しておいて、後からゆっくりと見た。

中島みゆきのCDは、ほとんど持っているはずである。持っているCDは、全部、Walkmanに転送してある(FLAC)。

このごろ思うことであるが、「時代」を聞いて、今は苦しくても明日はどうにかなる……という気持ちに、もうならないなあ、と思うようになった。それだけ年をとってしまったということでもある。明日はどうにかなるかもしれない、と希望をいだけるのは、まだ若いうちのことである。自分の人生の行く末がどれぐらいか、なんとなく実感を持って感じるようになった、ということでもある。

好きでよく聞くのが、初期に歌った、短編小説的な作品。「蕎麦屋」「おまえの家」「まつりばやし」などである。もう今では使わなくなったことばだが、心境小説という言い方もある。こういう言い方が、ぴったりくるような歌である。

ところで、中島みゆきの歌に基本的に流れているのが、(今風の言い方をすれば)アイデンティティの模索。「時代」が端的にそうであるように、「故郷」をもとめてさすらう、ということである。「旅人のうた」などもそうである。自分が本来はなにものなのか、どこに帰属するものなのか、それをもとめてさまよう、こういう部分が、その作品の多くの根底にある。

こういうところが、同時代のシンガーソングライターである、ユーミンや竹内まりやとは、決定的に違うところである。ユーミンの歌は、アイデンティティの揺らぎということを、まったく感じさせない。獲得した都会的感性を絶対に離さないところがある。竹内まりやの歌は、生まれながらに都会的である。(慶應義塾大学文学部で同じ学年だった。この時代の、三田のキャンパスの雰囲気を、今でも感じさせる。)

2025年3月30日記

よみがえる新日本紀行「蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~

オリジナルは昭和52年(1977年)である。私が大学生のころである。

蜜蜂に砂糖で作ったエサを与えて育てる、ということを始めて知った。昔もそうしていたようだったが、今では、そうしないと蜜蜂が飢え死にする。それだけ、花の蜜が取れなくなってきているということになる。

もう今では、菜の花畑という風景は珍しいものになってしまったのだろう。私の身の回りでも、春になって、田圃がレンゲの花で赤くなるという景色は少なくなったようである。それよりも、田圃だったところが開発されてお店になってしまうことが多い。

養蜂家という人たちが、花の蜜を追って全国を旅しているということは、知識としては知っていたことだが、その生活がどんなものだったかは、ほとんど知らなかった。春になると、鹿児島の頴娃町に多くの養蜂家が集まる。そこで、ソフトボールの試合をする。背番号は、全員が「8」である。もうこんなことができる時代ではなくなった。

養蜂家の数は減ったといっても、それでも、国産の蜂蜜を続ける人はいる。

興味深かったのは、オリジナルの放送のとき、日本での養蜂の仕事はもうだめだろうから、中国かアメリカ西海岸にでも渡る……こういっていた、養蜂家の子どもが、実際にアメリカに渡って仕事をしたということ。今ではもう引退したらしいが。

番組の最後で言っていたが、蜂は植物の受粉の仕事をする。農業にはなくてはならない存在である。これは、現代の機械化された農業であっても、基本は変わらない。ハウス栽培であっても、受粉用に蜂を使っていたかと思う。現代の、そして、未來の農業の視点から見たとき、養蜂という仕事は、価値を持ち続けることができるかと思う。(楽観的な見方かもしれないとは思うが。)

2025年3月29日記

最深日本研究 ~外国人博士の目~「“SNS×高齢者”を知りたい」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

最深日本研究 ~外国人博士の目~ “SNS×高齢者”を知りたい

これは面白かった。こういう内容が、どうして、他の普通の番組であつかわれないのだろうか。

高齢者でも、スマホを持っていて、SNSを使う、これが当たり前の時代になっている。これは、言うまでもないことだろう。見ていた範囲だと、SNSと言っているが、実際は、LINEである。LINEをどうつかうか。日本の場合の特徴としては、社会のとのつながりを求めて、ということがあるらしい。一方で、家族とは、LINEで連絡することはないという。まあ、そんなものかと思うが、これは、外国と比較すると、日本に顕著な特徴であるとのことである。

高齢者になっても、社会とのつながりをもっていたいという希望がある。そのためには、LINEが非常に有効なツールになっている。ここで、「生きがい」ということばが出てきていたが、これは、英語では表現することが難しいものだという。そうかなと思う。

私ぐらいの年代だと、神谷美恵子の『生きがいについて』という本は、学生のときに読んだ本であった。その後、みすず書房で刊行になった著作集は買って持っている。

ZOOMで女子会をする、というのは、そういうこともあるだろうと思う。面白かったのは、ChatGPTを使って、自伝を書いている男性。生成AIの機能を使うのではなく、音声認識の機能を利用して、口述筆記(?)をしている。この年代の男性の場合だと、キーボードからの入力に抵抗がある、その境界ぐらになるかもしれないが、どうなのだろうか。(私自身の感覚では、その認識精度が高いとはいっても、自分でキーボードから入力する方が楽である。使うのは、ATOKであるが。)

高齢者におけるSNS利用では、LINE以外の、X(旧Twitter)とか、Facebookとか、どうなのだろうか。Xに流れてくる、大量のフェイク情報(といっていいだろう)をどう思って見ているのか。信じているのか、無視しているのか。YouTubeも見るだろうが、いったいどんなものを見ているのだろうか。さらには、このようなメディアで、自身が発信するとしたら、どういうことについてなのだろうか。

スマホの使い方を習って、それをメモする。アイコンを紙に描いておく。これは、どういうものだろうと思う。(まあ、私の場合であれば、使いにくければ、そのアプリのユーザインターフェースの設計が下手だと思って、そういう杜撰な設計のものは使いたくないと思うだけであるが。)

私はスマホを持っていない。外に出歩くことが、ほとんどないので、その必要をまったく感じない。家にいるときは、かたわらに手を伸ばせばとどくところに、PC(今はVAIO)がおいてある。

世の中にパソコンが登場した時代から使ってきている。PC-9801で、BASICでプログラミングしたりした。その後、ワープロの時代になり、インターネットの時代になり、SNSの時代になった。Twitterは、二〇〇九年から使っている。ネチズンということばに、民主主義の未来を感じた時代があったことも記憶している。できれば、これから、この世の中がどうなるか、もうちょっと見てみたいという気でいる。

2025年4月2日記

ドキュメント72時間「ソウル 日本居酒屋」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

ドキュメント72時間 ソウル 日本居酒屋

BSの番組表を見ていて見つけたので、録画しておいて見た。

ソウルで、こういう店があるということは、あまり日本のテレビ番組などで報じられることはないと思う。いや、始めて見たと言った方がいいかもしれない。番組で取材していたのは、居酒屋だったが、他に、パン屋さんがあったり、カレーうどんの店があったり、焼き鳥屋さんがあったり、お弁当を食べていたり、といろいろである。蟹ラーメンが出てきていたが、値段が気になる。

居酒屋であるが、ちょっと高級である。おいてあるウイスキーが、山崎、響、白州、と高級なものばかりである。オールドは見当たらなかった。これは安物という評価なのだだろうか。(まあ、日本でも昔は、角瓶が上等のウイスキーであった時代もあるのだが。)

日本風の居酒屋であるが、そこでの飲食のマナーなどは、韓国風になる。これは、当然のことだろう。

店のメニューに、朝鮮語(私は、言語の名称としては朝鮮語ということにしている)を書いたハングル(これは、文字の名称であって、言語の名称ではない)があって、そこに、日本語で書いてある。漢字で書いてあるのは、日本語としてであるのだろう。今の韓国では、漢字は日常的には使わない文字になっているはずであるから。

そのメニューの内容は、普通の日本の居酒屋、といっていいだろう。ちょっと高級という印象はあるが。焼き餃子などは、今では、ほぼ日本の食文化といっていいものかもしれない。もとは、中国になるけれど。

取材したのが冬であるせいか、食べていたのが、鍋物が多い。これは、韓国ならではのものかもしれない。画面に映っていなかったのが、お刺身。普通の日本の居酒屋だったら、とりあえず頼むものとして、お刺身の盛り合わせ、となるところかもしれない。(これは、もう、私の感覚が古いのかとも思うが。)

京都の国際高校の卒業生という人が出てきていた。どういう人が行く学校なのだろうかと思っていたが、いろんな事情で、いろんな人が、そこを選んでいるのだろう。現在、日本の普通の正規の学校である。

こういう店にどんな人が来ているのか、そこから見えてくる韓国社会ということもある。この店にくるぐらいだから、日本に対して好意を持っている人は多いだろう。(おそらく、反日を主張する人が、わざとやってきて、迷惑行為をするとは思えないが。ひょっとすると、昔は、そういうこともあったのかもしれないとは、想像してみることになるけれど。)

お客さんに女性が多い。そして、子どもがいない。居酒屋に女性が行くかどうか、男性と一緒に酒を飲むかどうか、家族で子どもを連れて行くかどうか、このあたりは、食文化や人間関係についての文化的なことに、かかわってくることになるだろう。

登場していた男性が、昔、日本語の歌を歌っていじめられたと語っていたが、これは、もうちょっと注釈をつけておいた方がよかったかもしれない。それ以前は、公式には、日本語の歌を歌うことが禁じられていた時代もあった。その昔から比べれば、歌えるだけ自由になったと、私などは思うことになる。

それから、気になったこととして、焼き鳥屋さんが映ったとき、おまかせ、が楽しみとお客さんが言っていた。韓国には、焼き鳥屋さんなどでの、おまかせ、というシステムは珍しいらしい。日本では、当たり前のようにあると感じているが。

2025年3月27日記