よみがえる新日本紀行「蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~」2025-04-03

2025年4月3日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~

オリジナルは昭和52年(1977年)である。私が大学生のころである。

蜜蜂に砂糖で作ったエサを与えて育てる、ということを始めて知った。昔もそうしていたようだったが、今では、そうしないと蜜蜂が飢え死にする。それだけ、花の蜜が取れなくなってきているということになる。

もう今では、菜の花畑という風景は珍しいものになってしまったのだろう。私の身の回りでも、春になって、田圃がレンゲの花で赤くなるという景色は少なくなったようである。それよりも、田圃だったところが開発されてお店になってしまうことが多い。

養蜂家という人たちが、花の蜜を追って全国を旅しているということは、知識としては知っていたことだが、その生活がどんなものだったかは、ほとんど知らなかった。春になると、鹿児島の頴娃町に多くの養蜂家が集まる。そこで、ソフトボールの試合をする。背番号は、全員が「8」である。もうこんなことができる時代ではなくなった。

養蜂家の数は減ったといっても、それでも、国産の蜂蜜を続ける人はいる。

興味深かったのは、オリジナルの放送のとき、日本での養蜂の仕事はもうだめだろうから、中国かアメリカ西海岸にでも渡る……こういっていた、養蜂家の子どもが、実際にアメリカに渡って仕事をしたということ。今ではもう引退したらしいが。

番組の最後で言っていたが、蜂は植物の受粉の仕事をする。農業にはなくてはならない存在である。これは、現代の機械化された農業であっても、基本は変わらない。ハウス栽培であっても、受粉用に蜂を使っていたかと思う。現代の、そして、未來の農業の視点から見たとき、養蜂という仕事は、価値を持ち続けることができるかと思う。(楽観的な見方かもしれないとは思うが。)

2025年3月29日記

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