『八重の桜』「ならぬことはならぬ」2025-04-07

2025年4月7日 當山日出夫

『八重の桜』「ならぬことはならぬ」

再放送がはじまったので見ることにした。最初の放送は、2013年である。今から12年前のことになる。あまり視聴率はよくなかったようなのだが、私は、かなり面白いと思って見ていた。幕末の動乱を、会津藩の視点から描くということが斬新なこころみだったと思うし、また、明治なってからの日本の社会についても、ふれるところがあった。

会津の地に対する愛郷心(パトリオティズム)、武士としての主君への忠誠心、幕府、そして、朝廷(孝明天皇)への忠義、これは定番の時代劇のテーマだが、それが、明治になって近代市民社会、国民国家の成立、ということになる、このあたりまで描けたかどうかは、難しかったかもしれないと思うところである。

特に、松平容保と孝明天皇とのことは、ドラマで描いたこととはいえ、非常に印象深いものであった。また、会津城の攻防戦の描写は、なかなか迫力があった。この会津戦争のときの映像は、今でも、ときどき、NHKの歴史番組で再利用(?)されていることがある。

日本の話しでありながら、アメリカの南北戦争のことからはじまる。意外な感じではあるが、しかし、南北戦争後にいらなくなってあまった武器が、多く日本に輸出されたことは、歴史の知識として、普通に知られていることだと思う。

第一回を見て思うことは、会津の日新館の映像がとてもいい。それから、江戸の佐久間象山の屋敷のセットが、なるほど、という感じである。とにかく、ものが多い。西洋の新しい文明の技術を貪欲にとりいれようとしている佐久間象山にふさわしい。単純な考え方であるが、画面に映っているもの(小道具)の数が多いドラマは、それだけ手間暇がかかっているので、見ていて面白い。

ならぬものはならぬ……これでは、対話ということにならないので、現代の価値観としては、どうかなと思うところがないではない。しかし、このような教育でそだったからこそ、後の八重の姿があることになる。

日曜日にお昼の放送を見ると、『八重の桜』につづいて『べらぼう』になる。八重がお稲荷さんになる。これは、ちょっと奇妙な感覚である。

2025年4月6日記

ETV特集「シリーズ 日本人と東大 第1回 エリートの条件 “花の28年組”はなぜ敗北したのか」2025-04-07

2025年4月7日 當山日出夫

ETV特集 シリーズ 日本人と東大 第1回 エリートの条件 “花の28年組”はなぜ敗北したのか

録画しておいたのをようやく見た。はっきりいえば、あまり面白くないというか、新たな知見や考え方が示されたということはなかった。

明治二八年卒業、東京大学法学部……厳密には、東京帝国大学法科大学だと思うが……のその後の人生をたどった、ということになっているが、実際には、浜口雄幸のことがメインだった。同期であった、幣原喜重郎のことは、ちょっと出てきただけだった。

帝国大学が、国家須要の人材の育成のために作られたものであることは、まあ、あたりまえのことである。また、明治のはじめのころであれば、いわゆるおやとい外国人という形で、外国人の教師がいたこともたしかである。このことについて、明治のはじめは、国際色豊かな教育が出来ていたが、その後、日本人の教師に変わってしまった、それがなくなった。そして、その延長で登場させていたのが、上杉慎吉というのは、いかにもできすぎたストーリーである。上杉慎吉を出すなら、美濃部達吉も登場させるべきだろう。

近代日本の教育制度、国家のエリートの教育がどうであったかを検証するなら、それで、また別の作り方があったと思うが、ただ浜口雄幸の個人のことで終わってしまている印象がある。

しかし、浜口雄幸のことを語ったというわりには、その人物像が明確につたわってこない。なぜ、議論を重視して、神のごとく正しくはないかもしれないが、凡庸であっても多数の常識にしたがうべきだ、と考えるにいたったのか、その思想の形成過程がまったく見えない。(これは、議会制民主主義の根本にかかわる議論になる。)

昭和にはいって、軍部の意見が強くなり、統帥権干犯問題になる。このとき、むしろ問題だったのは、政党間の争いでもあったのだが、これを、歴史的にどう考えるかは、難しい問題かもしれない。一般的には、統帥権をふりかざした軍部を悪者にすることが多い。その典型が、司馬遼太郎である。しかし、実際には、政党間の論争につかわれたという側面もある。これを使って攻撃したのは、犬養毅だった。昭和の軍部に視点をおくか、日本の政党政治史の視点で見るか、とらえかたは変わってくるだろう。政党政治史という観点では、井沢多喜男のことが重要になるはずである。

その後、浜口雄幸も、犬養毅も、非業の死をとげることになるのだが。

興味深かったのは、東京大学の文書館にあった、浜口雄幸と同期の学生の一覧。出自が書いてあったが、士族とあるものが多かったようである。この時代の高等教育を考えるならば、その学生の出自を考慮しなければならないだろう。社会的階層、出身地、いわゆる薩長の側か、それとも幕臣につらなるのか……こういうところの調査が必要になるはずである。

この番組、NHKと東京大学が共同で作ったようなのだが、あつかうべきテーマがばらけて、ことの本質が見えていないし、歴史観もあまりにステレオタイプにすぎる。

2025年4月4日記

『べらぼう』「蔦重瀬川夫婦道中」2025-04-07

2025年4月7日 當山日出夫

『べらぼう』「蔦重瀬川夫婦道中」

NHKの作っているドラマだから、「四民の外」とまでは言うけれども、それ以上のことは言わない。これは、しかたないだろう。今のことばいえば、被差別民、昔のことばでいえば、穢多非人、ということになるはずである。(この文章を書くのにATOKを使っているが、これは賢く作ってあるので、穢多、ということばを変換してくれなかった。)

ただ、被差別民が、実際に社会のなかでどのような存在であったかは、時代や地域によって、細かく検討していかなければならないことであるとは思っている。前近代の身分意識がどのような内実であったかは、実はよくわかっていないことなのだろうと思う。私は差別は決して肯定しないが、しかし、だからといって、差別だといえばことがすむとも思っていない。例えば『遠野物語』に描かれたような人びとの心のありようを、もっと深く、そして、実証的に考えることが必要だと思っている。

吉原は、悪所、であったにちがいないが、一方で、このドラマで描いているように、江戸の文化の一部を構成するものであったことは確かである。このあたりのバランスを、ドラマのなかでどう描いていくかは、難しいところだろうとは思う。

検校というような存在も、ある意味では、通常の身分秩序において、きわめて特殊な位置を与えられていたと考えるべきだろう。この延長には、日本の文化の歴史における、芸能にたずさわる人びとのことがある。

吉原では、かつて、役者(芸能にかかわる人たち)を差別していたことがある。差別というのは、単純な上下関係の積み重ねというわけではなく、錯綜したさまざまな人びとの社会的関係性のなかに、複雑にからまりあって存在することになる。

瀬川は、堅気というか、素人の奥様、という雰囲気である。ここは、素人にもどっても、もとの女郎の雰囲気をどこか残している、というぐらいがいいかなと思うのだが、このドラマの筋書きからすると、完全に吉原とは縁を切ったということにしたかったのかと思う。

瀬川の書いた手紙が、少し映っていたが、言文一致体、である。この時代に、こんな言文一致体の文章で手紙を書くはずはないと思うが、ここは、ドラマの進行として、そうなるところであろう。

源内の作ったエレキテルは、そもそもがインチキであるのかもしれない。少なくとも医療器具とするのは、うさんくさい。鍼灸の方がよっぽど効果があるだろう。

女郎に身売りすることになったからといって、それが憎悪の連鎖になってはならない、これはそのとおりなのだが、当時の社会においては、実際にどうだったろうかという気はする。

検校の処分後の債権については、幕府のものとなっていたが、なかには取り立てが無理な不良債権もああっただろうと思うけれども、実際には、どれぐらいのお金が幕府のもうけになったのだろうか。

冒頭の部分で、百人一首の歌になぞらえて、お互いに、言いたいことを言うシーンがあったが、この時代であれば、百人一首は、上層町人階層にとっては、愛好されていたかと思う。百人一首についての研究は、近年になって急速に進展した領域であるので、しかるべく考証してのことだろうとは思うが。

2025年4月6日記

放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」2025-04-07

2025年4月7日 當山日出夫

放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」

たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいたものである。これも、放送100年の番組のなかの一つということだろう。

普通の人たちが、普通にどんな生活(衣食住)であったのか、ということは、とても大切なことだと思っている。民俗学的にいえば、常民の生活誌とでもいうことができるかもしれない。

弁当箱の100年ということで、かけあしでたどる番組だったが、いくつか面白いところがあった。

乃木希典が日の丸弁当を好んだというのは、まあ、いいとしても、(番組では言っていなかったが)問題は、明治の陸軍における脚気問題であったはずである。大量の白米のご飯と梅干しだけでは、栄養にかたよりがある。これは、脚気の原因になる、というのは今日の知識では常識的なことだろうと思うが、明治のころの軍においては大きな問題だった。この論争のなかに、森鷗外もいたことになる。

日の丸弁当が普及して、梅干しの需要がたかまり、品不足になった、というのは、始めて知った。これも、梅干しの歴史、近代史、という視点から見ると、面白いことがあるかもしれない。

アルマイトのお弁当箱といえば、当然ながら、『二十四の瞳』である。最近のNHKのドラマも見ているし、昔の(子どものころに放送された)ドラマも見た記憶がある。木下恵介監督の映画も、若い時に映画館で見た。

若大将(加山雄三)が、ドカベンであったことは、始めて知った。なんとなくハイカラなイメージがある歌手・俳優ではあるが、この時代としては、たくさんご飯を食べることが、かっこよかった時代であった。

冷凍食品の登場が、お弁当を変えたことは、たしかだろう。それ以上に、日本の一般の食生活を変えたことになる。今では、家庭の冷凍庫と、冷凍食品なしには、日々の暮らしがなりたたなくなっている。

保温の出来る弁当箱の開発も、重要である。ただ、私は、これは使った経験がない。

あさま山荘事件のときをきっかけに、カップヌードルが普及したのは、そのとおりだろう。個人的には、始めてカップヌードルを食べたのがいつごろのことだったかは、さだかに記憶していない。

日本の人びとが、どんなものを食べているのか、食べてきたのか……その映像資料を見ていくだけで、いろんなことが分かってくるにちがいない。ただ、それも、今では、コンビニのお弁当が日常生活のなかに入りこんできているし、それをつくるのに、食材の生産、流通、加工、販売に、外国人労働者の手をかりなければならない時代になっていることも、たしかなことであろう。

2025年4月6日記