放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」2025-04-07

2025年4月7日 當山日出夫

放送100年「ギュギュっと100年!イッキミTV 弁当箱の100年」

たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいたものである。これも、放送100年の番組のなかの一つということだろう。

普通の人たちが、普通にどんな生活(衣食住)であったのか、ということは、とても大切なことだと思っている。民俗学的にいえば、常民の生活誌とでもいうことができるかもしれない。

弁当箱の100年ということで、かけあしでたどる番組だったが、いくつか面白いところがあった。

乃木希典が日の丸弁当を好んだというのは、まあ、いいとしても、(番組では言っていなかったが)問題は、明治の陸軍における脚気問題であったはずである。大量の白米のご飯と梅干しだけでは、栄養にかたよりがある。これは、脚気の原因になる、というのは今日の知識では常識的なことだろうと思うが、明治のころの軍においては大きな問題だった。この論争のなかに、森鷗外もいたことになる。

日の丸弁当が普及して、梅干しの需要がたかまり、品不足になった、というのは、始めて知った。これも、梅干しの歴史、近代史、という視点から見ると、面白いことがあるかもしれない。

アルマイトのお弁当箱といえば、当然ながら、『二十四の瞳』である。最近のNHKのドラマも見ているし、昔の(子どものころに放送された)ドラマも見た記憶がある。木下恵介監督の映画も、若い時に映画館で見た。

若大将(加山雄三)が、ドカベンであったことは、始めて知った。なんとなくハイカラなイメージがある歌手・俳優ではあるが、この時代としては、たくさんご飯を食べることが、かっこよかった時代であった。

冷凍食品の登場が、お弁当を変えたことは、たしかだろう。それ以上に、日本の一般の食生活を変えたことになる。今では、家庭の冷凍庫と、冷凍食品なしには、日々の暮らしがなりたたなくなっている。

保温の出来る弁当箱の開発も、重要である。ただ、私は、これは使った経験がない。

あさま山荘事件のときをきっかけに、カップヌードルが普及したのは、そのとおりだろう。個人的には、始めてカップヌードルを食べたのがいつごろのことだったかは、さだかに記憶していない。

日本の人びとが、どんなものを食べているのか、食べてきたのか……その映像資料を見ていくだけで、いろんなことが分かってくるにちがいない。ただ、それも、今では、コンビニのお弁当が日常生活のなかに入りこんできているし、それをつくるのに、食材の生産、流通、加工、販売に、外国人労働者の手をかりなければならない時代になっていることも、たしかなことであろう。

2025年4月6日記

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