サイエンスZERO「自然が愛する“六角形”!偶然?必然?」2025-04-10

2025年4月10日 當山日出夫

サイエンスZERO 自然が愛する“六角形”!偶然?必然?

再放送である。最初は、2024年1月14日。これもHDに残っていたので見た。

平面を敷き詰めることのできる図形は、正三角形、正四角形、正六角形、である。そのなかで、正六角形が、その周囲が最も短く、安定している……これは、理解できることである。正六角形であれば、どちらかから力が加わっても、ずれることがない、ということもあるのかもしれない。

興味深かったのは、ショウジョウバエの目(複眼)の六角形がどうしてできるのか、ということ。生物の体の形は、遺伝子によって決定されている、というのが、一般的な知識かと思うのだが、これは、必ずしも遺伝子によって決定していることではないらしい。複眼が形成されるプロセスのなかで、たくさんできた単眼が、おしあいへしあいしているうちに、もっとも安定した形として、六角形ができあがる、ということのようだ。いわゆる遺伝子決定論的な考え方で、すべて説明できることではないことになる。

蜂の巣の六角形が、大きさが変わるときに、五角形と七角形をはさんで、サイズの大きな正六角形を並べることができる。そして、これは、数学的に理にかなった方式である、というのは面白かった。社会性を持つ昆虫の行動の面白さでもある。

他に出てきていたのは、柱状節理。土星の雲の作る六角形。これらが、できる物理的メカニズムは異なっているが、結果として六角形が、もっとも安定した形としてできあがることになる。

味噌汁でも、六角形が観察できることは、とても面白い。

出てこなかったのは、雪の結晶。これは、これでまた魅力的な科学の世界になるにちがいない。

2025年4月5日記

NHKスペシャル「新ジャポニズム 第4集 DESIGN 世界を魅惑する“和”の魔法」2025-04-10

2025年4月10日 當山日出夫

NHKスペシャル 新ジャポニズム 第4集 DESIGN 世界を魅惑する“和”の魔法

個々の話題は面白いのだが、全体としては、いやこの回にかぎらず、「新ジャポニズム」の企画自体が、ニッポンすごい、でしかないように思える。ここから先の展望があまり見えないのである。

ランドセルが、アメリカで人気であるとしても、では、これから日本の産業としてランドセル製造が重要な意味を持つものになるかというと、そうとは思えない。

将来性があるのは折り紙の工学的な利用。二次元の紙から、三次元の立体物を作るというのは、数学的にも興味のある分野だろうし、また、工学的にもこれからの応用が期待できるにちがいない。だが、これは、ただ、折り紙が日本の(いつぐらい前からあるのかは知らないが)古くからの伝統と意識されるものである、という域を出ない。日本から、折り紙の理論を構築して、様々な産業分野への応用をこころみるというのは、期待できるかとも思うが、まだまだこれから先のことだろうと思う。

民藝について、柳宗悦をもちだすのは、分からなくはない。しかし、重要なことは、民藝の背景にあったはずの、前近代的な生活のスタイルや意識、価値観、風習、社会のあり方……これらは、現代では、封建的な遺物ということで、これまでに、あらゆる場面で否定され続けてきたことである。それを今さら復活させようとしても、かなりハードルが高い。

強引な言い方になるかと思うが、地方にいる女性がその土地に居着かず、都会をめざす。しかし、だからといって、成績優秀な学生が東京大学をめざすということでもない。このあたりの事情、日本社会のなかの前近代的な宿痾とでもいうものが、指摘されている。このような状態をのこすのか、改善していくのか、このような議論と、民藝の手作業を継承していくということとは、つながる問題であると、私は思う。

岡山のデニム工場で使っていた織機は、TOYODAとあった。豊田佐吉のながれをくむ豊田自動織機の作ったものということだろう。古い機械を使い続けることも大事だろう。と同時に、これを、現在のテクノロジーで、どうやって再現できるのか、というチャレンジがなければ、将来は見えない。機械は、いずれ壊れる。織機が壊れたら、デニム産業が終わってしまう、ということであってはならないはずである。

折り紙の技法で服を作るというのは、とても興味深いことではあるのだが、肝心なのは、その素材となっている生地をどうやって作るのか、ということである。どのような原材料を、どう加工すれば、スチームをあてるだけで変形するのか。(あるいはこれは秘密なのかとも思うが)この素材の研究開発こそが、もっとも重要なことかもしれない。はたして、ここに日本の大学や企業の研究が活かされているということであるのだろうか。私は、ここのところが最も知りたい。

2025年4月1日記

映像の世紀バタフライエフェクト「シークレットサービス 大統領の盾となる者たち」2025-04-10

2025年4月10日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト シークレットサービス 大統領の盾となる者たち

こういう仕事にたずさわる人たちについては、何よりも栄誉でむくいなければならない、と思う。その仕事の具体的内容については、ことの性質上、機密事項にかんすることが多いだろうから、そう詳しくオープンにすることはできないかもしれない。だが、もし、仕事が失敗すれば、その責任を厳しく問われることになる。

番組としては、シークレットサービスの仕事についてがメインだったので、逆の視点、つまり、大統領を殺してしまいたいと思うのは、どんな人たちだったのか、ということが、あまり深く触れられていない。これも、過去の事件が、それぞれ、どのような背景で起こったことなのか、考えてみれば、また別の歴史として、面白いものになるかもしれない。(それと、銃規制とは、別の問題である。)

日本の場合、要人警護については、かなり甘いかなという印象は、どうしてもある。安倍晋三元首相の暗殺事件があってから、かなり変わってきたとは思うけれども、それまでのことを思ってみれば、事件の時の警護が不十分なものだったとは、かならずしもいえないかもしれない。(今にいたるまで、陰謀説が消えて無くなったわけではない。)

アメリカ大統領の暗殺ということは、(狙うがわからして)成功率が高いというべきか、それとも、(阻止すべく)シークレットサービスが頑張ってきたというべきなのか、さて、どうなのだろうか。

2025年4月8日記